国際文化交流の現状

 

1 概  況

国際文化交流の目的は、文化を通じ各国民相互の理解と親善を深め、もって世界の平和と文化の向上に貢献することにある。第二次大戦後、各国政府は、文化外交を重視し、強力な機構、スタッフと尨大な予算をもって、文化交流事業を活発に展開しているが、これは世界諸国民が戦争の惨禍を再びくりかえさないためには、諸国民間の相互理解が、いかに重要であるかを痛感したためであろう。

わが国と各国との交化交流も、わが国の経済的成長による国力の充実、国際的地位の向上に伴いますます活発となってきている。

かような文化交流事業には、政府によるものと、民間によるものとがあるが、元来文化交流はその性質上、まず、広く民間の自主と創意によって行なわれるべきものであり、したがって政府としては、まず第一に民間の創意によるこれらの事業を奨励し、できるかぎりこれに便宜および可能な援助を与えてその拡大をはかることを方針としている。

他方、日本文化の紹介のためには、極めて有意義であっても、民間の事業としては実施困難な事業もあり、これについては、あるいは政府の事業として、あるいは関係補助団体の事業として実施することとしている。

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2 文化協定の締結

戦前、日本はハンガリー、ドイツ、イタリア、ブラジル、タイ、ブルガリアとの間に文化協定を結んでいたが、これらの協定は、いずれも第二次大戦の勃発によってその効力を失ったか、または効力が停止された。

戦後、日本は次の一二カ国と文化協定を締結した。

(1) フ ラ ン ス   (一九五三年一〇月三日発効)

(2) イ タ リ ア   (一九五四年一一月二二日発効)

(3) タ     イ   (一九五五年九月六日発効)

(4) メ キ シ コ   (一九五五年一〇月五日発効)

(5) イ  ン  ド   (一九五七年五月二四日発効)

(6) ア ラ ブ 連 合 (一九五七年七月一五日発効)

(7) ド  イ  ツ   (一九五七年一〇月一〇日発効)

(8) パ キ ス タ ン (一九五八年一〇月二一日発効)

(9) イ  ラ  ン   (一九五八年一一月二〇日発効)

(10) 連 合 王 国   (一九六一年七月八日発効)

(11) ブ ラ ジ ル   (一九六四年一一月一七日発効)

(12) ユーゴースラヴィア (署名一九六八年三月一五日)

これらの文化協定は、締結国政府が両国間に行なわれる各種文化交流事業の促進をはかり、これを奨励することを主たる内容としたもので、協定により多少相違はあるが、その概要はつぎのとおりである。

(1) 書籍、講演、演劇、展覧会、映画、ラジオなどによる文化の相互理解の増進に対し、便宜を与える。

(2) 学者、学生、その他文化活動に従事する者の交換を奨励する。

(3) 相手国国民の修学、研究、技術修得に対し、奨学金その他の便宜を与える方法を研究する。

(4) 大学などで、相手国の文化に関する講義の拡充および創設を奨励する。

(5) 相手国の学位および資格をたがいに認めるように、その方法条件を研究する。

(6) 相手国の文化機関の設立および運営に便宜を与える。

(7) 相手国国民の博物館、図書館の施設の利用に対して便宜を与える。

(8) その他、協定によっては、文学および美術の著作物の翻訳または複製の奨励、文化団体の間の協力の奨励、国際的運動競技の奨励などを規定したものもある。

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3 文化協定に基づく混合委員会の開催

文化協定の円滑な履行をはかるため、日仏、日伊、日墨(付属交換文による)、日印、日独、日英、日伯の各文化協定は、それぞれの国の首府に、両国の代表五、六名によって構成される混合委員会を設置することとしている。なお、その他の諸国との文化協定は、単に、両締約国代表が必要に応じて協議することを規定している。一九六七年度において開催した混合委員会はつぎのとおりである。

(1) 五月一八日   第四回在東京日英文化混合委員会

(2) 五月二二日   第一回在東京日印文化混合委員会

(3) 六月二日    第一回在パリ日仏文化混合委員会

(4) 七月一七日   第一回在ニュー・デリー日印文化混合委員会

(5) 一〇月二六日  第五回在ロンドン日英文化混合委員会

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4 日米文化教育会議

一九六一年六月訪米した池田総理は、ケネディ大統領との間で文化および教育の交流に関する日米合同会議を設置することに合意した。この会議は、日米両国の代表的学識経験者が一堂に会し、両国間の文化および教育の交流に関するあらゆる問題を自由に討議するとともに、その拡大方法について勧告を行なうことを目的としたものであって、現在まで四回にわたり開催されている。

