-主要な発表・記事資料-
1969年11月12日に東京で
アーミン・H・マイヤー
日本国外務大臣愛知揆一閣下
(参考)
この取極は,日本側路線(4)及び(5)を追加するためのものである。
5.主要な発表・記事資料
記 事 資 料 (昭和44年4月18日)
愛知外務大臣とオズボーン駐日臨時代理大使は,本日東京において「太平洋諸島信託統治地域に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」に署名した。
太平洋諸島信託統治地域は,わが国が第2次世界大戦まで国際連盟規約および委任統治条項により統治を行なつてきた旧南洋群島地域であるが,戦後は国際連合憲章および信託統治協定により米国の施政下におかれている。この地域の住民は,かねてから,第2次世界大戦中にこうむつた損害に対する補償を強く要望し,国際連合信託統治理事会もまた日米両国はこの問題を早急に解決すべきであるとの要請を行なつてきた。この地域が不幸にして第2次世界大戦中日米間の激戦の地となり,多くの現地住民が死傷し,あるいは物質的損害や精神的苦痛をこうむつたこともまた事実であり,この問題の実際的解決をはかることが望ましいと認められた。よつて両政府間で話し合いの結果,右のような現地住民の苦痛に対し日米両国が同情の念を表明しつつ,住民全体の福祉向上に寄与するとの見地に立つて,両国がそれぞれ18億円相当額の自発的拠出を行ない,さらにこの際平和条約第4条(a)により,両国間の特別取決めの主題とされ,かねてより両国間で交渉が行なわれてきたわが国と信託統治地域との間の財産・請求権の処理の問題についてもその最終的解決を確認することにつき合意に達したのである。
なお,政府としては,この協定の締結に際し,この地域とわが国との間の関係を調整し,将来に向かつて発展させることが双方にとり利益であるとの立場から,この地域で操業するわが国の漁船が,トラックおよびパラオの港に寄港することを認められるよう米側と折衝してきたが,この点についても最終的合意が成立するに至り,またこの地域の領水内にある沈船で,沈没時に日本国籍を有していたものの日本側による引揚げも認められることとなつたので,これらについても交換公文の署名があわせて行なわれた。
外務省情報文化局発表 昭和44年9月2日
8月28日ソ連外務省より在ソ日本国大使館に対して通報越した第13福寿丸沈没事件について外務省は9月2日在ソ大使館を通じて抗議の口上書をソ側に手交した。前記口上書および8月28日ソ側が手交越したメモの全文は別添の通りである。
在ソヴィエト連邦日本国大使館は,ソヴィエト連邦外務省に敬意を表するとともに,1969年8月9日志発島南方の水域においてソ連船の衝突によりいか釣り漁船,第13福寿丸(16.77トン漁船登録番号HK2―10393乗組員船長:根室市汐見町58,山根勇治郎外11名,船主:根室市琴平町,門馬五郎)が沈没し,同船乗組員12名のうち甲板員高田新太郎を除く11名が死亡した事件に関する本年8月28日付「日本漁船によるソ連領海侵犯に関するソヴィエト側申入れ」のメモにつき次の通り申し述べる。
本年8月11日,わが方はわが方現地官憲よりの通報に基づき,第13福寿丸がソヴィエト側にだ捕されたものと推定し,直ちに同船の消息をソヴィエト側に照会した。右に関しソ側より何らの通報に接せざるまま同船はソ連船の衝突により沈没し乗組員高田新太郎1名がソヴィエト側に救助されている趣であるとの情報が得られたので8月15日あらためて日ソ領事条約の規定に従い,同船の消息乗組員の安否の即時通報方につきソヴィエト側に要請した。これに対しソヴィエト側は単に現地に消息照会中なる旨を述べるのみで,その後累次にわたるわが方の緊急照会にもかかわらず本件に関するソ側の通報は8月28日まで延引された。
