-国際通貨関係-

 

第3節 国際通貨問題

 

 

1.概   観

 

 1969年の国際経済は米国経済のインフレとドル問題,欧州通貨不安等主要諸国経済の動向をめぐる諸問題とともに,金問題,SDRの創設,為替制度改革論等国際通貨体制のあり方に直接関連する種々の問題をはらみつつその幕をあけた。

 米国においては,ニクソン政権発足後1年余を経た今日,過熱を続けた経済はようやく鎮静の色を明らかにして来ているが,インフレはいまだ終息せず,国際収支(流動性ベース)も大幅な赤字を示している。海外ドル相場は一応の安定をみせているが,国際収支構造は健全とは言えない。また米国公定歩合は1929年以来の高水準にあり,米国国内の高金利はユーロ・ダラーを通じて欧州に波及し,高金利現象を生じていたが最近においては国際金利は微落傾向にある。他方,英国国際収支はこの一年間にかなりの改善を示し,恒常的な不安を続けたポンド問題はようやく小康を示すに至った。またフランスにおいてはポンピドウー新政権の手によりフラン切下げが断行され,5月危機以来の仏経済の混乱に一応の終止符が打たれた。同じく総選挙により新たに発足したドイツのブラント内閣は「輸入されたインフレ」に対処するためマルク切上げを決定,その結果欧州通貨不安は終息に向ったが,マルクの切上げは単に欧州通貨のみならず米ドルの地位を相対的に安定化させるという意味で世界的な意義をもつ出来事であったと言えよう。さらに,マルク切上げ後の国際経済界において日本経済の競争力とその国際収支の黒字が注目を集めつつあることにも注意すべきであろう

  一方,数年間にわたる検討を経て具体化したSDR(IMF特別引出権)制度は,IMF協定改正の発効,IMF総会における議決を経て70年1月から発動された。また南アフリカ新産金の処理問題については69年末に米国および南アの間で妥協が行われ,IMFの場において合意が成立した。なお,為替制度改革論についてはいまだ結論は出ておらず,なおIMF等における検討が続けられている。

 このように1969年は国際金融上のいくつかの問題に一応の解決を与えたものの,なお重要な諸問題を今後の課題として残すこととなり,米国におけるインフレと国際収支の動向,SDRの運用,為替制度論議の動向等今後とも注視していくべき問題点は多い。

 

2.主要国通貨をめぐる情勢

 

(1)米  国

ベトナム戦争の激化を契機とする需給アンバランスから60年代後半に急激な物価上昇に見舞われ,貿易収支黒字の大幅な縮小を経験した米国においてはインフレの克服が最大の課題とされている。

ニクソン政権は70億ドル以上の才出削減,付加税延長,公定歩合の引上げ(1929年以来の最高の6%)および通貨供給量の抑制と財政金融を通ずる引締め措置を実施し,景気の鎮静とインフレの克服に努めた。これらの 政策を反映して,昨年夏以降鉱工業生産指数は低下を続け,GNPの実質成長率も第4・四半期にはわずかながらもマイナスを示すに至った。このように生産と需要の減少から景気停滞色が強まったことから本年に入り,若干の金融緩和策がとられており,これに応じて大手商業銀行もプライムレートを引下げ,金利は一般に微落傾向にある。賃金,物価の上昇はいまだ続いており,卸売物価および消費者物価はともに18年ぶりの大幅上昇を記録し,賃上げ幅は生産性の向上を大きく上まわっている。

他方米国の国際収支は,対外投資,海外軍事支出,経済協力等の要因から従来経常的な赤字を示している。また,69年の貿易収支黒字は前年にひきつづき約12億ドルの小額にとどまり,総合収支(流動性ベース)では70億ドルというかつてない大幅な赤字を示すに至っている。これに対して,国内金融の逼迫を背景とするユーロ・ダラーのとり入れが急増したため,海外におけるドル価値は一応の安定を示しているが,かかる国際収支構造は決して健全な姿ではない。

しかし,マルク切上げの実現によるドル価値の相対的安定,金問題についての合意成立に加え,将来の貿易収支改善に対する期待感もあり,当面情勢は一応落着いており,今後ともニクソン政権によるインフレ克服の努力を見守っている情況であろう。