(1) 第一回会議 一九六二年一月二五日から三一日まで東京で開催、日米両国の文化および教育の当面する諸問題について討議が行なわれた。

(2) 第二回会議一九六三年一〇月一六日から二二日までワシントンで開催、(イ)第一回会議以降の実績検討、(ロ)文化教育テレビ番組の交換、(ハ)翻訳および抄訳、(ニ)地域研究、(ホ)舞台芸術の交流の各議題につき討議し、勧告を行なった。

(3) 第三回会議 一九六六年三月二日から七日まで「日米相互理解における大学の役割」を議題として東京で開催、(イ)教育を通じての相互理解の発展、(ロ)大学教育に関する両国間の協力、(ハ)両国の大学教員および資料の交流の促進、(ニ)留学生と相互理解の諸問題について討議し、二年後の第四回会議までの間に、(イ)日米間の教育、文化協力のための姉妹委員会の設置、および(ロ)両国双方が必要と認める場合には特定の研究課題についての研究班の設置を勧告した。

(4) 第四回会議 一九六七年四月三日から九日までワシントンで開催、「先進社会における教育と開発」という一般的議題の下に、(イ)高等教育と社会開発上の要請との調整、(ロ)何教育の量的拡大がその質に及ぼす影響、(ハ)教育および学術に関する国際協力の拡大の方法等の諸問題について討議し、(イ)同会議の継続開催、(ロ)同会議の下部企画機関としての常設合同委員会の設置等を勧告した。

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5 国際文化団体の活動

(1) 国内の国際文化団体

(イ) 国際文化振興会(略称KBS)

国際文化振興会は、国際間の文化の交流、特に日本文化の海外紹介をはかり、諸国民との相互理解を助け国際親善をたかめることを目的として、一九三四年(昭和九年)四月創立された団体であるが、近年欧米をはじめとし世界各国の文化活動が極めて盛んとなり、わが国としても、国際文化事業を強化拡充する必要が痛感されてきたので、外務省は、これに対処するため、関係省と協力して、同会に対する政府補助金(昭和四三年度は一億六千九百万円)の増大、民間からの積極的協力の確保およびこれに伴う機構の整備と事業内容の拡充に努力し、年々その実を挙げつつある。

一九六七年度に国際文化振興会が行なった事業は、美術、芸能および写真による国情紹介等の多岐にわたっており、地域別にみる事業実績は次のとおりである。

(i) 欧   州     欧州巡回富岡鉄斉展

            パリ青年ビエンナーレ美術展

            欧州巡回日本建築写真展

(ii) 中近東・アフリカ  日本国情紹介写真展

(iii) ア ジ ア    アジア巡回現代日本カラー写真展

            インド・トリエンナーレ美術展

(iv) 米   州    日本民族舞踊団のモントリオール万国博および北米ならびにメキシコ巡回公演

            明治百年記念写真展

            サンパウロ・ビエンナーレ美術展

以上のほか国内においては、「スイス版画展」、「古典芸能観賞会」、「日本文化講演会」などを随時開催して、在京外交団、在留外国人に対する多彩な活動を行なった。

また、同会が出版した文化資料としては、

(i) 日本研究基本書目解題(英文)の文学(五)及び法制(一)篇

(ii) 日本文化叢書(英文)の近代文学(中)篇

(iii) 徳川法制史料集(英文)の第二巻

(iv) 日本文化の手引(独文)

さらに定期刊行物として、月刊「国際文化」(邦文)と隔月刊「KBSブレティン」(英文)を発行して、日本文化の紹介に努めている。

なお、国際文化振興会は、海外との接触が拡大し、わが国の実情を正確かつ直接に紹介する必要性がたかまりつつあるのと、同会としても現地の文化事情を把握することが事業計画立案上必要であるので、一九六一年九月以来ニュー・ヨークに、一九六六年一月にはロンドンに、また、一九六七年一月にはブエノス・アイレスにそれぞれ駐在員各一名を派遣常駐させ、現地関係方面と緊密な接触を保ちながら、啓発、調査の活動を行なっており、後述の在ローマ日本文化会館の運営とともに、海外における文化交流活動を積極化せしめている。

