ラテン・アメリカ地域

 

1 三木外務大臣のメキシコ親善訪問

三木外務大臣は、ワシントンで開催された日米貿易経済合同委員会に出席した後、メキシコ政府の招待により、一九六七年九月一七日から同月一九日まで、夫人同伴で同国を公式訪問した。

同大臣はメキシコ滞在中、ディアス・オルダス大統領、カリーリヨ・フローレス外務大臣と会見した他、同国の外国貿易審議会との会談においては、運輸通信大臣、商工大臣、海軍大臣、農牧大臣、大蔵次官等同国政府の要人と意見を交換し、両国間の友好親善関係の緊密化を図った。なお、同大臣はメキシコ訪問の機会を利用して、在留邦人との交歓を行なった。

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2 在京キューバ大使館に政治亡命を求め、庇護されていた韓国籍米軍人について

一九六七年四月三日韓国籍米軍人キム・ジン・スー(Kim Jin Soo米軍籍名ケネス.C.グリッグス)は米軍より脱走し、政治亡命を求めて在京キューバ大使館に逃げ込んだ。これに対し、キューバ政府は、在京大使館を通じ、同人の政治亡命は正当な理由を有するものであると認めて、この亡命要請を容れた旨通報するとともに、同人の安全をしかるべく保証し、キューバに向うことができるよう、わが外務省に対し安導券の発給を要請してきた。

外務省は、この問題につき事実関係、法律関係を調査検討した上、安導券の発給はできない旨回答するとともに、政治亡命者に対する外交庇護権は一般国際法上認められていないので、当該人の身柄をすみやかに日本政府官憲に引渡すよう要求したが、キューバ政府は、日本政府官憲への身柄引渡要求を人道的理由をもって拒否する旨通報してきた。日本政府としては、当該人が米軍人であるので、日米安保条約に基づく地位協定上の義務として、身柄を米軍当局に引渡さなければならないので、その後も引渡を要求して来たが、キューバ政府は応じなかった。

一二月二九日在京キューバ大使は、外務省に対し、当該人が大使館より逃亡した旨通報してきたので、ただちに警察当局等関係方面に連絡し、関係当局は同人逮捕のため捜査に当った。また、外務省中南米・移住局長は、一九六八年一月九日在京キューバ大使を招き、当該人が大使館から逃亡した事実を最終的に再確認するとともに、同大使に対し、当該人が同大使館に逃げ込んで以来繰り返し引渡しを要求したにもかかわらず、これに応ぜず、結局当該人が逃亡するに至ったことは極めて遺憾である旨表明した。

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3 在ホンデュラス公使館の大使館昇格

日本およびホンデュラス両国政府は、両国間の伝統的友好関係を一層増進するため、相手国にある公使館を相互に大使館に昇格せしめることに合意し、一九六七年八月一日昇格を実施した。

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4 バルバドスとの外交関係樹立

わが国は、一九六六年一一月三〇日バルバドスが独立した時に、直ちに同国を承認し、その後両国の国連代表部を通じて外交関係設定のための話し合いが進められていたが、一九六七年九月二七日ニューヨークにおいて、日本とバルバドスとの外交関係を設定するための書簡交換が、日本側鶴岡国連代表部大使とバルバドス側ウォールコット(F.L.Walcott)大使との間で行なわれ、同日付で両国間の外交関係が樹立された。

なお、わが方は駐ヴェネズエラ大使が駐バルバドス大使を兼任することとなった。

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5 日伯租税条約の発効

一九六七年一月二四日東京において署名されたわが国とブラジルとの租税条約の批准書交換が、同年一二月一日リオ・デ・ジャネイロにおいて千葉駐ブラジル大使とマガリャンエス・ピント外務大臣との間で行なわれた。同条約は同年十二月三一日発効し、一九六八年一月一日以後に始まる課税年度に生ずる所得について適用される。

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6 日墨航空協定締結交渉

日本航空は、メキシコ・オリンピックを機会に東京=ヴァンクーヴァー=メキシコ線を新たに開設する計画をたてたが、外務省はこれにともなってメキシコと航空協定を締結する必要があるため、一九六七年八月以降、同協定締結交渉につきメキシコ政府の意向を打診したところ、メキシコ政府は、相互主義に基づく相互の利益の均衡とメキシコ国営航空企業の利益が確保されることを条件として、これに応ずる用意のある旨表明して来たので、一九六八年一月九日よりメキシコにおいて交渉を行なうこととした。

交渉は一月九日より二二日まで行なわれたが、双方の主張に相違があり、次回交渉を五月とすることとして、一応交渉を打切った。

なお、オリンピックに際しての乗入れは、行政許可により認められる見込である。

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7 日本漁船のだ捕

一九六八年三月一三日ペルー北部の沿岸より約三五哩の海上で、岩手県陸前高田市川尻漁業会社の第五五白竜丸が、同国沿岸哨戒艇に領海侵犯容疑でだ捕され、附近のソリートス港に連行された。在ペルー大使館はペルー政府に対し、口頭をもって同漁船の釈放方申入れておいたところ、同船は同五日正午釈放された。

