-中近東地域-

 

第8節 中 近 東 地 域

 

 

1.概   観

 

 わが国は中近東諸国と伝統的に良好な関係を維持してきたが,最近は経済面を中心として中近東諸国との関係はますます緊密化している。

 中近東地域は,従来からわが国産業と国民生活に不可欠な石油の主要供給源であったが,特に最近は,単に石油の輸入にとどまらず,わが国企業がこの地域に進出して採掘権を獲得する事例がふえてきた。また銅や燐鉱石等の鉱物資源の開発への参加の可能性も探求されている。他方,わが国の対中近東貿易額は,1969年で輸出6億2,900万ドル,輸入19億8,900万ドル(対前年比輸出7.6%,輸入9.4%増)で毎年おおむね順調に伸びており,中近東地域はわが国工業製品の輸出市場としてもその重要性を高めつつある。

 更に最近は中近東諸国からの経済技術協力要請が強くなってきているが,これはわが国の政治的立場および経済力に対する高い評価に基づくものと考えられる。わが国としても中近東諸国との相対的重要性の高まりにかんがみ,これら諸国からの要請にできるだけこたえることにより,中近東地域の経済発展に寄与しつつ友好関係のよりいっそうの増進に努めるべきであろう。

 

2.中東石油の重要性とわが国石油企業の進出

 

 わが国は必要とする原油の99.4%を海外からの輸入に依存しているが,中近東地域からは,1969年度において,わが国石油総輸入量の88.8%に当る1億4.861万キロリットルの原油を輸入した。このようにわが国の中近東原油依存度は非常に高く,わが国としては石油の安定的供給を確保するために,この地域の政治的安定と経済開発に多大の関心を寄せている。

 わが国の石油政策は,原油の低廉安定供給確保にあり,この観点から,最近は原油供給源の自主的な確保およびその分散化に努めているが,中近東地域においても,1958年にクウェイト,サウディ・アラビア間中立地帯沖合に石油開発利権を獲得したアラビア石油に次いで,最近は民族系石油資本が活発に進出している。

 すなわち,1968年にアブダビ石油と中東石油は,アブ・ダビの沖合および陸上に石油開発利権を獲得(1970年1月中東石油は陸上に追加利権鉱区を獲得した),アブダビ石油は,1969年に第1号井,1970年1月に第2号井でそれぞれ石油発見に成功,1972年末までに原油輸入の開始を予定している。また,1969年4月に発足したカタール石油は,カタール沖合利権区域で近く探鉱を開始する予定であり,更に69年11月北スマトラ石油も,アラブ連合との間でスエズ湾岸の石油開発に関する仮協定を締結した。このように中近東地域はわが国の石油供給源として,今後ともますます重要性を増してくるものと思われる。

 

3.イランとの経済関係

 

 流動的で不安定要素の多い中近東にあって,イランは国内政情の安定と高度の経済成長を背景に安定勢力としての地歩を固め,その躍進振りにはめざましいものがある。

 イランは自由主義陣営に属し,国連中心主義をとっており,わが国の立場と共通点が多いのみならず,近年人的交流,貿易の拡大,企業の進出,経済技術協力の強化等を通じて両国間の親善関係は一段と緊密化しているが,特に両国間の経済関係は躍進的な伸びを示している。1969年には3月モタメディ郵電次官,4月ザヘディ外相がそれぞれ来日した。また,同年7月には,日イ貿易協定の1ヵ年延長につき両国間の合意が成立したが,1969年のわが国の対イ輸出額は1億5,840万ドルに達した。

 日イ経済関係について注目される諸点は次のとおりである。

 第1に,イランは中近東アフリカ地域におけるわが国最大の輸出市場であり,同国の野心的な第4次経済開発5ヵ年計画の遂行に伴い,今後ともひきつづきわが資本財等の絶好の輸出市場となりうるものとみられる。第2に,イランはわが国に対する最大の原油供給国として,わが国原油輸入量の41%を供給(1969年1~12月間の輸入額は8億353万ドル)しているが,イランからみても,日本は同国輸出原油の28%を輸入し,最大の顧客となっている。第3に,原油の輸入を加えると両国の貿易関係は,わが方の一方的入超となっているにもかかわらず,イラン側は国際石油財団の輸出する石油を両国の貿易バランスに加算せず,わが方が出超であるとしているため,わが国は貿易アンバランス是正のため,輸出入調整措置を講ぜざるをえず,割高な一次産品の輸入に対しいわゆるコンペ制を実施している。

