-国会における内閣総理大臣および外務大臣の演説-
1.会に国おける内閣総理大臣および外務大臣の演説 |
(外交に関する部分)
(昭和44年12月1日)
第62回国会が開かれるにあたり,所信の一端を申し述べたいと思います。
わたくしは,今般米国を訪問し,ニクソン米大統領と親しく会談いたしました。その結果,沖繩は,1972年中に返還されることとなり,長きにわたる日本国民の一致した願望が達成されました。ここに訪米の成果を報告することができることは,まことに喜びに堪えません。
およそ戦争によつて失つた領土を平和裡に回復するということは,世界の歴史上たぐいまれなことがらであります。奄美,小笠原に引き続き,今回話し合いによつて沖繩返還の実現をみることとなつたのは,日米両国間の信頼と友好関係に基づくものであることは申すまでもありまん。また,戦後の荒廃の中から立ち上がり,平和と民主主義を基調とする新しい国家体制を築き上げ,かつ,ここまで国力を充実することに努力した日本民族の英知と勤勉のたまものであります。とくに,20余年の長きにわたつて祖国復帰を熱願し続けてきた沖繩同胞の心情を思うとき,わたくしの感慨はまた一しおなものがあります。今日まで沖繩返還のため,あらゆる分野において全力を傾倒された関係者各位に心から感謝の意を表する次第であります。
今回,わたくしとニクソン大統領の間で合意した沖繩の施政権返還の大綱は,今次の共同声明に明らかなごとく,核抜き,本土並み,1972年返還ということであります。
核兵器の問題については,ニクソン大統領は,核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびそれを背景とした政府の政策に深い理解を示し,この政策に背馳しないよう実施することを確約いたしました。沖繩は,核兵器なしに返還されることとなつたのであります。
また,日米安全保障条約およびその関連取決めはなんら変更されることなく,本土と全く同様に沖繩に適用されます。
さらに,1972年返還ということは,施政権の円滑な移転のために必要な期間を考慮すれば,即時返還と全く同様であります。
すなわち,わが国の基本的立場を十分貫いて沖繩返還を実現しうることになつたのであります。
政府は,これから米国政府と具体的な返還協定締結のための交渉にはいりますが,それと並行して,沖繩の復帰が,沖繩同胞にとつて最も円滑に実現するよう準備を進めてまいります。これらの復帰準備は,沖繩県つくりの第一歩であります。この見地から,政府は,真に豊かな沖繩県をつくることを目標に,政治,経済,社会,教育,文化等あらゆる面にわたり,積極的な一体化施策を講じてゆく考えであります。これがため,沖繩県民の意志が十分反映するよう,国政参加を早急に実現することが必要であります。各位のご協力をお願いいたします。
会談のもう一つの重要な成果は,1970年以降も日米安全保障条約を堅持することを相互に確認し合つたことであります。共同声明に明らかなとおり,会談の基調は,国際間の緊張緩和への努力の必要性に対する強い共通の認識であります。しかしながら,戦争を抑止する強い決意と不断の努力があつてこそ,はじめて緊張緩和が可能となるのであります。
これまでも繰り返し申し述べてまいりましたように,わが国の安全は極東の平和と安全なくしては,十全を期し得ないのであります。とくに,韓国や中華民国のような近隣諸国の安全はわが国の安全にとつて重大な関心事であり,万一これが侵されるような事態が発生すれば,まさしくわが国の安全にとつて由々しきことであります。このような場合には,事前協議を適正に運用し,前向きの態度をもつて事態に対処することは当然であります。わたくしは,わが国の自由と平和を確保するため,日米安全保障条約が,今後ともその機能を十分発揮しうるよう努力してまいる決意であります。
他方,このような日米友好関係の力強さ,緊密さを象徴する成果に比し,北方領土がいまだに復帰の見通しを得られないことは,まことに残念であります。わたくしは,北方領土について国民の正当な要求を平和裡に実現すべく,引き続き努力を重ねてまいります。(後略)
(外交に関する部分)
(昭和45年2月14日)
(はじめに)