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8 文化会館および学生寮建設の援助

外務省は、ブラジルのサン・パウロ州アラサツーバ市に建設中のアラサツーバ学園寄宿舎に対し一、〇八〇万円、同国グロツソマット・グロツソ州カンポ・グランデ市の日本人会館建設に一、三三七万円を建設費の一部補助として援助した。

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9 グァテマラ貧民救済運動に対する寄贈品の送付

一九六七年六月グァテマラの貧民救済運動の主宰者である同国大統領夫人は、在グァテマラ藤田大使を通じ、同救済運動の一助として、わが国より足踏式ミシン、トランジスター・ラジオ各五〇台の寄贈を受けたい旨要請してきた。外務省はこの旨関係業界に伝えたところ、ミシン、ラジオ各五〇台を拠出してきたので、一二月藤田大使を通じ前記大統領夫人あて寄贈した。

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10 災害見舞

(1) ニカラグァ小児麻痺流行見舞金

一九六七年二月頃からニカラグァ全土に小児麻痺が流行し始め、漸次猛威を振い、同年七月には罹病者三四〇人(うち死亡三六人)を出すに至り、ニカグラア政府は、ワクチンの一斉投与、空よりの殺虫剤散布等の対策に全力を尽した。このため日本政府は、七月一、〇〇〇ドルを見舞金として同国政府に贈った。

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(2) ヴェネズエラ震災見舞金

一九六七年七月二九日、ヴェネズエラ国首都カラカス市附近を震源地として発生した震度六度におよぶ地震で、カラカス市はじめその他同市周辺都市に甚大な被害が出た。日本政府は見舞金として、米貨一〇、〇〇〇ドルを在ヴェネズエラ大使館を通じ同国政府に贈った。

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(3) ポリヴィアの水害に対する見舞金

一九六八年二月中旬ボリヴィア国コチャバンバ、チュキサカ、サンタ・クルス、ボトンおよびベニ州を襲った水害に対し、政府はサンタ・クルス州の沖繩移住者への救恤品として一〇〇万円を拠出するとともに、ボリヴィア政府に対し、水害見舞金として三、〇〇〇ドルを寄贈した。

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11 要人の来日

(1) ペルーのポラール第二副大統領夫妻

ペルー国第二副大統領ポラール夫妻は、外務省賓客として一九六七年四月一七日来日し、同二二日離日した。同夫妻は滞日中、天皇、皇后両陛下に謁見したほか、ポラール第二副大統領は佐藤総理、重宗参議院議長を表敬訪問した。なお同夫妻はその間関西方面に赴き、産業施設の視察を行なった。

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(2) ホンデュラスのカリーアス・カスティーリョ外務大臣

ホンデュラス外務大臣カリーアス・カスティーリョ氏は夫人同伴、観光の目的で一九六七年七月二日来日、同八日離日した。

同氏は滞日中田中政務次官を表敬訪問し、またわが国の各種産業の視察を行なったが、これにつき必要な便宜を供与した。

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(3) ヴェネズエラの下院議員(前司法大臣)エスコバール博士

ヴェネズエラ国下院議員エスコバール博士は、一九六七年八月二日来日し同一三日離日した。同議員は、滞日中六日間外務省賓客として接遇され、その間牛場外務事務次官を表敬訪問したほか、衆議院、伊藤忠商事、富士製鉄、ラテン・アメリカ協会などをそれぞれ訪問、また関西における産業施設を視察した。

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(4) コスタ・リカのフィゲーレス元大統領

元コスタ・リカ大統領フィゲーレス氏は、夫人同伴、観光の目的で一九六七年九月一八日来日し、同二四日離日した。同氏は滞日中関西方面を旅行したが、同氏の地位にかんがみ、必要な便宜を供与した。

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(5) ヴェネズエラのヴィヤルバ民主共和連合党書記長およびオルテガ勧業省工業局長一行

ヴェネズエラ国ヴィヤルバ民主共和連合党書記長およびオルテガ勧業省工業局長は、それぞれ夫人を伴い一九六七年九月二八日来日し、一〇月五日離日した。政府はこの一行に対し外務省賓客として五日間の日本における滞在費を負担し、必要とする便宜供与を行なった。滞日中、一行は三木外務大臣を表敬訪問、外務省経済当局と会談したほか、関西方面の産業施設の視察を行なった。

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(6) ペルーのセオアネ第一副大統領

ペルー国セオアネ第一副大統領は、外務省の非公式招待により一九六八年一月一八日来日し、同二七日離日した。滞日中同副大統領は、皇太子殿下並びに同妃殿下と会見、佐藤総理、三木外務大臣を表敬訪問し、また小林外務省顧問とも懇談するとともに、関東、関西、中国および九州地方の産業施設視察旅行を行なった。

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(7) ブラジルのマガリヤンエス・ピント外務大臣

ブラジル国外務大臣ジョゼー・デ・マガリヤンエス・ピント氏は夫人および随員帯同、一九六八年二月一三日来日し、一九日離日した。政府はピント外務大臣夫妻を公賓として接遇し、滞日中、天皇、皇后両陛下への謁見、総理、外務通産各大臣と会談、衆議院議長訪問、第一回日伯経済合同委員会開会式、大臣主催晩さん会などの公式行事のほか、京都、奈良視察が行なわれた。

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