諸外国との貿易経済関係
北米諸国と日本
わが国の対米貿易は、一九六五年、六六年とつづいた出超のあと、一九六七年には再び入超に転じた。これは同年中、内需が旺盛で輸出ドライブがかからなかったこと、また他方において、対外貿易全般の趨勢を反映して、輸入が著しく増加したことによるものである。
すなわち対米輸出は、前年比一・六%増の三〇億一八〇〇万ドルであったのに対し、輸入は、前年比二〇・九%増の三二億〇五〇〇万ドルに達し、対米貿易赤字は一億八七〇〇万ドルあった。
六七年の米国に対する輸出入がわが国総輸出入に占める割合は、輸出が二九・八%、輸入が二七・五%であった。
主要輸出商品中、伸びの大きかったのは、自動車(対前年比三三・四%増)、ラジオ(一九・七%増)、テレビ(七・四%増)などであったが、大きく後退した商品にオートバイ(五三・五%減)があった。
主要輸入商品中、伸びの大きかったのは、鉄鋼くず(一一三%増)、石炭(四三・七%増)、電子計算機(五一・四%増)などであるが、食糧品が前年比七・九%減であったのを除き、一般に大幅な増加であった。
(イ) 一九六七年の米国連邦議会(第九〇議会第一会期)においては、多数の保護主義的法案が提出され、その対象も、鉄鋼、繊維をはじめとして、食肉、酪農品等広範囲にわたった。しかしわが国をはじめ多くの外国政府がこのような傾向に対し強い反対の意向を表明し、また、米国行政府も自由貿易主義を堅持する意図を明らかにしたこともあって、結局これらの法案は、一九六七年においては一件も成立しなかった。このように、一九六七年において保護主義的動きが強まった原因としては、ケネディ・ラウンド交渉が六月に妥結し、業界によっては、関税はもはや輸入抑制効果をもたないこととなるとの意識を抱くようになったこと、並びに一九六八年の大統領および上下両院議員の選挙を控え、業界の圧力が議会等に強く作用する時期にあたっていること等が考えられる。
(ロ) 一九六八年(第九〇議会第二会期)の議会においても、このような保護主義的動向は依然として強く、これらの保護主義的法案が独立に、或いは他法案のライダー(修正条項)として提案されることが懸念されていたが、すでに繊維については、この事態が生じている。米国行政府は一九六二年に制定された通商拡大法の関税引下げ権限条項が一九六七年六月末に失効したことにもかんがみ、今後の通商政策を検討中であるが、このような保護主義的な動きは米国政府の検討に何らかの影響を与えるおそれもある。
米国の関税評価制度の関係で、一九六七年四月から一九六八年三月までに問題となった案件は次のとおりである。
(イ) 関税法第四〇二a条
第四〇二a条によれば、一九五六年関税簡素化法に基づいて財務長官が発表したリストに掲載されている品目については、税関当局は、輸出価格か輸出国の国内価格のいずれか高い方を評価基準とすることとなっている。
本条項に基づき、わが国の対米輸出商品で特に問題となっているものとしては、真空管の関税評価に係わる関税裁判問題がある。
この問題は、米国税関が、わが国から輸出している真空管に対し、第四〇二a条に基づき一九六一年八月よりインボイス価格の約三倍にも達する評価を行なわんとしたことに端を発し、その後、四〇二a条の輸出国の国内価格の定義の解釈をめぐって一九六二年以降、関税裁判所において輸入業者側と米国税関当局との間で争われて来たが(「わが外交の近況」第十一号一八七頁および第十号一九四頁参照」)、結局一九六七年六月に第三審裁判所で輸入業者側の敗訴の判決が下された。
このように関税法第四〇二a条は、その運用の如何によっては、輸入制限的効果をもつものであるので、政府としては、第六回日米貿易経済合同委員会およびホノルルで開催された合同委員会小委員会の席上ならびにケネディ・ラウンド交渉の際などあらゆる機会に米国政府に対し、第四〇二a条の早期撤廃を要求してきている。
