経済社会理事会
(1) 経済社会理事会(ECOSOC)の機能は、経済、社会および人権の分野における国連の諸事業の策定、および、重要な国際問題の討議を行なうこと、ならびに一〇余におよぶ専門機関および国際原子力機関の活動の調整に当ることにある。理事会の下には、専門的見地から理事会機能を補佐させるため、「統計」、「人口」、「社会開発」、「人権」、「婦人の地位」、「麻薬」の各機能委員会がおかれ、一九六二年から住宅委員会も機能委員会に準ずるものとして発足した。さらに、理事会の諮問機関として、「科学技術諮問委員会」と「開発計画委員会」が設置されている。
わが国は、一九六〇年一月から三年間の任期で経済社会理事会のメンバーとなり、その後一九六二年の国連第一七回総会において理事会に再選され、一九六五年末まで引続き六年間任期をつとめた。さらに、わが国は一九六七年の国連第二二回総会において理事国に選出され、一九六八年から一九七〇年までの三年間任期をつとめることになっている。
このほか、わが国は、前記機能委員会のうち、わが国が委員国となっている「統計委員会」に後藤正夫氏(大分大学学長、前行政管理庁統計基準局長)、「人口委員会」に館稔氏(人口問題研究所長)、「婦人の地位委員会」に藤田たき女史(津田塾大学学長)、「麻薬委員会」に朝比奈晴世氏(国立衛生試験所麻薬部長)、「住宅委員会」に本城和彦氏(東京大学教授)、の各専門家を政府代表に任命して、それぞれの委員会の活動に参加しており、さらに、前記「科学技術諮問委員会」に兼重寛九郎氏(東京大学名誉教授)、「開発計画委員会」に大来佐武郎氏(日本経済研究センター理事長)が、それぞれ委員として参加している。
なお、経済社会理事会の下には、アジア極東、ヨーロッパ、ラテン・アメリカおよびアフリカの各地域ごとにそれぞれ地域経済委員会があり、域内共通の経済・技術問題の調査研究、情報の収集交換、域内貿易の促進、国連および専門機関による技術援助活動の援助ないし調整などの事業を行なっている。わが国は、一九五四年よりアジア極東経済委員会(エカフェ)の正式加盟国となり、エカフェ地域内の先進工業国として種々の分野で重要なる貢献を行なっててきている(詳細は次項参照)。
(2) 経済社会理事会は、一九六七年五月八日より六月六日までニュー・ヨークにおいて第四二回会期を、七月一一日より八月四日までジュネーヴにおいて第四三回会期を開催し、さらに一一月一日、一三日、一四日および一二月一八日の四日間ニュー・ヨークにおいて第四三回会期の再開会期を開催した。
第四二回会期は、各機能委員会の報告、人種差別撤廃宣言、天然資源開発、科学技術の移転等を審議した。第四三回会期は、国際経済社会政策、国連開発の一〇年、低開発国への開発融資、多角的食糧援助、人的資源の開発、経済・社会および人権の分野における国連および専門機関の活動の調整等の諸問題を審議、また、再開会期においては、IMF・世銀グループの報告、貿易開発理事会の報告等を審議した。
エカフェの活動は、メコン開発計画、アジア・ハイウェイ建設計画に続くアジア開発銀行という大型プロジェクトが一応発展軌道に乗った後を受けて、更に新たな域内協力の具体的目標を探求し、意欲的な新機軸を打出さんとしている。
かかる背景の下に、一九六七年四月東京で第二三回総会が開かれた。同年はエカフェ創立二〇周年に当り、域内外から多数の閣僚を含む代表団が出席した。
東京総会では一六の決議が採択されたが、うち最も注目さるべきは、エカフェ地域の開発のために先進国、低開発国双方の協力の必要性を唱えた東京宣言であろう。又域内貿易拡大問題を討議するため域内諸国の閣僚会議を開催することが決定された(同閣僚会議は第二回UNCTAD(国連貿易開発会議)の準備のための諸会議に忙殺され一九六七年中には開催出来ず、延期された)。東京総会で、策定された事業計画に従って後日開催されたエカフェの諸会議の議題、また、調査団組織の目的等の中には、明らかに事業指向的な試みが看取される。このうち、注目すべきものとしては、次のものを挙げることができよう。
一九六七年八月バンコックで開催された貿易拡大の金融面に関するセミナーで、多角的支払および決済に関する地域機構の設立について検討が行なわれた。地域支払決済スキーム(計画)は域内貿易自由化を促進する手段として、近年注目を集めており、その後一九六八年一月に開かれた貿易委員会でも討議が行なわれた。今後、貿易自由化の問題と関連付けて検討を続けることとなっており、そのため域内の貿易支払及び商品構造に関する基礎的研究が行なわれている。