ソ連船の行動の結果第13福寿丸が沈没し,乗組員11名という前例のない多数の死亡者が出たにもかかわらず,8月9日の事故発生以来同28日に至るまでわが方に対して何らの通報を行なわなかつたことはソヴィエト側が,日ソ領事条約に規定する通報義務を怠つたものと認めざるを得ず,しかもかかる怠慢はその間刻々乗組員の安否を気づかつて焦慮していた留守家族の心清に思いをいたすまでもなく人道的見地からも到底看過することができない。
さらに前記ソヴィエト側申入れのメモによれば,第13福寿丸はソ連領海を侵犯し,不法漁携を行なつていたところ,ソ連国境警備船に発見され国際海上船舶衝突予防規則に違反する方法で逃走した結果,同船に衝突,沈没した趣であるが,ソ側のかかる一方的主張はわが国政府および国民の承服し得ないところであり,また,ソ連国境警備船のごとき大型鋼鉄船が小型木造船第13福寿丸を追跡し衝突の上沈没せしめた結果多数の死亡者を生ぜしめたことは人道的見地よりするも極めて遺憾である。
日本国政府はソヴィエト側官憲のかかる非人道的な行為につき,ソヴィエト政府に厳重抗議するとともに,ソヴィエト政府に対し,今後かかる不祥事が再度発生せざるよう直ちに必要な措置をとることを要求する。同時に日本国政府は上記の事件により生じた人的物的損害に対し,国際法上要求し得べき賠償請求の権利を留保することをここにあらかじめ明らかにするものである。
福寿丸沈没事件に関するソ側メモ(8月28日わが方に手交されたもの)
ソ連外務省は日本国大使館に次のことを申しのべる。
ソ連側は日本漁船によるソ連領海における不法漁撈の目的をもつてするソ連国境の相次ぐ侵犯に対して,すでに1度ならず注意を喚起した。それにもかかわらず,上記侵犯は停止されないばかりでなく,かえつて最近ではその件数は急激に増加している。1969年の6ヵ月間だけでも,日本漁船による領海侵犯の件数は1,079件に上つている。その中7月は454件にのぼり,また8月5日には秋勇留島およびハルカリモシリ島の南方において大規模な領海侵犯が行なわれ,280隻もの日本船がソ連領海に侵入した。
ソ連領海内で発見されると,日本漁船は通常公海へ逃れようとし,この場合,国際航行規則に違反し,国境警備船より出す国際停船信号に服そうとせず,危険な操船を行ない,航行用燈火を消し,時には故意に体当りしようとする。1960年の国際海上船舶衝突予防規則に対するかかる乱暴な違反は,日本漁夫並びにソ連国境警備隊の生命にとつて危険である。
8月9日にまさにかかる事態が起つた。同日現地時間1時30分ソ連領海内ウヂヴイーチエリナヤ岩水域において第13福寿丸(北緯43度13分18秒,東径146度11分2秒の地点で不法漁撈を行なつていた)を含む14隻の日本漁船がソ連国境警備船によつて発見された。同船はソ連国境警備船の数次にわたる停船要求に服さず,危険な操船を行ない,衝突の脅威を与えながら,国境警備船の進路を数回にわたり横切つた。同警備船隊長は衝突予防の必要な措置をとり,船を走らせながら2名編成の臨検グループを福寿丸に乗船させざるをえなかつた。しかし,臨検グループが乗り移つた後も同船は航行をやめず,航行用燈火をともさせなかつた。のみならず,同船は国境警備船の方へ急激に旋回し,警備船の右舷へ衝突した。急激な旋回によつて生じた傾斜,甲板の積荷の移動および衝撃の結果同船は転覆し,現地時間2時46分に沈没した(北緯43度12分3秒,東径146度10分6秒の地点において)。国境警備船には日本人漁夫高田新太郎が救出された。沈没水域において事故の後16時間にわたつて3隻のソ連国境警備船によつて行なわれた捜索は,何らの結果ももたらさなかつた。
