-西欧地域-

 

第5節 西 欧 地 域

 

 

1.概   説

 

 戦後20数年を経た現在,西欧は第2次大戦の痛手を克服し,いまや世界秩序の重要な柱となりつつある。西欧各国は,底力のある経済発展をとげ,古くからの伝統に支えられながらつねに新しくよみがえる文明を背景に,EECの設立と完成という歴史的大事業をなしとげつつある。EECは近く英国などの加盟交渉を契機とするEFTA諸国との関係の調整を通じ,政治経済関係で,より強く結ばれたダイナミックな「西欧圏」の成立の方向に動いている。

 わが国は,明治以来長年にわたり西欧と緊密な関係を保っており,学問,芸術をはじめとする文化的連帯性は,西欧を遠い距離をこえた身近なものとしてわれわれに感じさせ,また,最近の人的および物的交流の増大により,両地域の相互理解は一段と深まっている。近年,西欧諸国との間で行なわれている定期協議(日仏,日独,日英間など)は,両国の関心ある諸問題につき,両国首脳が広く意見交換を行なう場であり,こうした相互理解を深めるのに大いに役立っている。わが国と西欧との経済関係については,近年輸出入とも着実に増大していることが注目される。(1969年のわが国の対西欧貿易は,輸出20.6億ドル-うち,EEC9.7億ドル,EFTA7.2億ドル-,輸入14.9億ドル-うちEEC8.2億ドル,EFTA6.1億ドル-と,前年に比べて,24.4%および14.7%それぞれ拡大した)。また,米国と並んで自由経済圏の主要地域である西欧諸国との資本提携,人事交流など貿易以外の面でも協力関係が盛んになりつつある。

 西欧諸国の政治的経済的重要性が増大し,またわが国の国際的地位が向上するのに伴って,両者間に政治,経済,文化などあらゆる分野での交流を通ずる協力関係が,今後いっそう強化されるよう努力する必要があろう。

 

2.要人訪日および定期協議

 

(1)第7回日英定期協議

第7回日英定期協議は,1969年5月1日,2日の両日ロンドンで,愛知外務大臣とスチュアート外務英連邦相の間で行なわれた。またその際,国際問題等広汎な問題について事務レベルの協議も行なわれた。

両大臣は,国際問題,特にアジアにおける経済発展,地域協力問題,英国と欧州共同体との関係を含む欧州情勢,東西関係等について意見の交換を行ない,数多くの問題について両国の見解が極めて類似していること,本協議が,相互に関心を有する諸問題の進展に寄与したことを認めた。

愛知外務大臣は,またウィルソン首相を訪問し会談したほか,クロスランド商務大臣とも会談し,日英通商関係に影響を及ぼす多くの問題について討議を行ない,両国間の貿易が引き続いて拡大していること,今後の発展に対する残存障壁の撤廃の面についても大きな進歩が見られていることを,満足の意をもって認めた。

(2)キージンガー・ドイツ首相の訪日

キージンガー・ドイツ連邦共和国首相は,日本国政府の招待により,1969年5月17日から21日まで5日間,夫人並びにドウツクヴィッツ外務次官,ディール新聞情報局長官等の政府高官を伴い,日本を公式訪問した。今回のキージンガー訪日は,ドイツ連邦共和国首相の日本訪問としては,1960年春のアデナウアー首相訪日に続き2度目のものである。

キージンガー首相の訪日は,両国間の理解と親善を深め,相互間の協力関係を拡大するのに極めて大きな貢献をなすものであった。 訪日中,キージンガー首相は,佐藤総理と会談し,アジア情勢,軍縮問題,欧州情勢など世界情勢全般について詳細にわたる意見の交換を行なうとともに,両国間の経済関係,文化交流について協議し,両国首相の間に広汎な意見の一致が見られた。

(3)第7回日仏定期協議

シューマン仏外相は,夫人並びにフロマン・ムーリス・アジア局長らとともに1969年10月,第7回日仏定期協議のため訪日した。同23,24日の愛知・シューマン両外相会談においては,国際情勢,主としてヨーロッパおよびアジアの情勢ならびに,日仏両国間の協力関係について活発な意見の交換が行なわれた。協議の結果,両国外相はとくに日本,フランス両国間の協力関係をあらゆる分野にわたって更に発展させていくこと,ヴィエトナム紛争が1日も早く平和的に解決されることを希望すること,および戦後のヴィエトナムをはじめアジアの復興開発のために,両国が応分の努力を行なうことについて意見が一致した。

