経済に関する諸国際機関との関係
OECD(経済協力開発機構)との関係
わが国のOECD加盟後第三年目に当る一九六六年度においては、わが国は一九六七年一月より貿易外取引委員会に委員を派遣することが認められ、これをもってわが国はOECDにおいて構成国の限定されている三つの委員会、すなわち執行委員会、経済政策委員会、第三作業部会および貿易外取引委員会のすべてに参加しうることとなった。
(イ) 理事会関係
(i) 閣僚理事会
第六回OECD閣僚理事会は、一九六六年一一月二四、二五の両日、スウェーデンのランゲ商業大臣を議長として開催された。わが国からは、経済企画庁金子政務次官が代表として出席したが、その他クーヴ・ド・ミュルヴィル外相およびドブレ蔵相(仏)、カラハン蔵相(英)、ロストウ国務次官(米)等が一堂に会した。
会議では、予定の議題、「経済成長(一九六〇~七〇)に関する報告」、「開発援助(世界食糧問題を含む)」および「OECDの活動」のほか、東西間の接触拡大と特恵問題について活発な意見の交換が行なわれ、会議終了にあたり、コミュニケが採択された。
(ii) 理事会、執行委員会
理事会においてはOECD各部門の重要問題について討議を行ない、多くの決定、勧告および報告書を採択した。わが国からは、森大使が常時出席して討議に参加するとともに造船、二重課税防止、エネルギー、対日コンフロンテーション、貿易外取引の諸問題について積極的に発言した。
執行委員会は、理事会議題に関する予備討議を行ない、わが国は常任委員国として、森大使が常時出席し討議に積極的に参加した。
(iii) 理事会直属の作業部会
(a) 造船特別部会
一九六六年五月、造船特別部会が再び設置され、日本、英、スウェーデン、ドイツ、フランス、イタリア、ギリシャの旧メンバーにノールウェー、オランダ、デンマークおよびベルギーを加えた計一一カ国が参加した。特別部会は、造船業における正常な競争条件を歪曲する諸要因の漸減を目指す勧告の作成のため七月、一二月の二回にわたって会合を開いた。
(b) 特恵問題研究グループ
米、英、仏および独四カ国のハイ・レベル専門家から構成される研究グループは、計六回にわたる会合の結果、一九六六年八月中間報告書を作成した。研究グループは、第六回閣僚理事会においてその任務を更に延長され、今後も特恵問題についての検討を続けてゆくことになった。
(ロ) 経済政策および加盟国経済の年次検討
(i) 経済政策委員会
経済政策委員会は、一九六六年六月および一九六六年一一月の二回開催され、米国、英国をはじめドイツ、フランス、イタリア、日本など主要加盟国の経済・金融情勢と今後の見通し等について検討を行なった。
(ii) 経済政策委員会作業部会
経済政策委員会の作業部会の活動状況は、第二作業部会は、一九六六年五月に開催され、加盟国の経済を一九六〇-七〇年の一〇年間に五〇%成長させる目標につき討議を行ない、その中間報告書を一九六六年一〇月一日に公表した。第三作業部会は、一、二カ月に一回の割合で開かれ、米、英を中心とする主要加盟国の国際収支動向および国際収支調整過程について詳細に検討を行ない、とくに後者についてはその報告書をとりまとめ公表した。第四作業部会は、一九六六年六月に開かれ、加盟国の賃金および物価の動向ならびに政策につき検討を行なった。
(iii) 経済及び開発の検討に関する委員会
本委員会は、加盟各国の経済および開発の年次検討を行なっている。わが国の検討については、一九六六年度中は行なわれなかった。なお、わが国は一九六六年六月に、スペイン経済の年次検討の審査国をつとめた。
(ハ) 貿易、貿易外取引関係
(i) 貿易委員会
貿易委員会は、一九六六年七月、一〇月および一九六七年二月、三回開催されたほか、多くの作業部会の会合が行なわれた。
