-中南米地域-
第4節 中南米地域
わが国と中南米諸国との一般的政治関係は従来極めて良好であるが,近年わが国に対する中南米諸国の評価は非常に高くなっており,特に経済面でわが国に接近しようとする動きが見られる。1969年10月にはチリ外相が公賓として来日したほか,ブラジルその他の中南米諸国からも多数の来訪者があったが,この傾向は今後ますます強まるものと思われる。
他方キューバは他の中南米諸国とは政体を異にする国であるが,わが国とキューバとは,お互いに国内政治には干渉することなく友好関係を維持しており現在特に難かしい問題は存在しない。
一方わが国の対中南米貿易は,1969年度においては鉱石資源,繊維原料などの輸入により,前年に引き続きわが国の入超に終った。
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(1)日墨経済合同委員会第2回会議
日墨経済合同委員会第2回会議は,1969年5月15,16の両日メキシコ市において開催された。外務省森外務審議官を団長とするわが国代表団と,ガルシア・レイノーソ商工次官を団長とするメキシコ側代表団との間で,両国の経済情勢および,経済発展の見通し,両国間貿易,経済技術協力関係などの問題につき意見を交換し要望を行なった後,共同新聞発表を行なった。
(2)日伯経済合同委員会第2回会議
日伯経済合同委員会第2回会議が外務省鶴見経済局長を団長とするわが国代表国と,ブラジル外務省シルヴェイラ・ダ・モッタ東欧・アジア局長を団長とするブラジル代表団との間で,1969年5月21,22の両日,リオ・デ・ジァネイロで開催された。両国代表団は日伯貿易の上向きの傾向に満足の意を表するとともに,両国間貿易,経済技術協力関係などの問題につき,意見を交換し要望を行なった。
(3)第3回日亜経済合同委員会
第3回日亜経済合同委員会(定期的に毎年1回開催される民間ベースのものであるが,政府としても側面的援助を行なっている)が,1969年6月9日より11日までの3日間にわたり東京で開催された。アルゼンチン代表団はガルシア・ベルスンセ委員長の他,各業界の代表32名より構成され,足立日本商工会議所会頭を団長とする日本代表団との間で,両国経済貿易の現状について分析を行なった他,殻物,食肉,対日輸出雑品,対アルゼンチン輸出問題,羊毛,皮革,海上運賃などに関しても各専門分科にわかれ問題点の究明討議を行なった。
(1)対中南米貿易とその問題点
チリ,ペルーからの鉄,銅,鉛,亜鉛などの鉱石,ブラジルの鉄鉱石,メキシコの綿花が中南米からの主たる輸入資源であるがこれらは原材料としてわが国の経済発展に不可欠な産品であり,資源確保の意味からも中南米の輸入市場としての重要性は特筆すべきものがある。他方輸出について は,ここ2,3年順調な伸びがみられるが,将来は決して楽観を許さない。問題点としては次のようなものが考えられる。
(あ)国産化の進捗につれて輸入制限(主として消費財)が進むこと。
(い)自国産品を買ってくれる国から輸入するとの方針。
(う)資本財,プラント輸出の際のファイナンス条件について欧米諸国との競争の激化
(え)未知にもとづく日本産品に対する一般的不安感
(2)対ペルー債権繰り延べ
1968年9月にペルーの対外債務累積問題の解決に協力するためわが国を含む主要債権国の会議がロンドンで開催されペルーの商業上の債務の弁済期限の延長に関する原則が取りきめられた。わが国政府は上の原則にもとづき,その後ペルー政府との間に交渉を行ない,1969年7月取決め案文について合意をみたので,同月25日外務省において愛知外務大臣とモラレス経済財政大臣との間で書簡の交換を行なった。この取決めにより,わが国は1968年7月1日から1969年12月31日までに弁済期限の到来する商業上の債務の元本のうち,約632万米ドルを1970年6月30日から4年間にわたって分割返済することを容易ならしめるために,国内法令の範囲内で必要な措置をとることになった。なお1969年11月,第2次債権繰り延べのためのブラッセル債権国会議が開かれ1970年2月現在取決めのための二国間交渉が行われている。
(3)日墨通商協定の批准,発効
1969年1月30日東京において署名された「通商に関する日本国とメキシコ合衆国との間の協定」は同年12月19日批准書の交換を終え,1970年1月19日正式に発効した。同協定は関税,輸出入,為替などに関する事項について最恵国待遇を保証するものである。メキシコは,わが国にとり中南米最大の貿易相手国の一つであり,特に最大の輸出市場であるが,伝統的にわが国の入超なので,この傾向を是正して貿易を拡大均衡に向かわせるためにも,また近年緊密の度を加えている経済協力関係の強化のためにも,本協定発効が寄与するところ大なるものと期待される。
(1)パナマおよびカリブ海農業機械調査団派遣
東大農学部安田与七郎教授を団長とする一行6名からなる社団法人「国際建設技術協力会」派遣(外務省の依頼による)の農業機械調査団は,1969年5月中句より約1ヵ月,パナマ,ドミニカおよびジャマイカの三カ国を歴訪し,政府関係者との意見交換ならびに各国農場などの視察を通じ,これら諸国において中小規模農業機械化の可能性を調査し,多大の成果をあげて帰国した。
(2)ヴェネズエラ経済使節団の来日
マウリス・バレリー鉱山・石油次官を団長とし,ヴェネズエラ経済界の有力者を含めたヴェネズエラ官民合同経済使節団一行17名は1969年10月18日来日した。同使節団は一週間にわたり日本・ヴェネズエラ両国間の貿易関係増進のため,わが国政府および民間関係機関と懇談し,さらに製鉄,石油化学などの工場視察を行なった。
なお,両国間の経済金融および通商関係を改善し,かつ増進させるため両国共通の関心問題を討議する協議機関として合同委員会を設置することがヴェネズエラ側より提案され,右合同委員会の設置は、バレリー団長と森外務審議官との書簡交換により10月24日合意された。
南太平洋とオーストラリア近海およびその東方海域の漁場価値が低減しはじめた数年前より,わが国漁船は新漁場を求め,エクアドル,ペルー沖に進出しはじめたが,現在では年間100隻余りのわが国漁船が,同水域で操業を行なっている。他方エクアドル,ペルーはチリと共に1952年にいわゆるサンティアゴ宣言を採択しており,領海の幅員を200海里と定め,その主張する領海内での外国漁船の操業に対しては多額の登録料,許可料を徴収し,登録および許可証の取得を行なわない外国漁船を,武力により抑留し登録料許可料の数倍の罰金を課している。わが国漁船の中でも,1969年度中上記許可証を取得しないで操業中だ捕されたものが数隻あるが,いづれも罰金を支払った上釈放されている。
わが国としては,3海里を超える領海の主張を認めることはできず,従って沿岸より200海里にわたる海域における外国漁船操業に関する登録許可制度も認められないので,わが国漁船がだ捕された場合には遅滞なく抗議して釈放を求めている。
わが国とは,伝統的に友好関係にある中南米地域にあって,今年度の最も衝撃的事件は,1970年3月11日に発生した在サンパウロ大口総領事の左翼テロ団による拉致事件であった。中南米諸国では,ボリヴィアにおけるゲバラの死後,治安を攪乱し政府転覆を目的とするテロ活動が都市中心に頻発しているが,本事件も獄中にある同志を救出するために,同総領事を誘拐した政治犯罪であり,決してわが国政府,国民に対する敵意から出たものではなかった。本事件ではブラジル政府が人道的見地より誘拐犯人の要求する政治犯の釈放に応じたため,大口総領事は4日後無事帰還した。