(ロ) 国際学友会

日本に来る外国人留学生は日本語を解さず、また、日本人と風俗、宗教、食生活などをいちじるしく異にしていることから、学業生活などの点で、とくに来日当初は困難を感ずる者が多い。国際学友会は、これら留学生に宿舎と大学進学前の準備教育を与えることを目的として、一九三五年一二月、財団法人として創立されたものである。戦後、同会は、国費留学生(日本政府が招致し奨学金を給与しているもの)、私費留学生を問わず、すべての留学生を前述の宿舎に受入れて世話をしてきた。しかし、一九五七年、文部省の外郭団体として日本国際教育協会が発足し、国費留学生の受入団体となったので、学友会本部の国費留学生は同協会の宿舎に転宿し、現在、学友会本部は専ら私費留学生を収容している。

宿舎は、現在、東京本部だけで収容能力一五四名に達しているが、一九五六年には収容能力六〇名の関西支部が大阪市北区に、さらに六五年四月から京都に収容能力約五〇名の京都支部が開設された。

国際学友会東京本部は、宿舎、食堂を設けているほか、日本語学校も運営している。日本語学校は、日本で高等教育または技術研修を受けようとする外国人留学生(学友会在泊者には限らない)に対し、一年ないし一年六カ月を期間として日本語を教授し、併せて基礎的な日本事情を知らせることを目標としており、毎年四月、一〇月の二回新規学生を受入れている。そのほか、大学進学希望者に対しては、数学、理科、社会などの基礎学科も教授しており、これら課程の修了者には進学を斡旋している。同校の学生定員は二七〇名である。

(ハ) 出版文化国際交流会

出版文化国際交流会は、日本と外国との相互理解、友好関係の増進に寄与する出版物の交流を計る目的で昭和二七年に設立され、活発な活動を続けている。

一九六七年度において、国内では、外国向優良図書展を開催し、優秀な日本文化紹介図書に対して外務大臣賞を授与したほか、世界理工学図書雑誌展、現代世界漫画展および世界児童図書展を開催した。海外では、フランクフルト国際図書展、韓国日本学術図書展、香港国際図書展、パリ国際美術図書展およびシンガポール日本図書展に図書を出品する等の活動を行なった。

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(2) 海外の日本関係文化団体の現状

(イ) 在ローマ日本文化会館

在ローマ日本文化会館は、日伊文化交流のため、日本文化の紹介を行ない、かつ、イタリアの学術文化の研究に資することを目的として、外務省が一九五九年から約三カ年の歳月を費やして建設したもので、一九六二年一二月開館した。会館は平安朝様式の建築で、日本庭園が隣接して造られており、その醸成する日本的雰囲気はローマ市民の関心を集めている。

同会館の運営は国際文化振興会が行なっており、一九六七年度に行なった事業は次のとおりである。

(i) 展 覧 会   日本現代工芸美術展

           生 花 展

           初期肉筆浮世絵展

(ii) 音 楽 会   邦楽演奏会

           前衛音楽会

(iii) 講 演 会   「現代日本文学の潮流とその展望」マリオ・テーティ

           「仏教の理想主義」アンジェロ・マルジャリーア

           「ルネサンスと日本美術に与えた影響」アントニオ・プリオーリ

(iv) 映 画 会   日本映画回顧上映会

以上のほか特筆すべきことは、日本語講座を年間を通じて開講していることで、日本文化の紹介は、日本語を普及させ、それを基盤ないし一助として行なうことが極めて重要であり、本講座の受講者が若干ずつでも年々増加している傾向にある。

(ロ) パリの大学都市日本館

パリ大学都市日本館は、通称薩摩会館ともいわれ、一九二七年薩摩治郎八氏によってパリ大学に寄贈されたものであるが、フランス留学中の日本人学生に対する宿舎の提供を主たる任務とし、また、構内に日本関係の図書を蒐集して日本研究に便宜を与えている。外務省は、従来から民間有識者の中から館長を推せんして派遣しており、また同館建物の内部修理費などに対し、援助を行なっている。

