国際連合専門機関

 

1 国際労働機関(ILO)

(1) ILOとの関係

わが国は一九五一年にILOに復帰し、一九五四年にはILOの一〇大主要産業国の一員に選出され、以来ILO理事会の常任理事国としてILO活動に対して重要な役割を果してきた。特に一九六七年一一月ジュネーヴで開催された第一七〇回理事会において、第六回ILOアジア地域会議を東京で開催することが正式に決定された。また、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部青木前大使のILO理事会議長としての任期は一九六七年六月で終了したが、一九六八年三月の第一七一回理事会では、理事会日本政府代表の岡部実夫氏(労働大臣官房審議官)がILO産業別委員会の一つである第八回繊維委員会の議長に選ばれた。わが国がこの種委員会議長に選出されたのはこれが最初である。

(2) 第五一回ILO総会の開催

第五一回ILO総会は一九六七年六月七日から同二九日までジュネーヴにおいて開催された。この会議には当時のILO加盟国一一八カ国のうち一〇九カ国が参加して、そのほとんどが政府、使用者および労働者の各代表よりなる三者構成代表団を送り、参加者総数は一二三五名に達した。わが国からも政府、使用者および労働者の各側を含む合計二二名の代表団が派遣された。総会においては次の六つのILO条約及び勧告が採択された。

一人の労働者が運搬することを認められる最大重量に関する条約(第一二七号)

廃疾、老齢及び遺族給付に関する条約(第一二八号)

一人の労働者が運搬することを認められる最大重量に関する勧告(第一二八号)

企業内における経営者と労働者との間のコミュニケーションに関する勧告(第一二九号)

企業内における苦情の解決のための苦情の審査に関する勧告(第一三〇号)

廃疾、老齢及び遺族給付に関する勧告(第一三一号)

また、同総会は計一六の決議を採択したが、その主要なものは次のとおりである。

ILO五〇周年記念に関する決議

経済、社会開発のための国際協力に関する決議

急速な人口増加が訓練及び雇用並びに労働者の福祉に与える影響に関する決議

南ローデシアの非合法政権により行なわれている雇用、職業及び結社の自由の面での人種差別を非難する決議

国際人権規約とこれに関してILOが採るべき諸措置に関する決議

ILOと農業改革に関する決議

ILOと技術協力に関する決議

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2 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)

(1) 一九六七年四月に開催された第七六回ユネスコ執行委員会には、須山執行委員(在ノールウェー大使)が出席し、同年一〇月の第七七回執行委員会には、須山執行委員のほか、田村大使(現在ヴァチカン大使)が執行委員代理として出席した。

(2) なお、一九六八年二月に開催された執行委員会特別委員会(ユネスコの作業方法等を検討するため設立され、わが国を含む一三カ国の執行委員で構成されている)において、執行委員会の構成(特に、アジア地域加盟国が十分に代表されていない点)を改善するための須山執行委員の発案になる執行委員選挙方式改正案が採択され、執行委員会の審議を経て総会に提出される運びとなった。

(3) 右のほか、わが方が参加したユネスコ関係会議の主なものはつぎのとおりである。

(一) 政府間海洋学委員会(I0C)海洋資源に関する国連決議第二一七二号の政府間局面等に関する作業部会(九月一九日~二一日、へーグ)

わが国から菅原健(日本ユネスコ国内委員会委員)が出席した。

(二) 政府間海洋学委員会(I0C)第五回会議(一〇月一九日~二八日、パリ)

わが国から菅原健、渕秀隆(気象庁)、小熊正一郎(科学技術庁)らが出席、この会議では新たに共同調査計画が採択されたほか、海洋資源に関する国連決議に関連して国連食糧農業機関(FAO)、世界気象機関(WMO)等との連絡を一層緊密にし、IOCの強化をはかるとともに、法律問題に関する作業部会を設置することが決議された。

(三) 第九回著作権政府間委員会(一二月一二日~一五日、ジュネーヴ)

わが国から安達健二文部省文化局長らが出席。万国著作権条約改正問題等の審議が行なわれた。

(4) 教員の地位に関する勧告は、一九六六年九月ユネスコの主催によりパリで開催された特別政府間会議で採択され、ついで第一四回ユネスコ総会(同年一一月)において、本勧告をユネスコ総会採択の勧告と同等に取り扱う決議が採択され、一九六六年一二月一日以降一年以内に各加盟国がこの勧告をそれぞれの権限ある当局に提出することとなり、わが国では、一九六七年一一月二八日の閣議決定により同日国会へ提出された。

