中近東諸国(北アフリカを含む)と日本

 

1 中近東諸国との貿易の現状

一九六七年のわが国の対中近東輸出は、四億一、〇〇〇万ドルと前年の四億三、二〇〇万ドルに比し若干の減少を見、わが国総輸出に占める比率は四・四%から三・九%へ減少した。これには六七年六月に勃発した中東紛争が大きく影響しているが、このほかアルジェリアおよびスーダンの片貿易を理由とする対日輸入制限ならびにアラブ連合の外貨不足もマイナスの要因となったものと思われる。

他方一九六七年の対中近東輸入は、一五億五、九〇〇万ドルと前年の一二億六、四〇〇万ドルに比し約三億ドルの増加を見、わが国総輸入に占める比率は前年の一三・三%から一三・四%へ上昇した。わが国の対中近東貿易の特色の第一は、わが国のこの地域からの石油類輸入の重要性である。これは六七年一四億四、六〇〇万ドルに上り、金額で見てわが国石油類総輸入の八二・六%と前年と同じ高率を占め、とくに原油については九〇・八%と前年の八八・九%に比し若干依存度を高めている。

次に、従来からわが国の対中近東輸出構造の高度化とくにプラント輸出の促進の必要が叫ばれて来たが、ここ一年の間にはイラン向けマイクロウェーブ施設、クウェイト向け海水蒸溜装置等大型プラントの輸出商談が続々とまとまり、今後の見通しは明るくなりつつある。ただ大きなプラント輸入需要を有するアラブ連合トルコ等の諸国が外貨不足のため、わが方からの大規模な資金協力なくしては対日発注をなし得ないことが問題である。

また対中近東貿易上最大の問題である対日片貿易およびそれを理由とする各国の対日輸入制限問題については、中質綿花の市況の変化に伴い、トルコ、シリア、スーダン等からの綿花買付けが進み、他方アルジェリアからの鉱産物等の買付けも関係業界の努力により増加したため、わが国とこれら諸国との貿易不均衡が大幅に改善されたことが注目される。

中東紛争後、多くのアラブ諸国からわが国との経済関係緊密化への願望が表明され、これに呼応してわが国民間業界から企業別の使節団が出されるなどの動きが見られる。

政府としてもこうした動きを極力側面援助するとともに、対日輸入制限除去または防止のため関係国と交渉を進めており、また財政資金の許す範囲でプラント輸出促進のため信用の供与を行なっている。

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2 中東紛争の石油供給と海運収支に対する影響

中東紛争はわが国の経済にさまざまな影響を及ぼしたが、とりわけ石油供給と海運収支に与えた影響は顕著であった。

わが国は一億トンをこえる原油需要の九九%を輸入に依存しているが、そのうち中東諸国からは九〇%(アラブ諸国からは六〇%)を輸入しており、またスエズ運河以西のソ連、ルーマニアからも原油および重油計約一、四〇〇万トン(一九六六年)を輸入していたため、中東紛争発生で石油供給の危機に直面した。しかしわが国は今次紛争に対し厳に中立的な態度で終始し、国際連合の内外において紛争の早期解決に努めた。このため、わが国はアラブ諸国から友好国と見なされ、米・英のごとく禁輸を受けることはなかった。従って直接的にはスエズ運河閉鎖によってソ連、ルーマニアからの輸入が影響を受けたのみにとどまった。

一方、スエズ運河は東西交易の要衝として年間二万隻以上(トン数にして二億七千万トン)の船舶が通行し、通過貨物量は二億四千万トンに達していたが(数字は一九六六年)、同運河の閉鎖によって、世界的な船腹不足、海上運賃の上昇が生じた。この影響で、恒常的なわが国の海運収支の赤字はさらに年間一億五千万ドル程度増大することが見込まれている。

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3 イランとの貿易交渉

一九六四年七月に結ばれ、一九六六年七月まで延長されたイランとの間の貿易協定を再延長するため、同年六月から両国の間に交渉が行なわれたが、イラン側が日本のイラン産品の買付け増大、殊にイラン国有石油会社からの石油買付けを強く要求したため妥結に至らず、同協定は期限切れとなり、以後両国間貿易は無協定のまま続けられていた。

この間、イラン経済省は一九六七年三月二一日に始まるイラン暦一三四六年度輸出入規則で、わが国の対イ輸出関心品目であるタイヤ、チューブ、スフ綿、板ガラス、モーターサイクル等を事前許可制品目とし、事実上、若干の対日輸入制限を実施した。もっともその後スフ綿は、事前許可制から外され、また、六八年三月二六日発表されたイラン暦一三七年度輸出入規則でモーターサイクルも自由化された。