上記の事実より,第13福寿丸の事故は日本漁船員によるソ連領海侵犯および国際海上船舶衝突予防規則の乱暴な違反の直接の結果であることが明らかである。ソ連側は日本漁船による組織的かつ計画的なソ連領海の侵犯は国家間の相互関係の基準とは相容れず,いわんや最近,両国間に生じた善隣関係のふんい気とは明らかに相反するものであることに改めて注意を喚起したい。
ソ連側は,日本側が直ちに日本漁船によるソ連領域海の侵犯を許さないような効果的な措置をとるよう主張するものである。
(3) 米国のアムチトカ島における地下核実験に関する申し入れについて
外務省情報文化局長談 昭和44年9月16日
米国政府は,近くアリューシャン列島のアムチトカ島において地下核実験を実施し,それに伴い,来たる9月25日から10月15日まで同島を中心に半径50海里の円形の区域を立入禁止区域(safety area)として設定する予定であるが,これに対し,外務省は,9月15日,在米大使館を通じ米国政府に対し,要旨次のとおりの申し入れを行なつた。
1.米国政府による本件核実験の実施および立入禁止区域の設定は,一般国際法上認められている公海の自由を著しく制限するものでもあり,これまであらゆる環境における核兵器実験は禁止すべきであるとの立場をとつてきている日本国政府として遺憾とするところである。
2.日本国政府は,右立入禁止区域がわが国の商業的船舶および航空機の通常の航路に当つており,また同区域を含む北太平洋の水域においてわが国漁業が相当規模で行なわれている事実にかんがみ,米国政府に対し,前記1.の日本国政府の立場に十分留意するよう要請する。
3.米国政府が本件実験を実施し,かつその措置または行動により日本国および日本国民が損害をこうむつた場合には,日本国政府はこれに対し妥当な補償を請求する権利を留保する。
(1969年9月9日モスクワにおいて)
愛知揆一日本国外務大臣は,ソ連政府の賓客として1969年9月4日から9日までソ連邦に滞在した。
愛知大臣は,モスクワおよびレニングラードを訪問し,これらの都市で文化諸機関およびソ連国民生活の側面を視察した。同大臣は,ソ連国民がその隣人たる日本国民に対して抱いている良好な感情を反映する暖かい接遇を受けた。
日本国外務大臣は,ア・エヌ・コスイギン・ソ連邦大臣会議議長と会見し,友好的な会談を行なつた。この会談においては日ソ関係の諸問題および若干の国際問題が討議された。
愛知大臣は,ア・ア・グロムイコ・ソ連邦外務大臣およびヴェ・ヴェ・クズネッツオフ・ソ連邦第一外務次官と会見した。
会談には,ソ連側からヴエ・エム・ヴィノグラードフ外務次官,オ・ア・トロヤノフスキー駐日大使,イ・エヌ・ゼムスコフ外務省官房長およびヴエ・イ・リハチョフ外務省参与が参加し,日本側からは中川駐ソ大使および有田欧亜局長が参加した。
これらの会見および会談においては日ソ関係の諸問題および両国が関心を有する一連の国際問題について率直で有益な意見の交換が行なわれた。
近年日ソ間の貿易・経済関係が拡大したこと,文化,科学技術その他の関係が発展したことおよび政治分野において接触のあることが満足をもって指摘された。両国間の善隣関係の強化を継続するという双方の希望が確認された。アジアおよび全世界における平和と安全の諸問題に大きな注意が向けられた。
双方は,日ソ両国間の問題についても,国際間の問題についても,双方がその立場を異にする場合にも,これらの諸問題に関して率直な意見の交換を行なうことは,両国間の関係を深めることを促進するということに意見の一致をみた。このため双方はそれぞれ関心のある諸問題について今後とも意見の交換を行なうことに合意した。