なお、ケネディ・ラウンド交渉に際し、米国政府は、第四〇二a条撤廃までの間、同制度の運用について日本政府と協議する用意があること、および第四〇二a条に基づき、日本で価格調査を行なう場合には、事前に日本政府に通報することを約束した。
(ロ) A S P
米国では、特定の輸入品については、輸入品と同種の米国産品の米国内での販売価格(ASP)を基準として、関税が課されることになっている。
このような方法で課税価格が決定される商品として米国関税表中にその旨が特記されているのは、ベンゼノイド系化学製品のみであるが、そのほかに、関税法第三三六条に基づくものがある。同条によれば、外国産品の価格と国内産品価格の均等化を図るため、大統領は、関税委員会の調査に基づき、関税率につき五〇%以内の増減を行なうこと、それでも目的が達せられないときはASPを基準として課税ができることになっている。米側は、これに基づきゴム底布靴、あさり罐詰、毛糸編み手袋の三品目に対し、ASPを基準として課税を行なっている。
ASPを基準とする関税評価方式は、不合理なものであり、かつ、きわめて強い輸入制限的効果を発揮するものであるので、政府は機会あるごとに米国政府に対し、この制度の早期撤廃を要求してきている。ケネディ・ラウンド交渉では、米国政府と関係諸国との間にベンゼノイド系化学品(EEC、英国、スイス)、あさり罐詰および毛糸編み手袋(日本)については撤廃及び撤廃後の換算税率につき、それぞれ合意が成立した。しかし、わが国の関心品目であるゴム底布靴については、撤廃後の換算税率の点で折合いがつかなかったため、合意の成立を見なかった。
米国のダンピング防止法によれば、ある輸入商品がいわゆる公正価格以下で販売され、しかも輸入により米国の産業に被害を与えるか、または与えるおそれがある場合にダンピング税が課されることになっており、価格が公正価格以下であるか否かについては財務省が決定し、国内産業に対する被害の有無は関税委員会が認定することになっている。
一九六七年四月から一九六八年三月までの期間における同法に基づくわが国商品に対する調査状況は次のとおりである。
(イ) 一九六六年七月に「関税評価差止め措置」がとられていた壁タイルについては、本邦関係業者が価格を改訂し、かつ、今後は公正価額以下での販売を行なわない旨の誓約を提出したので、一九六七年七月、米国財務省は公正価額以下での販売ではない旨の仮決定を行なった。この仮決定に対し米国タイル・メーカーは同年八月に異議申立てを行なったので、財務省は、同年九月に利害関係者の出席を求めて聴問会を開催した。しかしながら、聴問会において米国タイル・メーカー側から仮決定をくつがえすに足る反証は出ず、結局、財務省は、同年一一月二一日に、公正価額以下の販売ではない旨の最終決定を行なった。
(ロ) 一九六六年六月以来、ダンピング調査が行なわれていたアイス・スケートの刃については、一九六七年二月に公正価額以下での販売である旨の仮決定が行なわれ、同時に関税評価差止めの措置がとられた。しかしながら本邦関係業者の異議申立てに基づき、財務省は、再調査を行なった結果、同年六月二日に公正価額以下の販売ではない旨の最終決定が行なわれた。
(ハ) 一九六六年六月以来、ダンピング調査が行なわれていたチオ尿素については、一九六七年八月二九日に財務省は公正価額以下での販売でない旨の最終決定を行なった。
(ニ) このほか、一九六七年六月から八月にかけて行なわれた米国関係業界の提訴に基づき、財務省は、高速鋼ドリル、真空管、カーボン固定抵抗器、ナフトエ酸の四品目につき調査を開始した。これらについては、いずれも調査継続中である。
一九六二年の通商拡大法には、通商協定により譲許を与えられた商品が、譲許の結果、米国産業に被害を与えるか、または与えるおそれがあるほど多量に輸入されるときには、大統領が関税委員会の報告に基づいて関税引上げまたはその他の輸入制限措置をとることが出来るという、いわゆるエスケープ・クローズ(免責条項)の規定がある。