わが国としては、両国間の貿易関係を安定した基盤にのせるために一九六七年以来、イランとの間に新協定締結交渉を行なって来たが、イラン一次産品の買付け計画額の増大、将来のLPG(液化石油ガス)買付け等につきわが方が譲歩したことにより交渉は妥結し、六八年六月二三日相互に貿易に関する無差別待遇の供与を約する新協定の署名が行なわれた。

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4 トルコとの貿易関係

六〇年代、わが国の対トルコ輸出は、一九六一年をピークに例年一千万ドル台であり、一方輸入は、二、三百万ドル台で常にわが国の出超となっていた。ところが六七年は輸出が一、六〇三万ドルにとどまったのに反し、前年より増加を示し始めていた輸入が一挙に二、六六一万ドルに達し、はじめてわが国の入超となった。

この輸入著増の原因は、主として綿花、銅の輸入増加によるもので、従来より主要品目であった葉煙草とあわせ、これら三品目で対トルコ輸入総額の約九〇%を占めている。

トルコは元来、欧米諸国の市場であって、日本商品の知名度が低く、またわが国の技術に対する認識も不充分であるが、更に地理的条件も加わって、トルコの貿易に占める対日貿易の割合は小さかった。しかし最近トルコは、その工業化政策、経済交流地域拡大政策の一環として、わが国に対しても、同国産品の買付増加やわが国の経済協力を機会ある毎に要請するなど経済交流の促進をはかろうとする動きを見せている。ただ同国の国際収支は近年大幅な赤字を続け、これを埋めるため受入れた外国からの借款等の返済が年々巨額に上り、その対外債務弁済能力が低下しているため、わが国からの輸出信用供与も円滑を欠くきらいがある。

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5 アラブ諸国のイスラエル・ボイコット問題

アラブ諸国のイスラエル・ボイコットはイスラエル建国以来引き続き実施されているが、一九六七年六月の中東紛争以後は更に一層強化されている。すなわち、イスラエルに戦略物資を輸送した船舶のボイコットは従来は個々の船舶が対象とされていたが、一九六七年六月以降は当該船舶のみならず所属船舶会社にまで及ぶこととされ、当該会社所属の全船舶がアラブ諸国の港あるいはその領海に入ることが禁止されることになった。

わが国としては、イスラエル・ボイコットは国際法上の見地からも問題があるとの理由からこれを容認していない。諸外国政府も何れもこの種ボイコットの合法性を認めていないが、問題が生じた場合各国とも政府として直接介入することは差控えている。

わが国の企業がボイコット・リストに掲上された際には、政府は当該企業と連絡をとり、その要請に応じリストから削除するよう非公式に先方の関係当局と折衝する方針をとっている。

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6 イスラエルとの貿易関係

わが国とイスラエルとの貿易額は従来漸増傾向をたどっており、一九六七年には中近東紛争の影響がみられたものの、わが国の輸出は一、八二〇万ドルで、前年に比し一〇%程度の減少にとどまり、他方輸入は一、五六〇万ドルと、前年比二九%の増加を見せている。

一九六七年六月の中東紛争に際しては、チラン海峡が封鎖され、わが国とイスラエル間の貿易関係が一時中絶されたものの、その後間もなく同海峡は再開され、封鎖による実質的影響は殆どみられなかった。ただし対イスラエル貿易が前述のイスラエル・ボイコットによってかなりの制約をうけていることは否定できない。

なお一九六七年一一月の英ポンド切下げに際し、イスラエル政府は同国平価の同率(一四・三%)の切下げを実施しており、この措置は輸出振興による経済建直しを目的としたものとみられるが、その結果わが国の同国向け輸出は減少し、輸入は増加するという影響があらわれている。これに関連して今後鉄鋼、機械、電気器具等の品目については、わが国に代わって英国がイスラエル市場に進出することも予想される。

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7 イラクとの貿易関係

わが囗のイラクからの輸入の大宗は石油で、デーツがこれに次ぐ。一九六七年の対イラク輸入は四、一九七万ドルで、前年に比し二、七五〇万ドル減少し、輸出は一、九六二万ドルで八五五万ドルの減少をみた。このように対イラク貿易はわが方の入超であるが、イラク側は石油を自国の輸出としてカウントしていないため、これを除くと、イラクからの輸入は九二万ドルで、わが国の一方的出超となる。なお一九六七年の貿易が輸出入とも不振であったのは中東紛争の影響によるものである。

他方一九六四年九月に締結された日・イ貿易協定は六七年度も無事更新され、イラク側が毎協定更新に際し特に強調しているデーツの買付けも、政府業界の努力により継続されている。

