―南北問題―
第14節 南 北 問 題
1. 南北問題と第2次国連開発の10年
南北問題とは発展途上国の経済社会開発に関連する諸問題,とくに貿易と援助問題を指す総称である。
1970年10月24日国連25周年記念総会は,「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」案を満場一致で採択した。ここに1971年1月1日より始まる10年は「第2次国連開発の10年(Second United Nations Development Decade)略称UNDDII」と呼ばれることとなり,設立以来4半世紀を経た国連は南北問題解決の重責を荷って更に進む決意を新たにした。
既に1961年の第16回国連総会は,故ケネディ大統領の提案を受け入れて「国連開発の10年」の発足を決議し,翌年の第17回総会において南北問題討議の中心機構である国連貿易開発会議(UNCTAD)の設置が決議され,1964年及び1968年に第1回,第2回会議がそれぞれ開催された。また1966年には国連開発計画(UNDP),国連工業開発機関(UNIDO),アジア開発銀行(ADB)などがそれぞれ発足して活発な活動を開始し,開発・援助に関する国連関係諸機関は60年代に著しく整備された。
このような成果にもかかわらず開発途上諸国は,(イ)国内総生産で5パーセントの目標成長率を達成しても,国民1人当りの成長率は年平均約2.5パーセントの人口増加率で減殺される結果2.5パーセント程度にとどまり,先進国の一人当りの成長率3.8パーセントよりはるかに低く,南北間の経済較差はむしろ拡大の傾向をたどつている。(ロ)貿易面においても,世界貿易に占める開発途上国のシェアは減退しつつある。(ハ)また対外債務は60年代には年間16パーセントの割合で累積しているとして,60年代を通じ先進国はますます繁栄し開発途上国の経済成長は遅々として進まず,その間の較差はいつそう拡大しつつあるのではないかとの焦慮の気持を持つに至り,これが70年代の新たな開発の10年においては目標のみならずそれを実現するための総合的な手段を明記した強力な開発戦略を求めようとの気運を醸成したものである。一方先進国としても南北間の較差拡大を放置することは国際政治経済の面において種々の摩擦を生みがちであるから,開発途上国側の要求を聞いた上でできるだけの協力を行なうとの決意をもつて,国連の場における開発戦略策定の作業に参加することとなつた。
具体的な開発戦略を策定するための政府間会議である「第2次国連開発の10年準備委員会」は1969年2月の第1回会合以後,70年5月の第6回会合で一応の最終案文を作成するに至つた。準備委はその過程において,UNCTADをはじめとする国連の関係諸機関のそれぞれが専管する分野からの寄与をとりまとめて戦略案の体裁に組み込んでいくという作業を行なつたのであるから,この開発戦略は国連諸機関が総力をあげて練りあげたものと言えよう。さらに69年秋から70年当初にかけて国連機関の委嘱諮問にこたえて相次いで発表された「ピアソン報告」及び「テインバーゲン報告」は,開発援助問題に関する専門家グループの意見であり,開発戦略案策定作業に大きな影響を与えた。
1970年9月の国連総会における戦略案審議の最終段階においては,とくに開発戦略の中枢をなす先進国側の各種政策措置の達成期限及び援助の量質に関する目標等をめぐつて交渉は難航したが,先進国・開発途上国側双方が最大限の互譲妥協に努めた結果ようやく妥結をみたものである。また,国連経済社会理事会のメンバーを倍増して構成されたUNDDII準備委に西独が参加していることを理由に審議をボイコットしていたソ連等共産圏諸国も,最終的段階で討議に参加し,UNDDII開発戦略は曲りなりにも国連全加盟国の賛同のもとに採択されることとなつた。
以上のごとき過程を経て採択されたこの開発戦略は,まさに,今後10年間の南北問題の核心的課題を網羅した重要文書となつている。
