-国連専門機関-
第9節 国連専門機関
わが国は1951年にILOに復帰し,1954年にILOの十大主要産業国の一員に選出されて以来,ILO理事会の常任理事国として重要な役割を果してきた。現在のわが国の理事会政府代表は在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部中山大使,代表代理は労働大臣官房広瀬審議官である。
ILO第53回総会は,1969年6月4日から26日までジュネーヴにおいて開催され「農業における労働監督に関する条約および勧告」ならびに「疾病保険に関する条約および勧告」が採択された。
1969年は,1919年にILOが設立されて以来50年目にあたり,10月ILOはノーベル平和賞を受賞した。また,70年代前半における最優先事業として発展途上国における雇用増進をはかる「世界雇用計画」が発足した。わが国では,創立50周年を記念して,政,労,使三者の参加になる式典が開かれた他,ILO設立と同時(1919年10月29日)に生れた日本人夫妻のILO本部への派遣等の催しが行なわれた。また,12月3日より20日まで,政,労,使3者構成の「第1回アジア技術協力使節団」がタイ,シンガポール,マレイシア,中華民国の労働事情を視察調査し,ILOを通じ技術協力に対するわが国の協力体勢強化の第1歩を印した。
わが国は,1951年ユネスコに加盟し,1952年設立された日本ユネスコ国内委員会を中心にその事業活動に協力している。なお現在,在アルジェリア田村大使が執行委員に選出されている。
ヌビア遺跡救済事業は,ユネスコの提唱により,1960年開始され,そのうち,アブシンベル神殿移築工事は総工費3,600万ドルの巨費と近代科学の粋を集めて1968年9月完成したが,まだヌビアの真珠と云われるフィレー神殿の救済が残っている。わが国は,本件救済事業のために,1969年3月までに6万ドルを拠出した。
わが国は,1951年FAOに加盟以来,積極的にFAO活動に協力してきている。わが国はFAO理事国として,また,その下部機関である「商品問題委員会」および「水産委員会」のメンバーとして世界の農業,林業,水産問題に意欲的にとりくんできている。
1969年11月8日より27日までローマのFAO本部で開催されたFAO第15回総会には,わが国から斉藤誠外務省参与を代表とする11名の代表団が出席した。右総会ではFAO理事国メンバーの改選が行なわれ,わが国は最高点で再選され,1973年までその任にあたることとなった。そのほか「世界食糧計画」「世界指標計画」等の重要案件が審議された。
わが国は,1951年WHOに加盟して以来,毎年,世界保健総会に代表団を派遣するとともに,食品衛生に関する専門家諮問部会に参加するほか,薬剤の品質管理,国際検疫に関するセミナー等に専門家を派遣し,保健衛生分野における国際協力に貢献している。なお,わが国は,技術援助の一環として,結核,痘そう撲滅,コレラ,マラリア対策専門家の派遣,WHO研修員の受入れを行ない,保健衛生分野における発展途上国援助に貢献している。1969年7月8日から25日まで,米国ボストン市で開催された第22回世界保健総会には,わが方から浦田厚生大臣官房統計調査部長ら6名の代表団が出席した。
なお,この総会において,わが国は執行理事会の理事国(任期3年)に選出されたが,これは,1954年,1961年に続いて3回目の選出である。
わが国は,1953年ICAOに加盟して以来,国際協力の下でのわが国航空の健全な発達に努め,総会毎に行なわれる理事国選挙にも,わが国は,1956年以降毎回当選している。
ICAOは近年の航空機不法奪取事件の続発にかんがみ,その防止条約案を,また,最近の国際交通の著しい発展に合致させるため「改正ワルソー条約」の改正案を1970年2月の法律委員会で策定したが,わが国も積極的にその審議に参加している。
わが国は,1877年欧米以外の国として最初にUPUに加盟して以来,郵便業務の国際協力に貢献してきている。
第16回万国郵便会議は1969年10月1日より6週間にわたり東京においてUPU加盟132ヶ国より約520名の代表を集め開催されたが,わが国からは浅野郵政次官をはじめとする18名の代表が出席し,会議の審議に積極的に参加した外,大会議長国として,円滑な議事運営に努めた。なお,今次大会議においては,わが国は執行理事会理事国に最高点で当選し,また次回大会議までの理事会議長国に選出された。
わが国は1879年ITUの前身である万国電気通信連合に加盟し,ITU創立後も国際電気通信の改善および合理的利用のため,連合の活動に積極的に参加し,1959年以降管理理事会の理事国に選出されてきた。第24回会期管理理事会(1969年5月3日~23日,ジュネーヴ)にはわが国より柏木郵政省電気通信監理官以下3名が出席した。
わが国は,1958年IMCOに加盟以来,理事会,海上安全委員会の有力なメンバーとなっている。
(1) IMCOの主催により,トン数測度に関する国際会議が1969年5月27日より6月23日までロンドンで開催され,船舶のトン数測度方式を世界的規模において統一するための「船舶のトン数測度に関する国際条約」が採択された。わが国は,1969年12月10日IMCO本部において右条約に受諾を条件として署名した。
(2) 第6回通常総会は,1969年10月15日より30日までロンドンで開催され「油による海水の汚濁の防止のための国際条約」の改正案および「海上人命安全条約付属規則」の改正案を採択した。
(3) タンカー等の事故による油濁災害の頻発している現状に対処するため,IMCOの主催により,「海洋汚濁損害に関する国際法律会議」が,1969年11月10日から28日まで,ブラッセルで開催され,「油濁災害の場合の公海上の措置権に関する国際条約」および「油濁損害についての民事責任に関する国際条約」が採択された。わが国は右2条約の署名を検討中である。
わが国は,1953年WMOに加盟し,1955年第2回世界気象会議以来,毎回同会議に代表団を派遣し,そのほかWMOアジア地区協会会議を1970年7月に東京へ招請することを決めるなど,WMOを通じ国際協会に努めている。
第21回執行委員会は1969年5月29日から6月12日までジュネーヴで開催され,前執行委員柴田前気象庁長官の後任に吉武新気象庁長官が選出された。