―世界経済の流れ―
第13節 世界経済の流れ
1970年の世界経済は,米英両国経済の停滞,および欧州大陸諸国の景気鎮静化を映じ先進国の実質経済成長率は69年をかなり下回つたものとみられ,またこの影響を受け,開発途上国の経済拡大も総じて鈍化したと見られる。
こうした景気の後退にもかかわらず,前年来のインフレーションは一向に改まらず,賃金コストの上昇を背景に朝鮮戦争時以来の物価上昇を示した国も多かつた。とくに米英では景気停滞下のインフレーションと従来の常識に反する事態がみられ,これを表わす言葉としてスタグフレーション(stagflation)なる新語が生まれ,米国を中心に所得政策活用論が強まつたこと,また各国インフレの相互増幅作用に対処すべく国際協力の必要性が,OECD(経済開発協力機構)等において強調されたことなどが,70年経済の特徴的な動きであつた。
1. 景 気 動 向
(1)先 進 国
米国が実質経済成長率―0.4%と1958年以来12年ぶりの不振に陥り英国も通年停滞に悩んだほか,欧大陸諸国も前年来の景気過熱状態が年央以降鎮静化,OECDの推計によれば加盟22国の実質経済成長率は2.75%と(69年4.9%)かなりの鈍化を示した。
米国の景気後退の主因は61年来の引締め浸透に伴う在庫調整に求められるが,企業収益減退,稼動率低下等から,設備投資の増勢が大幅に鈍化したことが後退を決定的にしたものとみられる。景気後退の深化から1月には3.9%であつた失業率が5月には5.0%に達し,12月には6.2%の高水準となつた。一方欧州共同体諸国では前年来の引締め下においても輸出,設備投資主導型の成長が続き,前半は総需要は着実に拡大を示したが,夏ごろを境に,フランスで消費財,輸出の受注に,ドイツで輸出,投資財の受注に鈍化傾向が明確となり,年末にかけて景気は鎮静化に向かつた。欧州大陸諸国の景気の鎮静化は基本的には引締め政策の効果の表われによるものであるが,直接の契機としては海外需要の増勢の鈍化を通じて生じたものとみられる。これは米国の輸入の増勢が衰えたことに加え,ドイツでも輸入原材料在庫調整がみられるにおよんで,それまで設備投資の大きな誘因となつてきた輸出の増勢が鈍化しはじめ企業の投資態度を急速に変化せしめ,設備投資計画の縮小,繰り延べの動きが拡大していつたものである。なお英国は前年に引き続き通年停滞気味に推移した。
この間,先進国のインフレ動向をみると69年をさらに上回る勢いで高進した。
68年ごろよりみられはじめた今回のインフレーションは朝鮮戦争時のそれに匹敵するような世界的なインフレーションとして問題視されるにいたつているが,現下のインフレには次のごとき特徴がみられる。(あ)主要国をすべて包含し,物価の安定している国がみられないこと(い)貿易・為替の自由化,経済統合の進展などを背景にインフレが各国間で伝播し,相互に加速化していること,(う)インフレの継続と世界的な拡まりから,インフレ・マインドが浸透していること。(このため労働組合は賃上げ要求に際し先行きの物価上昇分を織り込もうとし,企業側もそれを製品価格に転嫁できるだろうと安易に考える傾向にある)(え)景気後退期には物価は下がるとの通念に反し,景気の鎮静化にもかかわらずインフレ傾向がおとろえず,とくに米英両国においては景気が停滞しているのに物価の上昇が加速化されていること等である。この背景にはインフレの要因として需要拡大以外に,賃金上昇を主因とするコスト・プッシュ要因が強まつたことによるものとみられる。
