五 わが国の経済協力の現状と問題点

 

 

わが国の経済協力の近況

 

わが国の一九六七年(暦年)の援助実績は八五五百万ドルであって、前年度の六六九百万ドルに比して一八六百万ドル増である。このうち特に政府ベース援助額は前年度に比して三七%増と大幅に拡大した。援助総額の対国民所得比は〇・九三%であった。

援助条件の面でも、インドネシアに対し金利五%、据置期間七年、返済期間二〇年の借款五、○○○万ドルが贈与一、〇○○万ドルと合わせて供与されたほか、一九六七年中に各国政府との間で合意を見た直接借款は、何れも従来より条件の緩和されたものであった。技術協力の分野についても、一部の地域ではその欠如が資金の欠如にもまして経済開発の障害になっていることにかんがみ、一九六七年において約一、一〇〇万ドルを技術協力のために支出したが、研修員の受入れ、専門家の派遣、日本青年海外協力隊の派遣、医療協力の推進など、諸分野にわたり技術協力が拡充された。しかしわが国の技術協力の規模はなお先進諸国に比して非常に小さい。

わが国の援助の地理的配分について見ると、従来から援助総額の約三分の二がアジアに向けられていたが、六七年に至りこの傾向は更に強まり、政府べースの援助の約八八%、民間ベースの援助の約四八・五%がアジア地域に向けられている。

わが国は、アジア特に東南アジアの経済開発と地域協力を援助し、この地域に安定した平和と繁栄をもたらすべく努力することが、アジアの先進国たるわが国の責務であるのみならず、わが国の将来の繁栄とも密接に結びついているとの認識に立って、六六年四月、東京において東南アジア開発閣僚会議を主催したが、六七年四月には、第二回東南アジア開発閣僚会議がマニラにおいて開催され、第一回会議に引続き各国の経済開発関係閣僚の卒直な意見交換の場として、経済開発のための域内協力の気運を高めるため大いに貢献した。

また、この閣僚会議における合意にもとづき、六七年五月には東南アジア港湾開発セミナーが東京で、九月には東南アジア運輸通信官吏会議がクアラ・ランプールで開催され、六六年に開催された東南アジア農業開発会議とならんで、経済開発の促進に基本的な重要性を有するそれぞれの分野について、有意義な成果をあげた。さらに、東南アジア開発閣僚会議の具体的成果として、一九六七年末東南アジア漁業開発センターが正式に発足し、六八年三月には、同センター創立理事会がバンコックで開催され、その活動が開始された。

アジア開発銀行について、わが国は、当初よりその設立、活動のために積極的に協力し、米国とならんで二億ドルという加盟国中最大の出資を行なうほか、農業開発、技術協力に関する銀行の特別業務活動にも積極的に貢献してきている。また二国間べースでは、六六年中わが国は、既にマレイシアに対し、従来の例よりも緩和された条件の直接借款を提供し、既に交渉が妥結した。インドネシアに対しては、六六年七月、三〇百万ドルの緊急援助の供与を決定し、九月には同国に対する債務に関する多数国間会議を東京において主催する等、同国の経済再建に積極的に協力している。この他ラオスのナムグム・ダム建設に対する拠出、同国の為替安定基金に対する追加拠出、カンボディアのプレクトノット・ダム建設計画に対する積極的協力の表明等、わが国の東南アジア向け経済協力は著しく活発化した。

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