新しい年を迎え,第63回国会が開かれるにあたつて,所信を申し述べます。わたくしは,まずさきの総選挙において示された国民各位の力強い支持と信頼にこたえるべく,心を新たにして、国政に取り組む決意であります。1960年代は,長年にわたる国民の念願であつた沖繩の核抜き,本土並み復帰が決定し,「戦後」に終止符を打つと同時に,わが国経済力の著しい充実を背景にして,国際社会での地位の向上を図ることのできた時期でありました。これはひとえに国民各位のたゆみなき勤勉と努力のたまものであり,衷心より敬意を表するものであります。
1970年代は,この成果の上に立つて,さらに大いなる前進と飛躍を遂げなければなりませんが,わが国を取り巻く内外の諸情勢は大きく変化しようとしております。わたくしは,時代の流れを的確に把握し,人間性豊かな社会の建設を目ざして,最善の努力を傾ける所存であります。
(70年代の世界)
まず,広く世界情勢を展望すれば,1970年代は,国際間の新しい安定した秩序と均衡を達成するための重要な時期であると思います。
第2次大戦後の世界は,東西の対立をはじめ,南北問題の深刻化,武力紛争の存在などさまざまな混乱が続発いたしました。これらは,人種やイデオロギーや宗教上の対立,さらには地域間の利害関係,経済発展の不均衡などによるものであります。それにもかかわらず,大局的にみれば,世界は1960年代において,緩慢ながら東西間の相互理解に基づく平和へ,経済的により高い相互依存関係へと進んできたとみられるのであります。その結果,世界の平和は,基本的には力の関係に依存しながらも,国際政治の多くの面において,軍事力以外の要素の比重が高まり,各国の自主性が増大し,軍事的均衡のみならず,より多元的な均衡が模索されるようになつたのであります。
さらに,最近における重要な特色として,大国といわず中小国といわず,各国がより多くの精力を国内問題の処理に傾けるようになつてきたのでありますが,その大きな理由は,ここ10数年の目ざましい経済,社会の変革の結果,人類が新しい段階に進む過程でのさまざまな問題に直面するようになつてきたからであると思います。
したがつて,1970年代は,世界各国がそれぞれの進歩のため,地道な努力をさらに一段と強める時期となるものと予想されます。このような努力が成功するかどうか,またその結果として,国際間に新しい安定した秩序がもたらされるかどうかは,人類の未来に決定的な影響を及ぼすものとみられ,その意味で世界は大きな転換期に立つているといえるのであります。
(70年代の日本)
ひるがえつてわが国をみれば,現在われわれは日本の歴史の上で,画期的な時点に立つているのであります。明治の先人が開国と同時に大きな国家目標として掲げ,これを受け継いでわれわれが努力してきたもの,すなわち,西欧先進諸国の水準に到達するという願望については,近年その達成に内かつて飛躍的な前進がみられたのであります。
これからは,日本の国力が世界に対し,前例のない重みをもつ時代に入つて行くのであります。わが国の国民総生産は2,000億ドルを越えんとし,10年後にはさらに三倍程度に増大することも不可能ではありません。今や,模倣,追随の時代は過去のものとなり,われわれは他国を目標とすることなく,自らの手で自らの目標を設定すべき時代となつたのであります。
1970年代には,わが国で世界に類をみない高密度社会が形成されるものと思われます。国鉄新幹線網,青函の連絡,国土縦貫道路,本土と四国との架橋をはじめとする全国的な交通網の整備,情報網の進展により,わが国土は,本土はもとより沖繩,小笠原をも含めよりいつそう凝集結合され,画期的な国土総合開発の時代になるものと思います。
しかしながら,1970年代をもつて真に輝かしい70年代とするには各分野における幾多の努力が必要であります。すなわち,第1にわが国力の増大は,必然的にわが国経済の著しい国際化を伴わざるを得ないのでありますが,かかる急速な発展をいかに他国の利益と調和のとれた形で行なうかは重大な問題であります。第2に,成長のために必要な経済面および社会面の構造的問題の解決,あるいは成長がもたらす国民生活上の諸問題の克服は決して容易なことではありません。第3に,今日までの経済発展により,絶対的貧困の解決という課題を一応実現しつつあるわが国には,高度化する工業社会にふさわしい人間文明の創造という課題が控えているのであります。したがつて,70年代は日本にとつて偉大な発展の10年となり得る素地をもつていると同時に,また試練の10年でもあります。
(新しい指針)
70年代を偉大な10年とするために,まず何よりも必要なものは,新しい指針であります。