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6 芸術の交流

(1) 美術・工芸の交流

国際文化交流事業のうち、美術工芸関係の展覧会は、もっとも頻繁に行なわれており、美術工芸を通じての国際間の理解と親善の増進に貢献している。

(イ) 日本で開催された外国美術展等

日本で開催される外国美術展は、新聞社、美術館の主催するものが多いが、外務省も、その開催について側面より協力している。

一九六七年度において開催された外国美術展は次のとおりであるが、特に「英国王室展」が開催されたことは注目に値する。

(ロ) 海外における日本美術工芸展

諸外国における日本の美術工芸その他の展覧会は、各国において多大の反響をよんでおり、日本文化の紹介に貢献している。

一九六七年度に開催された日本関係の展覧会は次のとおりである。

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(2) 映画による日本文化の紹介

優秀な日本映画の海外における上映が、日本の文化、国情に対する諸国民の正しい理解と認識に役立つことはいうまでもない

かような観点から、外務省では、日本文化紹介に適当と認められる映画を、地域による特殊性を考慮しつつ、諸外国にまわして在外公館主催で映画会を開催している。

また、権威ある国際映画祭に対する日本映画の参加、日本における外国映画祭の開催などに対しても種々の支援をしている。

一九六七年度における在外公館主催による日本映画会、海外の映画祭に対する日本映画の参加および、日本における外国映画祭の開催状況は次のとおりである。

(イ) 在外公館主催による海外での日本映画会(一九六七年四月から一九六八年三月まで)

(i) 劇  映  画

(ii) 文 化 映 画

(ロ) 海外における映画祭に対する参加

(ハ) 国内で開催された外国(国際)映画祭

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(3) モントリオール万国博覧会への文化的催物の参加

一九六七年モントリオールで開催された万国博覧会に、わが国からは歌舞伎を派遣し、八月三日から一二日までの間、同市のメゾムーブ劇場で公演したほか、日本民族舞踊団を派遣し、七月一〇日から一五日までの間、同市ポートローヤル劇場で公演し、それぞれ極めて好評をおさめた。

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7 図書の交流

図書も文化交流の重要な媒介手段であるが、外務省では(イ)在外公館に図書を備えつけ、一般の利用に供する、(ロ)外国の大学、国書館へ日本の図書を寄贈する、(ハ)日本図書展の開催、国際図書展への参加に協力するなどの方法によって、図書を通じての日本文化の紹介に努力している。

最近における図書寄贈および図書展への参加状況は次のとおりである。

(1) 外務省から外国への図書寄贈

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(2) 海外における図書展示会への参加

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(3) 国内における図書展開催

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8 音楽の交流

(1) 国 内 開 催

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(2) 海 外 公 演

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9 人物の交流

(1) 学者、文化人の交流

わが国の文化人を諸外国に派遣して、わが国古来の芸術、スポーツの紹介、普及、指導およびわが国文化に関する講演を行なわせしめること、および諸外国の文化人を日本に招へいして、わが国の文化に直接ふれさせる機会を与えることは、わが国の文化を広く海外に紹介する上において極めて有効適切な方法であることは明らかなことであり、外務省は従来からこの趣旨にそって、文化人の派遣、招へいを実施して、各国との文化交流および親善関係の促進に努力してきた。

一九六七年度の実績はつぎのとおりであるが、外務省ではこれ以外に外国政府、学校、学術、民間団体などが実施する交流事業または日本の海外普及事業に対してもできる限りの便宜を図っている。

(イ) 文化人の派遣

一九六七年度に実施した文化人派遣の内訳は、生け花七件一四名、柔道五件一〇名、学術講演(日本文化一般および日本文学に関するもの)二件二名、卓球一件五名、折り紙一件二名、音楽一件八名であって、合計四一名の文化人が世界の各地域八一カ国へ派遣された。

一九六七年度文化人派遣実績

(ロ) 文化人招へい

一九六七年度においては、ドイツ、ブラジル、アラブ連合、イギリス、イラン、チリ、オーストラリアの諸国から合計八名の文化人を招へいし、主として東京、京都、奈良等の各地において、日本文化の研究のほか、わが国の関係学者、文化人と交歓せしめた。

一九六七年度の招へい実態はつぎのとおりである。

(ハ) 日ソ間の学者、研究員の交流

在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会との合意に基づき、一九六七年度においては、長期(十カ月)の研究員交換と短期(二カ月)の学者の交換が次のとおり実現した。

