貿易・経済関係の使節団および要人の交流
政府は、一九六七年六月一〇日から三〇日まで、木川田一隆東京電力社長を団長とする経済使節団を米国中西部に派遣した。
米国中西部は、米国経済の心臓部ともいわれる地域であるが、本使節団は米国中西部の州政府および財界等の要人と接触して、米国中西部、ひいては米国との経済交流拡大の方途を探究した。
政府は、一九六八年一月一九日から二月二一日まで伊原隆横浜銀行頭取(外資審議会委員)を団長とする外資問題調査団を欧州およびカナダの一〇カ国に派遣し、資本自由化問題についてその産業経済面への影響や技術導入自由化問題との関連につき現地調査するとともに、資本移動の自由化が諸国間の国際関係やわが国の国際的立場に及ぼす影響について種々検討を行なった。
政府は、一九六八年三月二五日から四月一八日まで新田義実ソ連東欧貿易会副会長を団長とする東欧経済調査団をハンガリー、チェッコスロヴァキア及びユーゴースラヴィアの三国に派遣し、これら諸国とわが国との間の今後の経済・貿易関係発展の方途、東欧諸国と西欧諸国との産業協力の現状につき、調査し、特にわが国と東欧諸国との産業協力の可能性を検討することに主眼をおきつつ、相手国政府首脳、経済貿易関係者との会談、各種の産業施設の視察等を行なった。
政府は、一九六六年度に派遣した中米カリブ海経済調査団にひきつづき、六七年度には、東京大学農学部の逸見兼三助教授をメキシコ、グァテマラ、エル・サルヴァドル、ジャマイカおよびドミニカの五カ国に派遣し、これら諸国が当面する農業問題と、わが国の経済技術協力の可能性について調査した。
政府は六八年三月二二日より三週間にわたり、慶応義塾大学経済学部気賀健三教授をチェッコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアおよびユーゴースラヴィアの東欧五カ国に派遣し、日本経済に関する講演会を開催、わが国経済事情に関する知識の普及と認識の強化に努めた。
一九六七年九月、ヒッケル・アラスカ州知事を団長とする貿易使節団が来日し、広く本邦財界と接触して、貿易の拡大、合弁企業の促進等について話し合いを行なった。
一九六七年一一月、エイヤース・シカゴ商工会議所会頭を団長とする貿易使節団が来日した。本使節団は、木川田東京電力社長を団長する政府派遣経済使節団の米国中西部訪問を契機として設立されることとなった日本米国中西部会との会議に出席したほか、わが国産業の視察等を行なった。
一九六七年一一月、ウィスコンシン州からはノールズ知事を団長とする貿易使節団、またハワイからはハワイ商業会議所の貿易使節団が来日し、わが国財界と懇談し、また各地を視察した。
ロバート・H・ウィンタース・カナダ通商大臣は、日本とカナダの貿易関係、万国博参加問題等について、日本側閣僚と懇談を行なうため、一九六七年一〇月一〇日、来日した。
同大臣は、一〇月一四日まで本邦に滞在し、その間、三木外務大臣、菅野通産大臣、倉石農林大臣と会談したほか、万国博の敷地を視察した。
仏国防省国際局長ボント将軍は、わが国産業、とくに重工業事情視察のため、一九六七年一〇月一日来日、政府当局者や重工業関係者と会談し、各種工場の視察を行なって、同月八日帰国した。
ベルク・ドイツ工業連盟会長を団長とし、シュナイダー全独商工会議所会頭、ロッツ・フォルクスワーゲン社会長等により構成されるドイツ財界人一行一一名は、六七年一一月一七日より二五日までの間わが国を訪問した。一行は佐藤総理および三木外務大臣と会談したほか、わが国財界首脳部と、両国の経済情勢や、経済協力、貿易および資本自由化等の諸問題につき意見の交換を行なった。また両国財界人の話合いで、日独経済合同委員会を設置することが合意された。
一九六八年三月九日から一六日までベイリス英技術省次官補を長とする英国造船ミッションが来日し、わが国主要造船所を視察するとともに業界および政府関係者と懇談した。政府当局者間の会談では、六七年一一月のOECD造船部会において討議された輸出信用調整および国内造船所保護について意見の交換が行なわれた。
スコットランド振興会(The Scottish Council)の議長であるクライズミュア卿を団長とし、スコットランドの金融、産業界の代表二九名で構成されるスコットランド経済使節団は、日英両国財界の親睦を深めること、英国の対日輸出に対する英国業界の関心を高めること等を主目的として、一九六七年一〇月三日から一八日までわが国を訪問した。