本委員会の主たる活動は、低開発国との貿易問題に向けられ、第二回UNCTADの準備についての意見交換が行なわれたが、その他一九六六年七月の会議では、同年三月に行なわれた対日通商政策コンフロンテーションが極めて有益であったことが確認され、一九六七年二月の会議では、東西貿易問題についての意見交換が討議された。
加盟国間の貿易問題としては、政府調達、国境税の調整等が討議され、また、輸出信用、信用保証問題についても、六六年一二月、特別作業部会を開催して、輸出信用および信用保証供与に関する過当競争防止のための方策検討をつづけている。
(ii) 貿易外取引委員会、支払委員会
(a) 貿易外取引委員会
貿易外取引委員会は、ほぼ毎月一回の割合で年度間一〇回開催された。本委員会は経常的貿易外取引および資本取引に関連する問題を取扱っているが、一九六六年度は主として資本関係に焦点がおかれた。すなわち、一九六六年の春から秋にかけては、一九六五年度より専門家グループで進められて来た「資本市場の改善に関する研究」が、もっぱら本委員会の中心議題とされ、わが国もこれに積極的に参加した。なお、この成果は報告書の形で一般に公表される見込みである。一九六七年一月の貿易外取引委員会においては、一九六六年二月に行なわれた資本移動・自由化規約に対する留保の定期審査の結果をとりまとめた「資本取引の自由化に関するOECDの勧告草案」が議題として取上げられ、日本側代表よりわが国のおかれている実情を詳細に説明した。
(b) 支払委員会
本委員会は、主として貿易外取引委員会で討議された事項を、全加盟国の間で検討するものであり、合計五回開催されたが、主に上記の「資本市場の改善に関する研究」について討議を行なった。
(iii) 財政委員会、保険委員会
(a) 財政委員会
本委員会は一九六六年五月、六月、九月及び一一月末より一二月初の四回にわたり開かれ遺産相続税モデル条約案、所得税モデル条約に関する日本の質問書に対する第二五作業部会報告書についての討議などを行なったが、わが国はそのすべてに参加した。
(b) 保険委員会
本委員会は、一九六六年一二月に開催され、わが国からも参加して、今後保険自由化の問題をどう取扱うか等について検討を行なった。
(iv) 制限的事業慣行に関する専門家委員会
本専門家委員会は、一九六六年五月および一二月の二回開催され、加盟国の独禁法施行状況につき報告が行なわれた。個別の案件としては、前年に引続き、国際貿易に影響を与える制限的事業慣行に関する国際協力案が審議されたほか、業種別実態調査、取引拒否、情報協定等の問題を討議した。
(v) 海運委員会
本委員会で取り上げられた主な問題は、UNCTADをめぐる海運問題、LAFTA水上輸送協定のごとき国旗差別の問題であった。
わが国は、先進海運国側の有力メンバーであり、かつ対低開発国貿易の比重が高いという特殊な立場にあるため、特にUNCTAD関係の問題には深い関心をもっており、会議においては各国との協調を維持しながら積極的に活動した。
(vi) 観光委員会
一九六六年六月および一九六七年二月に委員会が開催され、観光に関する統計、青少年の観光等について検討が行なわれた。
(二) 工業・エネルギー関係
(i) 工業委員会
本委員会は工業一般に関する諸問題を検討の対象としており、その下部機構として、鉄鋼、繊維、化学製品、機械、紙・パルプの五つの特別委員会がある。
わが国は一九六六年四月の鉄鋼特別委員会、六月の紙・パルプ特別委員会、機械特別委員会、七月の工業委員会、九月の化学製品特別委員会、一〇月の鉄鋼、繊維の各特別委員会、一一月の紙・パルプ及び機械両特別委員会、一二月の工業委員会ならびに一九六七年三月の工業委員会のいずれにも積極的に参加した。
(ii) エネルギー委員会
エネルギー委員会はエネルギー問題を検討の対象としており、その傘下に石油特別委員会がある。また石油の長期需給状況を検討するために高級代表よりなる小部会があり、わが国は一九六六年三月これに参加し、通産省鉱山局長をそのメンバーとして指名した。
