-世界経済の流れ-
第13節 世界経済の流れ
1960年代の世界経済は10年前に「黄金の60年代」と期待されたとおりめざましい拡大を遂げたが,反面米英両基軸通貨国の国際収支赤字累増を主因に国際通貨不安が発生,また急速な経済成長に伴うインフレ圧力の増大等の問題が生じた。
1969年は,かかる60年代の清算の年として,国際通貨面ではドイツ・マルク切上げ,フランス・フラン切下げの実行,SDR(IMF特別引出権)創出の決定等により一応の小康をとり戻したこと,また主要国のほとんどで金融引締が実施され世界的な規模でインフレ抑制策がとられたことなどが特徴的な動きであった。
(1)先 進 国
先進国の経済動向をみると,米国が68年来のきびしい引締政策の結果69年夏以降生産が続落,住宅着工,耐久消費財支出にも停滞がみられ,設備投資が根強い動きを示すなど跛行性はみられるものの全体としては成長鈍化傾向が次第に濃くなっており,また英国も68年来の引締め効果浸透から消費を中心に内需の増勢が鈍化している。しかるに英米以外の先進国経済は根強い拡大を持続し,OECD(経済協力開発機構)の推計によれば,加盟22国の69年の実質経済成長率は5%と,68年(5.7%)を若干下回るとは言え,かなりの伸びを達成したものとみられている。
他方,69年を通じて特徴的なことは,供給力が労働・設備両面で限界に達したうえ賃上げ攻勢が激化したこともあってインフレ圧力が一段と強まったことである。
このため各国とも金融・財政々策を始め所得政策の実施(英国),物価の凍結(フランス,オランダ等)などさまざまな政策を駆使して引締めを強化し,多くの国で公定歩合が戦後最高ないしは数年来の最高となり,金利水準は全般に異例の高水準となった。
国際収支面ではドイツ,日本の大幅黒字,米国,英国,フランスの赤字拡大という主要国のアンバランスはますます顕著となり,とくに日本の黒字基調の定着化が注目された。
もっとも国際収支不均衡を背景とする通貨不安はフランス・フラン切下げ(8月),ドイツ・マルク切上げ(10月)により小康状態をとりもどし,また英国の貿易収支も8月以降黒字に転じるなど,先進主要国の国際収支調整にも明るさがみえはじめている。
(2)発展途上国
先進国景気の全般的活況に伴う輸出の伸長に加え,資源開発投資やヴィエトナム特需資金の流入もあって総じて引き続き順調な拡大を示した。この間一次産品市況は食料,羊毛,茶等を除き非鉄金属の高騰,砂糖,ゴム,ココアの上昇から全体として2年連続の上昇をみた。
実質経済成長率では韓国15%,イスラエル,イランが10%程度,台湾,タイ,マレーシアが8~9%等高度成長を遂げ発展途上国全体として「第一次国連開発の10年」の目標率5%を3年連続上回ったものとみられる。
(3)共 産 圏
ソ連,東欧諸国は経済活動の一般的停滞,天候の不順などから前年に引き続き工業および農業生産の鈍化傾向がみられた。また新経済システムの導入は円滑を欠き賃銀の上昇が目立った反面,生産性は低い水準で推移し全般的にインフレ傾向が目立っている。
自由世界の貿易は,69年も13.1%の増加を示し2年続きの急拡大を示現した。(前年11.4%増)かかる世界貿易の拡大は68年同様先進工業国の輸入増にリードされたものであるが,リードの主体は68年の米国から,69年はEEC(欧州経済共同体)を中心とする欧州大陸諸国に代った。
先進工業国側の輸入著増は68年に引き続き発展途上国を潤した。すなわち工業国の原材料消費増は一次産品の需要増,価格上昇を,また個人消費増が繊維等軽工業の需要増をもたらした結果,発展途上国の輸出は68年に引き続き好調に推移し,ほとんど全発展途上地域で輸出の好調な伸びをみたわけである。
東西両陣営の貿易関係は東側地域経済の伸び悩みにもかかわらず好調に伸び,ソ連・東欧とOECD諸国との貿易は上期中で前年同期比9.6%増の拡大を示し,また中共との間は11.3%増と3年ぶりに増勢に転じた。これは経済の伸び悩みを打破するため西側の先進技術,新鋭機械を導入しようとする東側諸国の希望と,原燃料確保,製品市場拡大を図ろうとする西側の要請が適合したことによるものである。
以上のような世界貿易の持続的な拡大基調の背景にはGATT(関税および貿易に関する一般協定)を中心として工業製品および一次産品の両分野において自由無差別原則に基づく自由貿易体制を維持し,その安定的な発展を図るための地道な努力が行なわれている点も見逃されてはならない。GATTはケネディラウンドによる関税引き下げの成果を確保しつつ貿易自由化をさらに推進することを目的として現在関税以外の貿易障害の検討を行なっているが,一部にみられる保護主義への動き,一部東欧諸国にみられるGATT 加入への動きなどにもかんがみ今後とも国際貿易に果たすGATTの役割はますます重要となっていくものとみられる。
