―中 ソ 関 係―
第3節 中 ソ 関 係
1. 国家関係正常化の動き
70年4月以降,中ソ間には国家関係の面である程度正常化が進展し,以下のような動きがみられた。
(イ)国境通商協定の調印―8月18日からハバロフスク市において中ソ国境通商会談が開催され9月18日には「商品交流の相互決済に関する議定書」の調印をみた。
(ロ)大使の交換―9月16日,ソ連最高会議幹部会はトルスチコフ前レニングラード州党第一書記を駐北京大使に正式任命し,同大使は10月10日北京に着任した。一方,北京政府側からは11月22日に劉新権大使がモスクワに着任して,両国は4年ぶりに大使を復帰せしめた。
(ハ)貿易議定書の調印―11月22日北京で中ソ両国間に「物資交換,支払いに関する協定」が調印された。貿易協定の調印は67年度貿易議定書が調印されて以来3年ぶりのことである。
(ニ)国境河川航行委員会―12月18日に至り,7月10日から黒河鎮で開催されていた東北部国境河川航行に関する中ソ合同委員会が議定書に調印して閉会した。
中ソ両国の相互非難は70年前半,特にレーニン生誕百年祭,メーデー等に際して激しい応酬がみられた。その後は国家関係面での主常化の動きとも相まつて相互非難は質・量ともに下火となつたが12月のポーランド暴動にあたつて北京側が非難を再開,ソ連もこれに反論して中ソ対立の根深さを示した。
3月30日から開催されたソ連党大会におけるブレジネフ演説は中ソ関係にかなりの部分をあて,過去5年間の中ソ関係を綜括するとともに国際共産主義運動における中共の分派活動を激しく非難した。しかし,国家関係に関しては北京政府の非協力的態度を批判しつつも関係改善の呼びかけを行なつている。
一方,中共は前回にひき続き今次大会にも代表団を派遣せず,これに先立つ3月18日,パリ・コンミユーン百周年に際して中共側の立場を表明するとともに激しい対ソ非難を行ない,ソ連党大会に関しては何らの報道も行なつていない。
69年10月に開始された北京会談は70年を通じ,主目的たる国境交渉の面では何らの進展もみなかつた。それにもかかわらず本会談開催以後国境地帯での武力衝突は伝えられていない。