双方は,日本およびソ連邦の政府当局者の接触が有益であることを認め,この接触を今後とも続ける用意のあることを表明した。
外務省情報文化局長談 昭和44年9月30日
1.中共は昨年12月の核実験に引き続き,今回,第9回目の核実験を行なつた。世界唯一の核被爆国であるわが国は,従来より,中共を含むあらゆる国の核実験に対し,強い抗議の意を表明してきており,その都度,核実験を繰り返さぬよう要望してきた。今回,中共がまたも大気圏内核実験を行なつたことは,武力によらぬ真の平和の到来を希求するわが国国民はじめ全人類の悲願を無視するものであり,極めて遺憾な行為といわざるを得ない。
2.中共は目下,原・水爆をミサイル弾頭用に小型軽量化すること,ならびにミサイルの射程を長距離化することに開発の重点を指向しており,今回の実験はそのための一環であると考えられるが,中共周辺諸国はかかる動向を不安と危惧の念をもつてながめている。
3.わが国の安全は従来より,日米安全保障条約によつて確保されているため,中共の核実験が日本の安全保障に直ちに脅威を与えるものとは考えられない。しかし,今回の実験によつて,再び大気の汚染が始まり,中国大陸に近接しているわが国の国民生活に直接的な被害が及ぶ恐れがあるので,政府としては,あらためて中共の反省を強く促すとともに,中共が今後再びこのような核実験を行なわないよう切望する。
(6) 琉球政府の放射能調査計画改善に関する日本政府の勧告について
記 事 資 料 昭和44年10月29日
1.政府は,米国政府の要望に基づき,5月19日から22日まで沖繩に放射能に関する調査団を派遺した。
2.その調査結果に基づき,琉球政府の放射能調査計画改善に関する日本政府の琉球政府に対する勧告を作成し,10月27日外務省より在京米国大使館に対し,文書をもつて,この勧告を球琉政府に伝達するよう申し入れた。その結果,10月29日,沖繩の米国民政府フィアリー民政官より屋良行政主席に対し日本政府の勧告が伝達された。
3.外務省の10月27日付対米申し入れおよび琉球政府に対する勧告はそれぞれ別添1および別添2の通り。
昭和44年10月27日付対米申し入れ
1.琉球政府の放射能調査に対する日本政府の助言と協力を求めた昭和44年4月21日の在京米国大使館の外務省に対する要請に基づき,日本政府は,昭和44年5月19日から22日まで沖繩に調査団を派遣した。この調査団は,在京米国大使館,米国民政府および琉球政府の協力の下に,(イ)那覇,ホワイトビーチ両港の地形,海流,施設等の情況,および(ロ)流球政府の放射能調査関係設備,その運用の実体等,事実関係を中心とした調査を行なうとともに,ランパート高等弁務官,カーペンター民政官,屋良行政主席をはじめとする米国民政府,琉球政府の関係当局者から沖繩における放射能調査体制の現状につき説明をうけた。
なお,大浦湾については,これを原子力軍艦の寄港地として使用していないとの米側説明があつたため,今回の調査対象から除外した。
2.今回の調査を通じて次の事実が明らかとなつた。すなわち,
(1) 現在,琉球政府の行なつている放射能調査は,その設備およびその運用技術の両面において一応科学的に必要最小限度の水準を保つているものの,今後さらに設備,その運用技術両面において,改善すべき余地がある。
(2) 原子力軍艦入港中の海水の採取,分析等原子力軍艦の入港に伴う放射能調査のための米国当局と琉球政府の協力関係は制度的に確立されていないが,日本政府は,沖繩の米国当局が琉球政府に対し,原子力軍艦の入港について,琉球政府に時宜をえた通報を行なう意図を伝えたと承知している。