一九六六年六月にエネルギー委員会、九月に石油特別委員会、一九六七年一月にエネルギー委員会及び石油特別委員会が開かれたが、わが国はそのいずれにも参加した。
(ホ) 農業・水産関係
(i) 農業委員会
OECDの農業関係の活動は四つの作業部会及び各種専門家会議を統轄する農業委員会により行なわれている。
農業委員会は一九六六年四月、九月、一〇月(二回)、一九六七年二月と計五回開催されたが、わが国はそのいずれにも積極的に参加した。一九六六年一〇月末の農業大臣会議では加盟国の農業政策の検討および世界食糧問題が主要議題として取り上げられたが、本会議にわが国からは武田農林次官が出席した。
(ii) 水産委員会
水産委員会は一九六六年九月、一二月に開催され、わが国はそのいずれにも出席した。
(ヘ) 科 学 関 係
一九六六年五月、従来のOECDの科学関係機構を変革し、科学大臣会議は従来どおり存続され、その下に科学政策委員会、研究協力委員会および科学者・技術者委員会が存続期間五年として設置された。
(i) 科学政策委員会
本委員会は国内および国際的な科学政策の発展のため加盟国間の情報交換を促進し、各国の科学政策の発展を援助すること、並びに科学閣僚会議の準備を行なうことをその主な任務としている。
一九六六年七月、一一月および一九六七年三月に委員会が開催され、国際研究開発統計年による統計の作成、加盟国間の技術格差の検討等が積極的に行なわれた。なお、一九六六年一一月の委員会においてはわが国の科学政策に関するコンフロンテーションも行なわれた。
(ii) 研究協力委員会
本委員会は国際研究協力のプログラム作成と実施に関する加盟国間の情報交換を行ない、また必要に応じて共同研究を組織するのがその任務となっている。委員会の下において環境衛生研究、交通輸送研究、材料研究、科学技術情報等に関する約三〇の専門家会議が活動している。
一九六六年一一月及び一九六七年三月に委員会が開催されたが、わが国はこれにいずれも参加した。
(iii) 科学者・技術者委員会
本委員会は科学者・技術者の育成が科学の進歩、ひいては経済社会の発展を支える最も重要かつ基礎的な投資であるとの認識にもとづいて、学校教育投資計画や科学者技術者の養成計画の検討、科学者の需給と移動の調査等を行なっている。
わが国は、経済発展に見合った高級科学者及び技術者の育成がわが国の教育政策上の重要問題となっているので、特に学校投資計画に関する会議には積極的に参加し同じ問題に直面している先進国間との情報の交換を行なっている。
(iv) 学校建設主任官会議
OECDにおいて、一九六七年三月、学校建設主任官会議が開催され、関係省の主任官が出席した。学校建設の分野における加盟国の組織と経験に関する情報を入手し、この部門の国際協力に参加するのは、わが国にとっても、得るところが大きい。次回会議は一九六九年に開催される。
(v) 欧州原子力機構(ENEA)
最近の原子力開発の目覚ましい進展にともない、ENEA諸機関との協力はますます深まりつつある。現在わが国の参加している共同プロジェクトは核データ編集センター、計算機プログラム・ライブラリーのほか、六六年八月ザイベルスドルフ計画(食品保存のための放射線照射実験研究を行なうもの)への参加を見、わが国よりも研究員を派遣している。
(ト) 労 働 関 係
労働力・社会問題委員会は労働力不足対策および関連問題の処理に積極的に取り組み、きめ細い活動を行なっている。
本委員会は一九六六年五月、一〇月および一九六七年二月の三回開催されたが、わが国はそのいずれにも参加した。
(イ) 資本取引の規制に関する実態調査