(5) 一九六七年度中にわが国が招請国となった国際会議、セミナー等の主なものはつぎのとおりである。

(一) 「アジア地域教育研究調査専門家会議」(五月、東京)

アジア地域の教育研究調査活動を振興するためのユネスコの事業計画の一環として、ユネスコは一九六七~六八年度に六万ドルの援助金を計上し、わが国の国立教育研究所が中心となって、アジア地域の教育研究を行なうこととなった。この会議は上記事業の計画決定を目的とするもので、アジア地域一五カ国から二〇名の専門家が参加した。

(二) 「ユネスコ大学院研修講座」

一九六五年秋に開設されて以来、主として、アジア、中南米等の諸国から選ばれた十数名の研修生が、東京工業大学において一年間、化学および化学工業の研修をうけている。この講座の趣旨は、発展途上国の大学卒業者を先進国の大学、研究機関等で研修せしめ、終了後、母国の教育、研究に寄与させるもので、欧州諸国では一九六一年以降、ユネスコの提唱により開設されている。

(三) 「アジア地域出版技術研修コース」(一〇月~一二月、東京)

一九六六年五月開催のアジア地域出版専門家会議の趣旨を実行に移すための事業として行なわれたもので、アジア地域一四カ国から一八名の出版関係専門家が参加した。

(四) 東洋美術保存修復専門家会議(一一月、東京および京都)

わが国の伝統的な絵画修復技術についての実習を目的とするもので、仏、伊、ドイツ(西)およびベルギーから修復専門家が参加した。

なお、わが国は、ユネスコの決議に基づきローマに設置された「文化財の保存および修復の研究のための国際センター」への加盟を考慮中であったが、一二月一九日の閣議決定により、ユネスコに対し加入書を寄託した。

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3 国連食糧農業機関(FAO)

わが国は、FAOの理事国として、またその下部機構である商品問題委員会および水産委員会のメンバーとして、世界の食糧農業問題の検討に積極的な態度で臨んでいる。

(1) FAOの最高機関である第一四回総会は、一九六七年一一月四日より二三日までローマのFAO本部で開催され、一一六加盟国および三準加盟国の代表ならびに各種国際機関のオブザーヴァーが参加した。わが国からは、倉石農林大臣を首席代表とする一二名の代表団が出席して、世界の農業問題に対するわが国の意欲的な姿勢を明らかにした。今次総会では、理事国の改選が行なわれたが、理事国に再立候補したわが国は候補の乱立したアジア極東地域の中で圧倒的な得票をもって当選し、一九七〇年までの三カ年その任にあたることとなった。また、今次総会においては、一九六八年および六九年の予算および事業計画が承認されたほか、世界農林水産情勢および見通し、農業開発のための世界指標計画、多数国間食糧援助の機関間研究、食糧生産資材計画、世界食糧計画(WFP)、海域漁業委員会に関する憲章の改正、FAO一般機構の検討等の重要案件の審議が行なわれた。なお、事務局長選挙においては、過去一二年間その職にあったB・R・センにかわりオランダのバーマが四年の任期をもって新たに選出された。

(2) FAO第四八回理事会は六月一二日より二三日までローマのFAO本部で開催され、大沢農林省顧問を代表とする七名の代表団が参加した。

(3) 第四九回理事会は総会の直前一〇月三〇日より一一月二日までFAO本部で開催され、わが方は在イタリア大使館矢野公使以下六名がこれに参加した。また総会終了後一一月二四日、総会で改選された新理事国の参加の下に第五〇回理事会が開催され、理事会下部機関等の改選が行なわれたが、わが国は商品問題委員会、水産委員会のメンバーに一九六九年まで二カ年の任期をもって再選された。

(4) 一九六八年一月国連本部で国連・FAOの共同事業たる世界食糧計画(WFP)に対する拠出誓約会議が開催され、各国より一九六九年-一九七〇年の二カ年間本計画に一億六千万ドルの拠出誓約がなされたが、わが国も九四万ドルを拠出する旨誓約した。世界食糧計画は低開発国に対する災害等の場合の緊急食糧援助および開発途上国の経済社会開発のため食糧による援助を行なうことを目的として、一九六三年国連およびFAOの共同事業として発足したものである。わが国は、本計画発足以来一九六八年までに総額二三〇万ドルを拠出誓約(うち一七五万ドル拠出済)している。