一九六七年四月より一九六八年三月までの期間に行なわれた同法に基づく関税調整申請は、「理容椅子」一件である。これは、米国理容椅子二大メーカーが関連労働組合と協議の上、一九六七年七月に関税委員会に申請を行なったものであるが、同委員会は、調査の結果、同年一一月七日、この申請を却下した。
なお、通商拡大法の前身である一九五一年通商協定法延長法によりエスケープ・クローズ措置がとられ通商拡大法施行後も引続き同措置がとられていたものは、八品目であったが、そのうち(イ)鉛および亜鉛、(ロ)時計ムーブメント、(ハ)体温計、(ニ)安全ピンの四品目については順次エスケープ・クローズ措置が撤廃され、一九六七年一月現在、エスケープクローズ措置のとられていたのは、(イ)板ガラス、(ロ)金属洋食器、(ハ)ウィルトン・カーペット、(ニ)綿製タイプライター・リボン・クロースの四品目であった。ところで通商拡大法の規定に基き、大統領は、同法成立後五年以内すなわち一九六七年一〇月一一日までにこれらの四品目について同措置の撤廃ないし継続を決定することとなっていた。大統領は、関税委員会の調査報告、行政府の意見等を勘案の結果、同年一〇月一二日、金属洋食器および綿製タイプライター・リボン・クロースについては、エスケープ・クローズ措置を撤廃し、板ガラスおよびウィルトン・カーペットについては、一九七〇年一月一日まで同措置を継続する旨を公表した。
連邦政府による米国内物資調達については、一九三三年の連邦バイ・アメリカン法により、外国品との間に一定以上の価格差がない限り原則として米国品を購入すべきこととなっている。また、米国外における調達についても、一九六〇年のアイゼンハワー大統領指令に基づき、ドル防衛策の一環として、国防省、AID(国際開発局)その他各省庁は米国品優先政策の強化に努めてきたが、一九六七年四月には、かねてより国防省にならって事実上実施されてきたとみられる五〇%価格差基準を明文化して各行政機関の手続を一本化する措置が発表された。
他方、州その他の地方政府によるバイ・アメリカン問題については、カリフォルニア州バイ・アメリカン法をめぐる米国製鉄会社ベスレヘム社の提訴事件がある。本件について、一九六六年一二月、ロス・アンゼルス郡加州高等裁判所は、鉄鋼の国際入札を実施したロス市水道電気局、および落札した日本商社を相手取り、カリフォルニア・バイ・アメリカン法違反の訴えを起した「べ」社の仮処分申請を却下し、さらに、一九六七年五月、「べ」社は再審請求で敗訴した。しかし、「べ」社はこれを不服とし、控訴したため現在なお係争中である。同州が日米貿易に占める重要な地位にかんがみ、本件訴訟の成り行きが注目される。また、一九六七年中、マサチューセッツ、ペンシルバニア、テキサス等の諸州において、バイ・アメリカン法が提案されたが、いずれも成立するに至らなかった。しかし、一九六八年に入ってからも、ペンシルバニア、マサチューセッツ、メリーランドおよびワシントンの諸州においてバイ・アメリカン法案が提案されており、その成り行きが注目される。
米国の国際収支は、一九五〇年以降、一九五七年に五億ドルの黒字を記録した以外、毎年大幅の赤字を続けてきた。米国政府は一九六三年に利子平衡税を設定し、また、一九六五年には金融機関の海外貸付及び民間企業の対外投資について一定の基準を設ける等赤字の削減を図った結果、一九六五年及び一九六六年の赤字幅は一三~一四億ドル程度にまで減少した。ところが一九六七年に入り、ヴィエトナム戦争の激化に伴う海外軍事支出の増加、民間の対外投融資の増大、貿易収支の黒字が予想程のびなかったこと、観光収支の悪化等に加えて、一一月一八日の英ポンド切下げにつづく国際通貨不安から多くの赤字要因が発生したため、一九六七年の年間の国際収支赤字は三六億ドルに達した。またいわゆるゴールド・ラッシュのため、米国の金保有高は一九六七年末には一二〇億ドルを下廻るようになったので、米国政府としてはドル防衛のために思い切った対策を打出さざるを得なくなった。