賃金の急上昇はインフレ圧力を強める一方,企業利潤の低下を通じて投資を圧迫し,さらに賃上げ攻勢に対する企業側の抵抗がスト続発を招き,年間を通じてみれば大きな生産阻害要因となり,先進国経済を圧迫した。かかる賃上げ圧力の増大は,戦後の先進国が経済政策の基本に完全雇用達成をかかげ,ほぼそれに成功したところへ67年以降の景気の急拡大により労働需給が急激に逼迫,超完全雇用状態を示現したことにより強まつたものであるが,景気後退に伴い賃上げ要求に応じ得ない部分で労使の対立激化,ストライキの頻発を招いたものである。ストライキはとくに米国,英国,イタリアなどで目立つたが,米国において9月から12月にわたつて続いたゼネラル・モーターズ社のストライキによる損失は,実質GNPの1%にも及ぶものとみられており不況がようやく底をつき景気が浮上しかけた芽を摘みとつたものであつた。
このような経済動向に対する各国の政策をみると,年初は,インフレ抑制にその目標が置かれていたものの,景気後退が明らかになるにつれ,景気後退行き過ぎに対する懸念が急速に高まり,引締め政策の手直しが相次いでみられ,秋口以降米国,フランスでは明確に景気刺激策を打ち出すに至つた。米国では年初インフレを抑制しつつ年後半には景気回復を目指し,69年中はきびしく抑制していた通貨量をゆるやかに増加させる方針に転じ,その後ペン,セントラル鉄道の破綻に象徴される企業の流動性危機等に対する配慮等から引締め緩和を一段と進めた。さらに失業率の上昇が顕著となつた秋以降は,11月から71年2月にかけ5回にわたり公定歩合が引下げられ(6→4.75%)るなど景気刺激策がとられ,また71年1月の大統領予算教書によれば,70~71会計年度(70年7月~71年6月)では186億ドル71~72年度では116億ドルの予算赤字を計上し,失業率を完全雇用水準へもどすための積極策がとられることになつた。
またフランスでは,春ごろから段階的に引締め手直しを進め,8月,10月と再度にわたつて公定歩合を引下げ(8→7%)るとともに,10月には貸出し規制を撤廃して全面的に引締めを解除,政策の重点を成長維持に置き,更年後さらに公定歩合を引下げた(7.0→6.5%)。またドイツでも7月,11月,12月の3回にわたつて公定歩合が引下げられ(7.5→6%),独政府はこれを海外金利低下に伴う短資流入に対処したものであり,引締めは堅持と説明しているものの,景気の落着きに対する配慮はなかつたとは云えない。もっとも英国は年初銀行貸出規制の運用に手心を加え,3月,4月には短資流入の急増に対する抑制のためもあり,公定歩合を引下げ(8→7%)緩和に踏みきつた。しかし,その後貿易収支の悪化,コスト・インフレの激化から引締の緩和には慎重な態度を持しており,更年後引締めの抜け道を封じるため企業の海外短資取入れに抑制措置をとつた。
このような先進諸国の相次ぐ金融緩和により,69年に異常高を示した各国国内金利は低下に向かい,またユーローダラー市場等の国際市場金利も低下を示した。このように多くの主要国がインフレ抑制をみないうちに金融引締めの緩和をはじめたのは,失業の増大を伴うような大幅景気後退を避けようとの配慮が働いたのであるが,かかる金融緩和はインフレ抑制をますます困難ならしめており,かかる状況から所得政策を導入しようとの声が強まり,米国バーンズ連邦準備制度議長,英国オブライエン英蘭銀行総裁など金融当局者がこれに同調するに及び,再び所得政策論議が高まつた。
米国政府当局は所得政策反対の態度は変えていないが,70年夏には「生産性委員会」を設置し「インフレ警報」を発表,個別企業の賃上げ,価格引上げまでにコメントを加え,建設業における賃金決定方法に改善を要求するなどの動きをし,西ドイツでも政府が71年度の物価,所得等に関する見通しをガイドラインとして発表,労使の協調を要請,英国では労働党末期に総選挙(6月)対策もあつて所得政策を大幅に後退させたが,これに代つて大幅賃上げの元となつているスト規制をねらつた労働関係法案を審議中,またオランダや北欧諸国では一時的ながら物価統制が実施されている。
