-国連の経済問題-

 

第4節 国連の経済問題

 

 

1.経済社会理事会(ECOSOC)

 

 経済社会理事会は,国連の主要機関の1つであり27ヵ国をもって構成されている。

 わが国は,1967年秋の第22回国連総会における選挙で,1968年から3年の任期で理事国に選出され,1968年に引き続き,1969年5月ニュー・ヨークで開かれた第46回理事会,および同年7月,ジュネーブで会合した第47回理事会の審議に参加した。

 上記両会期で,理事会は,第2次国連開発の10年,開発途上国の経済開発に対する融資,貿易開発理事会(TDB)報告,工業開発理事会(IDB)報告,人間環境問題,観光開発,社会開発,国連諸機関活動の調整等の諸問題を審議し,勧告を行なった。中でも,1970年秋の第25回国連総会で1970年代を「第2次国連開発の10年」と指定することが決まっており,そのための準備作業が最も緊急を要する作業となっている。第1次国連開発の10年では,1960年代の発展途上国の経済成長率を年平均5パーセントに引き上げることを目標として国際協力が行なわれたが,第2次開発の10年では,経済成長率の目標を設定するばかりでなく,この目標を実現させるための具体的な政策を含む総合的な世界開発戦略が策定されることになっている。第2次開発の10年の準備には,国連総会を頂点として,国連ファミリーの多数の機関が関係しているが,その作業の中心となっているのは,経済社会理事会のメンバーを54ヵ国に倍増して設置された準備委員会である。わが国は,米,英,フランス等とともに,経済社会理事会の理事国として,自動的に準備委員会のメンバーとなり,同委員会の審議に参加しているが,ソ連等東欧諸国は,国連に加盟していないドイツ連邦共和国が本委員会に加わったことを不満として,会議をボイコットしている。準備委員会は,1969年中に4回の会合を行ない,開発10年の宣言文書の枠組について合意をみており,引き続き1970年に入って,開発戦略の内容について討議を行なっている。この関連で経済社会理事会の諮問機関である開発計画委員会(CDP)が,1970年1月具体的提案を含んだ報告書(いわゆるティンベルゲン報告)を採択したが,この文書はビアソン報告とならんで大きな影響を与えると思われる。

 人間環境問題については,最近,公害,都市化の弊害等が国際的に注目されており,国連はこのような諸問題を討議するため,人間環境会議を1972年6月スウェーデンにおいて開催することを決定し,右会議の準備のため,27ヵ国から構成される準備委員会が設立された。わが国は同準備委員会のメンバーとして,今後の準備作業に参加することとなった。

 観光開発については,近年新たな観光専門機関を設立せんとする活発な動きが発展途上国,東欧諸国の間にみられていたが,第24回総会において,新機関の設立に代わり,現存の官設観光機関国際同盟(IUOTO)を政府間の性格をもつ機関に改組することが決定された。

 

2.アジア極東経済委員会(エカフェ)

 

 最近のエカフェに特徴的なことは,第一にそれがUNCTADの影響を強く受けつつあるということ,第二にその活動がますますアクション・オリエンティドな技術協力的色彩をおびつつあること,以上2つの事実を前提として,第三に域内の数少ない先進国としてのわが国の立場が微妙なものとなり,かつ,多くのプロジェクトにおいてわが国の技術協力に対する要請がますます多くなりつつあるということである。

 (1)88年12月に開催された第3回エカフェ経済協力閣僚会議で採択された「アジア地域経済統合のための戦略」を実施するために,エカフェ事務局内に特設タスク・フオースが設けられ,主として域内貿易自由化計画および支払取決め結成の準備を開始した。エカフェの包含する地域には経済的,地域的に異質な多くの諸国家が存在するため,必ずしも両計画実現の見通しは明らかでないが,年末までには政府および中央銀行専門家会議も開かれ何らかの進展があることが予想される。