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8 アラビア湾岸土侯諸国との貿易関係

一九六七年におけるわが国のバハレーン、カタール、オーマン等土侯諸国の輸出は三、〇三〇万ドル、輸入は五、四六五万ドルで、前年度に比し輸出四七%増、輸入は七〇%の急増をみた(輸入の大部分は石油である)。またアブダビの石油資源開発のため、わが国業界が六七年一二月アブダビ政府と石油利権協定を締結するなど、わが国と土侯諸国との経済関係は最近とみに緊密の度を増している。

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9 アラブ連合との貿易関係

一九六七年のわが国の対ア連合貿易は、輸出一、一〇〇万ドル、輸入一、九〇〇万ドルで八○○万ドルの入超であった。これを前年に比較すれば、輸入はほぼ同額であったものの、輸出は四〇%以上の減少となっている。このような対ア連合貿易の激減は、中東紛争の影響もさることながら、一九六六年末頃から顕在化した輸出債権繰延べ問題が六七年中何らの進捗もせず、未解決のまま残っているためである。対ア連合輸出は従来、重化学工業品を中心とした延払決済によるものが大宗をなしているので、大口輸出は事実上停止している。

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10 スーダンの対日輸入制限

スーダンは一九六一年より国内経済開発一〇カ年計画を実施しているが、同計画の進行に伴い、六四年頃から資本財などの輸入が激増し、同国の国際収支を圧迫するに至った。そのため、政府は六六年、同国産の綿花の買付け量の多い国との貿易を優先する政策を強化するとともに、日本に対しても六五年度の綿花買付け量を不充分として、六六年五月、繊維品、タイヤ、チューブについての対日輸入制限措置をとった。さらに七月グローバルな輸入禁止措置をとるに至ったが、その後綿花輸出の好転やIMFからの借款供与などにより、外貨事情は一応好転し、対日輸入禁止も解除された。しかし、具体的な輸入割当については、依然綿花の買付量を勘案した国別割当を続行しており、特にわが国繊維品の輸入には厳しい制限を課している。

これに対し、わが方は綿花等の買付け増加に努め、片貿易の是正を計った結果、六六年の貿易関係はほぼ均衡し、更に六七年には輸出一、二七〇万ドル、輸入一、七二〇万ドルと、四五〇万ドルの入超を示すに至ったため、スーダン側の対日輸入制限の理由はなくなったので、制限解除につき、重ねて申入れを行なっている。

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11 アルジェリアとの貿易関係

アルジェリア政府は従来わが国からの輸入品には共通税率(同国の一般税率に比し低い税率)を適用していた。しかるに一九六四年以降、わが国の輸出が急激に伸び、その反面、アルジェリアからの買付けがほとんど進展を見ず、一九六五年には、その輸出入比が二九二対一という甚だしい不均衡を記録するに至った。このような情況の中にあって、アルジェリア側は片貿易状態を不満として、一九六六年二月には合成繊維等を輸入割当制へ移し、さらに一九六七年二月には突如として対日輸入関税を一般税率(共通税率の三倍)とすることに決定、即日実施するに至った。これに対しわが方は直ちに強く抗議し、対日差別関税の撤廃を求めたが、アルジェリア側は対日貿易バランスの改善なくしては撤廃に応じられないとの態度を変えなかった。このため一九六七年のわが国の対ア輸出は、六五年の二分の一以下に激減したが、他方、わが国のアルジェリア産品買付け努力によって、輸入は前年の五倍を上回った。政府はこのようなわが方の買付け努力による輸入増大の事実をアルジェリア側に示しつつ、前記差別待遇を撤回するようしばしば強く要求したところ、ア側でも近く一般税率適用の撤回を発表するとの意向を示唆している。

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12 モロッコとの貿易関係

一九六七年のわが国の対モロッコ貿易は輸出入とも順調な伸びを示したが、わが国は同国から大量の燐鉱石を輸入している反面、輸出は比較的小規模にとどまったため、依然わが国の入超となっている(一九六七年、輸出四九二万ドル、前年比三三%増、輸入一、一〇五万ドル、前年比三四%増)。

モロッコは、一九六七年六月二六日より、従来の通貨地域別輸入制度を廃止し、それとともに同国に輸入される品目を、(1)自由化品目、(2)許可品目、(3)禁止品目に分け、この商品分類をグローバルに適用することとなった。かかる新しい輸入制度の導入により、現行の日・モ貿易取決の付属B表(モロッコに輸入される日本国産品)の対日特別割当(総額三二四万ドル)は事実上無意味となったが、同表掲上品目のうち「養殖真珠」と「事務用品」の一部が輸入禁止品目となったほかは、過半数が自由化品目に移行した上、わが国産品は他のすべての第三国(例えばフランス)産品と制度上は同一の取扱いをうけることになった。

従って、新輸入制度の運用如何にもよるが、全般的に価格面で有利とされているわが国産品は、売込努力次第では、かなりの進出が期待される。

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