 

3.航空協議

 

(1)第4.5回日・北欧三国航空協議

わが国と北欧三国(デンマーク,ノルウェー,スウェーデン)との第4回政府航空協議は,1969年5月27日から6月4日まで東京で行なわれ,シベリア経由の日・北欧連絡の問題が話合われた。第5回協議は,1970年1月12日から同22日まで東京で行なわれた。この協議の結果,わが国はシベリア経由でスカンジナヴィアおよび以遠の路線を得,北欧側は,シベリア経由で東京への路線を得た。また北欧側は,1971年3月28日以後,または日本側がシベリア経由で,北欧に乗り入れる時間の何れか早い時点で,上記路線を運航できることになった。日本側が乗り入れるまでは,北欧側の運輸権はモスクワにおけるStop-Over権のみに制限され,また,便数は日・北欧側,それぞれ週2便で,北極路線の便数から振り替えることになっている。

(2)日伊航空当局間協議

日伊航空当局間協議は,伊側の申入れに基づき,1969年9月8日より13日まで,日本側榎本運輸省航空局審議官,伊側サンティー二航空省航空局長を団長として東京で開催された。その結果,日本側は日航南廻り第4便目およびローマ以遠の運輸権を獲得し,また伊側との間に北極路線を交換した。

 

4.西欧諸国との貿易交渉

 

 1969年度も,わが国と西欧諸国との間に数々の貿易交渉を行ない(EEC諸国とは,1970年の対外共通通商政策の成立を前にして,最後の2国間交渉となった),対日待遇も改善されたが,依然西欧諸国の中には,日本商品に対する警戒心などから,対日差別輸入制限を行なっている国が多いのが現状である。西欧諸国との貿易拡大のみならず,国際的に正常な関係を確立するという見地から,今後も引き続き対日差別撤廃に努める必要があろう。

 1969年の貿易交渉を中心とするわが国と西欧諸国との経済関係は次のとおりである。

(1)日伊貿易交渉

第8次日伊混合委員会は,日本側鈴木経済局参事官,イタリア側デ・ミケリス外務省公使を双方の首席代表として,1969年9月29日からローマにおいて開催され,同12月31日両代表の間で合意議事録の仮署名が行なわれた。

1969年12月29日にイタリア政府は,合成繊維の1部,電子測定器,カメラ,ファスナー等19品目の対日自由化を行なった。その結果,1970年1月現在におけるイタリアの対日輸入差別品目は,45に縮小した。

(2)日仏貿易交渉

日仏通商協定に基づく第6回日仏貿易年次協議は,1969年11月よりパリにおいて開始され,1970年2月9日,日仏貿易に関する会談録の署名が行なわれた。

その後フランスは対日追加自由化を行ない,対日差別工業品目の数は27品目に縮小された。

(3)日独貿易交渉

1960年7月1日に署名された日独貿易協定に基づいて,1969年9月,日独両国間の貿易に関する協議がボンにおいて行なわれ,両国の輸入割当枠の増大など,両国間の貿易拡大に関する取決めが,1969年10月21日ボンにおいて署名された。

(4)日・ベネルックス貿易交渉

1969年の貿易交渉は,同年3,4の両月ヘーグにおいて行なわれ,同年7月ヘーグで貿易取決めに署名が行なわれた。その結果,両国は相互に若干品目の輸入を自由化した。

(5)日英貿易交渉

1962年に締結された日英通商航海条約に基づき,日英間の相互の貿易拡大を目的として,1969年6月からロンドンにおいて長期自由化交渉が開かれており,1970年1月現在,引き続き協議が行なわれている。なお,本交渉に並行して年次交渉も行なわれ,1970年1月1日以降同12月末日までについての若干品目の増枠が合意された。

(6)日本・オーストリア貿易交渉

1970年度の日本とオーストリアの問の貿易取決めについては,両国政府代表がウィーンにおいて交渉を行なった結果,1968年12月24日署名された取決めを同取決め付属のオーストリアの対日輸入リストとともに,1970年6月30日まで引き続き適用することにつき合意をみ,1969年12月23日その旨の書簡が交換された。