六八年一月バンコックで開催された第一一回貿易委員会において、ガット/UNCTAD合同貿易センターの地域版とも呼ぶべきエカフェ地域貿易振興センターが設置されることとなった(一応第二四回総会に諮られる予定)。同センターは、合同貿易センターの事業を補完して、市場に関する情報提供、貿易振興関係の研修等の事業を行なう予定であるが、運営のよろしきを得れば、域内貿易促進に資する貴重な地域機関となり得よう。
アジア工業開発理事会は、六七年から六八年にかけて、石油化学、肥料等に関するアクション・グループと呼ばれる専門家の作業部会の開催、鉄鋼、パルプ等に関する域内巡回調査団の派遣、諮問グループの会合、定例会議の開催等多彩な活動を行なった。六八年二月バンコックで開催された第三回理事会においては、米国の民間会社およびわが国政府が域内六カ国に関係する四つの鉄鋼プラント設置ないし整備の計画に関する投資前基礎調査を実施することが決定された。
六七年度においては、右のほかに、台風センターの設置、国際交通促進センターの設置等について検討するための特別会議が開催された。このように、地域協力機関を各分野でエカフェの仲介の下に設置せんとする試みは、今後ますます活発化するものと予想される。
低開発国の経済開発を促進するための国連の技術援助機構として活動していた拡大技術援助計画と特別基金は、第二〇回国連総会の決定に従い統合され、一九六六年一月一日よりあらたに国連開発計画として発足した。
しかしながら、拡大技術援助計画と特別基金のそれぞれの事業の特色は残され、技術援助部門は、専門家の派遣、研修生の訓練、セミナーの開催等比較的に短期かつ経費小額の事業を行ない、特別基金は、研究所や訓練所の設置、投資前調査活動等の長期かつ大規模な援助を行なっている。
国連開発計画の基金は、各国政府の自発的拠出金で賄われており、一九六七年分の各国の拠出額総計は一億七千二百万ドル、一九六八年分の拠出誓約額総計は一億八千四百万ドルに上っている。わが国は、一九六七年には三二一万ドルを拠出し、一九六八年の分として三六五万ドルの拠出誓約を行なった。
(1) 一九六七年春から秋にかけて国連貿易開発会議(UNCTAD)の各委員会(一次産品委員会、製品半製品委員会、貿易外取引融資委員会、海運委員会)の第三回会合が開かれ、同年九月には第五回貿易開発理事会が開かれ、第二回UNCTADの仮議題決定を行なう等ニュー・デリー会議の最終的な準備が行なわれた。このほか、小委員会レベルでは第二回特恵グループ、第一回合成品代替品常設グループ、第二回及び第三回補足融資政府間グループが開かれた。
(2) 低開発諸国は各地域別にバンコック、ボゴタ(コロンビア)およびアルジェに会合し、地域別にそれぞれ宣言を採択した後、一九六七年一〇月一〇日から二五日にアルジェに参集し、第2回UNCTADに臨む低開発諸国の統一的要求を盛ったアルジェ憲章を採択した。この憲章を先進国に説明するため、五班よりなる低開発国閣僚親善ミッションが主要先進国及び国際機関に派遣された。わが国へはインドのデニシュ・シン商務大臣を団長とする使節団が訪れ、佐藤総理大臣、三木外務大臣そのほかの閣僚と会見し、UNCTADの成功のためわが国の協力を要請した。
(3) 先進諸国はOECDの組織(開発援助委員会、貿易委員会、海運委員会等)で第二回UNCTADに臨む各国の態度の調整をはかった。一九六七年一一月三〇日に開かれたOECD閣僚理事会においては、特恵問題につき先進国側の原則的合意が得られた。
東欧圏諸国はコメコン(経済相互援助協議会)においてUNCTADに臨む態度につき協議を行なった。
(4) 第二回UNCTADは六八年二月一日から約二カ月間ニュー・デリーにおいて開催された。同会議には百二〇数カ国が参加し、参加者は国際機関からのオブザーバー及び事務局員もあわせ二千人を超えたと見られる。わが国からは椎名通産大臣、武内外務省顧問以下大代表団が参加した。
(5) 会議はインドのデニシュ・シン商務大臣を議長に選出し、本会議における各国代表の一般演説をもって議事に入った。本会議の議事と並行して、五つの会期間委員会(第一-一次産品、第二-製品半製品、第三-援助、第四-海運を含む貿易外取引、第五-貿易原則および東西貿易)が開かれ、各分野における討議が行なわれた。このほか、本会議の下に世界食糧問題、低開発国間の貿易拡大および経済協力問題、内陸国通過貿易問題等を討議するための作業部会が設置された。
討議の結論、特に決議案作成の段階に至って各委員会ともに交渉グループ等小人数の会合が開かれ、重要問題については、さらに主要国首脳代表者が集まってグループ間の折衝が行なわれた。