(2)英  国

1967年のポンド切下げの後も不調を続け,68年には7億ポンド近い赤字を示して一時はポンド再切下げの懸念を招く原因となった英国貿易収支の動向は,昨年4月の大幅赤字をピークに漸次改善に向い,8月以降は黒字基調に転ずるに至った。ポンド切下げとその後における各種引締め政策がようやく効果を現わしてきたものとみるべきであろう。

事実財政面では69年度にはいわゆる超均衡予算が組まれており法人税等の増税が行われたほか,金融面においても一旦7%に引下げられていた公定歩合が再び8%に引上げられ,またIMFに対しては国内信用増加の規制を約束した。

この間5月のマルク投機に際しては,英国から7億ドルを超える投機資金が流出したといわれ,6月にはIMFから,10億ドルのスタンド・バイ・クレディットの供与をうけるなど国際収支の窮状が続いた。しかしながら 8月のフラン切下げに際しては,懸念されたポンド不安の表面化は回避され,その後10月のマルク切上げ以降はドイツからの短期資金の還流もあって英国の対外ポジションは改善に向い金外貨準備も微増傾向にあり,公定歩合も,3月5日,7.5%に引下げた。しかし1969年末以降再び活発化した賃上げ要求や,価格引上げの動きが今後賃金・物価のスパイラルを再現する場合にはようやく回復した英経済を再び危うくするものとして懸念されている。

(3)ドイツ

貿易収支は67年および68年と2年続けて大幅な黒字を記録した。このため68年11月にはマルク切上げを見込んだ大量の投機を招き,ボン会議において主要諸国がマルク切上げを強く希望したが,独政府はこれをしりぞけてマルク平価を据置くとともに,輸出抑制,輸入促進を目的とした4%の国境税調整幅の変更を行った。

かかる措置にもかかわらず,1969年春以降輸出は再び拡大に転じ,輸出産業を中心とした景気の拡大は,投資ブーム,更には消費ブームを招くに至った。他方,他の諸国に比し相対的に安定していた物価もかなりの上昇を示し,独当局の景気抑制策にも拘わらず経済は過熱の様相を呈しはじめた。このため,社会民主党(SPD)出身のシラー経済相やドイツ連邦銀行筋は,物価の安定と,経済の均衡ある発展を確保するためにはマルク切上げ以外に方策がないとの立場にかわったが,これに対しキリスト教民主同盟(CDU)はマルク切上げによっても国際通貨不安は解消せず,しかも切上げは一部農民を過激派に追込むおそれが大きいとして反対の態度を続けた。殊に,5月には大規模なマルク投機が発生,ドイツ当局の態度が注目を集めたが5月9日開催された特別閣議において結局CDUの反対論がSPDの切上げ論を押切った形となった。その後9月28日の総選挙の後SPDを主体とする新政権の成立が確実視されるに及び,投機資金の殺到を回避するためマルク相場は自由変動に委ねられることとなり,10月22日成立したブラント内閣は同24日旧平価を9.3%上回るマルク新平価を決定した。

なお,変動相場制への移行が行なわれた9月末以降,投機的短資の急激な流出が続き,1969年年末までの間にドイツの外貨準備は50億ドル以上の減少を示しており,当局は手元流動性調達のためIMFスーパー・ゴールド・トンシュの引出し,対米金売却のほかGAB債権のとりくずし,米国中期債の事前償還等の措置をとっている。貿易収支面では,依然かなりの輸出超過を続けており,切上げの効果があらわれるまでにはなお,しばらくの期間が必要とみられている。

マルク切上げの最大の目的である物価の安定に関しては,1970年に入りマルク切上げを背景として輸出受注が減少したため,同年需要は消費需要を除き増勢鈍化の傾向にあるが,賃金の大幅な上昇を背景としたコスト上昇と旺盛な消費需要から物価の増勢は衰えず,ドイツ連邦銀行は3月下旬に公定歩合を6%から7.5%へ大幅に引上げた。しかしながら,かかる大幅な金融引締めがかえって輸出の増加に結びつき再び貿易収支の黒字幅拡大と調整インフレの悪循環をもたらす可能性なしとしない。