(7)日本・ノルウエー貿易交渉

ノルゥェーとの貿易関係については,1962年の書簡交換以後,毎年交渉が行なわれ,対日待遇は漸次改善されてきた。1970年も,1月19日より27日まで東京で行なわれ,その結果,繊維製品など4品目の対日輸入を自由化し,その他若干の増枠を行なうことになり,対日輸入差別品目は45(綿製品取決めによる対日制限品目を除く)に減少した。

(8)日本・スペイン貿易交渉

1968年12月末日をもって失効する貿易協定の延長のため,同年11月より交渉を行なっていたが,スペイン側が貿易のアンバランスを改善するため日本側の適切な措置を強く要求したため長びき,1969年4月16日に至り,旧協定の規定をさらに1969年1月1日以降同12月末日までの期間適用する旨の取決めを交換公文の形で行なった。さらに1970年1月1日以降同年12月31日までの期間についての取決めにつき,1969年11月より交渉に入り,同12月23日交換公文の形で右についての合意を行なった。

(9)日本・ギリシャ貿易交渉

1968年9月末日をもって失効する貿易取決めの延長のため,同年8月より交渉に入ったが,ギリシャ側が両国間貿易の大幅なアンバランスを改善するための措置を強く要求したため交渉が長びき,1969年6月24日に至り旧取決めの延長を内容とする新しい取決めを書簡交換の形で行なった。同取決めは1968年10月1日より1969年9月30日までの期間につき適用されるものであったため,1969年10月1日以降の取決めのための交渉を,1969年9月より開始し,11月7日付をもって1960年10月1日以降1970年9月30日までを有効期間とする取決めを書簡交換の形で行なった。

(10)その他

(イ)英国フェア

1969年9月26日より10月5日までの間,英国商務省およで在京英国大使館の主催により,英国マーガレット王女およびスノードン卿ご参加のもとで東京で,「英国フエア」(BritishWeek)が開催された。本フェアは,各種の催し物を通じて日英両国の親善および貿易関係を増進することを目的として行なわれ,わが国もその意義にかんがみ,できる限り協力を行ない成功裡に終了した。

なお,最近の英国との貿易は,年々増加の傾向を続けており,また以上のように両国の財界,業界相互間の交流が盛んであるが,政府としては,貿易関係のみならず,かかる交流を通じて両国の相互信頼関係を確立することが望ましいと考えている。

(ロ)デンマークの輸入制度改正

デンマークは,1960年末同国の対日輸入制度を改正し,1970年1月1日以降,従来の対日個別ライセンス制を廃し,原則としてわが国を自由化適用地域に加えることとなった。これにより日本からの直接輸入については,対日個別ライセンス制10品目(枠は設定されず,実害ない限り自由に輸入ライセンスが発給される)およびグローバルに適用される既存の非自由化品目を除いては,すべて自由化されることとなった。

 

5.欧州経済共同体(EEC)との関係

 

 1970年2月中旬,EECのドニオ通商担当委員が来日し,従来のわが国とEEC各加盟国との間の2国間通商協定に代わるべき日本と共同体との間の通商協定締結の可能性を打診するための予備折衝を行った。

 EECは,1970年以降各加盟国の第3国との通商関係を一律の原則に従って調整することとなっており,また第3国との交渉は,委員会が理事会の承認をえて行うこととなっている(ローマ条約第113条)。従って第3国との通商協定は,漸次共同体を当事者とする協定に切り替えることが要請されている。EECがかかる共同体交渉の意向を示したのは,先進工業国の中ではわが国との場合が最初である。(もっとも関税交渉は以前から委員会に授権されていたので,1963~67年のケネディー・ラウンドにおいてわが国も委員会と交渉した。)他方,EECは農水産物について共同市場を完成しつつあるが,その機構には保護主義的な輸入制度を伴っている面もあること,またEECが 後進諸国との連合協定締結により,地域的な特恵,逆特恵を新設するなどの動きに出ていること等は,世界貿易上の大きな問題となりつつあり,わが国としても大きな関心を抱かざるを得ない。わが国とEECとの間には,従来石炭鉄鋼共同体との間の事務的な定期協議を除いて,高いレベルにおける定期的協議の場がなく,相互の意志疎通が必ずしも十全と云えない面もあったが,上記のとおり日・EEC関係の進展と,EECをめぐる国際経済上の動きの活発化に伴い,相互に定期的協議機構を設けて意見を交換したり,あるいは多数国間会議の場等において接触を密にして行く必要が予見される。

