-公海の漁業に関する諸問題-

 

第10節 公海の漁業に関する諸問題

 

 

1.国際捕鯨問題

 

(1)国際捕鯨委員会第21回会合

国際捕鯨委員会第21回会合は,国際捕鯨取締条約加盟国16ヵ国のうち12ヵ国,オブザーバー3ヵ国,国際機関6の参加の下に,1969年6月23日より27日までロンドンで開催されわが国からは国際捕鯨委員会の藤田議長以下の代表団が出席した。主要討議事項は次のとおりであった。

(イ)南氷洋における捕獲総頭数

1969/70年後期の南氷洋における母船式ひげ鯨の捕獲総頭数の決定は,各国の科学者による資源推定値に大きなへだたりがあったため問題の解決は容易ではなかったが,資源問題については,1970年早々に,科学者会議を開催して再検討することとし,結局昨年より500頭少ない2,700頭(白ながす鯨換算)とすることに満場一致の合意を見た。

(ロ)国際監視員制度

前回会合で行なわれた付表の修正により従来南氷洋の母船式捕鯨についてのみ交換されることになっていた国際監視員制度をすべての海域における母船式および陸上の鯨体処理場にも適用することとなった。今回会合においても各国ともこれに異議なく特に北太平洋母船式捕鯨国である日本およびソ連の間では1970年より実施することに原則的合意を見た。

(2)南氷洋国別割当会議

委員会の決定による1969/70年漁期の南氷洋における母船式総捕獲頭数を出漁国である日本,ソ連およびノルウェーの3国間で配分するための南氷洋捕鯨国会議は,委員会会合に引続いて開催された。総捕獲頭数の減少分は前漁期に出漁しなかったノルウェーの配分量を減少することとし,結局日本,ソ連は前年どおりそれぞれ1,493頭,976頭,ノルウェーは231頭とする本年度南氷洋捕鯨規制取決めに7月10日モスクワにおいて署名が行なわれ,同取決めは即日発効した。

(3)北太平洋捕鯨会議

北太平洋における捕鯨規制を討議するための日,米,加およびソ連による北太平洋捕鯨会議は回を重ね,ようやく前回委員会会合の会期中,4ヵ国委員の間でながす鯨の総捕獲頭数の決定等を合意した。(「わが外交の近況」第13号参照)その後日米加の3国は,それぞれ自主的に上記合意を遵守する旨を他の関係国に通報したが,ソ連のみは右合意のうち,いわし鯨の捕獲については,ソ連の観察による資源の状態にかんがみ,捕獲頭数を抑える用意があり,日本もこれに見合って実質的削減を行なうよう訴える旨のスハルチェンコ書簡を委員会議長および各国委員に送付して来た。そのため,上記合意を正式化するに至らず,今回会議において再び資源評価をめぐり論議が展開された。その結果(イ)母船式では,ながす鯨およびいわし鯨につき,日ソ双方とも1969年度枠の10%減の捕獲枠,また,まっこう鯨については1968年の両国の捕獲実績の10%減とする。(ロ)基地捕鯨枠については,各国とも1969年度枠を超えないこととする等の合意が得られ,この合意を実施するに必要な措置をとるようそれぞれ自国政府に勧告する こととなった。

 

2.北太平洋おっとせい委員会

 

 日本,米国,カナダおよびソ連の間で1957年採択された「北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約(「わが外交の近況」第1号参照)は,1964年に6年間延長されたが条約の規定により,さらに一定期間の延長が可能であった。

 条約により設置された北太平洋おっとせい委員会は,1968年の第11回年次会議において,おっとせいの海上猟獲が許容されるか否かの問題を最終的に決定するには,資料が不十分であるため,今後さらにこの問題の研究を継続するよう各当事国政府に対して勧告した。

 1969年2月東京で開催された第12回年次会議の際,各国政府とも,上記勧告を受入れることに異議がないことが明らかになったので,条約の寄託国である米国と他の当事国との間の書簡の交換により9月3日,条約延長に関する合意が発効した。

 

3.ソ連との漁業交渉

 

(1)日ソかに交渉

1968年2月6日ソ連は,かにが沿岸国(この場合ソ連を意味する)に,排他的な管轄権並びに管理,保護および開発の権利がある大陸棚資源であると発表し,それに伴い日本政府に対し,北西太平洋のかに漁業を,従来の日ソ漁業委員会から切り離し,別個に政府間取決めを締結するよう申入れて来た。わが国は大陸棚条約に加入しておらず,またかにが大陸棚資源であるとは認められないとの法的立場は維持しつつも,実際的解決をはかるため交渉に応ずることとした。