 (2)域内貿易自由化計画および支払取決め計画が,目下のところエカフェ地域全域を対象として検討が進められているのに対し,それ以外のエカフェの諸活動は,ますますサブ・リージョナル・ベースで進められつつある。アジアエ業開発理事会は,68年に東南アジア6ヶ国の鉄鋼調査を一応終了したのに引きつづき,69年12月には西アジア鉄鋼調査団を派遣した。その他,石油化学,農業機械,肥料産業等の分野で規模の経済による利益を考慮した多数国間工業開発プロジェクトが検討されており,一部の産業分野では国家間の合意と民間投資の流入を待つばかりの段階に達している。また,長期的観点から東南アジアエ業開発調査が実施されることとなった。

 その他インフラストラクチュアー整備の分野では従来のメコン計画,アジアハイウエイ建設計画等に加えて,アジア鉄道網計画調査がつづけられており,68年にはイランにおいて調査が実施された。その他,サブリージョナル・ベースの協力は商品別にもおこなわれており,フイリッピン,インドネシア,インド,セイロン,マレーシア,タイが加盟するアジア,ココナット共同体が発足した。

 (3)一方わが国の先進国としての地位確立に伴い,貿易自由化計画への参加,UNDP援助プロジェクトヘの参加等で他の発展途上国とは共同歩調をとれなくなる場合が多く現われてきている。また,アジアエ業開発理事会は今後も鉄鋼業調査等を引きつづいておこなう予定であり,この他にも種々の調査がエカフェの各部で企画されているが,こうした面でわが国からの技術協力がますます今後は強く要請されることとなろう。

 

3.国連貿易開発会議(UNCTAD)

 

 (1)1969年を通してUNCTADで最大の問題となったのは,第2次国連開発の10年の目的を達成するための政策措置をめぐる問題であった。すなわち,開発途上国が最大の関心を有する貿易および開発の分野における政策措置については,貿易開発理事会(TDB)が中心となって審議が行なわれ,1970年1月に開かれた第9回理事会の第3会期において,第2次国連開発の10年に対するUNCTADの寄与について,一応の合意が得られた。すなわち,一次産品分野では,個別商品に関する研究,協議,取決め締結の促進,緩衝在庫金融の財源の多角化,関税,非関税障壁の軽減撤廃に関する協議の促進,製品分野では,一般特恵の早期実施,貿易障害の軽減撤廃,開発途上国の輸出産業と競合する先進国の産業分野に対する調整援助,援助の分野では援助条件の緩和(DAC勧告の早期実施)ひもつき援助の廃止,等UNCTADで長期間検討されて来た,ほとんどすべての問題について1970年代における努力の方向が打ち出された。しかし,各政策措置の実施について,発展途上国側が,期限を附すべし,としとのに対し,先進国はこれに反対し,この点いまだ合意は得られていない。またGNP1パーセント援助量目標の問題および海運問題についても両者の見解が対立し,合意が成立していない。とくに1%援助目標については,発展途上国側は,1972年までの達成を主張しているが,先進国側の態度は一致せず,1972年,1975年,あるいは達成時期は約束できない等各国の主張はまちまちで最大の争点になっている。また。副目標として政府開発援助に関する目標を設けることについても合意は得られていない。

 (2)TDBの下部機関である各種委員会あるいはグループの会合が相次いで開催されたが,とくに目立った実質的進展はみられなかった。一次産品分野では,従来の一般的政策討議から,次第に個別商品毎の審議を重視する傾向がでてきたことが注目される。1970年1月から2月にかけて,鉄鉱石,油脂について開催された会合はその一例である。自由化問題は懸案のまま,繰り越された。製品関係では,特恵特別委員会が,1969年4月および7月の2回にわたって開かれたが,OECDで先進国側が作業を続けていることも反映して,実質的な検討は行なわれなかった。特恵と並んで数量制限等の非関税障壁撤廃が焦点となったが,UNCTADにおける交渉をねらう発展途上国に対し,西側はガットでの作業を尊重すべきであると主張した。援助の分野では,発展途上国が予期しない不可抗力により,輸出収益の低下が生じた際,国際基金により融資を行なうという,いわゆる補足融資については,3年来補足融資政府間グループで審議されていたが,UNCTADにおける審議は一応打切り,世銀に補足融資具体化の検討を付託することになり,世銀は随時進捗状況をTDBに報告することになった。海運分野では,自国船優先主義の原則をUNCTADで確立せんとする,いわゆる国旗差別問題,船荷証券,用船契約,海上保険等の国際的立法を図ろうとする国際海運立法問題が大きな争点となったが,西側はいずれも否定的態度をとった。