(1)主要通貨の動向
68年11月の通貨危機以後も,主要国間の国際収支調整の難航を映じ,為替市場は不安定な動きを続けてきたが,69年4月から5月にかけてドゴール仏大統領の退陣,マルク平価問題に対する独政府内の意見の不一致などを契機に大量のマルク買い投機が生じ,またもや大きな混乱をみた。この危機は独政府による強い切上げ否定により一応終息されたが,フランスではついに8月8日に国際競争力の劣弱性打開のためには切下げ以外にはないとの新ポンピドー政権の判断により切下げを実行(11.1%)した。一方ドイツでは9月の総選挙を前にして平価変更の是非が選挙の最大の争点となり,8月下旬以降マルク買いおもわくが再度激化し,当局は為替市場の閉鎖,為替平衡操作の停止等の措置で対抗した。しかるにインフレ抑制のためには切上げはやむなしとの態度をとってきた社民党が政権をとるや直ちに10月24日マルク切上げ(9.29%)を行なった。
この間英ポンドの動きをみると,その信認は69年に入っても回復をみず,市場動揺のたびに売られてきたが8月以降貿易収支が好転にむかい,またドイツの切上げにも助けられ直物相場は年末には平価を回復するなど立ち直りを示した。
また米ドルは国際収支(流動性ベース)の悪化にもかかわらず相場面では総じて堅調な動きを示し,年間を通じてほとんど表面化しなかった。これはユーロ市場金利高騰に伴いユーロ放資のためのドル買いが行なわれ,これにより外国公的保有ドルが減少,米国公的保有金に対する圧迫が軽減したこと,二重金価格制が定着したこと等によるものとみられる。
なお自由金相場は,年初は上昇場面もみられたが,米ドル相場の安定,フランス・フラン,ドイツ・マルクの平価調整実現,SDR制度の成立等から軟化,12月には公定価格にまで低下するにいたった。12月30日にはIMF(国際通貨基金)と南アフリカの間で合意が成立,南アフリカは一定条件のもとにIMFに金を公定価格で売却し得ることとなった。
以上のように67年11月のポンド切下げにはじまる主要国の平価調整は一巡し赤字国の公的対外ポジションも改善にむかい主要通貨をめぐる情勢は一応の落着きをとりもどした。
(2)国際通貨制度
67年秋のIMF総会で大綱採択以来懸案となっていたSDR制度は,69年中に所要の手続を終え年初から発動(70年~72年の3年間に約95億ドルのSDRを各国に配分することになり,70年分は1月1日に約34億ドルが配分された)され,国際流動性の適切な供給という国際通貨制度上の重要問題の一つに一応の解決が与えられた。
また70年が第5次検討期に当っているIMF増資問題は,69末に理事会案が提出されたが増資総額は76億ドル(現行出資総額の35.5%)の予定である。
(1)EEC(欧州経済共同体)の動き
69年はローマ条約上の「過渡期間」の最終年であったが,独・仏両主要メンバーの平価変更に伴い,フランス農産物市場の共同市場からの隔離,ドイツ農民に対する補償措置の導入という形での収拾が図られ農産物共同市場の後退がみられるなど必らずしも順調なものではなかった。
しかし一方ではEECの発展に伴う域内各国の相互依存度増大のほか,通貨不安に伴う短資移動のかく乱作用等にかんがみ,委員会は69年2月に「共同体内における経済政策の調整と通貨協力」に関する覚書(バール案といわれている)を作成,検討を加えてきた。その結果70年1月の理事会で同案は原則的に合意をみ,その一つの柱である「自動的短期資金援助機構」の創設が正式に承認され,中央銀行間のマルテイラテラルなスワップ綱の形での短期信用の相互供与制度が発足することとなった。
また共同体の「完成」を最優先とするフランスの強い反対により進捗しなかつた英国の加盟問題がポンピドー大統領の登場による柔軟な姿勢への転換を契機に一歩前進した。すなわち,12月のハーグにおけるEEC6ヵ国の首脳会議でフランスの主張する最終農業財政規則を年内に採択するとの決定にあわせて英加盟交渉開始のための準備作業を70年6月末までに完了するとの合意が成立した。
(2)コメコン(共産圏経済相互援助会議)の動き
コメコンは加盟国における経済ナショナリズムの台頭,加盟国の西欧への接近等によりその団結にゆるみが生じ,ソ連は体制の再強化を図るため69年4月に加盟国首脳会議を開催しコメコン各国間の協力をいっそう強めるとともに,新たに域内の中,長期金融促進に資するためコメコン投資銀行を設立することに決定した。
しかしコメコン域内では決済通貨である振替ルーブルの振替機能が十分に発揮されず,2国間取決めという旧来の方式が多角取引に移ることが阻害されているため,ポーランド,ハンガリー等ではこの欠陥を打開するため,これへの交換性の付与,ないしは新共通通貨創出に対する希望が高まっている。新投資銀行も共通通貨に関する問題が解決しないうちは,その機能が十分に発揮できるかどうか疑問視されている。