―米 ソ 関 係―

 

第2節 米 ソ 関 係

 

1. 核バランスをめぐる米ソ関係

 

 戦略兵器制限に関する米ソ両国間の本格交渉は第一ラウンドが70年4月から8月までウィーンで,第二ラウンドが11月から12月までヘルシンキで開催された。第二ラウンド終了の段階で具体的な合意は何ら達成されなかつた模様であるが,両会議の終了後に発表されたコミュニケ等からみて,両国は真剣に交渉に臨んでいる模様である。なお,71年3月15日より第三ラウンドが開始されている。

 他方米ソ間の戦略バランスに関しては,米国のICBM及び潜水艦発射弾道ミサイルの数がいぜんとして増加していないのに対し,ソ連のICBMは1969年年央の1050から70年年央には1300に,潜水艦発射弾道ミサイルは同じく160から280に増加したと推測されミサイルの数では米ソのバランスは一層縮小した。これに対し米国はICBM及び潜水艦発射弾道ミサイルの多弾頭化といった質の強化を図つている。

 

2.  その他の分野における米ソ関係

 

 その他の分野における米ソ関係の特色は,70年前半(8月まで)に両国の協調面が浮彫りにされたのに対し,9月以降両国関係の冷却化がにわかに論ぜられるようになつてきたことである。

 すなわち70年夏頃までは,米国のカンボディア進攻に対するソ連の反応は比較的おだやかであり,また8月には米ソの努力により,3年ぶりに中東停戦が実現し,米ソの協調による緊張緩和の気運が高まつた。

 ところがその後(イ),ア連合が,ソ連の明示あるいは黙示の合意を得た上のことであろうが,停戦協定に違反してスエズ運河沿いのミサイル基地を増強したこと,(ロ),9月25日に米国政府がキューバにソ連がミサイル潜水艦用の基地を建設している疑いがあることを明らかにしたことなどから米政府関係者の対ソ信頼感がゆらいだようであり,70年10月9日のロジャーズ長官はこれを裏付けたものといえ,また米国や西欧の主要紙は一せいに米ソ関係の冷却化をテーマとした論評を掲げた。

 (ハ)さらにソ連におけるユダヤ人のハイ・ジャック未遂事件裁判おいて,70年12月死刑の判決が下された(後に減刑)ことを契機として米国内ユダヤ系過激団体によるソ連外交官に対するいやがらせソ連政府関係施設襲撃などが行われ,これに対し,1月4日ソ連政府が抗議声明を発出すると共に,モスクワにおいて米国人に対する報復的いやがらせが見られた。

 上記一連の事件は,複雑な米ソ関係の一面を示すものといえようが,ニクソン大統領は1971年2月の外交教書においてソ連に関して可成りのスペースをさき「ソ連のミサイル増強は米ソ関係に新たな重大なる要素を持ち込んだ」と述べソ連が米国の「抑制政策」につけ入ろうとするのは危険であると警告しており,今後の米ソ関係においては協調面よりも対立面が強まることも予想される。

 

 

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