日本は軍事的手段によつて世界政治上の役割を果たす国ではありません。また単なる福祉至上主義の国家を目標とすべきでもありません。われわれは,わが国の国情と国民性に合致した独自の目標を掲げるべきであります。日本の特色は,狭小な国土に非常なエネルギーを有する1億の有為な国民が生活しているということであり,伝統を保持しつつも近代技術を駆使して,前例のない速度で豊かな社会を形成しつつある,活力に溢れた国ということであります。また,日本人は安逸を求めず,自らの手で生活を創る国民,生きがいと働きがいを求める国民であります。したがつてわたくしは,次の2つを70年代の日本の政治の指針として掲げることが最も適当と思うのであります。
第1の指針は,内面の充実を図ることであります。すなわち,世界のどの国にもさきがけて,経済繁栄の中で発生する人間的社会的諸問題に取り組み,これをみごとに解決して物心ともに豊かな国民生活の基礎を築くことであります。
第2の指針は,内における繁栄と外に対する責務との調和を図ることであります。すなわち,われわれは国際信義を重んじ,独自の平和努力によつて,世界政治の矛盾克服のため国際連合の場を中心として重要な役割を果たすべきであり,さらに伸び行く経済力を世界の民生安定のため、すすんで用いる用意がなければなりません。
わたくしはアジアの一員である日本が,これらを実現するという点に世界文明史的意義があり,70年代の国家目標としてふさわしいものであると信ずるものであります。
(国際的課題)
このような指針のもとにおいて,わが国の進むべき道はおのずから明らかであります。すなわち,自由を守り,平和に徹する基本的態度のもと,国力国情に応じて自衛力を整備し,その足らざるところを日米安全保障条約によつて補完するという政策は,さきの総選挙の結果にも明らかなとおり,広汎な国民的合意の上に立つものであることを確信いたします。
われわれの目標は平和であり,そのために国際間の緊張を緩和し,すべての国との友好関係を樹立し,平和を恒久的なものとする国際秩序の形成に努めなければなりません。核兵器の拡散を防止することは,かかるわが国の目標に合致するものであり,政府はこのほど核兵器不拡散条約に署名いたしました。
また,経済の国際化に賢明に対応するかたわら,援助と貿易の両面で発展途上国の自助の努力を援けなければなりません。そしてその大きい部分がアジアに向けられるべきは,何人も異存のないところであると信じます。これらアジアの諸国と手を携えることは,日本の歴史からみても至当なことであり,わが国が,1970年代をアジア開発の10年とみなしている所以もここにあります。
わが国は,韓国,中華民国など近隣諸国との善隣友好関係を維持するとともに,米国,ソ連,中共との関係にとくに留意しなければなりません。
申すまでもなく,わが国にとつて米国との関係は,他のいかなる国との関係にもまして重要であります。日米両国が政治,経済,文化などあらゆる分野にわたつて長期的に安定した信頼と協力関係に立つことは,世界の平和と繁栄を促進するための基本的な要素であります。この認識のもとに,太平洋新時代に即した新しい日米関係をつくりあげるために,いつそう努力しなければなりません。さらに,西欧など自由主義諸国との協力関係を促進しなければならないことは当然であります。
日ソ関係は,近年とみに親善友好の度合いを増しつつありますが,貿易,経済などの相互関係を一段と活発化して,平和共存の関係を確立しなければなりません。両国間の最大の懸案である北方領土問題については,今後とも,ねばり強くわが国の正当な要求を主張し,その解決を図る決意であります。
中国大陸との関係は,北京政府がその対外関係において,より協調的かつ建設的な態度をとることを期待しつつ,相互の立場と国際環境の現実とを理解し合い,尊重し合つた上で,友好関係の増進を図り,経済,文化,報道などの各面から積みあげて,日中間の交流と接触を促進していく考えであります。(後略)
(昭和45年2月14日)
わが外交の基本方針と当面の重要施策について所信を申し述べます。
1970年代の初めの年に当り,わたくしは,国民の皆様と共に,わが国が希望に満ちた新たな外交への門出を迎えたことを喜びたいと思います。
昨秋沖繩返還が日米間の理解と信頼の上に立つて合意されたことはご同慶の至りでありますが,この背景には,戦後20数年にわたる国民の営々たる努力による国力の充実があつたのでありまして,このことは一億国民の間に深い民族的自信を培つたものと確信いたします。