一九六八年一月一日、ジョンソン大統領は国際収支に関するメッセージを発表し、国際収支の大幅改善のために抜本的な諸措置をとることにより、ドル防衛をはかる決意を明らかにした。メッセージは(1)海外直接投資の規制で一〇億ドル、(2)海外貸付の規制で五億ドル、(3)海外旅行の制限で五億ドル、(4)政府海外支出の削減で五億ドル、(5)貿易収支の改善で五億ドル、合計三〇億ドルの国際収支改善目標をかかげている。
メッセージ発表直後、ジョンソン大統領は米国の国際収支対策について、友好諸国の理解と協力を求めるため、カッツェンバック国務次官をヨーロッパ諸国へ、ロストウ国務次官を、日本、オーストラリア、ニュー・ジーランドへそれぞれ派遣した。一月二日から四日まで日本を訪問したロストウ国務次官は日本政府首脳ならびに関係事務当局に対し、米国が国際収支対策のための諸措置をとるに至った背景ならびに措置の内容について説明するとともに、日本政府の理解と協力を求めた。その際、同次官は貿易収支の改善に関連し、米国は目下ヨーロッパ諸国の国境税調整の緩和を求めて話し合っているが、その結果如何によっては、米国自身がこれと類似の制度を採用することを考えている旨を述べた。(註、国境税調整とは、間接税を輸出に際し払い戻し、輸入に際して課することである。米国は以前からこの制度はヨーロッパ大陸諸国のような間接税の比重の大きい国と、米国の如き直接税中心の国との間に貿易上不公平を生じると主張していた。特に最近EECが域内の取引高税制度を付加価値税方式に統一することを決定し、これに伴い一部の国がその税率の引上げを行なうこととしたので、米国としてはその緩和を求める一方、EECがこれに応じない場合に備え、米国国内の製造及び販売の過程で課される各種の間接税を算定の基礎とする類似の制度を考慮することとしたものである。)
わが国としては、世界の基軸通貨であるドルに対する信認を維持することが世界経済の安定に不可欠のものであり、かつ、わが国の利益にも合致するとの考え方に基づき、米国のドル防衛には出来る範囲内で協力する方針である旨を明らかにしたが、米国がヨーロッパ諸国の国境税調整対策の観点から類似の措置を導入すれば、その結果、わが国の貿易に大きな影響を与えることとなるので、米国政府に対し、このような措置をとらないよう強く要望した。
その後米国政府内部に国境税調整よりもガットのウエーバーを得て輸入課徴金ないし、輸入課徴金と輸出払戻しとの組合せの方が望ましいとの考えが出て来た模様であり、後にはむしろ輸入課徴金一本に傾いていた模様であった。
このような米国政府の動きに対し、一月二五、二六の両日、ホノルルで開催された日米貿易経済合同委員会小委員会の席上、日本側から、米側が検討中の国境税調整ないし輸入課徴金のような措置は新たな貿易障壁の創設であり、ケネディ・ラウンドの精神に反すること、他国の対抗措置を誘発し、世界貿易の縮小を招く恐れがあること等を指摘して強く反対の意向を伝えた。さらに二月二四日には下田駐米大使から米国政府に対し口上書をもって、右と同趣旨の理由をあげて、米国が輸入課徴金ないし国境税調整のごとき貿易制限的措置をとることに強く反対するとともに、米国のドル防衛が国際協調により世界経済および貿易拡大の方向で解決することを望む旨を申し入れた。また、三月四日には三木外務大臣からジョンソン駐日大使に対し、同様の申し入れを行なった。
