大洋州地域
わが国は日豪間の貿易が拡大されるに伴い、かねてより日豪二重課税防止条約の締結交渉開始を豪州に申入れていたが、豪側はようやくこれに応じ、交渉は一九六八年二月五日より一六日までキャンベラにおいて行なわれた。
交渉では、条約案文についての検討が実質的な進展をみたので、日本側代表団は一旦帰国し、今後両国で、それぞれ更に検討を加えることとなった。
なお、次回交渉は両国が合意するできるだけ早い時期に行なうことに意見の一致をみている。
船舶の国際運用から生ずる所得に対する租税の全額相互免除を内容とする日本国とニュー・ジーランドとの間の二重課税防止条約の改正議定書の批准書交換は、一九六七年八月三一日、三木外務大臣とスコット駐日ニュー・ジーランド大使との間で行なわれ、改正議定書は同年九月三〇日より発効した。
一九四七年以来国際連合の信託統治領で、豪州、英国およびニュー・ジーランドの共同施政下にあったナウル島は、一九六八年一月三一日「ナウル共和国」として独立した。
同国の独立式典には、日本政府の特派大使として、甲斐文比古駐豪大使が参列した。また、政府は一月三一日、独立とともに同国を承認した。
わが国は一九六二年よりオークランドに名誉領事を任命して来ていたが、近年における同地の重要性にかんがみ、一九六八年一月一日より同地に領事館を開設し、初代領事として椋本伊三郎領事を任命した。
ホルト豪州連邦首相は一九六七年一二月一七日休養先で遊泳中突然行方不明となり、その後の大規模な捜査にもかかわらず遂に不帰の客となった。同首相の葬儀は、同月二二日メルボルン市において行なわれたが、この葬儀にはわが国より川島正治郎衆議院議員が日本政府の特派大使として参列した。
ウィットラム豪州労働党々首は夫人、子息および秘書を帯同し、東南アジア諸国歴訪の途次、一九六八年一月七日より同月一三日までわが国を訪問した。
わが国は同党首の地位にもかんがみ、滞在中同党首一行を外務省賓客として接遇したが、同党首は滞在中、佐藤総理大臣、三木外務大臣および自由民主党首脳とそれぞれ懇談した。また同党首一行は名古屋、京都、および大阪の各都市を訪れ、各種産業施設の視察および伝統的文化の観賞を行なった。
豪州西オーストラリア州ルーイス教育大臣は夫人とともに一九六七年三月二四日より四月二二日まで来日したが、同大臣は滞日中、わが国教育施設および産業施設を視察し、また各地の観光旅行も行なった。
豪州ニュー・サウス・ウェルズ州ウイリス労働大臣は夫人とともに一九六七年四月一二日より同月一九日まで来日したが、同大臣夫妻は滞日中、京都への観光旅行を行ない、わが国の伝統的文化を観賞した。
豪州ニュー・サウス・ウェルズ州モートン道路大臣は夫人とともに一九六七年五月七日より同月一八日まで来日したが、同大臣は滞日中、東京高速道路公団関係者と懇談したのち、東京都内の高速道路工事の現状を視察した。
トルポイズ・ニュー・ジーランド農業大臣兼科学大臣は、ECAFE東京総会出席のため、一九六七年四月一日より同月一七日まで来日し、三木外務大臣および倉石農林大臣を表敬訪問し、懇談を行なった。