また,日米安全保障条約は堅持されることになり,この方針について広汎な国民的理解が得られたことにより,わが国の安全は一段と確固たるものとなつたのであります。かくして,わが国の外交は,新たな展開の時期を迎えたと申すべきでありましよう。
しからば,わが国がとるべき外交上の基本的指針は何でありましょうか。わたくしは,それは,国際緊張の緩和と平和のための秩序の形成という目標に向かつて,国力の充実に伴いとみに重きを加えている国際責任を積極的に果すことであると考えます。これを具体的に申せば,各国との友好関係と相互理解のいつそうの増進,南北問題の解決への貢献,国連の強化と軍縮のための努力,そして国際的な各種交流のいつそうの促進の四本の柱であると思うのであります。
わたくしが,かねてから「平和への戦い」を提唱しておりますのもこの趣旨に出ずるものでありまして,わたくしは,このような基本的指針のもとに自主的な外交を積極的に進めてゆきたいと考えるのであります。
わが国は,国の体制を同じくする自由諸国と深い協力関係にありますが,体制を異にする諸国との間においても相互の立場の理解と尊重の上に立つて友好関係を推進する考えであります。
まず,米国との友好信頼関係は,沖繩返還の合意によつて,ますます揺ぎないものとなりました。わたくしは,両国間の問題のみならず,広く国際間の諸問題に思いをいたしつつ,アジア太平洋地域,ひいては世界の平和と繁栄のための協力を進めて行く所存であります。
経済面においては,両国間の往復80億ドルを超えるに至つた貿易関係に伴い,時に若干のまさつが起こることは避けがたいのでありますが,これらの問題は話し合いにより円満に解決をはかつてゆきたいと思います。
なお,沖繩問題については,施政権返還協定締結のための交渉を進めるとともに,那覇に沖繩復帰準備委員会を設置し,沖繩県民の立場に十分の考慮を払いつつ諸般の復帰準備を進めてまいります。
次に,ソ連との関係は,貿易,航空等を通じて近年とみに密接の度を加えておりますが,善隣関係をさらに強化するためにも,最大の懸案である北方領土問題の解決が望まれるのであります。わたくしは,わが国固有の領土である北方領土の返還につき,強い国民的な願望を背景に忍耐強くソ連と交渉を続けていく所存であります。
中華民国との友好協力関係を維持するとの政府の方針に変りはありません。しかしながら,中国大陸には北京政府が現に存在しております。政府としては,従来から,民間レベルでの交流を促進し,また抑留邦人の釈放問題等についても,第三国における双方の外交機関間の接触を呼びかけてまいりました。
わたくしは,北京政府がその対外関係において,より協調的かつ建設的な態度をとることを期待しながら,相互の交流と接触をはかつてゆきたい考えてあります。
朝鮮半島における平和ど安定は,わが国を含むアジア地域の平和に密接な関係を有しますが,韓国の政治的安定と経済的発展が着実に進んでいることは,まことに心強い次第であります。
政府は,1日も早くヴィエトナムに和平が実現することを強く念願しており,このためわが国としてできる限りの役割を果たしてまいりたいと考えております。また,和平実現に至る過程においても,民生安定のための援助を強化していくとともに,和平実現に伴い,ヴィエトナムおよびその周辺諸国に対して,幅広い国際協力の下に戦後の復興と民生向上のため可能な限りの援助を行なう考えであります。
さらに,政府は,広くアジア諸国との友好関係をますます深めるとともに,域内の連帯感を強め地域的協力を推進してゆくため,東南アジア開発閣僚会議,アスパック等の機能をいつそう充実し,また域外の先進諸国とも力を合せてエカフエ,アジア開発銀行等の国際協力機構の強化をはかり,もつてアジア地域全般の発展に寄与したい考えであります。
オーストラリア,ニュージーランド,カナダの太平洋周辺先進国との関係も日を追つて緊密化しつつありますが,アジアの安定と繁栄のためにも,これら諸国との協調をますます推進してまいりたいと考えます。
ヨーロッパにおきましては,欧州共同体は昨年末で過渡期間を終了し,各分野において共同活動の新たな進展が見られるに至りましたが,英国等の加盟の動きもあり,1970年代を通じて共同体の拡大および経済統合の強化が予想されますので,わが国としても,欧州共同体諸国をはじめ,その他の諸国との関係をますます緊密にしたい所存であります。
