-経済協力のための国際協調-

 

第3節 経済協力のための国際協調

 

 わが国は以下の国際協調の他,アジア地域協力は特に積極的にこれを推進しているが,アジア地域を中心とする国際協調については第2部第1章第1節2.の「アジアの地域協力機構とわが国」で述べることとする。

 

1.世界銀行を中心とする国際協力

 

(1)世銀グループの活動

世界銀行(国際復興開発銀行)は,1945年に加盟国の戦後の復興と経済開発を目的として設立されたが,現在は前者の任務を終り,もっぱら発展途上国に対する援助機関としての活動を続けている。この世銀の活動は,その姉妹機関でより寛大な条件により経済・社会開発事業に融資する国際開発協会(IDA),および民間投資を促進する国際金融公社(IFC)の活動と相まって発展途上国の経済開発に重要な役割を演じている。

1969年における世銀グループの活動は,就任2年目を迎えたマクナマラ総裁の積極政策を反映して,融資額の大幅な増加や対象分野の拡大等質量両面にわたる顕著な拡充がみられた。マクナマラ総裁は68年度の総会において,69年に始まる5年間に融資額を過去5年の2倍に増加させること,対象地域としてアフリカ,ラ米を重視すること,対象分野として農業,教育,人口問題に重点を置くこと等を内容とする新融資計画を明らかにした。69年においては,世銀融資額は68年の8億4,700万ドルから13億9,900万ドルヘ,IDAは1億700万ドルから3億8,500万ドルヘ,IFCは5,100万ドルから9,300万ドルヘ増加し,世銀グループ全体としては68年の10億400万ドルを87%上廻る18億7,700万ドルの融資を実現している。また,対象地域としてはアフリカ向けが,対象分野としては農業および教育向けがそれぞれ大きな増加を示している。

このような融資活動の積極化に伴い,資金調達面でも重要な進展がみられた。世銀の場合,主たる調達手段である世銀債発行額は68年の7億3,500万ドルからC9年度には12億2,400万ドルに増加した。また,IDAの場合,米国の拠出決定が遅れたため,第二次財源補充制度も69年度内には発効しなかったもののわが国を含む主要先進国が発効前に前払拠出を行ない,IDA融資の対前年比4倍に近い増加を可能にした。なお,上記財源補充制度は,ようやく69年7月に発効の運びとなり71年度までの財源は確保されることとなった。

ところで,世銀グループが新融資計画に沿って業務を拡大するにあたり,次の2つの大きな問題が存在する。

その第一は資金調達コスト上昇の問題である。69年度の場合,世銀の所要資金の7割は借入に依存しているが,数年来の国際金利高騰の影響を受け,調達コストの上昇も著るしい。この結果,69年7月には前年の2回にわたる貸付金利引上げに続いて,三たび金利引上げを行ない発展途上国向融資案件には年7%が適用されることとなった。

第二は,財源拡充の問題である。既述の如く世銀は外部借入に依存するところが多く,これが財務比率の悪化や支払金利増加による収支状況の悪化をもたらしつつある。このためコストのかからぬ安定した自己資金が必要であり,世銀は70年前半に増資の具体案を加盟国にはかる予定である。また,IDAについても,72年度には財源枯渇を招来することはほゞ明らかであり,これに備えて,70年6月末までに第三次財源補充に関し拠出国間の合意を得るべく検討が進められている。

わが国の世銀グループ各機関に対する出資比率は,世銀3.3%,IDA3.32%,IFC2.60%と必らずしも大きくないが,最近の国際収支好調を背景として69年には世銀の貸付債権購入等を通じて積極的な協力をしている。また,上記の世銀増資やIDA第三次財源補充が具体化する過程においては,わが国に従来にない大きな期待が寄せられるものと予想される。わが国としても増大する国際的責任を勘案して,これに応える努力が必要と考えられる。