(4)フ ラ ン ス

68年5月の政情不安以降,資本逃避により外貨準備は急減し,更に5月危機の収拾策として実施された賃上げはインフレを促すこととなり,68年秋から69年にかけて物価は急激な上昇に転じ,その結果,69年に入ってからは貿易収支の大幅赤字が続いた。この間厳重な為替制限にもかかわらず数次にわたる為替投機が行なわれた。68年11月の欧州通貨不安がドゴール大統領のフラン切下げ拒否により一応終息したあとも,69年3月のゼネストに伴う為替不安を経て,4月末の国民投票とドゴール大統領の退陣の前後にはかなりの資本逃避が起った。総選挙の結果,6月に成立したポンピドウー新政権は,夏期休暇で情勢が比較的平静を示した8月を選んで,11.1%の平価切下げを断行した。これは5月危機以来の物価上昇を相殺し,フランの名目価値を実質価値に鞘寄せするため不可避の措置であった。その後9月には労働攻勢が激化,また一旦増加した外貨準備が再び減少を示すなど情勢は必ずしも安定せず,一部ではフラン再切下げの噂も流れた。しかしながら10月のマルク切上げ以後はドイツからの短資の環流,貿易収支の均衡回復と事態は改善に向っており,平価切下げと引き締め政策が漸進的に効果をあらわしたものと評価されている。

 

3.金問題

 

 1968年の二重価格制の導入以後自由市場における金価格は,公定価格たる1オンス35ドルをかなり上回る水準で推移してきたが,1968年暮から1969年春にかけて,ニクソン政権の金政策に対する期待感や,欧州通貨の不安定を反映してさらに上昇を続け,43ドル台の高水準を示した。しかるに1969年の中頃から従来自由市場への金売却を停止してきた南アフリカも,外貨準備が逼迫してきたことから,次第に金供給を増加するに至り,欧州各市場における金価格は次第に低下傾向を示しはじめた。殊にSDR発動の決定およびマルク切上げによる欧州通貨不安の鎮静のあと金価格は急激な下落を見せ,公定平価35ドルの前後を上下する状況となった。

 他方,近く実施されるIMF増資払込みに際して各国通貨当局は一定量の金を必要とすることとなるが,他の供給ルートが断たれている場合各国は米当局に対し,ドルの金兌換を求めてくるおそれもあることから,従来南ア新産金のIMFや各国通貨当局による購入についてかたくなな態度を持して来た米国にとっても,南ア新産金のIMFへの売却の道を開く必要が生じてきたものと見られている。このような情勢の中にあって,米国,南ア間の話し合いは急速に進展し,69年12月末に至り,市場価格が35ドルまたはそれ以下に下った場合など一定の場合に南アのIMFに対する金売却を認めるとの正式合意がIMF加盟国間で成立した。

 一時国際金融界の注目を集めた公的金価格の引上げは結局実現しなかったが,他方において,「金廃貨」論も影をひそめた結果となった。従って,SDRの発動にもかかわらず,国際通貨体制のなかにおいて金は今後とも重要な役割りを果していくものと考えられる。

 

4.SDRの発動とIMF増資

 

(1)SDRの発動

国際流動性問題の対処策として新たに創設されたSDR(IMF特別引出権)は,70年1月から発動された。

戦後の世界貿易の急速な拡大に比して,国際流動性の伸び悩みが指摘されてきたが,IMFは,特別引出権制度の創設により,これに対処することとし,68年5月総務会決定をもって,SDR創設を主眼とするIMF協定改正案が確定,その後各国の受諾手続きが進められた。その結果,69年7 月28日協定改正が発効,また特別引出権勘定成立のための要件も8月6日に充足された。SDRの発動時期および期間,配分総額等については米国が早期,大量かつ長期間の発動を主張したのに対し,欧州大陸諸国は,よ19り慎重な立場をとり,7月末の十ヵ国蔵相代理会議において妥協が成立,70年1月から3ヵ年間にわたり合計95億ドル相当分(第1年目に35億ドル,第2および第3年目にそれぞれ30億ドル)のSDRを配分することにつき実質的合意をみた。9月末から開催されたIMF総会の最終日の10月3日, SDRの発動が正式に決定され,その後本年1月1日に至り,第1回分として約35億ドル相当分のSDRが参加104ヵ国に配分された。

