―米 中 関 係―
第4節 米 中 関 係
1. 北京による反米統一戦線の結成
70年の米中関係は年初ワルシヤワ大使会談を通じての接触があつた以外, 二国間の実質的動きはほとんどなく,全体として,北京の対ソ非難が減少したため,米中の対立が浮きぼりにされてきた感がある。3月18日のカンボディア・クーデター以後,北京に亡命したシハヌーク殿下を支持する北京政府は,4月下旬インドシナにおける反米統一戦線結成のイニシアティブをとり,さらに4月29日の米軍のカンボディア進攻以後,5月20日に毛沢東声明を発する等北京の対米非難は一段と激化した。
米中両国は70年1月20日ワルシヤワ大使会談を2年ぶりに再開し,ひき続き2月20日にも第136回会談を行なつた。ニクソン政権は69年以来,若干の貿易規制の緩和等対中関係改善の姿勢を示しワルシヤワ会談についても北京政府と接触の糸口を絶やすのは得策でないとの考慮から,再会にいつでも応じる用意がある旨表明していた。
一方,北京もいまだ正常化の動きのみえなかつた対ソ関係にもかんがみ,米中会談を対ソ牽制に使う意図があつたものと思われる。しかるに5月20日に予定されていた第137回米中会談は北京側が米軍のカンボディア進攻を理由として中止を申し入れたため延期となり,その後再開の兆候もないままとなつている。
70年10月以降,カナダ,イタリア,赤道ギニア,エチオピア,チリー,ナイジエリア,クウエート,カメルーンによる北京政府承認があり,国連においても「北京政府招請・中華民国政府追放」のアルバニア案が賛成多数を獲得したという事実,また中ソ間で大使交換が復活したこと等を踏え米国は新しい中国政策を検討中であるが,ニクソン大統領は外交教書(2月25日付)の中ではじめて中華人民共和国という正式名称をもつてその国際社会への復帰を呼びかけ,続いて3月15日,米国人の対中国大陸渡航規制を撤廃した。