(2)ピアソン委員会の報告

ピアソン前カナダ首相は,68年8月,マクナマラ世銀総裁の要請を受けて,何れも個人の資格で参加した7人の著名な政治家,学者(英,ブラジル,米,独,西インド諸島,仏から各1人およびわが国の大来佐式郎氏)から成る国際委員会を組織し,今後の開発戦略のあり方に関し,1年余にわたり慎重に審議してきたが,69年9月その成案を得,69年度の世銀・IMF総会に11章400ページから成る報告書を提出した。同報告書は先進国,発展途上国,援助関係国際機関に対し,南北問題解決のため,1975年ないし1980年 を目途に,それぞれの立場に応じいっそうその努力を強化するよう呼びけたもので,現在「援助の危機」が生まれているが,先進国・発展途上国間のギャップ拡大を通ずる国際緊張の増大を回避すべきで,平均年6%程度の経済成長を可能とするよう援助努力の強化が必要であり,これは要するに「国家意志決定」の問題であることを力説している。

本報告書は,国連において進められている第2国連開発10年の策定作業とともに,今後の開発戦略の重要な基準となるものと思われ,わが国としても増大する国際的責任を勘案して本報告書の呼びかけを今後の援助政策の形成過程で真剣に検討することが必要と考えられる。

本報告書に対する各国の反応としては,多くの国がその意義を積極的に評価し,今後前向きに検討して行こうとの姿勢を示している。特に西欧先進国の多くは,GNPの0.70%を75年ないしおそくとも80年までに政府開発援助にあてるべきであるとする勧告を支持し,一部の国ではその実現のための具体的計画を明らかにする等の意欲を示していることは注目に値する。

本報告書は,貿易,投資,援助の各分野にわたって総数68の勧告を行なっているが,このうち,今後わが国の援助政策上重要な意味をもつと思われるものは次のとおりである。

イ,75年までに援助量をGNPの1%まで増大する。

ロ,75年(遅くとも80年)までに政府開発援助をGNP0.70%まで増大する。

ハ,政府開発援助の条件を,金利2%以下,返済期間25ないし40年,据置期間7ないし10年とする。

ニ,援助財源を3年間にわたって確保する。

ホ,タイイングの停止および縮小に努める。

へ,発展途上国の関心産品に対する輸入数量制限は1970年代中に全廃する。

ト,内国税その他発展途上国貿易の障害を早急に撤廃する。

チ,70年末までに製品,半製品に関する一般特恵スキームを樹立する。

 

2.OECD開発援助委員会(DAC)

 

 DAC(DevelopmentAssistanceCommittee)は,発展途上国への資金の流れを増大し,援助の有効性を高め,また加盟国の援助努力の調整を行なうことを主な目的とするOECDの一機構である。現在DACには,オーストリア,オーストリア,ベルギー,カナダ,デンマーク,フランス,ドイツ,イタリア,日本,オランダ,ノルウェー,ポルトガル,スウェーデン,スイス,英国,米国の16カ国およびEEC委員会が加盟している。1969年におけるDACの活動の主なものは次のとおりであった。

(1)第8回年次審査

年次審査は,加盟国の援助政策を加盟国相互間の審査の方式によって検討するもので,DACの活動の中心をなしている。第8回年次審査は1969年6月より11月にかけて実施されたが,このうちわが国に対する審査は7月23,24の両日に開催された。

同審査においては,近年のわが国援助実績の量,質両面にわたる着実な改善に対しては,ある程度までその成果を評価するとしつつも他方近時におけるわが国経済力の目ざましい強化にかんがみるならば,なおいっそうの努力が望まれるとされた。

援助量については,1968年の政府援助の規模がいまだ不十分とされ,また援助条件については,日本の援助金利が依然高すぎるとの認識から,その緩和の具体的方策につき質問がなされた。

量,条件以外では,未だ相対的に小規模な技術協力計画の拡大の方策,援助に対する国内世論の動向,タイイング政策緩和の見通し等を中心に,各国から活発な質問が寄せられた。