一行は、外務事務次官に表敬したほか、各業種別グループにわかれ、東京および大阪において工場等を視察し、また、日本側関係業界代表と意見の交換を行なった。
イタリア上院議員アントニオ・ブッシ氏を団長とし、民間経済人を主体とする一行三四名のイタリア経済使節団はイタリアの対日輸出関心品目に関する調査のため、一九六七年一一月一一日から二四日までわが国を訪問した。一行は参議院議長、外務事務次官、その他関係者に表敬の訪問を行なったほか、各業種別グループに分れて東京および大阪の工場等を視察し、日本側関係業界代表と意見を交換した。
ロストフト・ノールウェー工業大臣を団長とするノールウェー使節団は、一九六七年一〇月二二日来日し、通産大臣、運輸大臣に表敬の後、各地の造船所等を見学したほか、関係業界代表との意見交換を行ない、同月二八日帰国した。
フィンランド外務省ハンニカイネン大使を団長とするフィンランド経済使節団は、わが国経済情勢の視察およびわが国経済界との意見交換のため、一九六七年九月三日来日し、日本商工会議所のあっせんで関係業界代表との懇談、工場見学等を行ない、同月六日帰国した。
アルゼンティンのアダルベルト・クリゲル・バセナ経済労働大臣は、サン・ミゲル次官以下三名の随員を帯同して、六八年三月わが国を訪問、佐藤総理、三木外務大臣、水田大蔵大臣、西村農林大臣、椎名通商産業大臣とそれぞれ会談し、日本による小麦、食肉等ア国産一次産品の買付けとわが国の資本財の対ア国輸出を中心とする両国間貿易拡大の必要性について、意見を交換した。
キューバのマルセロ・フェルナンデス外国貿易大臣は、一九六八年二月下旬来日、約一〇日間滞在し、三木外務大臣、椎名通商産業大臣と会談した。
イランのファトラ・ソトゥーデ郵政大臣は、六七年一一月一二日に来日し、二一日まで本邦に滞在したが、その間一三日に小林郵政大臣および田中外務政務次官を訪問し、両国貿易関係の一層の増進、電気通信の分野における両国の協力の推進等につき懇談したほか、日本電信電話公社などわが国の電気通信関係施設を視察した。
サウディ・アラビアのムハンマド・オマル・タウフィーク交通大臣は、随員三名をともない、一九六七年一〇月一八日来日した。同大臣は佐藤総理、三木外務、大橋運輸、小林郵政各大臣と会談したほか、わが国の主要産業施設を視察した。
エティオピアのアベベ・レッタ商工大臣は、わが国と同国との間の貿易協定(本書二五二頁参照)に署名するため、一九六七年八月一二日来日したが、その際同大臣は、佐藤総理大臣をはじめ三木外務大臣、菅野通商産業大臣、倉石農林大臣および宮沢経済企画庁長官等わが国政府首脳と会談し、両国間の貿易経済関係の進め方等につき意見の交換を行なったほか、経済界首脳部とも懇談し、一九日帰国した。
ボーレ・ユーゴー連邦経済会議所会頭を団長とするユーゴースラヴィア貿易使節団は、一九六八年一月六日来日、日本・ユーゴー間の貿易の拡大、産業協力、特にユーゴーの保税地域における生産加工の促進などの問題につき、三木外務大臣、椎名通産大臣等の政府首脳者及び財界代表者と会談したほか、わが国の産業施設を視察して、同月一七日帰国した。
OECD事務局のガス科学局次長は、一九六七年四月に来日し、技術格差問題について関係者と意見の交換を行なった。
このほか、OECD事務局からは、カストリアディス経済統計局国別審査一課長、ヘイウォード科学局教育投資計画課長、ジルメール貿易局総務課長等がわが国を訪問している。
ガット事務局マツール次長補(低開発国貿易局長)は、エカフェ総会出席のため、一九六七年四月二日から一〇日間来日したが、その間ガット貿易センターの今後の運営方針につき、日本貿易振興会等わが国の関係者と会談した。また、ガット事務局貿易開発局チュムラー参事官は、韓国の経済調査のため訪韓した後、一九六七年一〇月来日し、韓国の対日輸出関心品目(米穀、魚類、のり等)の日本における輸入制度等につき調査するため、関係省と会談した。
日本・カリフォルニア会は、一九六四年の岩佐経済使節団の訪米を契機とした日本・カリフォルニア間の経済関係の緊密化をはかろうとする機運の醸成を背景とし、また、和田前サン・フランシスコ総領事と岩佐団長のイニシァティヴによって、民間個人べースの会として、一九六四年一二月に設立されたものである。