新しい準備資産あるいは「第三の通貨」として注目を集めた特別引出権制度が将来の国際通貨体制のなかで,どういう役割を果し,いかなる評価を受けるかは,かかって今後の運用いかんにあり,殊にSDRが恒常的赤字国に対する外貨のファイナンスの手段にとどまるか,それとも世界経済全体の利益に資するような形で使用されるかが注目されるところであろう。1970年3月末日現在,SDRを使用した国は,フィリピン,アラブ連合などいずれも国際収支の困難に悩む発展途上国であり(ただし英国は少 額ながらIMFに対する手数料をSDRで支払っている),引受国は先進諸国である。

(2)IMF増資

一方IMFの増資については,1969年秋のIMF総会決議に基づき,IMFにおいて検討が続けられて来たが,12月24日の理事会決定をもって,現在の各国出資総額212億ドル余に加え,合計約76億ドルの増資を行なうことを内容とするIMF案が確定,2月9日85%以上の賛成を得て承認された。この新出資額は各加盟国の同意を経て発効する予定である。今回の増資はすべての加盟国に一率の一般増資と,各国の総合的な経済力の推移に照らして調達される特別増資を組み合わせたものであり,特別増資の効果として加盟国のIMF出資比率に変化が生じることとなる。

IMF理事会においては,出資比率で上位の5ヵ国が単独で理事を任命することとなっているが,今回増資の結果,日本の出資比率が増加するため,従来のインドに替わって任命理事国(常任理事国)となることが予定されている。

 

5.IMF年次協議とわが国経済政策

 

 日本経済の規模の拡大とともに,わが国の内外経済政策に対する海外の関心が強まりつつあるが,殊に日本の対外経済政策については,ガット,OECD,IMF等の場で諸外国の強い意見が表明されている。1969年秋のIMF総会において,ケネディ米財務長官がその演説において,暗に日本の輸入制限や輸出振興策を指摘し,これに批判を加えたことは,記憶に新らしいところである。更に1969年11月に来日したIMF調査団は,2週間にわたる対日年次協議のあとで,日本の国際金融協力の努力を歓迎すると述べる一方,貿易および為替面での自由化の促進を強く要望するとともに,金利および税制面での輸出振興策の再検討を望むとのコメントを行った。

 

6.為替平価制度改革の検討

 

 現行の固定為替制度は,第二次大戦後の国際通貨体制の基本的原則の一つを成すものである。しかるに近年の国際通貨不安が慢性化し,恒常的な黒字国と赤字国の区別を生ずることとなっているのは,各国間の不均衡が本来は当然各国通貨の間の為替レートの変更によって調整さるべきであるにもかかわらず,この平価調整が政治的理由によって行なわれないことによるものであることから,近年平価制度の弾力化を唱える声が強まっていた。とくに1968年11月の欧州通貨危機以来,独マルクの切上げが再三にわたり独政府により拒否されるに及び,かかる認識は急速に高まった。そして従来主として学者の間の議論にすぎなかった為替制度改革論は,68年に入ってからは,IMFや米国等一部の当局においても検討されるようになり,いわゆるクローリング・ペッグ方式,為替変動幅の拡大等種々の改革案が議論されるに至った。

 1969年秋のIMF総会では,各国とも為替制度の問題に言及しているが,一般的にその態度は抽象的かつ慎重であり,為替制度の何らかの弾力化の必要は認めつつも,現行の平価制度の基本は維持すべしとの慎重論が強かった。IMFにおいては,その後も理事会を中心とする為替制度弾力化の検討は続けられており,本年夏頃までには何らかの結論が出される予定である。また米当局内部においてもひきつづきこの問題に関心が払われている模様であり,為替レートの上方への変動のみを可能にするいわゆるクローリング・アッフ方式の長所を示唆している。一方,69年のIMF年報が,「為替レートの現実的な水準における安定は国際貿易の均衡のとれた発展の鍵である」と指摘していることにかんがみれば,今後何らかの国際的結論が出される場合にも現行制度を基礎としつつ,ある程度その弾力化を図るという線にとどまるものとみられる。しかしながら為替制度に関する議論は一般論の形をとりつつ も,その対象が主として黒字国に向けられることが多く,今後は特に日本の国際収支黒字との関連で論議される可能性が強いことに留意すべきであろう。

 

 

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