(3) 現在原子力軍艦の寄港地となつている那覇,ホワイトビーチ両港について,(イ)那覇港は(i)きわめて狭い上に河川水の流入がほとんどないため微量の放射性排出物でも港内に残存する傾向があり,また(ii)軍港地区と商港地区が隣接している等の事情があるのに対し,(ロ)ホワイトビーチについては,(i)那覇港と異なり直接外洋に面しているため,海流による拡散の効果が大きく,かりに放射性物質が排出されたとしても,なんらかの形で港およびその付近の水域に影響を残す可能性はほとんどなく,また(ii)軍港と住民居住地域が十分に離れている等の事情がある。
(4) なお,那覇,ホワイトビーチ両港の条件は,横須賀,佐世保と比べてこのように極端に異なつているので,本土と全く同じモニタリング体制をそのまま適用するのは適当でなく,両港についてそれぞれの実情に適した方法を検討することが必要である。
3.上記調査結果を検討した結果,日本政府は琉球政府に対し,別紙のとおりの勧告を行なうことが必要と認めたので,これを米国民政府を通じて琉球政府に伝達するようお願いする。
また琉球政府が上記勧告を受諾する場合に,米琉両政府より一致した要望があれは,日本政府としても利用しうる予算の範囲内で,技術的な協力を行なう用意があるので,この点もあわせ琉球政府に伝達方お願いする。
4.なお,日本政府は,米国政府が放射能問題に対する沖繩住民の特殊な感情を理解し,琉球政府の放射能調査に今後いつそうの協力を行なうことを希望する。
琉球政府の放射能調査計画のための琉球政府に対する勧告
昭和44年10月27日
沖繩における原子力軍艦入港に関連する球琉政府の放射能調査の技術水準を,本土と同じ水準のものに引き上げるため,日本政府は琉球政府が日米両政府と協議しつつ下記のとおりの措置をとることを考慮するよう勧告する。
なお,琉球政府がこれらの勧告を受入れる場合には,日本政府は専門家の派遺,研修生の受け入れ,情報,資料の提供等による技術指導,採取した試料の分析および措置および設備の提供等の協力を行なう用意がある。
記
1.技術の向上
琉球政府による放射能調査の正確さと迅速性を向上させることが望ましく,それは一定の技術水準を高めることにより達成しうる。琉球政府は,日本政府と協議しつつ,次のとおりの具体的な措置をとることを考慮すべきである。
(1) 試料の採取,処理,保管方法,測定器の使用方法,測定室の管理等の基礎技術の改善。
(2) 現在那覇にある琉球政府の測定室で使われているシンチレーション検出器をより大型のものに変える等の測定室の装置設備の改善。
(3) 調査関係者の技術能力の向上および分析装置維持のための技術者の養成。
2.那覇港に対する基礎調査の実施
那覇港の海底土の放射能汚染の実体およびその人体への影響の可能性を正しい方法で,かつ,正確に測定し,あわせ今後の調査体制整備のための基礎資料とするため,次の調査を行なうことを勧告する。
(1) 先 行 調 査
現存する放射能の程度および種類を測定し,あわせて測定方式を検討するため,放射能汚染の可能性のある周辺水域を含めて,那覇港の海底土,海産生物を採取し,試料を本土と沖繩とで分析する。
(2) 海底土の組織的調査
海底土汚染の実態を測定し,将来の調査地点を定めるために,港内全域にわたつて海底土の組織的な調査を行なう。
(例,100~150m間隔のマス目毎に調査点を設け,その海底土を採取,分析する。)
(3) 海産生物の調査
港内の海産生物(魚,貝,海草)を採取し分析する。
3.定期調査の実施
原子力軍艦入港の有無にかかわらず,那覇港について,海水,海底土および海産生物について,年4回程度の定期調査を行なうべきである。
試料の採取地点,採取すべき海産生物の種類等については,基礎調査の結果をみて定める。
なお,ホワイトビーチについては,必要に応じて海産生物の調査を行なうべきである。
4.モニタリング