本会の第一回会議は一九六五年一〇月川奈において、第二回会議はカリフォルニア州。パームデザートにおいて開催されたが、第三回会議は米側からピーターソン・アメリカ銀行頭取以下の代表団の参加を得て、一九六七年一〇月、志摩において開催され、日米間の経済問題、あるいはアジア・太平洋地域での日米協力等が討議された。
日米財界人会議は、一九六一年、対米経済合同委員会(経団連、日商、日本貿易会で組織されたもの)と全米商業会議所との話し合いの結果、日米貿易の拡大、日米の貿易障害の除去を含む日米経済関係の促進につき会議を行なうことが決定されたもので、一九六七年一一月、第五回会議が東京において開催された。米側からはシバース全米商業会議所会頭以下一二名が出席し、日本側からは石坂経団連会長をはじめ財界人三〇名が出席した。
日加実業人会議は一九六一年九月、カナダを訪問した経済同友会の経済使節団とカナダ製造業者協会の首脳部との間で、その開催につき合意をみたもので、その後、日本側においては経団連、日商、日本貿易会、経済同友会の四団体、カナダ側ではカナダ製造業者協会とカナダ商業会議所がこの具体化について話し合った結果、一九六二年に第一回会議が開催された。第四回会議(日本側団長、永野富士製鉄社長、カナダ側代表、エンゴルム・カナダ製造業者協会会長、および、キーフラー元カナダ商業会議所会頭)は一九六七年九月、モントリオール郊外において開催され、日加間の経済問題のみならず、広く国際経済問題について討議が行なわれた。
第二回日仏経済合同委員会は、一九六七年一〇月三〇日、三一の両日、東京において、仏側マーヨール団長以下四〇名の財界人、日本側石坂団長ほか三〇名の財界人が参加して開催され、日仏両国経済事情、日仏間貿易の拡大、日仏技術交流等の問題について、意見の交換を行なった。
第一回日伯経済合同委員会は、六八年二月東京において、三木外務大臣及びピント・ブラジル外務大臣臨席の下に開会式を行ない、次いで事務レベルで、日伯間通商関係の拡大均衡の方途について討議を行なった。
日本側は外務省鶴見経済局長を団長として、外務、通産、大蔵、農林、経済企画の五省庁の代表が会議に参加し、ブラジル側は在京ソアレス大使を団長として、マンジーア関税審議会会長、デ・ラ・ルーナ商工省官房長等総勢二〇名の代表団が会議に出席した。
第一回日墨経済合同委員会は、六八年三月東京で開かれ、日墨通商関係の拡大と均衡の方途について審議と検討を行なった。わが方は、外務省鶴見経済局長を団長として、前項の日伯の場合と同様の陣容、先方は、ペレス・ロペス外務次官補(国際経済担当)を団長として、アダメ前農林大臣ほか四名の代表が会議に参加した。
日ア両国の財界人の集りである日本・アルゼンティン経済合同委員会は、一九六六年三月日本で開かれた第一回会合のあとをうけて、一九六七年九月ブエノスアイレスでその第二回会合を開き、わが国からは、足立正日商会頭を団長とし、水上達三三井物産社長を副団長とする二七名の代表団が出席し、別に、国会より二名、外務、通産両省より各一名のオブザーバーが会議に列席した。
一九六五年に両国関係者の合意により設立が決った日ソ・ソ日経済委員会合同会議は、第一回会議を、一九六六年三月東京で開いたあと、一九六七年六月一二日より一四日までモスクワにおいて第二回会議を開催した。第二回会議では永野日ソ経済委員会常任委員を団長とする日本側代表団が、ネステロフ・ソ日経済委員会委員長を団長とするソ連側代表団と日ソ経済関係、とくにシベリア・極東開発協力問題について、討議を行なった。また日本代表団は、その機会にソ連政府関係者を訪問し、日ソ間の諸問題につき話し合った。
なお、同会議に副団長として参加した堀江ソ連東欧貿易会会長と、グビシアニ・ソ連科学技術国家委員会副議長との間に、六月一五日「科学技術協力に関する議定書」が署名された。
日波経済混合委員会第一回会議は、六七年一二月七日および八日の両日、ワルシャワにおいて開催された。本委員会は、六七年二月来日したトロンプチンスキー・ポーランド外国貿易大臣と三木外務大臣との間で署名された共同コミュニケ第六項に基づいて開催されたものである。
会議は、鶴見外務省経済局長を団長とする日本側代表団(うち、民間人五名が顧問として参加)、ヴィシネフスキー外国貿易省第二局長を団長とするポーランド側代表団の間で行なわれ、両国間の貿易拡大に関連する諸問題、特に(イ)ポルコヴィツェ銅山の開発協力、(ロ)重トラックの生産協力その他について協議を行なった。