また各国のインフレが相互伝播し,互いに増幅し合つていることにもかんがみ,インフレ抑制のためには国際的な協調が必要であることが5月のOECD閣僚理事会において強調され,11月にはOECD経済政策委員会で事務局作成の具体的な討議資料に基づいてインフレ問題についての討議が行なわれた。同資料はインフレ克服のためには各国が物価安定という政策目標に高い優先度を与え,一時的には経済成長を犠牲にするぐらいの覚悟をもつべきことを主張,具体的に21項目にわたる短期,中期の対策―総需要政策,所得政策,市場競争の促進,貿易制隈の撤廃―などを各国が一致して進めることを提唱している。本件についていまだ何らの結論も得られていないが,インフレ問題を放置しておけばインフレ相互波及はますます強まるものとみられるだけに,かかる国際協調の必要性は増大しており今後のOECDの検討が注目されよう。
(2)開 発 途 上 国
「緑の革命」の進展による食料生産の改善,工業化の進捗からここ数年比較的順調に推移してきた開発途上国の経済は,70年は先進国の景気鎮静化の影響を受け,輸出の伸び悩みを主因に国際収支が悪化,これが制約となり経済成長はかなり鈍化したものとみられる。第1・四半期の輸出は前年同期比8.0%増と69年の9.3%を下回つたが,この傾向は先進国の景気鎮静化に伴い一次産品市況の軟化,産油国における石油輸出の伸び悩み,香港等先発開発途上国の輸出鈍化となつてその後いつそうの強まりをみせている。とくに近年強含みを続けた一次産品市況は春をピークに,食料品,綿花等一部を除き,非鉄金属,ジュート,ゴム,羊毛など軒並みに下降,これらの商品に依存度の高い国々の輸出を圧迫した。一方輸入は第1・四半期で前年同期比7.6%増(69年中5.8%増)と増勢を示し,さらに数年来先進国の援助が頭打ち傾向にあり,とくにアジア諸国ではヴェトナム特需の減退も加わり,多くの国で国際収支の悪化を招いた。かかる国際収支面の圧迫が制約となり,60~67年実質5.2%,68年6.1%,69年6.7%と加速されてきた開発途上国の経済成長はかなりの鈍化を余儀なくされた模様である。
(3)共 産 圏
ソ連は70年がレーニン生誕100年にあたることもあり,鉱工業生産は8.3%増と69年(+7.1%)を上回つた。そのうち消費財生産部門は1968-70年間,生産財より増産率が高かつたと公表されているが,従来低率成長であつただけに依然立ちおくれが目立つている。東欧諸国では,チェコスロヴァキアを除き,天候不順から農業が不作に終り,とくにポーランドにおいては前年に引き続く不作の結果強行された食料品等の値上げをきつかけに12月に暴動が起り,政変にまで発展した。
中国大陸では,文革による混乱のあと,社会情勢は安定化の道をたどつており,工業生産においては1969年にほぼ文革前の水準を回復,70年にはそれを相当程度上回つたものと観測される。農業においては,70年には,1969年の自然災害をやや上回る規模の災害が発生,部分的にはかなりの被害が出たものの,69-70年にかけての大規模な農業基本建設,肥料の増産,種子の改良等により全体として対69年比5-10%程度の増産をみたものとみられる。
自由世界の貿易は世界景気のスローダウンを映じて年後半に増勢がある程度鈍つたものの,年間通じてみれば12.7%増と68年以来3年連続10%以上の伸びを記録した。これは先進国の輸入が前年に近い増加(OECD推計では,加盟国計で15%増,69年16%増)を示し,世界貿易をリードしたためで,内需旺盛の日本,ドイツ,国内供給力不足の英国,イタリアでは前年なみあるいはそれ以上の増加となつた。米国も消費が堅調のうえ,国産品が割高なこともあつて上期には景気後退期としては異例の増加をみた。