貿易外取引委員会では加盟各国における資本取引の実態調査を行なっているが、わが国については、一九六五年一〇月にOECDよりハネマン事務局次長補、シュレペグレル資本取引課長が来日して実情聴取を行ない、その結果を取まとめた報告書草案が一九六六年夏送付されて来た。次いで同草案についての意見調整のための協議が、一九六六年一一月一六日より約一週間、再度シュレペグレル課長を迎えて東京で行なわれ、ほぼその調整を終了した。このため、本報告書は一九六七年六月の貿易外取引委員会で最終的に検討されたのち、理事会に正式に報告されることになっている。
(ロ) わが国の科学政策に対するコンフロンテーション
一九六六年一一月の第二回科学政策委員会において、わが国の科学政策についてのコンフロンテーションが行なわれた。会議では、わが国の実情が良く知られていないことよりくる好奇心と急速な経済成長を遂げたことに対する驚異の念から大きな関心が示され、科学技術長期計画、技術導入政策、研究資源の弾力的配分方法等について活発な質問が行なわれた。この会議にわが国からは科学技術庁の黒沢審議官、梅沢計画局長、通産省の馬場工業技術院長、文部省の天城大学学術局長らが出席した。
(ハ) OECDとの映画交流
OECDで、一九六六年四月に、産業訓練映画、一〇月に、科学教育映画の各担当官会議が開催され、わが方から代表部員が出席するとともに映画計九本を送付供覧して好評を博した。この機会にかねてから、懸案であったOECDフィルム・ライブラリーを通ずる加盟国間の映画交流にわが国も参加することとなり、産業訓練映画については日本生産性本部、科学教育映画については日本視聴覚教材センターが、それぞれ、わが方の窓口機関に指定され、一九六七年二月、映画の輸入に関する関税定率法第一五条による所要の措置をとった。
なお、前記供覧映画については、OECD加盟国から、輸入の引合いが寄せられている。
(ニ) 分担金の支払
一九六六年(暦年)におけるわが国の分担金は、第一部予算(一般経費)で、六八二万一、一七四フランス・フラン(四億九、七四〇万○○○八円)、第二部予算(その他の経費)では、開発センター分担金、三八万二、一八一フラン(二、七八六万八、六三八円)、ENEA、計算機プログラム・ライブラリーおよび中性子データ編集センターに対する分担金計二六万六、一四ニフラン(一、九四〇万七、〇七四円)、以上合計七四六万九、四九七フラン(五億四、四六七万五、七二一円、約一五一万ドル)であった。
(ホ) 対OECD特権免除協定の締結
一九六七年三月、日本におけるOECDの特権および免除に関する協定が森大使とOECDクリステンセン事務総長との間で署名された。この結果、国会の承認を待ってOECD、その職員およびOECD加盟国の代表は、他の加盟国の領域においてすでに享有しているのと同じ法律上の能力、特権および免除をわが国において享有することになる。
一九六四年五月四日から、ジュネーヴにおいて、ガット締約国団の主催の下に行なわれていた「一九六四~六七年貿易会議」(いわゆるケネディ・ラウンド交渉)は、一九六七年六月三〇日に最終的妥結に達し、同日、ジュネーヴのパレ・デ・ナシオン会議場で交渉参加国による最終議定書への署名式が行なわれ、三年余にわたる交渉の幕をとじた。
この交渉は、ガットの主催の下に行なわれた大規模な貿易交渉として六度目のもので、一九六三年五月及び一九六四年五月のガット大臣会議の決定した諸原則に基づいて、関税を大幅に引き下げ、農産物の貿易拡大のため合理的な条件をつくり出し、及び非関税貿易障害の軽減を図る等を内容とする多角的な貿易交渉である。その規模は従来の交渉と比較にならないほど大きなものであり、交渉参加国は五四(およびEEC)カ国をかぞえ、譲許された品目の年間世界貿易額は、ガット事務局の試算によれば、約四百億ドルに達すると推定される。
また、これと平行して、アルゼンティン、アイスランド、アイルランド及びポーランドの四カ国のガット加入のための関税交渉が行なわれ、いずれも六月三〇日に妥結をみた。
