四 貿易経済に関する諸外国との関係および国際協力の進展
わが国の経済外交の動き
一九六七年のわが国の国民総生産は一千億ドルを超え、自由主義諸国中で第三位、共産圏を加えても米国、ソ連、ドイツに次ぎ第四位の経済規模に達している。そして経済規模の拡大に伴い、わが国と世界各地域との経済交流は、量的に増大の一途をたどるとともに質的にも緊密の度を加え、日本経済と国際経済との関連はますます密接化してきている。このような世界経済との強い結びつきを前提として、変転する国際情勢の中にあってわが国経済の一層の発展を計り、同時に国際経済界の責任ある一員として世界経済の安定と拡大に応分の寄与を行なうことが、今後のわが国経済外交に課せられた使命であろう。
もちろん日本経済は国内的に未だ多くの問題をかかえており、外貨準備の蓄積も充分でないという事実は充分念頭におく必要があり、従ってわが国としては、厳しい国際環境のなかでいかにしてわが国自身の経済基盤の強化と経済規模の拡大をはかり、しかも国際的な要請にこたえて先進諸国間の国際協力に貢献し、低開発諸国の経済発展に寄与するかという課題に直面しているわけである。この一年間わが国は以上のようなわが国経済外交の基本的な要請を念頭におきつつ、世界貿易の拡大、国際通貨体制の安定と改善、資本自由化、南北問題、アジア太平洋外交、東西貿易の拡大等多くの問題にとりくんで来た。
わが国経済外交の最大の課題の一つであった資本自由化問題については、すでに「わが外交の近況」第十一号においてもふれたように、政府は、欧米諸国の強い要望に応えて、一九六七年六月六日の閣議において対内直接投資等の自由化の方針を決定するとともに、七月一日から第一次自由化措置を実施に移した。またこれと関連して一九六七年九月より政府は技術導入の自由化の検討を開始した。かくしてわが国経済は八年前に開始された貿易自由化、そして今回の資本自由化措置により、ますます国際経済との関連を探めていくこととなった。なおわが国の今後の資本自由化政策を進めていく上での参考に資するため、政府は六八年一月から二月にかけて欧米諸国に外資問題調査団を派遣し、これら諸国における資本交流の実情とその影響について調査を行なった。
世界貿易拡大を目的として行なわれ参加各国の努力によって六七年六月末妥結した関税一括引下げ交渉、いわゆるケネディ・ラウンド交渉にわが国が積極的に参加して来た経緯については、「わが外交の近況」第十一号で詳述したが、ガット(関税及び貿易に関する一般協定)の場では、その後も非関税障壁の軽減撤廃等貿易拡大に関する重要問題が検討されており、わが国もこれら諸問題の討議に参加している。
ところが、ガットの場におけるこのような動きとは対照的に、ケネディ・ラウンド終了後の米国国内、特に議会において保護主義の動きが強まり、鉄鋼、繊維をはじめとして種種の品目についての輸入制限等が危惧される情勢となった。これに対し、わが国は米国がかかる措置を採った場合、その影響するところが大きく、世界貿易拡大の見地からみて、好ましくないと考える旨米国政府に伝えた。米国議会における保護主義の動きがその後行政府の強い反対もあって六七年末には一応下火になったことは、周知の通りである。他方六八年に入り、米国政府は輸入課徴金等の制度の検討を始めた。これは保護主義とは全く別の動きであり、広範なドル防衛策の一環として国際収支改善を目的とするものであったが、わが国としては、かかる措置は諸国の連鎖反応を呼び世界各国間の貿易の縮少を招く慣れが強いとの考え方に基づき、EEC諸国や英国等と相前後して米側に対し、貿易制限的措置の回避を要望するとともに、ケネディ・ラウンドによる関税引下げを繰上げ実施することにより、世界貿易拡大の方向で米国の国際収支問題の解決に協力する用意がある旨を表明した。
世界貿易とうらはらの関係にある国際通貨の分野において、この一年間にポンド切下げ、ドル不安の顕在化とそれに関連していわゆるゴールド・ラッシュ等、現行IMF体制の中枢にふれる大きな動きが相次いで起ったことは本書冒頭の「世界の動き」においてもふれたところであるが、わが国としては、世界経済の安定的拡大のためには国際通貨体制をめぐる諸問題が無用の混乱を生じることなく、国際協力に基づいた主要諸国の努力により解決されるべきであるとの立場から、IMF(国際通貨基金)や十カ国蔵相・中央銀行総裁会議等の場での国際協力活動に参加して来ており、また基軸通貨であるドルの地位を維持することの重要性にかんがみ、米国のドル防衛政策にも出来るだけ協力するとの方針を明らかにして来ている。