第1回交渉は,1969年2月6日から4月11日までモスクワで行なわれ,かに資源に対する日ソ双方の法的立場をたなあげにした上で,双方の1969年におけるかにの漁獲量を合意するに至り,4月18日,中川大使とイシコフ漁業相との間に書簡が交換され,合意議事録が署名された。

この取決めにより,1969年の北西太平洋におけるわが国のかにの漁獲量は,全体として従来の実績を若干下回ることとなったが,ほぼ全漁船の操業が確保された。

(2)日ソ漁業委員会第13回会議

北西太平洋日ソ漁業委員会第13回会議は1969年4月2日から東京において開催され,4月29日,日ソ双方の委員が合意議事録に署名して終了した。

その結果,1969年のさけ,ます年間総漁獲量はA区域59,750トン,B区域55,250トン(ただしB区域については10%以内の増減があり得る)と決定された。

 

4.北太平洋漁業国際委員会

 

 北太平洋漁業国際委員会第16回年次会議は,1969年11月3日から7日まで,カナダのヴァンクーヴァー市において開催された(これに先立ち10月20日から同じ場所で同委員会の生物学調査小委員会等が開催された。)

(1)本件会議における主たる討議事項は下記のとおりであった。

(あ)1953年に発効した「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」(日米加漁業条約)に基づいて日本が漁獲を抑止している西経175度以東の水域におけるさけ,ます,ベーリング海を除く水域における北米系のおひょうおよびカナダ沿岸の一部水域におけるカナダ系のにしんについて,これらの魚種が抑止のため必要とされている条件を引き続き備えているかどうかの検討

(い)東部ベーリング海のおひょうの共同保存措置の決定および締約国政府に対するその実施のための勧告

(う)アラスカ湾で日本が行なっている底引漁業が同水域のおひょう資源に及ぼす影響

(え)西径175度付近における北米系とアジア系さけ,ますの混交の状態

(お)東部ベーリング海のたらばがにおよびずわいがにの資源状態

(か)北東太平洋のおひょう以外の底魚の資源状態

(き)委員会の財政運営事項

(2)なお以上に加えて韓国漁船による北洋出漁問題が討議され,その結果,韓国をして漁業資源保存という条約目的の達成を阻害するような操業を差し控えせしめるために各締約国が適切な措置を講ずべきことが合意された点が注目される。

 

5.大西洋のまぐろ類の保存のための国際条約

 

 1966年5月ブラジルで採択され,1969年3月に発効した「大西洋のまぐろ類の保存のための国際条約」により設置された大西洋まぐろ類保存国際委員会は現在,日本,米国,カナダ,フランス,スペイン,南阿,ガーナ,ブラジル,ポルトガルおよびモロッコの10カ国により運営されているが,その第1回会議が,1969年12月1日より6日までローマのFAO本部において開始され,委員会組織の決定,議事手続規則および財政規則の採択,今後の委員会の調査研究計画の作成等を行なった。

 

6.北西大西洋漁業条約への加入問題

 

 1949年作成され1950年7月3日発効した「北西大西洋の漁業に関する国際条約」によって設置された北西大西洋漁業国際委員会は,現在米国,英国,アイスランド,カナダ,デンマーク,スペイン,ノルウェー,ポルトガル,イタリア,フランス,独,ソ連,ポーランドおよびルーマニアの14ヵ国によって運営されており,北西大西洋の漁業資源の保存およびその合理的利用の見地より,この漁業に関する調査研究を行ない,それに基づき,総漁獲量の決定およびその他の規制措置を締約国に勧告する任に当っている。1962年より同水域における試験操業を開始したわが国は,同委員会の要請に基づき,1964年以降,毎年同委員会年次会議に政府オブザーバーを派遣し,また委員会の勧告措置を自主的に遵守するという形で協力してきているが,今後本格的な出漁が予想されるため,これまでのアウトサイダーとしての地位からさらに進んで委員会のわく内での協力を積極的に行なうことが適当であるとの見地から,条約加入問題を検討中である。

 

7.その他各国との漁業問題

 

(1)日韓漁業共同委員会

日韓漁業共同委員会第4回定例年次会議は1969年6月18日から21日まで東京において開催され,本会議より先に開かれた漁業資源専門家会議において審議された漁業資源状態に関する科学的調査の結果を基礎に,資源の評価について討議し,両国政府に対し,事故の未然防止のための努力をいっそう強化し,両国政府が民間団体に対し迅速な事故処理につき強力に指導するよう勧告することを決定した。