(2)1969年上級会議

DACでは毎年1回加盟国のハイ・レベルの援助政策担当者を集めて,過去1カ年の援助の実積を検討し,今後の援助政策の調整を行なっている。この会合は上級会議とよばれ,DACの主要な勧告はすべてここで採択されている。

1969年11月パリで開催された上級会議は,特別の勧告を採択することはなかったが,「第2次国連開発の10年」およびその関連で「ピアソン報告」の提起した諸間題を中心に,1970年代の開発戦略のあり方およびその中でDAC諸国に期待される役割につき,活発な討議が行なわれ,多くの国が基本的に前向きに対処しようとの姿勢を示したことが注目された。なお,1970年の上級会議は9月東京において開催されることに決定された。

(3)東南アジア地域問題会合

DACは,地城別にその地域の直面する開発援助問題を検討するため,2月にラ米地域問題会合を開催したのに引きつづき,12月に東南アジア地域問題会合を開催した。同会合はわが国の首唱に基づき開催されたが,DAC加盟国のほか,オブザーバーとして,世銀,アジア開銀,エカフェ,メコン委などの代表も出席した。東南アジアは他の地域と比較して一人当り援助受取額が低いが,このような東南アジア経済開発の実態に対する認識が深められ,DAC諸国の問題意識が啓発されたことは,大きな成果であった。

 

3.OECD開発センター

 

 OECD開発センターは,1962年経済開発問題に関する先進国の知識,経験を集積して発展途上国に利用させるという形での技術援助活動の強化を目的として設立された。この目的を達成するために,開発センターは,フイールド・セミナーの開催,質疑応答サーヴィスの提供,開発問題研究訓練所長の年次会議の開催,開発関係問題についての独自の調査といった諸活動を行なっている。1969年の開発センターの活動を通じては,人口問題に対する関心の高まってきたことが注目される。

 

4.コロンボ・プラン協議委員会会議

 

 第20回会議は,1969年10月14日から31日までカナダのヴィクトリアにおいて開催され,わが国からは田中外務政務次官を政府代表とする代表団を派遣した。会議の主要点は次のとおりである。

(1)援 助 規 模

1969年の域外6カ国(日,米,英,加,豪,ニュー・ジーランド)によるコロンボ・プラン諸国に対する援助量は,前年を2億ドル下回る24億ドルであり,そのうち技術協力支出額は,9億ドルであった。

(2)援 助 行 政

1969年の特別議題である「援助行政」については,各国提出のペーパーに基づき討議され,援助行政官の育成,調整機関の設立,民間団体の援助活動の強化,援助に好意的な世論の喚起等の必要性が強調された。

(3)主要討議事項

(イ)「緑の革命」

これによる食糧増産は歓迎すべきことであるとしつつ,他方これにより今後国際収支の構造の変化,所得の一時的不平等化あるいは援助供与量の部分的減少等の派生的問題が生ずる点が指摘された。

(ロ)ピアソン報告

本会議の直前に発表された本報告書については,ピアソン氏自身の出席を得て種々質疑応答が行なわれた。

(ハ)資金協力

政府ベースの援助量の増大,条件緩和,累積債務間題,現地通貨調達問題,民間投資誘致策,援助手続の簡素化の必要性などが,上記ピアソン報告書に関する論議と関連しつつ討議された。

(ニ)技術協力

先進国に研修にきた技術者がそのまま先進国に住みつき,発展途上国の開発に貢献しなくなってしまうといういわゆる「頭脳流出」問題,コロンボ・プラン域内研修または第三国研修促進の問題,コロンボ・プラン技術教員訓練センター設置案,効果測定の必要性などが議論された。

(4)主要決定事項

(イ)コロンボ・プラン実施期間

1971年7月から1976年6月までさらに5ヵ年間延長された。

(ロ)1970年特別議題

「開発のための教育分野における国際協力」が採択された。

(ハ)第21回会議開催地

第21回会議をフィリピンで開催するとのフィリピン政府の招請が受諾された。

 

 

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