他方、米国とEEC諸国の話し合いは依然として続けられていたが、EEC諸国の一部から、米国以外の先進国がKRアクセラレーシヨン(註、ケネディ・ラウンド交渉で合意された関税引下げの繰上げ実施)を行なうことにより米国の国際収支改善に協力するという案が示唆され、EEC共同体委員会でその可能性と影響について検討を行なっていたところ、三月一四日に、英国が他の先進国が同様の措置をとること等一定条件の下にKRアクセラレーシヨン実施の用意ある旨を発表し、わが国も三月一八日に、EECその他主要国がこぞってKRアクセラレーシヨンを行なうこと、米国が輸入課徴金、輸入制限立法等の貿易制限的措置をとらないこと等を条件に、原則としてKRアクセラレーション実施の方向に踏み切る用意のあることを明らかにした。また、EFTA(欧州自由貿易連合)諸国も相次いで英国と同様の意向を表明した。
(注) 四月九日に至りEEC閣僚理事会は次の前提のもとに一九七〇年一月一日に予定されているEECのKR関税引下げを一九六九年一月一日に繰上げて行なう用意のある旨、および米国が希望すれば、米国が六九年一月一日に予定している第二回の引下げを一年間延期することを認める用意のある旨を発表した。
(1) 米国が輸入面で何らの保護主義的措置をとらず、何らの輸出補助金を設けないこと。
(2) 米国が一九六九年一月一日までにASPを廃止すること。
(3) GATTの主要国、特にEFTA諸国、日本、カナダが同様の繰上げ実施を行なうこと。
かかる動きを受けて、繰上げ実施に関する共同宣言を作成する構想により、GATTの非公式会合の場で話し合いが行なわれたが、米国およびEECの双方にとって受諾可能な共同宣言案の作成には至らず、結局五月一日に討議の集約という形で、ホワイト事務局長が大要次のとおりの声明を発表した。
(1) 日本、EEC、英国その他のEFTA諸国およびカナダの一一カ国(EEC構成国を個別に数えれば、一六カ国)は一九七〇年一月一日に予定されているKR関税引下げを一九六九年一月一日に繰上げて行なう用意があり、また一九六九年一月一日に予定されている米国の引下げを延期することを認める用意があることを事務局長に通報した。
(2) ただし、次の前提がみたされない場合には、関係国はこの決定を再検討する。
(a) 米国が国際収支保護のため、輸入制限措置または輸出補助措置をとらないこと。
(b) KRで合意された貿易の高度の自由化を維持すること、なかんずく、米国が化学品協定(ASP廃止)を実施すること、あるいは貿易の自由化に反するような保護主義的措置をとらないこと。
このような各国の積極的な働きかけの結果、米国政府もようやく輸入課徴金制度の創設を断念するに至った。
「綿製品国際長期取決め」に基づき、一九六三年八月に締結された日米綿製品取決め(その後一九六五年五月に一部修正され、さらに一九六六年一月に有効期間が暫定的に延長された)は、一九六七年末に失効することとなっていた。このため政府は、一九六八年以降の新取決めについて、米国政府と交渉した結果、一九六八年一月一二日、ワシントンにおいて、一九六八年一月一日から三年間の綿製品輸出を対象とする新取決めに署名を行なった。
新取決めでは、初年度枠(一九六八年度枠)を大幅に増大した上、これを基礎として年間増枠率を五%とし、かつ、これまで認められていなかった未達枠の次年度への繰り越し使用が一九六九年より認められている等、旧取決めと比較して、かなり改善されている。
米国連邦取引委員会(FTC)はかねてより毛製品品質表示法施行規則の輸入品への適用を検討し、過去三回(一九六六年九月、一九六七年六月及び同年一一月)にわたり、同規則の修正案(Rule36として現行施行規則に追加されるもの)を公示したが、そのつどわが国をはじめとする輸出国政府等から、同規則は、運用如何によっては、通関手続きが極めて煩雑となり、貿易障害になるので、善処するよう米国政府に申し入れたため、実施するに至らなかった。
その後、FTCは一九六七年一二月二八日付官報に同規則の最終案を公示し、施行日を一九六八年二月一二日とする旨発表した。