(1) 開発戦略は(イ)前文,(ロ)目標,(ハ)政策措置,(ニ)審査機構,(ホ)世論の動員,(の5章84項)よりなり,開発途上国の経済社会開発を促進すべく有機的に構成されている。そして,その前文には,「国連憲章に盛られた人間の尊厳にふさわしい最低限度の生活水準を確保するとの基本目的を実現するためには,世界に現存する較差を消滅させるよう効果的な国際協力制度の確立が必要であり,これは,国際社会全体の共同かつ連帯の責任である」旨宣言している。
また,その目標は次のように定められている。すなわち,開発途上国の経済成長率目標を,70年代を通じて年平均6%とすること,また人口の伸び率を年間2.5%とし,これを基礎として1人当りの所得を年平均3.5%増加すること,さらに農業生産増加率を4%,工業生産増加率を8%,貯蓄率は毎年0.5%ずつ増大させて1980年に20%の水準に到達させること等である。
そもそも開発戦略が法的拘束力をもつものでないことは関係各国のすでに承認するところであるが,同戦略は国連記念総会で満場一致で採択されたものであり,戦略実施についての道義的政治的責任は無視できないものがある。この意味で先進国と開発途上国の利害が基本的に対立することの多い政策措置の部分の審議は難航し,結局,先進国市場の自由化,産業調整援助,援助量の増大,援助条件の緩和,特別引出権(SDR)と開発融資のリンク,科学技術の移転等の主要問題点についてはわが国を含む各国がそれぞれ留保を付すこととなつた。
(2) 近年特に経済面における各国間の連係はますます強まる一方であり,国際貿易の網の目はますます細かくなつてきている。これとともに各国は貿易上の相互依存度を高め,一国の国内経済は世界経済の動向に大きく影響されることとなつた。この意味で今日の世界は単なる交流の場としての国際社会から,より結合の度合いを強めた一つの共同体(World Commmity)としての性格を強めつつあると見ることができよう。開発途上国側が先進国に対して要求してくるものの中には,先進国の能力・内部事情を無視しているものもあるが,先進国の開発努力を効果的に援助するのは,世界共同体の一員としての責務でありひいては自国の利益となつて還元されることでもあると見なされる。第2次国連開発の10年及びその開発戦略はこのような文脈の中で理解されるべきであろう。
わが国はかかる趣旨に賛同して,開発戦略策定作業に当初から積極的に参加してきた。また最近のわが国の南北問題に対する態度をふり返つてみても,1975年までにGNP1%を援助に充てること,ひも付き援助の撤廃,特恵供与の早期実施及びこれに対応した国内産業の調整などかなり明確なラインが打ち出されてきており,ややもすれば米・英・仏等主要先進国からの援助が停滞しつつある現在の国際社会において高く評価されている。しかしながら政府ベース援助量及び援助条件の分野では先進諸国の水準を下回つている実情であり,なお大幅な努力がわが方に要請されていることは明らかであろう。
近年におけるわが国の経済力の伸長に伴い,わが国の影響力は好むと好まざるとにかかわらず,増大してきておりかかる状況の下において,UNCTADをはじめとする南北問題討議の国連諸機関におけるわが国の立場も,微妙に変化してきている。その結果,貿易・援助のほとんどすべての分野において他の先進国より見劣りしていたようなかつての態度を再びわが国がとることは,もはや国際場裡では許されないといつても過言ではないであろう。また今後のわが国の具体的行動に対し,特にアジア諸国を中心に期待と監視の眼が強まつてくることも疑いのないところである。対外援助問題を考えるときにしばしば引き合いに出される反論として,日本国内の住宅事情の改善,社会福祉制度の整備等が先決である旨の議論があるが,これらは国内で使用されるべき資金の分配の問題でもあり,すでに見たように世界共同体の中におかれた自由世界第二位の経済大国としての日本の立場を考慮するならば,国内充実への努力と並行して南北問題解決に貢献するために,今後種々の具体的方策をより強力に推し進める必要があろう。