(5) 右のほか、わが方の参加したFAO関係会議は左記のとおりである。

第一一回世界食糧計画政府間委員会(一九六七年四月一二日-二一日)、第二回水産委員会(四月二四日-二九日)、第一一回穀物研究部会(六月二六日-三〇日)、第一一回米穀研究部会(七月三日-七日)、第二回採油用種子および油脂研究部会(九月一一日-一八日)、第一二回世界食糧計画政府間委員会(一〇月五日-一三日)、第四二回商品問題委員会(一〇月二三日-二七日)、第三回採油用種子および油脂研究部会並びに同作業部会(一九六八年二月五日-一三日)。

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4 世界保健機関(WHO)

一九六七年五月八日より同二七日まで、WHO本部(ジュネーヴ)において、第二〇回世界保健総会が開催され、わが国からは曾田公衆衛生院長、在ジュネーヴ代表部西堀公使ら五名の代表団が出席した。同総会では、執行委員会議席増加に関する憲章改正問題、一九六八年度の事業計画および予算、低開発国援助施策に関する問題等につき討議が行なわれた。なおわが国は、WHOの諸活動に率先協力し、公衆衛生、医療、薬事等の諸分野にわたる専門家諮問部会及び専門家委員会のメンバーとして、わが国専門家が活躍しているほか、技術援助の一環として、WHO研修員の受入れ、がん、フィラリア、マラリア対策、衛生統計等の分野における専門家の現地派遣、各種講習会の本邦開催による技術及び情報の交換を行なっている。

一九六七年九月一三日より九日まで台北で第十八回WHO西太平洋地域委員会が開催されたが、わが国から三名の代表団が出席した。

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5 国際民間航空機関(ICA0)

(1) 一九六五年開催された第一五回総会でBカテゴリー(国際民間航空のための施設の設置に最大の貢献をなす国)理事国に選出されたわが国は、第六一会期(一九六七年四月二五日-六月二八日)、第六二会期(九月一九日、二九日及び一一月二日-一一月一五日)、第六三会期(一九六八年一月二二日-二月九日、二月二三日-三月一日)各理事会の討議に参加したほか、次のような技術的問題に関する各種会議にも積極的に参加した。

(一) 第五五-五七会期航空委員会(モントリオール)

(二) 空港及び航空路保安施設の料金に関する会議(一九六七年三月二〇日-四月一八日、モントリオール)

(三) ワルソー条約及びへーグ議定書に基づく運送人の旅客に対する責任限度に関するパネル(一九六七年七月四日-一八日、モントリオール)

(四) 第一六回法律委員会(一九六七年九月五日-二二日、パリ)

(五) 第五回航空会議(一九六七年一一月一四日-一二月一五日、モントリオール)

(六) 第六回ICAO・NAOS会議(一九六八年三月五日-二二日、パリ)

(2) わが国は、一九五三年八月一八日に「一九二九年一〇月一二日にワルソーで作成された国際航空運送ついてのある規則の統一に関する条約」の当事国となったが、その後、一九五五年へーグで作成された前記条約の改正議定書(一九六二年八月一日発効)については、改正議定書にいう運送人の責任限度額の負担が大きすぎるとの理由で、署名はしたが批准はさしひかえていた。しかるに、最近わが国も、前記負担に充分たえうると判断され、かつまた、新たな基盤に立つ国際的統一事業に参加することはわが国航空運送事業に対する信頼を増すとの理由から、前記改正議定書の批准の準備を進め、一九六七年六月二八日国会の承認を得、同年八月一〇日ポーランド政府に同批准書を寄託した。

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6 万国郵便連合(UPU)

(1) 一九六七年四月二七日より五月二六日までベルンでUPU執行理事会が開催されたところ、わが国は現在執行理事国ではないが、一九六九年開催予定の第一六回UPU大会議の開催国となっている関係で、オブザーバーとして郵政省曾山郵務局長ら四名の代表が出席した。第一六回UPU大会議は、アジアで開かれる最初の大会議であり、一二六のUPU加盟国及び関係国際機関から千人以上の代表の参加が予想されている。右大会議準備打合せのため、一九六七年一一月にはUPU国際事務局からリッジ事務局次長が来日し、わが方関係者と懇談した。