米国輸入業者協会(AIA)はFTCによるこのような規則の制定は法律違反であるとして、コロンビア特別地区地方裁判所に提訴していたところ、一九六八年二月一六日、同裁判所は本件訴訟が完結するまで同規則の一時執行停止を命じた。
米国関税委員会は、一九六七年一〇月四日の大統領命令にもとづき、米国繊維産業の実状(特に繊維品輸入の米国内産業に与える影響)を調査していたところ、一九六八年一月一五日、同調査の結果を取りまとめた報告書を大統領に提出した。
同報告書は、全文四三五頁で第一部総論と第二部各論とに分け、第一部においては生産、雇用、投資、輸入等の要因を概括的に分析し、第二部においては綿、毛、化合繊の各繊維別に米国繊維産業および企業の現状を詳細に分析している。
米国政府は、日本製自動車の対米輸出に関し米国が与えているのと同等な待遇が米国製自動車の対日輸出についても与えられるべきであるとの意向を最近繰返し表明してきている。一九六七年一二月に東京で開催された日米自動車会談において、米側が明らかにした具体的要望は、(1)自動車に対する輸入関税の引下げ、(2)大型車に対する物品税および自動車税の軽減措置、(3)エンジン等自動車部品に対する数量輸入制限の撤廃、(4)自動車産業についての資本自由化であった。この中でも米国政府および業界はエンジン等自動車部品の輸入自由化に当面もっとも強い関心を表明してきており、一九六八年一月にホノルルで開催された日米貿易経済合同委員会小委員会において、米側より早期輸入自由化の要請が行なわれた。わが国は、これに対し、わが国自動車産業の現状からして、現時点において輸入自由化に踏み切ることは困難である旨応答したが、これらの米側の要望は今後一層強まることが予想される。
ワシントン、オレゴン両州の中小製材業者を中心として展開されてきた対日丸太輸出制限運動は、同地域選出の連邦議員によってとりあげられたことから、中央の問題となった。米側の要請によって日米木材需給の技術的分析を中心とした第一回日米会議が、六七年一二月、ワシントンで開催され、次いで木材製品貿易拡大、林産物貿易混合問題、丸太の供給源拡大可能性等を中心とした第二回会議が、六八年二月下旬東京で開催された。
前後二回の会議を通じ、わが方は、米国北西太平洋岸の中小製材業不況の根本原因は対日丸太輸出の増加にないことを主張しながらも、製材の輸入増大等により、米側の問題解決の努力には協力する用意がある旨を明らかにする一方、わが国林産業界の立場に影響の大きい如何なる規制措置もとらないよう要請した。
日米両国は、一九六七年一一月六日、ワシントンにおいて、海運同盟の盟外船対策問題についての討議を行なった結果、今後も随時協議を行ない、航路安定のための努力を行なうことが確認された。なお、この際の日本側の招請により、FMC(連邦海事委員会)ハーレー委員長は一九六八年三月に来日し、海運当局との意見交換および港湾事情等の視察を行なった。
また、日米両国は、定期航路の運賃格差問題について、一九六八年二月二六、二七日東京において合同作業部会を開催し、技術的問題点の検討を行なった。
日米貿易経済合同委員会は、日米間の貿易経済関係を一層緊密化し、かつ、両国の経済閣僚が相互に直面する諸問題につき理解を深めることを目的として設けられたものであり、第一回会合は六一年一一月に箱根で、第二回会合は六二年一二月にワシントンで、第三回会合は六四年一月に東京で、第四回会合は六五年七月にワシントンで、第五回会合は、六六年七月に京都でそれぞれ開催された。
第六回会合は、六七年九月一三日から一五日までの三日間にわたりワシントンで開催され、会議には、日本側から三木外務大臣、水田大蔵大臣、倉石農林大臣、菅野通商産業大臣、大橋運輸大臣、早川労働大臣、宮沢経済企画庁長官の各委員が出席し、米国側からは、ラスク国務長官、ファウラー財務長官、ユードル内務長官、フリーマン農務長官、トローブリッジ商務長官、ワーツ労働長官、ボイド運輸長官、アクレー大統領経済諮問委員会委員長の各委員が出席した。