特定のモニタリング方式とその装置については,日米琉3政府が地形,海流,住民届住地域の港からの距離等,種々の港の実情を十分考慮しつつ,協議すべきである。
原子力軍艦入港時における海水のモニタリングについては,次の2つの方法のうちの1つを適用することができる。すなわち,(イ)一定の時間的間隔をおいて海水を採取するか,(ロ)漣続モニタリングを行ない,それにより記録されるカウント数が一定の量を越えた場合に,海水を採取する。なお,予備調査の結果では,ホワイトビーチについては,海流による拡散効果の大きいため原子力軍艦入港時の海水のモニタリングは不必要と考えられる。
(7) 日本国代表団とソヴィエト社会主義共和国連邦代表団との間の航空交渉について
新 聞 発 表 昭和44年11月5日
1969年10月28日から11月5日までモスクワにおいて,日本国代表団とソヴィエト社会主義共和国連邦代表団との間で,シベリア上空を経由して行なう両国指定航空企業による自主運航の実施に関する交渉が行なわれた。
日本側からは,在ソ連邦日本国特命全権公使大和田渉ほかが,ソビエト社会主義共和国連邦側からは,ソ連邦民間航空省渉外局長ア・ヴェ・ベセディンほかがこの交渉に参加した。
交渉は友好的ふんい気のうちに行なわれ,両国代表団にとつて満足すべき成果が得られた。
この交渉により次のことが両国代表団の間で取り決められた。
1.日本航空株式会社とアエロフロートは,1970年3月28日から,それぞれ自主運航を開始する。
2.日本航空株式会社とアエロフロートにより当面運航される路線は,次のとおりとする。
東京~モスクワ~パリ(両方向)
東京~モスクワ~ロンドン(両方向)
3.前記路線ごとに運航される便数は,当分の間,日ソ双方とも,それぞれ週2便とする。この運航に使用される航空機は,日本航空株式会社については,ダグラスDC―8,アエロフロートについては,イリューシンIL―62とする。
4.日本航空株式会社とアエロフロートは,自主運航の開始に当り,商務上の取決めを行なうこととする。
5.両国の航空当局は,自主運航の開始に必要な措置をとるものとする。
これらの取決めに関連して,技術上の諸問題について両国の航空当局間に合意が成立したほか,日本航空株式会社とアエロフロートの間の商務上の取決めの基本についても合意がみられた。
-1969年12月5日付プラウダ所載-
1969年12月3,4両日モスクワにおいてブルガリア人民共和国,ハンガリー人民共和国,ドイツ民主共和国,ポーランド人民共和国,ルーマニア社会主義共和国,ソヴィエト社会主義共和国連邦,チェコスロヴァキア社会主義共和国の党および国家の指導者の会談が行なわれた。
右会談には次の者が参加した。
ブルガリア党中央委第1書記兼大臣会議議長テ・シフコフ,政治局員兼中央委書記エス・トドロフ,中央委員兼外相イ・バシエフ,中央委員候補兼中央委対外政策・国際関係部長力・テラロフ。
ハンガリー党中央委第1書記ヤ・カーダール,政治局員兼革命労農政府議長イェ・フオク,政治局員兼中央委書記ゼ・コモチン,中央委員兼外務次官カエルデイ。
ドイツ社会主義統一党第1書記兼国家評議会議長ヴェ・ウルブリヒト,政治局員兼大臣会議議長ヴェ・シトフ,政治局員兼中央委書記エ・ホネツカー,政治局員候補兼中央委書記ゲ・アクセン,中央委員兼外相オ・ヴィンツェル。
ポーランド党第1書記ヴェ・ゴムルカ,政治局員兼大臣会議議長ユ・ツイランケヴィチ,政治局員兼中央委書記ゼ・クリシコ,政治局員兼外相エス・イエンドリホフスキー。
ルーマニア党書記長兼国家評議会議長エヌ・チャウシェスク,執行委員・常任幹部会員兼大臣会議議長イ・ゲ・マウレル,執行委員・常任幹部会員兼中央委書記ゲ・パネ,中央委員兼外相カ・メネスク。