 政府ベースの経済協力でも同国との間に経済技術協力協定,中小企業訓練センター設置協定,円借款協定等があるほか,研修員の受け入れ,専門家の派遣等において中近東第1の実績をあげている。他方,民間部門でも広い分野で技術協力,企業提携等が活発に行なわれている。

 

4.トルコとの経済協力

 

 トルコは1967年末ほぼ目標どおり平均6.6%の成長率を達成して,第1次開発計画を終了し,その翌年より始まった第2次計画においても,種々の大型プロジェクトを盛り込んで意欲的に経済開発を進めている。

 日土間の資金協力については,第1次五ヵ年計画が始まった1963年頃よりトルコ側よりわが国に対し積極的なアプローチがあったが,1967年4月に至り,アクス製紙工場建設のため,据置5年を含む17年,年利5.5%の条件で1,570万ドルの延払輸出を行う契約が成立し,わが国の,対土資金協力の最初の実績が作られた。さらに,わが国は昨年欧亜両大陸を結ぶボスフォラス架橋プロジェクトに対してわが国企業が落札した場合3,000万ドルの借款を据置5年を含む20年,年利4.5%の条件で供与することを約したが,わが国企業が 同吊橋建設の国際入札において,落札に失敗した。

 また,1970年3月にはトルコ政府の招待により,日土民間協力の可能性を調査するため経団連より対トルコ民間経済ミッションが派遣された。

 

5.スーダンに対する経済協力

 

 スーダン政府は1966年はじめ,同国のエル・スーキー農業灌漑計画に対するわが国の経済協力を要請越した。

 スーダンは元来,綿花生産を主体とした農業国で,政府はナイル河水利による農地開発に鋭意努力している。エル・スーキー計画は青ナイル河水をエル・スーキー地区でポンプ揚水し,約11.3万工一カーの灌漑地を造成して,綿花,落花生,ソルガム(ドゥラ)を生産せんとする計画である。

 この計画に対し,わが国はスーダン政府の強い援助要請,プロジェクトの適格性および綿花等の開発輸入の促進などを勘案して,輸銀ベースによる民間延払い輸出を認めることとし,1969年10月,スーダンの経済企画大臣が非公式にわが国を訪問した際,総額1,100万ドルの延払いについて原則的に合意をみた。目下,わが国商社とスーダン政府との間で本契約締結のための細目交渉が行なわれている。

 

6.アラブ連合に対する債権繰延

 

 わが国は1958年はアラブ連合に対し,3,000万ドルの民間延払輸出枠を供与し,さらに65年に1,000万ドルの追加枠を供与したが,1966年末,アラブ連合は国際収支の困難を理由に,わが国民間債権の支払繰延べ方を要請越した。

 以来,両国政府間でこのための交渉を行ってきたが,1969年6月6日に至り,わが国は1969年4月30日までに弁済期限の到来した延払い期間1年以上の民間債権の元本約1,800万ドルについて,(1)1970年1月より1974年10月までの四半期毎の分割返済を認め,(2)そのための繰延利子を6%ととし,(3)繰延利子の支払いは,1969年7月より1974年10月までの四半期毎の分割払いとすることに合意し,カイロで右取決めに調印した。

 その後,右協定実施のための細目交渉が行なわれていたが,アラブ連合は1970年1月より,対日債務の支払いを開始した。一方,アラブ連合は1970年2月以来,新規延払輸出信用の供与を要請越していたが,わが国としてもアラブ連合との貿易振興上の見地から,6ヶ月毎の返済総額を限度として,アラブ連合に対する中期延払輸出の再開にふみきった。

 

7.イラクの対日輸入制限

 

 イラクは極端な片貿易(イラク側は国際石油資本による石油輸出は貿易収支から除外しているため石油を除くと従来よりわが方の一方的出超となっている)および日本側のデーツ買付状況に対する不満から1969年1月より消費財,2月より生産財に対する対日輸入ライセンスの発給停止措置を実施している。わが国政府および関係業界は,種々対策を検討し,輸入制限措置の早期撤廃に努力してきたが,この問題はいまだに解決をみていず,1969年度のわが国の対イラク輸出は2,500万ドルで大幅に減少した(対前年比40%減少)。

中近東地域要人来訪一覧表

 

 

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