―国際共産主義運動―

 

第12節 国際共産主義運動

1. 概         況

 

 1969年6月の世界共産党会議でソ連を中心とする共産主義勢力は,反帝勢力の連帯を強く訴えたものの,その後の活動は低調となつている。イデオロギーないし党関係での改善の予想されない中ソ対立,共産主義国におけるナショナリズムの高まり,非共産圏諸国共産党の政権接近のための選挙重視などから現時点では,国際共産主義運動においてイデオロギーの最大公約数を求めることすら困難な情勢にある。

 

2. 中 ソ 対 立

 

 1960年代の国際共産主義運動の最大の問題は中ソ対立であり,ソ連は中共を国際共産主義運動から破門することをねらい,中共はまた自派勢力の伸張をねらつて活動を続けたが,世界党会議において中共を国際共産主義運動から破門せんとするソ連の努力は奏功しなかつた。その後,中ソ間で国家関係改善のための呼びかけはなされているものの,イデオロギー,党関係の面での発言は皆無といつてもよく,中ソ間で近い将来妥協が達せられる兆候はない。またたとえば中共が対ソ関係に「平和五原則」を適用してソ連を社会体制の異なる国家として扱かつていることなどは中ソの対立の根の深いことを示すものでありイデオロギーないし党関係の面での中ソの対立は容易に改善に向うことは予想されず,中ソは,国際共産主義運動においてその両極として指導力を低下させつつ並存することになつたものと言えよう。

 

3. 共産圏諸党の動向

 

(1) ソ連は,チェコ事件後のいわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」にみられるように世界社会主義体制,特に東欧共産圏の把握強化に努め,4月のレーニン生誕100周年,欧州共産党会議などを始めとして各党の意思統一に全力をあげた。

(2) 1971年3月30日から4月9日まで5年ぶりに第24回共産党大会が開催され,ブレジネフ書記長は報告の中で世界社会主義体制の団結,強化,特に東欧圏のひきしめというこれまでの方針を確認するとともに,党,イデオロギー関係の面でかなり厳しい中共非難を行ない中共に対する原則的立場をあらためて明確にした。今回の大会には91カ国より102の共産党,左翼政党等が出席したことは一応評価はされようが,他方前回欠席し今回出席した党のうち有力党は日本共産党のみであつた。北越共産党が外国代表として最初に発言したこと,共産党のみならず前回よりも多くの左翼諸勢力を集めたことは,ソ連が幅広い反帝勢力を結集してヴィエトナム闘争を中心に反帝闘争をおし進めて行こうとする姿勢を示しているものとみられる。中共非難についてはソ連のかなり厳しい調子に対して仏,伊などの西欧有力党は「反ソ主義」等の言葉で暗に非難するにとどめ,ルーマニア,北越,北鮮,日本など「自主独立」路線を歩む諸党は非難を行なわなかつた。

(3) 1970年初頭から中共の対外活動が注目され始めたが,3月のカンボディア事件を契機として中共の対外活動は,「反米帝国主義」を強く打ち出し,かなり積極化した。中共は自己を中心とするアジア反米統一戦線結成に努め,4月には中朝共同声明が発表され,6月の朝鮮戦争勃発20周年には北京と平壌で相呼応して集会が行なわれ中共,北鮮,インドシナ各国代表が参加するなど中共の狙いは一応の成果をあげた。さらに1971年3月には,周首相が北越を訪問して両国の団結を強調した。中共が「反米帝」に比較して「反ソ連修正主義」を相対的に弱めているのは中共の「自主独立」路線をとる北鮮,北越引き込みの考慮から出ている面もあるものとみられる。

(4) 北鮮は,11月,9年ぶりに第5回労働党大会を開催し,金日成体制をさらに強化するとともに従来の国防建設経済建設併進策のもとに経済発展6カ年計画を採択した。北鮮は,1969年末からソ連との関係の一層の緊密化,中共との関係改善に努めたが,労働党大会を前にして1970年9月にはソ連,10月には中共との間に6カ年計画遂行のための経済技術協定を締結するに至つたが,党大会に北鮮の要請で中・ソ共に出席しなかつたことは「自主独立」の立場を貫ぬかんとする北鮮の両国に対する配慮を示すものであろう。

 

4. 非共産圏諸党の動向

 

(1) 非共産圏諸国,特にイタリア,フランス,日本などの先進資本主義国においては,労働者の意識の変化,過激学生,若年労働者の行動などから,各共産党とも「新たな社会主義への道」をもさくしており,当面その打開策として各種選挙を重視し,自己の勢力を伸ばすとともに現実の政治における自己の発言力を強め,さらに政権接近へと努めているが,このような各共産党の努力はある程度成果をあげている。選挙では,イデオロギーを前面に押し出すことはせず,住民の不満をたくみにとらえた地道な政策をうち出し,他党と連係して活発な運動を展開している。

 5月のセイロンの総選挙では,共産党は自由党,平等党と野党連合を組み勝利を収め,バンダラナイケ政権に加わつている。

 6月に行なわれたイタリアの統一地方選挙で,共産党は3州で州政権を獲得した。

 9月のスウェーデン国会議員選挙では,共産党は17議席を獲得し,議会のキャスティング・ヴォートを握ることとなつた。

 9月のチリの大統領選挙において共産党は社会党など左翼5政党とともに「左翼連合」を組み勝利を収め,共産党は内閣に3つの有力ポストを得ている。

(2) 日本共産党は,党員約28万人と言われ,国会における21議席を始めとして統一革新首長,多数の地方議会議員を有する資本主義国では有数の党に成長しているが,7月の第11回党大会において日共は,70年代の戦略目標を民主連合政府の樹立におき,具体的戦術として議会への大量進出,統一戦線の結成などにおいている。1971年4月の統一地方選挙では,都知事選を始めとして勝利を収めている。

 

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