(2) わが国は、アジア地域における郵便関係の地域的協力を推進するため、かねてからアジア・オセアニア郵便連合(AOPU)への加盟方を検討中であったが、政府は右加盟申請につき、第五八国会の承認を求めている。

アジア・オセアニア郵便連合は、UPU憲章の定める地域的郵便連合の一つであり、アジア・オセアニア地域の郵便業務の効果的運営を目的として、一九六一年のアジア・オセアニア郵便条約により設立されたもので、一九六二年四月発足した。現在、連合の加盟国は、中華民国、韓国、フィリピンおよびタイの四カ国である。

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7 国際電気通信連合(ITU)

(1) 一九六七年五月六日より二六日までジュネーヴで第二二会期管理々事会が開催され、わが国も郵政省畠山電気通信管理官らを派遣した。右管理々事会では、一九六七年および六八年度予算、国際周波数登録委員会(IFRB)事務局機構改革、技術協力等の諸問題を審議した。

(2) 一九六七年六月二一日より七月二六日まで国際電信電話諮問委員会(CCITT)部会がわが国を含む二三か国の参加により東京で開催された。また、一九六七年九月一八日から一一月三日まで六八カ国の参加の下にジュネーヴで開かれた世界無線通信主管庁会議に、わが国からは一三名の代表団を派遣し、海上移動業務に関する諸問題を検討し、世界無線通信規則の改正について討論した。さらに、一九六七年一〇月三〇日より一一月一五日まで八六カ国の参加の下にメキシコ・シティで開かれた第二回世界プラン委員会(CCITT、CCIR合同会議)にわが国から九名が出席し、世界通信網問題等について討論が行なわれた。

(3) ミリITU事務総局長臨時代理は、ITU事務局技術協力部員を伴なって、アジア諸国訪問の途次、一九六八年二月二九日より三月四日までわが国に立寄り、牛場外務事務次官、浅野郵政事務次官らと懇談するとともに、関西方面を視察した。

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8 政府間海事協議機関(IMCO)

(1) 一九六七年五月四日および五日の両日ロンドンで政府間海事協議機関の第三回臨時理事会が開催され、わが国からは四名の代表団がこれに参加した。同会議は、同年三月一八日英国西南端沖合で座礁し、広汎な油濁事件をひき起した大型タンカー、トリー・キャニオン(Torrey Canyon)号の海難を機として招集されたものである。

(2) 造船海運国としてまたIMCOの理事会および海上安全委員会のメンバー国としてわが国は、第一八回理事会(一九六七年六月二七日から三〇日まで)および第一九回理事会(一九六七年一〇月二七日)ならびに第一六回海上安全委員会(一九六七年六月二六日)及び第一七回海上安全委員会(一九六八年三月一一日から一五日まで)の各会合に参加したほか、造船および海運の技術的問題、航行安全に関する問題、海水の油濁防止に関する問題等を取り扱う海上安全委員会の下部機関である各種小委員会および作業部会ならびに理事会の下部機関として前記臨時理事会により新設された法律委員会にも出席者を出し、IMCOの事業活動に協力し貢献した。

(3) 一九六七年一〇月一七日から三一日までロンドンにおいてIMCO第五回総会が開催された。総会は、通常二年に一回開催されるが、今回の総会にはわが国からは在英大使館木本公使以下六名の代表団が参加した。なお、同総会は、主要議題の一つとして理事国の改選を行なったが、わが国は、(a)カテゴリー理事国の選挙に英国に次ぎ第二位で当選し、ひき続き一九六九年秋まで在任することとなった。

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9 世界気象機関(WMO)

世界気象機関の第五回世界気象会議が一九六七年四月に約一カ月間にわたりジュネーヴで開催され、政府は、この会議に気象庁長官柴田淑次、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部公使西堀正弘ら五名の代表団を送った。今回の会議は、世界気象監視計画(World Weather Watch Plan 略称WWW)およびその実施のための会議とみられており、気象業務の分野の先進国としてわが国は各国から期待を集めた。なお、柴田気象庁長官は、会議中に行なわれたWMO執行委員会委員の選挙に当選し、世界気象会議後引き続き五月一日から約一週間ジュネーヴで開催された第一九回執行委員会に出席した。わが国からWMOの執行委員が選ばれたのは、一九五九年に和達清夫氏が当選して以来八年振りのことである。

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