 1969年および70年2月までの対EEC関係の主要点は次のとおりであった。

(1)日・EEC通商協定予備折衝

冒頭にもふれたこの予備折衝は,ドニオ委員の来日を機に,1970年2月11日から18日まで行われた。これは,その後の予想される本格的な交渉への瀬踏みであり,双方の忌憚なき意見が交換された。現在EEC各国の対日差別品目数は独22,仏42,伊45,ベネルックス27で共同体全体を通じて見れば85となる。差別品目としては,各国に共通して繊維品,陶磁器,軽機械等が多いが,各国間の差別制限上の格差も相当あるので,この格差をいかに調整しつつ対日自由化を進めて行くかが,EEC側にとって大きな問題となっている。また,仏,ベネルックスの2国は,わが国との間に2国間セーフガード条項を有しているが,独,伊はこれをもっていない。輸入制度を共通化しなければならないEECとしては,右共通化の促進のためにも,かつEEC諸国の中になお強く存在する日本製品の競争力に対する警戒心を除去して対日自由化を推進するためにも,共同体としてわが国との間にセーフガードを欲している。しかしわが国はセーフガードのごとき例外的措置の拡大,新設には反対であり,日・EEC関係はガットの規定により完全に規制されるべきことを主張しているので,この点をめぐって双方の間に意見の対立がある。

委員会は予備折衝の結果を70年4月初めまでに理事会に報告し,その後の段取りについて理事会の指令を仰ぐこととなっている。

なお,1969年におけるわが国の対EEC輸出は9.7億ドル,輸入は8.2億ドルで前年比伸び率は,それぞれ41%及び11%である。また総輸出入額にしめるシェアは,同じく6.1%および5.5%と小さいが,過去10年間わが国の対EEC貿易は着実に伸び,その伸び率は,他のいかなる地域とのそれをも大幅に上廻っている。

(2)綿製品協定

1969年6月わが国とEECとの間に,綿製品長期取決め第4条に基づく協定の締結につき基本的合意が成立し,8月から加盟各国との間で取決めの細目について2国間交渉が行われた結果,10月22日,日仏,日独,日伊,日ベネルックス間に綿製品の取引に関する協定が署名された。新協定は,日本側の輸出証明発給に対し,輸入国側が自動的に輸入許可を与えるという2重管理方式を採用し,69年10月1日から1年間適用される。

(3)共通農水産物政策

EECの共通農業は,一面保護主義的性格をもつものであるが,この結果,域内においては小麦,バター等の生産過剰を招き,また,域外の主要農産輸出国との関係では,油脂課税構想をめぐる米国との確執等種々の国際的問題を招来している。わが国にとって直接利害関係のある問題は,68年5月の水産物共通市場化案および69年5月の果実,野菜加工品規制並びに,68年12月の油脂課税構想に含まれる鯨油等に対する内国税課税問題である。いずれもその最低価格ないし課税の水準いかんによってはケネディー・ラウンドにおける譲許の効果を無効化する惧れもあり,わが国のみならず他の関係第3国も個々にEECに対し再検討方要請の申入れを行っている。わが国としても,水産物に関して68年10月に申し入れを行なうと共に,69年5月専門家をブラッセルに派遣して非公式協議を行った。油脂課税構想については,大量輸出に打撃を被るべき米国はもとより,アジア・ココナット共同体も強い懸念を有している。

(4)特恵間題

国連貿易開発会議(UNCTAD)の決議に基づいて検討が進められている発展途上国に対する一般特恵供与の問題については,EECは特定輸入枠内で無税特恵を与えるシーリング方式を提唱した。これに対し,米国は例外品目を除いて,無条件の無関税特恵を与える趣旨の提案を行なうとともに,既存特恵,逆特恵の当事国は受益国となりえないとの条件を付した。このため,特にEECが一方の当事者であるヤウンデ協定,対モロッコ,チュニジア連合協定による地域特恵が,あらためて問題視されるに至り,同時にかかる一連の特恵新設のガット規定との合法性がガットで検討されつつある。

(5)対米問題

米国における毛,化合繊維製品輸入規制の動き等保護主義的傾向は,わが国とEECとに共通する関心事であり,EECは日米繊維品交渉の推移を注視している。また,1969年1月,対米鉄鋼輸出自主規制について,わが国鉄鋼業界はEEC業界と協調して行動した経緯がある。

 

西欧地域要人来訪一覧表

 

 

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