ケネディ・ラウンドは、その名の示すとおり、故ケネディ米大統領が「六二年通商拡大法」案を議会に提出するとともに、ガットの場を通じて一律大幅の関税引下げ交渉を提唱したことにはじまる。この構想がガットで受けいれられるに至ったのは、二国間のかけひきに重点をおく従来の交渉方式が行き詰まり、もっと大胆な交渉方式によらなければ大きな成果が期待できなくなってきたこと、また戦後久しく各国が用いてきた輸入制限の自由化が進むにつれ、関税面でも大幅自由化の気運が熟してきた等の事情がある。
また、EECやEFTA、LAFTA等に代表される世界経済ブロック化の動きが近年とくに目立っており、このようなブロック経済が閉鎖的方向に走ることを防止する必要が痛感されたという事情もある。ケネディ・ラウンドの成功はとくに自由無差別原則に基づく世界貿易の拡大を理想とするわが国にとって直接、間接に大きな利益をもたらすものであり、わが国はこの交渉に当初から積極的に参加してきた。
ケネディ・ラウンド交渉の基本原則は、六三年五月及び六四年五月のガット大臣会議で決定されたものであり、鉱工業品については、原則として全ての関税率を五年間に五〇%引下げることとし、これに対する例外は、重大な国家利益にかかわる最小限の品目に限るとされ、さらに関税以外の貿易障壁についても、その軽減・撤廃を交渉することとされた。他方、農産物の分野では、鉱工業品の場合のような画一的な交渉規則はできなかったが、輸入増大をもたらすような合理的な条件をつくり出すことが交渉の目的とされ、とくに穀物等については世界商品協定を結ぶことが合意されていた。なお、低開発国はケネディ・ラウンドに参加しても相互主義(等価の代償提供)を要求されないことが認められ、先進国は低開発国の輸出に対する障害の除去にあらゆる努力を払うこととされていた。
鉱工業品の交渉は、六四年一一月にわが国をはじめ米国、EEC、英国、北欧諸国など主要先進一〇カ国が、関税五〇%引下げの原則に応じられない「例外品目リスト」を提出して開始され、六五年五月には穀物協定の交渉もスタートした。穀物を除く農産物の交渉は当初の予定よりかなり遅れて六六年八月に始まった。
ケネディ.ラウンドは従来のガット関税交渉のように単なる二国間交渉の積み上げだけでなく、多角的交渉方式を相当とり入れているが、やはり二国間交渉も大きな要素となった。二国間の交渉は、まず鉱工業品の例外リストを中心に六五年春から予備的交渉を進めたが、六六年九月以降は農産物も加えて交渉は本格化した。六六年一一月末に至り、日本、米、英、北欧諸国など主要参加国は、それまでの一連の交渉経過をとりまとめて、(i)自国の当初オファーを改善できる品目、(ii)他国に対する要望事項、(iii)その要望が容れられなかった場合に自国の当初オファーの撤回を余儀なくされる品目、の三点をガット事務局に通報し、各国はこの通報をベースに六七年一月末から最終交渉に入った。
これら二国間交渉と平行して、農・工両分野で多角的交渉が行なわれた。とくに、穀物取決めの交渉は、ケネディ・ラウンドの中でも大きな比重を占めた。工業品部門では、化学品セクターの交渉で米国のASP(輸入品の課税額決定にあたり、輸出価格によらず米国内販売価格に基づいて評価する制度)の廃止が取上げられ、また鉄鋼セクターでは主要国の鉄鋼関税の平準化について交渉が行なわれた。さらに、ダンピング防止税の乱用を規制するため、国際協定策定のための交渉も行なわれた。
関税に関する交渉の結果は「ジュネーヴ議定書」に収録され、わが国はじめ、米国、欧州経済共同体、英国等三三カ国の譲許表が附属している。譲許表に掲げられる税率は、一九六八年一月又は七月から段階的に引下げられ、一九七二年一月一日以前に引下げを完了する。
わが国の交渉結果を六四年の貿易額でみると、わが国が関税譲許を行なう品目のすべての国からの輸入額は約三五億ドルであるが、このうち約一五億ドルは無税の据置き譲許であり、有税の引下げ譲許は約二〇億ドルとなる。