(i) 日本側派遣研究員およびソ連における受入先

平山次郎(通産省工業技術院地質調査所技官)モスクワ大学地質学部

芦沢正和(農林省園芸試験所久留米支場技官)レニングラード農芸学研究所

田中豊顕(名古屋大学理学部水質科学研究施設助手)レニングラード気象研究所

宮鍋幟(一橋大学経済研究所助教授)モスクワ大学経済学部

松井啓(在ソ連邦日本国大使館外交官補)モスクワ大学歴史学部

茂田宏(     〃        )モスクワ大学歴史学部

(ii) 日本側派遣学者およびソ連における受入先

立見辰雄(東京大学理学部助教授)ヴェルナツキー地球化学および分析化学研究所

辻村明(東京大学文学部助教授)モスクワ大学新聞学部

藤森岳夫(東京医科歯科大学医学部助教授)モスクワ大学医学部

小寺重孝(日本モンキーセンター専任研究員)実験病理学治療学研究所

岩間徹(東京女子大学文学部教授)モスクワ大学

(iii) ソ連側派遣研究員および日本における受入先

シドロフ・アレクサンドル・セルゲーヴィチ(モスクワ電子機械製作大学電子工学教室先任講師)東京大学理学部および工学部

ベヨラス・ゲラルダス・イオーヴィチ(ヴィリニュス国立大学化学部先任講師)東京大学理学部および工学部

バイコフ・ウラディミロヴィチ(モスクワ動力大学自動化および計算工業部大学院生)東京大学工学部計数工学科

イサコフ・アンドレヴィチ(キエフ工業大学工業電子工学教室助教授)東京大学工学部電気工学科

ミレーニン・ミカイロヴィチ(レニングラード大学物理学研究所研究員)同右

(iv) ソ連側派遣学者および日本における受入先

マルトイノフ・ヴャチェスラブ・フョードロヴィチ(レニングラード大学天然化合物化学講座主任)大阪大学薬学部

トカチェフ・ヴァレンテイン・ドミトロヴィチ(国立白ロシア大学半導体物理講座主任)東京大学工学部冶金学科

テルコフ・ユリー・コンスタンチノヴィチ(モスクワ化学工学大学助手)京都大学工学部衛生工学科

ソコロフ・ウラディミール・エヴゲンセーヴィチ(モスクワ大学生物上壌学部教授)東京大学海洋研究所

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(2) 青少年団体の交流

近来青少年団体の国際交流が増加しつつあり、外務省としては、これらの団体に対し必要な助言と指導を与えてきているが、特に総理府が実施している青少年交流事業に対しては在外公館と連絡をとり積極的な協力を行なっている。

(イ) 総理府関係

(i) 海外青年派遣

(ii) 第一回青年の船

構成人員  団員三二一(男二二一、女一〇〇)、団長及び副団長二、教官一八、管理要員一二、業務員七、報告関係者八

寄港地   基隆、バンコック、シンガポール、コロンボ、マドラス、ポートスエテンハム、マニラ、那覇

運航日数  五三日間(一九六八年一月一八日~三月一〇日)

(iii) 青少年指導者の受入

中華民国、大韓民国およびタイの青年指導者を受入、一九六八年二月二二日より三月六日までわが国実情の調査と青少年との交歓を行なわせしめた。

(ロ) そ  の  他

公共団体としては、神奈川県および埼玉県が青少年団の派遣を行なった。

また私設団体として、世界青少年交流協会が青少年団体の派遣および受入を行なった。

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(3) 学術調査隊の派遣

アジア、中近東、アフリカ、北米、中南米諸地域への学術調査隊の派遣に対しても便宜供与を行なった。

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(4) スポーツ、登山隊

スポーツを通しての国際親善を図るため、民間スポーツの交流に協力するとともに、登山隊の派遣に対しても便宜供与を行なった。

(イ) 登山隊派遣

(ロ) スポーツ国内開催

(ハ) 海外への日本選手派遣

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(5) 各種視察団等

(イ) 海外訪問

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10 留学生の交流

(1) 日本政府の外国人留学生招致

若い外国人留学生を国費をもってわが国の大学に留学せしめることは、わが国の学術水準のみならず、わが国の文化と生活を身をもって体験せしめ、わが国に対する理解と認識を深める上で多大の効果を収めうるものである。外務省は、この観点にたち、政府予算による外国人留学生招致に対しては全面的に協力している。

(イ) 文部省予算による文部省奨学金留学生招致制度

この制度により、一九六七年度一八五名の外国人留学生が招かれた。一九六八年度は二〇三名の留学生が招かれる予定である。この制度による留学生は、学部留学生(アジア・中近東諸国からの留学生のみを対象とし、期間五カ年、ただし、医科および歯科は七カ年)と研究留学生(全地域、期間二年または一年半)の二種類がある。奨学金留学生に対しては、往復旅費(ツーリストクラス)、奨学金月額三三、〇〇〇円、国内研究旅費(研究留学生および最終学年の学部留学生に対して)年額二五、〇〇〇円および渡日当初の経費として一時金一〇、〇〇〇円等が支給される。招致留学生の国別内訳はつぎのとおりである。

(ロ) 科学技術庁予算による外国人研究者招致制度

この制度は一九六二年度より始められ、奨学金支給額は往復旅費のほか、月額八万円である。招致実績は次のとおりであるが、外務省は本件招へいにつき在外公館を通じ協力を行なった。