(2)日墨漁業協定

1968年6月に発効した日本・メキシコ漁業協定に基づき両国間の第1回漁業定期会合が1969年9月29日,30日の両日メキシコ市で開催され,右協定にいう操業区域における,わが国漁船の操業状況,および右協定実施のため,わが国政府がとった国内措置について説明がなされ,また次期会合は,1970年9月中に東京で開催することが原則的に合意された。

なお,右協定はわが国政府から正当に許可を受けたわが国船舶が,太平洋のメキシコ周辺の距岸9海里から12海里までの水域のうち特定の水域を除いた部分において1972年12月31日までの5年間に,はえなわ漁法により主として,めばち,きはだ,ばしょうかじき,まかじき,およびめかじきを,1万5,500トンを超えない範囲内で漁獲することなどの規定を内容としているものである。現在,メキシコ政府は国内法上,同国領海を12海里まで拡張すべく必要手続を進めているが,同国内法には,既に締結されてい る協定には影響を与えない旨の附属規定があるため直ちに本協定に影響することはないと考えられる。

(3)日豪漁業協定の発効

豪州政府が1968年1月に豪州本土およびパプア・ニューギニアの領海3マイルの外側に,9マイル幅の漁業水域を設定したことに,伴いわが国政府と豪州政府との間で,同水域内におけるわが国まぐろはえなわ漁船の操業継続に関し両国の間で行なわれていた交渉の結果,1968年11月27日に署名された「日本国とオーストラリア連邦との間の漁業に関する協定」(「わが外交の近況」第13号第2部103頁~104頁参照)については,1969年7月25日東京において,愛知大臣とパーシヴァル駐日豪州臨時代理大使との間で批准書の交換が行なわれ,同協定は同年8月24日に発効した。

(4)日本・インドネシア民間漁業取決めの延長

(イ)1957年のいわゆるインドネシアの内水宣言を根拠にインドネシア政府は,1960年3月頃より,その主張する水域内で操業する日本漁船(沖縄漁船を含む)のだ捕を開始した。これに対し日本政府は,事件発生の都度イ政府に対し厳重抗議するとともに,政治折衝により関係漁船の釈放に努めて来た。

かかる状況の下に,1967年10月佐藤総理大臣のインドネシア訪間の際,スハルト大統領との間に,両国政府がこの問題につき話し合いを行なうことに合意をみ,これに基づき日イ間の特別委員会が設立され,また,,委員会と並行して沖縄代表を含む日本側民間漁業者団体代表とイ国農業省代表との話し合いが行なわれた。

その結果1968年7月,日本側民間漁業者団体とイ政府の漁業当局間で,暫定取決め等がそれぞれ別個に締結され,インドネシア水域における日本漁船による安全操業が確保された。(「わが外交の近況」第13号参照)(ロ)上記(イ)の暫定取決めの有効期間は,1969年7月までとなっていたため,その延長に関する交渉が行なわれた結果,右取決めに若干の修正を加えた上更に1年間延長された。

(5)日中民間漁業協定

「日中漁業協議会と中国漁業協会との黄海・東海の漁業に関する協定」は黄海・東海の漁場を合理的に利用し漁業資源を保護し,双方の操業中の紛争を避け,これによって日中両国漁業界の友好関係を増進するために作成され,1965年12月23日発効したが,この協定により,日中双方の上記海域への出漁漁船数の制限等を実施している。協定の有効期間は2年であったが過去2年間(1967年および1968年)は1年間ずつ暫定延長の形で継続されて来た。ところが今次延長(1969年12月)に際しては,中共側中国漁業協議会より,日本側日中漁業協議会に対し6ヶ月間の条件づきで延長に同意する旨通告があった。

(6)モーリタニアとの漁業交渉

モーリタニア沖合はたこ,もんごういかなどの好漁場であり,大手漁業会社のトロール船が多数この近海で操業してきたが,モーリタニア政府は1962年1月以降たびたび法令をもって一方的にその領海を拡張し,1967年1月に至って領海を12海里としCapBlancとCapTimisis近海については,これを結ぶ線(約90海里)を基線として外側12海里を領海とする旨規定した。このためわが国トロール船の漁獲量は大きく減少し,また,わが国漁船がモーリタニアの沿岸警備艇により領海侵犯のかどでだ捕される事件が相ついで発生した。このためわが国業界ではモーリタニア地先沖合での安全操業を確保するため,1968年9月よりモーリタニア政府と交渉を続けてきたところ,1970年2月,両者間で漁業契約が締結された。

 

 

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