今回の交渉では開発途上国に対しては相互主義を要求することができないという原則があり、わが国は主として先進国からの譲許獲得に主眼をおいて交渉した。この結果、主要先進国一一カ国から、これらの諸国向け輸出額で約二一億ドルの品目について関税譲許を得ることになり、この大部分は現在有税のものの関税引下げ譲許である。これに対し、わが国は、前記一一カ国からの輸入額で約二三億ドルの品目について関税譲許を行なうが、このうち約八億ドルは無税のものの据置きであり、有税のものの関税の引下げ譲許は約一五億ドルとなる。
穀物交渉の結果作成された「合意覚書」は、今後、世界穀物協定を交渉する基礎となるもので、小麦の価格帯、低開発国に対する毎年四五〇万トンの食糧援助等を定めている。この交渉において、わが国は、世界の実勢価格の上昇に鑑み、安定した小麦の供給を確保する必要性を考慮して現行国際小麦協定の価格帯に比し価格帯の若干の引上げに同意した。また、食糧援助に関する規定については、わが国は所要の留保を行なうこととしたが、わが国としても低開発国への援助の必要性自体を否定するものではなく、別途、合意覚書に定められた日本の負担の割合に相当する額の援助を低開発国に対し、米を含む食用穀物又はこれらの国の希望により農業物資の形で、適当な方法で行なう意思を表明している。
さらに、非関税貿易障害に関する交渉の結果、ダンピング防止措置に関する協定及び化学品についてASP廃止等を内容とする協定が成立した。ダンピング防止措置に関する協定は、各国のダンピング防止措置が貿易の不当な障害にならないようにするため、ガット第六条の規定を解釈し及びその適用のための規則を定めることにより、同条実施の一層の調和を図ることを目的とする。この協定の成立によって今後、協定当事国がそのダンピング防止措置を国際的に統一された基準の下で運用することが確保され、また将来において、各国の法制が恣意的に改悪される事態を防止する役割を果すことが期待される。なお、この協定の下においてもわが国が、国内産業に損害を与えるような外国からの不当なダンピングに対しては、ダンピング防止税等をもって適切に対処する途が確保されている。
(1) 低開発国の貿易及び開発に関するガット第四部は、一九六六年六月二七日発効した。第四部運営機関として設置された貿易開発委員会は先進国の第四部実施振り及び各下部機構の作業報告を検討するため、年三回位会合しているが、特に一九六六年一月の会合ではケネディ・ラウンド交渉が大詰に近付いたことでもあり、低開発国側から同交渉において低開発国の利益が十分確保できるよう強い要請が出され、先進国側は低開発国輸出関心産品のオファ一の改善及び当初オファーより撤回しないこと並びにこれら産品の関税引下げの早期実施等につき、できる限りの努力を行なうことを同意した。九つの下部機構のうち本年度中に開催されたものは次のとおりである。
(イ) 残存輸入制限作業グループは、低開発国が輸出関心を有する産品の残存輸入制限の撤廃について検討している。わが国は、自由化率九三パーセント強に達していること、低開発国からの輸入が増加していることを指摘しつつ対処しているが、わが国の残存輸入制限品目には低開発国輸出関心産品が多く含まれており、討議においては低開発国側から制限撤廃について強い要求が出されている。
(ロ) 低開発国間貿易拡大アド・ホック・グループは、低開発国間貿易拡大問題の検討にあたっている。低開発国間特恵問題については、低開発国側は一般的無差別特恵のラインで非公式グループを設けて検討を続けており、既に二〇カ国が特恵譲許表を交換して具体的交渉に入る段階になっている。