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(2) 日米教育交換計画による米国人の来日

この計画により一九六六年度および一九六七年度には、つぎのとおり米国人学者および学生などが招かれた。

一九六六年

訪問教授 二一、 研究学者 一四、 英語教師  五、 大学院学生 一〇、

合  計 五〇

一九六七年

訪問教授 二二、 研究学者  四、 英語教師  一、 大学院学生  八、

合  計 三五

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(3) 外国政府などの日本人留学生招致

一九六七年度に外国政府または準政府機関の給費生として海外に留学したわが国の学者・学生総数は三〇六名である。

(イ) アジア地域

イ ン ド   三、 タ   イ      一、 パキスタン  二、

大韓民国    二、   計        八

(ロ) 中近東地域

トルコ   二

(ハ) 欧州地域

オーストリア  四、 ベルギー       六、 デンマーク  一、

フランス   九五、 イタリア      一〇、 オランダ   四、

スペイン   一三、 スウェーデン     二、 スイス    二、

イギリス   一一、 チェッコスロヴァキア 一、 フィンランド 一、

ハンガリー   一、   計      一五一、

(ニ) 米州地域

米  国  一三〇、 カ ナ ダ     一四、  計   一四四

(ホ) 大洋州地域

オーストラリア 一

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11 日本語普及および日本研究講座

外務省においては、戦前から外国人留学生に対する日本語普及事業を指導して来た。戦後においては、日本の経済成長が進むにつれて、日本語及び日本研究に対する諸外国の関心が高まり、日本国内における留学生に対する日本語普及事業だけでなく、特に東南アジア諸国を中心として、海外での日本語講座及び日本研究講座の設置の要望にこたえて、数年来主として東南アジア諸国に、これらの講座を設け、そのための教授及び助手を派遣している。また、これと並行して、欧米諸国、豪州、ラテン・アメリカ等で、既にこれら諸国が設けている日本語及び日本の地域研究講座に対し、教材の寄贈、担当教授の日本の実情視察のための招待等を通じて協力を行なっているほか、これら諸外国による日本語及び日本研究の一層の奨励及び拡充を援助している。

(1) 日本語普及

わが国の国力の充実と国際的地位向上に伴い、海外における日本語学習熱は近年急速に高まって来た。現在諸外国における外国人を対象とした日本語学習施設は三七カ国、四二八カ所に及んでおり、このうち外務省の指導のもとに講座の開設及び運営に財政的援助を行なっている地域は次のとおりである。

(アジア地域)

ダイ、ネパール、ヴィエトナム、カンボディア、インド、パキスタン、イラン、セイロン、フィリピン、香港、インドネシア

(大洋州地域)

豪州

(ヨーロッパ地域)

スイス、オーストリア

(北米地域)

カナダ

(南米地域)

アルゼンティン、ペルー、ブラジル、ウルグァイ

更に、日本語普及に必要な教科書は、二六カ国に対し計一二、三一九冊を無償で配布した。その内訳は次のとおりである。

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(2) 日本研究講座

東南アジア諸国のわが国に対する関心は近年特に高まり、年々多数の留学生の来日々をみているが、その数には限度がある。これらの諸国においては、当該国の大学に自ら日本研究のための講座を開設するまでの体制が整っていないために、わが国からの援助協力を要望するところが多く、昭和四〇年度には、タイのタマサート大学に日本研究講座を寄贈して以来(その後チユラロンコン大学でも開講した)、四一年度にはフィリピンのアテネオ大学、香港の中文大学、マレイシアのマラヤ大学及びインドネシアのインドネシア大学にそれぞれ開設された。

これらの講座には、わが国より原則として教授一名、助手二名から成る教授陣を派遣し、さらに図書及び語学教育に必要な各種の資材及び教材をわが国から提供している。

これら諸国においては、日本政府による本講座の寄贈を高く評価し、各国の人材養成計画に寄与していることを感謝しており、将来は、自国資金と自国の教員スタフにより運営することができることとなるよう計画が進んでいる。東南アジア諸国に対しては、欧米諸国自体の地域研究講座はこれから漸く行なわれようとしてるが、わが国は東南アジアの各国の主要大学に日本研究講座を数多く運営してる。このことは、わが国としては当然のことながら今後ますます力を入れて行くべきである。

一九六八年四月現在の日本研究講座寄贈先大学及び派遣教授、助手、講義題目等次のとおりである。

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