開発途上国においては,年前半は69年の外資事情好転を背景に輸入は引き続き増加を示したが,年央以降先進国景気の鎮静化,一次産品市況の軟化から輸出が鈍化,援助の頭打ちもあり輸入余力が減退した。
もつとも70年の貿易好伸のうちかなりの部分は輸出入価格の上昇に負つており,OECDの推計によれば,加盟国の輸出入増16%のうち価格の上昇は5.5%,物量の増加は10%としている(69年は輸出増15.8%,価格の上昇3.8%,物量増11.6%)。輸出入価格の上昇は先進国のインフレーションを映じたものであるが,また輸出入価格の上昇は国内物価上昇を押し上げ各国のインフレが貿易を通じて増幅された。また先進国の輸出価格の上昇は,開発途上国の国際収支圧迫の一要因ともなつている。
東西貿易についてみると,OECD諸国とソ連,東欧との取引は69年に顕著な伸び(輸出12.2%,輸入9.9%)を示したあと,70年上期は一段と拡大(輸出23.4%,輸入14.0%)を示した。
なお,この間米国においては,アンチダンピング法の運用の強化,いわゆるミルズ法案の審議等にみられるごとき保護主義的な動きの台頭,欧州では欧州共同体とアフリカ諸国等との連携の強化等地域主義的傾向が顕著となり,貿易実体面にはさしたる影響はみられなかつたとはいえ,戦後各国の協力の下に進められてきた自由で開放的な国際貿易体制に対する「かげり」ともいうべきものであり,今後帰趨が注目される。
(1) 主要通貨の動向
ここ数年動揺を続けてきた国際通貨情勢は,5~6月にかけカナダ・ドル投機を中心に小波乱がみられたものの概して平静に推移した。
カナダは貿易収支の黒字が急増していたところへ長短資本の流入も加わつて国際収支は年初来大幅な黒字を続け,カナダ・ドル相場は強含みに推移していたが,5月に入つて投機的な資金流入が目立つに至つたため,政府は5月に平価維持操作の一時停止にふみ切つた(いわゆるフローテイングにした)。これが通貨に対するおもわくを生ぜしめ,黒字国通貨買い(ドイツ・マルク,スイス・フラン,オランダ・ギルダーなど)と弱体通貨売り(英ポンド,イタリア・リラ)が目立つたが,平静な市場の大勢をくつがえすことなく,6月には鎮静にむかつた。
かかる市場の落着には,68年以来の金の二重価格制の定着,70年から発動されたSDR制度の成立,主要国通貨の平価調整一巡,ならびに主要国間の経常収支不均衡のある程度の改善などによるものとみられる。
なお米ドルは,米国の金融緩和に伴う米国銀行のユーロー・ダラー返済,ユーロ金利の低下,金利割高の欧州通貨に対する買いという動きから軟弱裡に推移し,また欧州各国のドル保有過剰感をもたらしたが,前記二重金価格制の定着もありドル不安は表面化しなかつた。英ポンドは年初堅調であつたが,4月ごろから貿易収支の悪化,コスト・インフレの高進,ストの続発等英国経済に対する信任が揺ぎ軟化し,その後海外金利の割高による短資の流入もあり強調に転じたが,同国経済実体からみて一応の小康にとどまろう。
ドイツ・マルクは年初軟弱であつたが,4月には新平価を回復,金利割高による短資流入が続き強調を続け,フランス・フランも通年堅調に推移した。
(2) 国際通貨制度
IMF(国際通貨基金)のSDR制度は70年初から発動され,3年間の基本期間の初年度分として1月に34億ドルが104ヵ国に配布され,年末の使用残高は6.7億ドルに達した。使用国は主として開発途上国であるが,米国,英国等も使用した。なお71年初には第2年度分として約29億ドルが配布された。
69年来検討が続けられてきた為替相場制度の改革問題については,IMF事務局は70年総会においてこれに関する報告書を提出したが,これによれば現行平価制度の基本原則は堅持すべきものであり,フローテイングレイト制度,為替変動幅の大幅拡大,クローリング・ペッグ制度等の改革案は不適当であるとし,しかし現実的な改善策として,平価の迅速な調整,変動幅の小幅拡大,平価維持操作の一時的離脱について今後検討を続けるとしている。