第六回委員会の討議は、ラスク国務長官が議長となり、次の議題について行なった。
(1) 日米経済情勢
(イ) 米国経済情勢
(ロ) 日本経済情勢
(2) 日米貿易経済関係の推移
(イ) 日米貿易関係の拡大
(ロ) 日米経済関係の推移
(3) 国際貿易経済関係の推移
(イ) ケネディ・ラウンド後の通商政策
(ロ) 低開発国貿易および国連貿易開発会議
(ハ) 東 西 貿 易
(4) 低開発諸国の経済開発における協力
(イ) 日米の経済協力政策と活動
(ロ) アジア開発のための経済協力
(5) そ の 他
以上の各議題につき活発な自由討議が行なわれた結果、本書資料編掲載の日米共同コミュニケが採択された。
この会議の焦点は、米国のケネディ・ラウンド後の通商政策、日本の資本自由化措置、アジアに対する援助についての日米両国の協力、対低開発国特恵関税供与の問題等であった。
この会議において、日米両国の貿易経済関係ならびに両国の直面する国際経済問題に関する見解について相互理解が深められたことは、今後の両国貿易経済関係の一層の緊密化に資するものと期待される。
一九六七年一一月にワシントンで行なわれた佐藤総理大臣とジョンソン大統領との間の会談において、閣僚レベルで行なわれる日米貿易経済合同委員会の下に事務レベルの小委員会を設けることが合意された(共同コミュニケ第八項参照)。これに基づき両国政府間で打合せた結果、小委員会は一九六八年一月二五および二六日の両日ホノルルで開催された。会議には、日本側から森外務審議官を団長とし、外務省、大蔵省、通産省および経済企画庁の関係局長が出席し、米側からは、ソロモン国務次官補を団長とし、国務省、財務省、商務省、特別通商代表部およびAIDの次官補クラスが出席した。討議は、(1)国際収支に重点を置いた日米経済情勢検討、(2)国際収支協力、(3)国際経済情勢の検討、(4)その他の四議題について行なわれたが、日米双方ともに重要な経済および金融問題についてきわめて卒直に意見を交換し、相互の理解を一層深めた。
わが国の対カナダ貿易の規模は、日米貿易、日豪貿易に次いで第三位に当っているが、貿易収支は常にわが国の入超となっており、一九五八年から一九六七年に至る一〇年間のわが国の対カナダ支払超過合計は約一六億ドルに達している。
一九六七年におけるわが国の対加貿易は、通関べースで輸出が前年比七・六%増の二億七、四〇〇万ドルであったのに対し、輸入は前年比四〇・四%増の六億三、三〇〇万ドルに達した。このため対加貿易収支は三億五、九〇〇万ドルの入超となり、入超幅は前年比一億六、四〇〇万ドルの悪化となった。
商品別にみると、輸出では従来繊維、雑貨などの消費物資が主要商品であったが、近年は鉄鋼、機械などの資本財が伸びている。六七年は繊維品が幾分減少(対前年比一・三%減)したが、六六年に伸び悩んだ鉄鋼、自動車が相当の伸びを示した(鉄鋼対前年比五・九%増、自動車七九・五%増)。また輸入は、小麦を中心とする穀物類と鉄鉱石、銅鉱石、石炭、加里塩を中心とする工業用原材料品がそのほとんどであり、小麦、金属原料その他の原料品など軒並み増加を示している。
前述のとおり、日加貿易は拡大を続けているが、わが国は、カナダの任意評価権の存在をも念頭において秩序ある対加輸出を図るため、ある種の品目の輸出について自主規制を行なっている(注、任意評価権とは、外国の産品がカナダの産業に損害を与えるような条件で輸入された場合、その輸入品の課税価格を任意な価額に評価するという制度である)。
一九六七年の貿易交渉は、同年一〇月に妥結した。現在わが国の対加自主規制品目は繊維品、金属洋食器、真空管の三品目であるが、これ等の自主規制品目の輸出額は、対カナダ輸出の約十分の一を占めている。