中東紛争の現状はまことに憂慮にたえません。わたくしは,同地域に公正かつ永続的な平和が速かに確立されるよう関係国のいつそうの努力を要望いたしたいと思います。
南北問題解決のため最も重要なものは発展途上国に対する先進国の支援であります。
発展途上国の経済開発が進み,これら諸国が政治的,社会的に安定を達成することは,世界平和のために望ましいことは申すまでもありませんが,わが国自身の要請とも合致するものであります。しかも,近年わが国力の増大に伴い,発展途上国からはもとより先進諸国からも南北問題解決のためわが国の果しうる役割りについて,ますます強い期待が寄せられているのであります。時あたかも国連においては,70年代を「第2次国連開発の10年」として積極的に南北問題に取り組む姿勢をとり,本年秋の国連総会で70年代の開発戦略を採択すべく目下検討が進められております。わが国としても,援助量のいつそうの増大と援助条件の緩和を可能な限り促進し,また,技術協力を拡充するとともに,民間投資を促進したいと考えます。
なお,わが国の援助の重点はアジア地域にありますが,今後は世界的視野に立ち,事宜に応じ,中近東,アフリカないし中南米等の地域に対する援助をも拡充してゆきたいと考えております。
さらに南北問題解決のためには,貿易面での協力も必要でありますので,片貿易の是正,開発輸入の促進,特恵関税の供与などを積極的に配慮したいと思います。
国際緊張緩和の努力の中で重要な役割りを占めるのは軍縮であります。わが国は昨年7月軍縮委員会に参加することができましたが,じらい,平和に徹した立場に立つわが国の同委員会における活動は,わが国の参加の意義を各国に強く印象づけたものと信じます。政府としては,今後とも国の英知を結集してさらに積極的な活動を行ない,もつて内外の期待にこたえたい所存であります。
核兵器不拡散条約につきましては,わが国は,当初より核兵器の拡散を防止するとのこの条約の精神に賛成し,条約の作成過程においてわが国の主張が条約に反映されるよう努力を重ねた結果,条約中にわが国の主張がかなり取り入れられましたので,1968年春の国連総会での条約推奨決議に賛成投票いたしました。
したがつて,わが国としても,今般,条約が近い将来発効するとの見通しを得ましたのを機会に,条約に署名したのであります。同時に政府は,軍縮,安全保障,原子力平和利用等の問題に対するわが国の関心と見解を内外に対して明らかにした次第であります。
本年は国連創設25周年に当りますが,わたくしは,国連の平和維持機能を強化し,同機構を改善するため,わが国として積極的に貢献したいと考えるのであります。この点についてわたくしは,昨年の国連総会演説においてもふれたのでありますが,各国の協力を得ながら引き続き検討を加えてまいりたい所存であります。
最後に,世界に平和で豊かな社会を創造するためには,商品,資本,技術,企業等の国際的交流がいつそう促進されなければなりません。わたくしは,この意味で,まずわが国が世界経済全体の調和のとれた発展のために,その主要な荷ない手の1人として国際的期待にこたえることは,わが国自身の長期的国益にも合致するとともに,1970年代におけるわが国の国際的責務でもあると考えます。
かかる見地から,わが国といたしましては今後とも残存輸入制限の早期撤廃,資本取引の自由化等に努め,経済の開放体制への移行を急ぎたいと思います。
科学技術の開発のための国際協力も,今後ますます重要性を加えると思われます。わが国は、原子力、宇宙、海洋等いずれの分野においても平和利用のみの見地から開発に努力してまいつたのでありますが,ますますこの特色を生かして国際的交流を推進してゆく所存であります。また,環境整備,都市問題など世界的な悩みであるいわゆる現代社会の問題についての国際協力にも積極的役割を果してまいりたいと思います。これらの新分野こそ,人類の福祉のためにわが国民の創意を生かすのにもつともふさわしいものと考えます。
以上わたくしは,わが国の外交が取り組むべき課題について申し述べて参りました。
思うに国際情勢は依然とし複雑かつ流動的であります。1970年代は,わが国が増大しつつある国際責任を自覚し,理想を忘れず,現実を見失なわず,国際協調の中に日本の安全と繁栄を確保すべくさらに格段の努力をいたすべき時期であります。わたくしは,かかる考え方のもとに,力強い外交施策を進めてゆく決意であります。国民各位の深い理解と強い支持をお願いいたします。