他方、世界貿易の拡大に対応してその増大の必要性が論議されて来た国際流動性問題については、六七年のIMF総会、六八年三月末の十カ国蔵相・中央銀行総裁会議の結果、特別引出権(SDR)の形で新しい準備資産を創設することとなったが、わが国としても国際間の信頼を基礎とした準備資産であるSDRを発足させ、各国の協力によりこれを発展させていくことによって、長期的な視野での国際通貨体制の安定と発展をはかることが望ましいとの見地から、SDRの創設を支持してきている。
さてこの一年間には南北問題に関しても、第二回国連貿易開発会議を中心として活発な動きがみられ、わが国も援助、貿易(特恵、一次産品)、海運等多くの分野における低開発国問題の討議に積極的に参加して来たが、そのうち最も注目されたのは低開発国産品に対する特恵関税供与の問題であった。従来先進諸国の特恵に対する考え方は、OECD(経済協力開発機構)理事会の下に設けられた米、英、仏、独四カ国専門家よりなる特恵小グループにおいて検討されてきたが、六七年四月以降、米国の特恵に対する態度が積極化したこともあり、その後急速に討議が進み、秋になって最終報告書が作成された。この報告書にもられた特恵供与案の骨子は、若干の修正を経て、一一月末のOECD閣僚理事会で採択され、将来の特恵制度の大綱に関する先進国間の合意が成立した。わが国は、特恵制度の実施によってとくに輸出面で先進国中最も大きな打撃を蒙る惧れが強いので、従来慎重な態度をとって来たが、この点について先進諸国の理解が得られるに至ったので、OECD閣僚理事会を前にして一九六七年一一月二四日の閣議で特恵制度導入に原則的に賛成するという態度を決めた。しかし、六八年二月から三月にかけてニュー・デリーで開催された第二回国連貿易開発会議においては、広範な特恵関税制度を主張する低開発諸国側の主張と、OECD加盟先進諸国側の考え方との間の懸隔の調整が進まず、結局出来るだけ早期に特恵を実施するため今後とも検討を続けるという原則的合意が得られるにとどまった。
低開発諸国との片貿易問題はわが国と相手国との二国間の問題であると同時に、国際的な南北問題の一環でもあるが、その重要性にかんがみわが国としては、従来種々の方策により片貿易問題に対処して来た。しかし問題の本質的な解決は、相手国産品の買付け増大以外になく、政府としても、かかる見地から、各種の一次産品調査団を派遣して産品調査を行なうとともに、開発輸入の推進に努めて来ており、今後とも長期的な視野に立って貿易の拡大均衡を目指して努力を続けて行く必要があるものと考えられる。
世界経済の拡大、南北問題とならんで各国の強い関心を惹いているのは、欧州共同体諸国をはじめ、世界各地で進められている地域協力の動きであるが、わが国が、アジア諸国の間での地域協力を進めていくための一つの考え方としてアジア太平洋構想を打ち出したことは、「わが外交の近況」第十一号でもふれたところである。これは東南アジア諸国相互間の協力関係の推進、太平洋をとりかこむ先進国であるカナダ、米国、豪州、ニュー・ジーランドとわが国の間の協力関係の緊密化、そして東南アジア諸国の経済発展に対する太平洋先進諸国の援助、協力を目標としたものである。かかる地域協力を推進するためには、その第一段階としてアジア・太平洋地域諸国の間の連帯感の醸成が必要であるが、そのためには政府レベルにおける協力関係の緊密化とともに、これら諸国の国民相互間の積極的な交流が必要不可欠であり、近年太平洋地域諸国の民間経済人の間で活発な組織づくりの動きがみられ、更に各国学者の間の定期的な会合が発足する等、わが国をはじめ関係諸国の間に地域協力推進の気運が芽生えて来たことは歓迎すべきことであった。
最後に、わが国の対外経済関係において重要性を加えつつある共産圏貿易について概観しよう。共産圏地域との貿易は近年急速に拡大してきたが、一九六七年には従来に比しその増勢はやや鈍化し、輸出入合計で増加率は約八%であった。これを地域別にみると、対ソ貿易は、わが国の原材料輸入の増加を反映して一九%の伸びを見せ、貿易額において対中共貿易をしのぐに至っている。日ソ間ではシベリア開発に関する話合いが行なわれており、またこれに関連して六八年一月バイバコフ副首相が来日する等、経済交流促進を目的とした活発な活動が続けられている。東欧諸国との貿易は金額的には小さいながらも急速な拡大を続けており、六七年末には第一回日本・ポーランド経済混合委員会が開催され、更に東欧貿易拡大を目的とした政府の東欧経済調査団が派遣されるなど、わが国と東欧諸国との経済関係の密接化が進んでいる。これに対し、一九六七年の対中共貿易は前年比一〇%の減少を示しており、これは「文化革命」の影響が生産、輸送等の面にあらわれたことによるのではないかとみられており、今後の中共国内情勢の推移が注目される。なお日中貿易は「友好商社取引」と「LT貿易」の二本立てで行なわれていたが、このうちLT貿易取決めは一九六七年末で期限が切れ、その後六八年二月「日中覚書貿易」と名称を変え一年間延長されることとなった。