(3) 欧州共同体およびコメコンにおける通貨統合計画
70年が共同体完成のための最終段階の第1年目にあたる欧州共同体では,10月にルクセンブルグのウエルナー首相を委員長とする特別委員会が10月に「欧州共同体経済通貨同盟の段階的実現に関する報告書」と題する計画案を共同体理事会に提出した。同報告は,最終的(1980年)には,域内通貨を実質的な単一通貨とすることを目標としており,それに到達する過程を3段階に分けているが,要は,域内通貨の変動幅を互いに縮小し,最終的にはこれをゼロとし,かつ平価の絶対的固定化を図ろうとするものである。
かかる通貨統合を図るため,第2段階,第3段階で超国家的な政策機関の設立が計画されているが,第1段階でも各国は政策を事前に理事会,共同体委員会,ならびに中央銀行総裁会議に協議し,とくに予算案は政府決定前に理事会の審査を受けることとしている。共同体理事会はウエルナー報告を受け検討を続け,71年2月にこれを採択,71年1月にさかのぼつて第1段階が発足することとなつた。
前記のごとくIMFにおいて為替相場の小幅拡大が検討されている時に際し,欧州共同体諸国が域内通貨変動幅縮小に向かおうとしていることがいかに調整されるか,また70年6月より英国等の共同体加盟交渉が開始されたが,英国が加盟した場合の英ポンドの地位が同計画上いかに調整されるか,今後の国際通貨情勢を検討する場合このウエルナー報告にもとづく計画の進展に注目を要しよう。
他方コメコン(共産圏経済相互援助会議)においては,70年中に総合的経済統合計画作成作業が推進され,続合の主要支柱としてコメコン投資銀行が創設され71年1月1日から営業が開始された。しかしながら同銀行の背景には圏内交易価格の統一,共通通貨,コメコン諸国通貨,金および自由通貨等の間のレート決定の問題など解決すべき問題が山積しており,その活動がどの程度有効に行なわれるか疑問なしとしない。
環境問題は,70年代に入ると,国際協力の主要な分野の一つとして注目を集めるようになつてきた。環境改善の問題は,先進工業国にとつては眼前にある焦眉の問題として,また発展途上国にとつては,先進工業国の轍を踏まずに合理的経済発展をはかる問題として,世界各国から最近にわかにその重要性が認識され始めた新しく,かつ困難な問題である。したがつてこの分野での国際的情報交換の有益性,ある種の環境汚染は国際的対策を不可欠とすること,一国が独自に採用する環境基準ないし排出基準は国際貿易・経済に複雑な影響を及ぼし得ること等の理由により,環境問題に関する国際協力の必要性に対する認識が急速に深まるに伴い,各種国際機関も現代の緊急課題としてこれを採り上げるようになつてきた。
環境問題のそれぞれの分野については,従来より,OECD研究協力委員会,国連専門機関(FAO,WHO,IMCO,ICAO)その他の諸国際機関において,主に技術的見地から検討が行われてきており,わが国としても積極的にこれに協力を行なつて来ているが,特に環境問題の総合的検討の場として重視されているものにOECD環境委員会及び1972年にストックホルムで開催される国連人間環境会議がある。OECD環境委員会は,自由主義経済体制をとる等質的な先進工業諸国が,各国国内施策の実施に現実的に貢献し得る方向で,経済的効果の研究も含めた検討が行なわれる点に特色があり,1970年11月に第1回会議,71年3月に第2回会議が開かれた。国連人間環境会議は,東西両ブロックの諸国のみならず発展途上国も参加し,全世界的な規模で環境問題が検討される点に特色があり,1970年4月に第1回準備委員会,71年2月に第2回準備委員会が開かれた。OECD及び国連の活動については,更に,それぞれの節において詳述する。