 

4.国連開発計画(UNDP)

 

 国連開発計画(UNDP)は,国連総会決議2029(XX)に基づいて従来の国連特別基金(SF)と拡大技術援助計画(EPTA)とが統合されて,1966 年1月に発足した国連の開発援助機関である。

 UNDPの任務は発展途上国に対して技術協力と投資前調査を中心とする開発援助を提供することにあり,その援助事業には投資前調査,研究所,訓練所設立経済開発計画作成等長期・大規模なものと専門家派遣,研修生教育等短期・小規模なものがある。UNDPは1959年のSF設立以来累計約10億ドルにのぼる援助を与えてきており,1968年度は約2億ドルの援助活動を行なった。各種事業の中では専門家派遣の比重が大きく,全額で約3分の2を占めている。

 UNDPの活動資金は,各国の自発的拠出によってまかなわれ,その拠出額は毎年の拠出誓約会議で,各国により誓約される。1970年度の拠出誓約額は約2億3,800万ドルに達する見込である。

 このようにUNDPは,国連の開発援助機構の中枢機関として,世銀グループと並ぶ重要性を有しているが,わが国は,かかるUNDPの重要性にかんがみ,その設立以来,管理理事会の理事国として,政策決定等に積極的に参加している。拠出面でも国力の許す範囲内で拠出を増大する方針であり,1969年度は400万ドル相当額を拠出し(拠出順位第10位),1970年度は480万ドル相当額の拠出を予定している。わが国にあるUNDPのプロジェクトとして,1962年から国際地震工学研修所プロジェクトが行なわれており,現在第2期計画に入っている。その他現在準備中のプロジェクトとして,アジア統計研修所プロジェクトがある。

 UNDPは「第2次国連開発の10年」において重要な役割を荷うことが期待されているが,近年,機構,運営等において各種の隘路欠陥等が認められ,69年この点に関する徹底的分析と抜本的改革案の提案を内容とするいわゆる「ジャクソン報告」が発表された。同報告は国別に国連の全組織による開発援助を組み込む計画作成手法としての「国連開発協カサイクル制度」等の重要な提案を行なっており,今後この報告を関係機関において検討した上,国連開発組織の改革が行われることが望まれている。

 

5.国連工業開発機関(UNIDO)

 

 発展途上国の工業開発を援助,促進するための新機構として1967年1月発足した国連工業開発機関(UNIDO)の機能は,技術援助を主体とする事業活動と,右活動を促進するための調査活動を行なうことにある。同機関の事業活動のための資金は,各国よりの自発的拠出金,UNDPおよび国連通常技術援助計画への参加によってまかなわれる。

 UNIDOの事業計画,活動方針の決定は45ヵ国で構成される工業開発理事会(IDB)が行なっており,わが国は1971年末までIDBメンバー国である。

 UNIDOの活動は,技術援助のほか,専門分野のセミナー,研究会の開催,現場集団研修,工業投資促進サービスの実施,工業情報の収集・配布等広範囲にわたっている。わが国は,UNIDOに協力して,1969年9月から11月にかけて,アジア諸国からの研修生12名に対し機械金属工業における生産管理に関する現場集団研修を実施し,また,1969年12月,海外技術協力事業団において,アジア諸国からの参加者13名とわが国ほか米国,スウェーデン等からの専門家7名を集めて,コンサルタント使用に関するワークショップを開催した。

 

 

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