-概 説-
第1章 世界の動き
第1節 概 説
国際情勢の基調が米ソ間のいわゆる平和共存関係にあることは前号で詳説したとおりであり,1969年を通じても,なんら変りはない。元来,米ソの平和共存の根幹をなす部分は,米ソ間の全面核戦争,または,それに至るおそれのあるような事態を極力避けようということであり,現在の兵器体系とそれに基づく戦略の基本が大きく変らない限りは,変りようがない性質のものである。それ以外の分野での米ソ関係は,米ソそれぞれの国益,それぞれの国内事情および国際環境により,ある場合には協調面,ある場合には対立面が強く出て,それによつていわゆるムード的に,平和共存が進展したとか後退したとか言われている。1969年を通じて見ると,SALT予備交渉の開始に見られるように,協調関係が維持,増進されているという印象が与えられている。SALT交渉は,軍備費の過度の負担の軽減という意味で,米ソ間に共通の利益が存在するが,ソ連がこの時期にこれと取組む姿勢を見せている背景には一つには,チェッコスロヴァキアの「正常化」が一応達成されたと考えたことになり,ソ連が東西均衡の危機と感じた事態が一応収拾されたことにより,米国との関係の調整をかえり見る余裕ができたことと,他方,中ソ対立の激化により,ソ連が米国との協調関係の維持に関心を抱いていることによるものと考えられよう。
中共は,全体としては,いまだ外交機能正常化の過程にあるが,国際関係の多角的均衡の中に占める中共の潜在的重要性が,「米中ソ三国関係」という表現で,重視されるようになつて来た。その理由は,中共の核戦力の増強および外交機能の回復という要素とともに,従来何と言つても同じ社会主義陣営内の対立の印象が強くまた現に北越援助ではまがりなりにも協力関係にあつた中ソ間において相当規模の武力衝突があり,対立関係がより明確になつたことと,他面,米中間の接触が再現され,その結果,中共が米ソそれぞれに対して,ほぼ等距離にあるという認識が生じて来たことによるものであろう。中ソ関係は,春から夏にかけて,極めて緊迫し,その後で話し合いに入つて小康状態が続けられているが,中ソ関係を取り巻く環境は少しも改善されていないので,今後とも予断は許されない。
ニクソン政権の外交方針は,グァム・ドクトリン等を通じて更に確認され,友邦諸国の自助努力を期待し,米国の介入には慎重を期する態度が繰返し明らかにされた。ヴィエトナムにおいては,戦況には大きな波らんはなく,米軍の引き揚げと戦争の「ヴィエトナム化」もある程度順調に進展し,その限りにおいては,状況は米国にとつて良いと言えるが,いかなる形の最終的解決が得られるかについては,いまだ全く模索の城を出ていず,その上,2月,3月に入つて,ラオス情勢,カンボディア情勢も流動化して来ており,中東情勢とともに,依然として,東西,米中ソ関係の大きな不安定要因として残つている。
ヨーロッパでは,ブラント政権が登場し,独(西)およびソ連,東欧,東独の両側からの呼びかけや接触が活発化し,チェッコスロヴァキア事件によつて凍結されていたように見えた東西関係が再び流動化の気配を見せた。特に,戦後はじめての両独首相会議が実現したことは,ヨーロッパ問題の中心であるドイツ問題の今後の解決の方向を示唆するものと言えよう。
経済面では先進国,発展途上国とも68年に引き続き高成長を続けたが,先進国では,ここ数年来のインフレ傾向がいつそうの強まりをみせ,主要国のほとんどできびしい金融引締めが実施され「物価との戦い」に明け暮れた1年でもあつた。
また,多くの発展途上諸国においても,一般に物価の上昇率が高く,外部経済の未整備,投資と貯蓄のギャップなどに由来する生産面の隘路は依然として解消されていない。他方ソ連および東欧諸国は,ポーランドを除き,いずれも5%をこえる国民所得の成長率を示したが,ソ連,チエコおよびポーランドでは農業生産の不振などが原因となつて,1968年の伸び率を下回る結果に終つた。
近年の大きな問題であつた国際通貨問題は8月のフランス・フラン平価切下げ,10月のドイツ・マルク切上げにより,1967年の英ポンド切下げに始まる主要国の為替平価調整が一巡し,また懸案のIMFのSDRの創出が決定したこともあり,小康を得,年末にかけて次第に明るさがみえ始めた。
世界貿易は,急速な経済拡大を続ける先進国のリードにより,自由諸国間,東西両陣営間ともに順調に伸びたが,他方米国の繊維製品の輸入制限の動き等にみられる保護貿易主義の台頭,また過渡期間を終了したEECが西欧・地中海沿岸およびアフリカ諸国との特恵的連繋を深め地域主義的傾向に向かいつつあることなどが注目される。
南北間題では,国連における「第2次国連開発の10年」の準備,世銀総裁に対する「ピアソン報告」の提出など,1970年代を控えての援助,開発に対する戦略が大いに議論され,また67年来検討が進められてきた発展途上国産品に対する先進国の一般特恵関税供与具体案が先進国より提示され,早期実施のための努力が行なわれている。