(6) 各分野について、低開発国側はアルジェ憲章の線にそった解決をはかることを求めたが、最近の厳しい国際経済環境等を反映してか、先進国はこのような要求に応ずることは出来ず、会議は終始難航した。それにもかかわらず、主要問題につきかろうじて妥協が成立し、会議の決裂が回避されたことは一応の成果と見ることができる。主要分野における結論の概要は次の通りである。
(7) 一次産品分野の唯一の主要成果は、ココア、砂糖、天然ゴム等一九品目に関し、商品協定、政府間協議、研究の促進その他の具体的国際的措置のプログラムが合意されたことである。
合成代替品、産品の多様化、および価格を安定させるための緩衝在庫の諸問題については、部分的合意に留まり、また価格政策およびアクセス(貿易障害撤廃および輸入保証)の問題については全く合意がみられず、次回貿易開発理事会(TDB)の継続審議に委ねられることとなった。
(8) 製品、半製品関係では、特恵問題が焦点となり、アルジェ憲章の線を主張する低開発国側と、OECD閣僚会議の結論のラインを守ろうとする西側との間に激しい折衝が続けられたが、両者の考え方は最後まで平行線をたどり、実質問題につき合意に到達することが出来なかった。しかしながら、最終段階において、一般的特恵制度の早期確立に同意するとともに特恵の目的および今後の作業計画を規定した決議が満場一致採択されたことにより、特恵制度実施へ向って一歩前進するに至った。
(9) 援助関係の主要案件としては、援助量、援助条件および一次産品輸出収益の減退に対処するための補足融資構想の問題があり、いずれも最後まで交渉が難航した。
援助量については第一回UNCTADで勧告された国民所得の一%という目標がそれより二ないし三割高い国民総生産の一%に引上げることで合意が得られたが、低開発国が求めるように目標達成時期を明記すること、および政府ベースの援助の量についての目標を設定することについては、先進国が応じなかった。
援助条件については、一九六五年のDAC勧告の目標(政府ベース援助の約八○%以上を贈与または、年利三・五%以下返済期間二〇年以上の借款とする)の年内実施およびこの目標を超える条件緩和の努力を行なうことに先進国は同意した。
補足融資については、世銀スタッフが作成したスキームをもととして今次UNCTADで合意に到達しようとする低開発国に対し、先進国はなお解明すべき問題点が多いとして結論を出すのは時期尚早と主張し、結局研究の継続を求めるだけの決議が採択された。
わが国は、一人当り国民所得が比較的低く援助能力に限界があるという点から留保を附しつつも、主要援助案件については西側先進国とともに諸決議に賛成した。
(10) 海運問題については、海運協議機構、海上運賃および海運同盟の慣行、低開発国商船隊の開発等の問題につき合意に到達し、決議が採択された。国際海運立法の問題については、先進国の反対にかかわらず投票が行なわれ、賛成多数で決議が採択された。
そのほか世界食糧問題に関する宣言、低開発国間の貿易拡大、経済協力および経済統合に関する共同宣言等の重要な決議が採択された。
(11) 本会議は合計三〇以上の決議、宣言、勧告等を採択し、報告書の審議を終了し、三月二九日に閉会した。
重要問題については会議最終段階で妥協が成立したとはいえ、低開発諸国は会議の結果に満足していないこを既に明らかにしており、また多くの問題についてUNCTADの常設下部機構の継続審議に委ねられており、問題の解決はむしろ今後に持ち越されたという点に注目する要があろう。
低開発国の工業開発のための新機構として一九六七年一月より発足した国連工業開発機関(UNIDO)の機能は、事業活動と、右活動のための調査活動を行なうことにある。同機関の事業活動のための資金は各国よりの自発的拠出金でまかなわれるが、行政調査費は国連通常予算から支出されることになっている。
UNIDOの主要機関は四五カ国より構成される工業開発理事会(IDB)であり、そのメンバーは公平な地理的配分の原則により選出され、わが国も、一九六八年末までメンバー国である。一九六七年四月、同理事会第一回会合がニュー・ヨークにおいて開催され、短期のUNIDO作業計画ガイドライン(指針)を策定し、また拠出誓約会議を第二三回国連総会中に開催することを決定した。一九六七年一二月、アテネにおいて工業開発国際シンポジウムがUNIDO主催のもとに開催され、工業開発上の諸問題に関し、低開発国と先進工業国の間に活発な討議が行なわれ、各工業部門ごとに二三の勧告が採択された。なお東欧諸国は同シンポジウムに参加しなかった。