ソ連党書記長エリ・イ・ブレジネフ,政治局員兼大臣会議議長ア・エヌ・コスイギン,政治局員兼最高会議幹部会議長エヌ・ヴェ・ポドゴルヌイ,政治局員兼中央委書記エム・ア・スースロフ,中央委書記カ・エフ・カトウシェフ,中央委書記べ・エヌ・ポノマリョフ,中央委員兼外相ア・ア・グロムイコ。
チェコスロヴァキア党第1書記ケ・フサーク,幹部会員兼政府議長オ・チェルニク,幹部会員兼中央委書記ヴェ・ビクャク,外務省国家書記カ・クルカ。
会談参加者は平和と国際安全の強化に関連する問題について広範な意見交換を行なつた。その際欧州における安全保障問題に特別の注意が払われた。
全欧州諸国会議の準備と実施に関して社会主義諸国が集団的に作成した提案が広く国際的支持を得ていることに満足が表明された。社会主義諸国は今後とも,欧州の地において善隣関係が緊張にとつて代り,平和共存が社会体制を異にする欧州諸国の相互関係の普遍的規範となり,安全と進歩への諸国民の志向がこの地域の緊要な諸問題解決において具体化されるよう,不屈に努めるであろう。
会談に参加した社会主義諸国は同権・内政不干渉・主権尊重,領土保全よおび現存国境の不可侵の諸原則に基づいてすべての国家間の関係を拡大発生させることを主張している。これら社会主義諸国はこの諸原則に基づいて協力を望む他の欧州諸国との関係を発展させる決意に満ちている。社会主義諸国は,平和と安全の利益はすべての国家が国際法に基づいてドイツ民主共和国との平等な関係を設定し,オーデル・ナイセ国境を含む現存の欧州諸国境を最終的かつ不動のものとして承認することを要求している旨のそれぞれの見解を確認した。
当面の国際問題に関する意見交換に際し,ドイツ連邦共和国における選挙結果および新政府の成立は同国大衆の中に生じつつある変化の現れであり,同国内で諸国間の協力と相互理解の現実的政策をめざす傾向が増大していることの現れであることが確認された。ドイツ連邦共和国の核兵器不拡散条約調印は肯定的要素として認められた。同時に会談参加者は,ドイツ連邦共和国において報復主義およびネオナチス努力の活発化という危険な現れが跡を絶つていないことを失念してはならず,これらに対し常に真剣な警戒心を保持せざるを得ないことについて一致した意見を表明した。
若し新しい西独政府が歴史の教訓を学び,過去の厄介な問題から抜け出し,かつ,時代の精神に従つて行動することによつて,欧州諸国間関係に緊張を生み出している諸問題に現実的態度を示すならば,これは社会主義諸国からも,すべての平和愛好諸国民からも歓迎されるであろう。
ブルガリア,ハンガリー,ドイツ民主共和国,ポーランド,ルーマニア,ソ連邦,チェコスロヴァキア各国は核兵器不拡散条約が恒久平和の事業に寄与することに大きな意義を認め,できる限り,多数め国が同条約に参加し,速やかに批准し,条約を発動させるよう主張する。
堅固で安定した平和を保障するためには軍備競争の停止,核を含む全面完全軍縮の道に沿つて進むことが必要である旨の確認が一致して表明された。この分野における具体的提案を一度ならず行なつてきた社会主義諸国は,すべての国家が実際に真の軍縮に着手する善意と用意を示すよう呼びかける。
会談参加諸国は,欧州の安全を含む諸国民の平和と安全のための闘争における共同行動の調和的実施のため,国際生活の最重要問題について今後とも協議する希望を改めて確認した。
モスクワ会談は参加者の見解の一致を確認し,友好,和合および同志的協力の状況下で行なわれた。
(注) 上記諸調査の正確さを高めるため,日本政府の専門家がこれら調査に参加すること,および技術的助言を琉球政府に与えることについて,琉球政府から要望がある場合には,日本政府としては,上記要望に好意的に応ずる用意がある。 戻る