(ハ) 規定改正アド・ホック・グループは、第四部策定の際審議未了となった問題の検討にあたっている。主として、低開発国が国際収支困難の際、輸入課徴金の賦課を認めるようガット第一八条を改正すること及び先進国が低開発国の貿易に損害を与えた場合、先進国が低開発国に代償を提供し、または右低開発国は適当な措置を執るために、ガットの義務を免除されるようガット第二三条に関する議決を行なうことの二問題が検討されている。前記第一八条改正案は先進国と低開発国の意見が対立して合意に達せず、今後の検討に持ち越された。第二三条決議案については、ガット事務局長の仲介、専門家パネルによる検討及びパネル、理事会又は総会の勧告等をタイムリミットを附して進める趣旨の手続面については合意に達し、一九六六年四月の総会で採択されたが、前述の代償及び対抗措置に関する実質面については今後の検討に持ち越された。
(ニ) 貿易情報及び助言専門家グループはガットの国際貿易センター(在ジュネーヴ)の活動について検討しているが、一九六七年は特に、先進国が低開発国から輸出振興訓練のための研修員を受け入れるよう強い要請を行なった。低開発国側は同センターの活動を高く評価しているので、主要先進国は前記研修員の受け入れ、同センターへの人員の無償派遣、あるいは展覧会のスペースを低開発国に無料提供する等各種の手段により協力している。わが国も従来からセンターの活動に協力して来たが、低開発国問題対策の一環としてその協力をさらに強化する必要があると思われる。
(2) 豪州が一九六五年三月提案した対低開発国特恵は、当初先進国側より特恵の原則問題について十分検討が行なわれていない現在、かかる特恵を認めることは各国の先例となるおそれがあるとの理由で討議を延期すべしとの主張があったが、結局一九六六年三月の第二三回総会で豪州提案が認められた(わが国は棄権した)。
わが国はその努力の結果.主要貿易国の対日ガット第三五条の援用を撤回させたが、他方において一九六〇年以来新たにガットに加入する低開発独立国の大部分が、独立時における旧宗主国のガット上の権利義務をそのまま継承してわが国に第三五条を援用した結果、本問題は対低開発国関係を中心とする問題となっている。これら諸国のうち、本年度中に援用を撤回したのは、ガイアナ、バルバドス及びトリニダッド・トバゴの三カ国にすぎず、わが国としては、なお多数の対日援用国が存在する現状は、ひとり日本だけの問題にとどまらずガット自体にとっても好ましくないとの観点から、総会、貿易開発委員会及びケネディ・ラウンド交渉の場において本問題の早期解決を強く要請し、援用を撤回しない国に対しては、ケネディ・ラウンドやガット第四部を通ずる自由化、関税引下げの利益に均霑せしめることは困難であるとの立場をくり返し明らかにしてきている。
一九六五年秋のIMF総会と並行して開催されたわが国を含むパリ・クラブ参加先進一〇カ国による蔵相会議は、国際流動性問題討議の取り扱い方針として、一〇カ国蔵相代理が国際通貨制度の改善方法について検討を行ない、一九六六年春までにその結果につき各国蔵相に報告することとする旨の決定を行なったが、この決定に基づき、一〇カ国蔵相代理は、ドイツ連邦銀行理事のエミンガー氏を議長に数次にわたる会合を開いて討議を重ねた結果、とりあえずの結論を得て、一九六六年七月八日、各国蔵相にその報告書を提出した。この報告書は、現行国際通貨制度改善の可能性およびそれに伴う各種の問題点等につき広範囲にわたり討議した結果をとりまとめたものであるが、討議参加者の意見が区々に別れたため、将来の国際通貨制度のあり方につき結論的指針を与えるには至っていない。本報告書は、その後、同月二五、二六日の両日にわたりハーグで開催された一〇カ国蔵相会議において取上げられ、その討議の結果、蔵相会議は、残された多くの未解決の問題につき、さらに討議を続けるため、今後は、一〇カ国蔵相代理がIMF理事と一連の合同会議を開催することを勧告するとともに、その結果を、一九六七年上半期中に報告することを求めることとした。ただし、右勧告には、現段階において流動性対処案の作成には反対の立場をとるフランスは参加しなかった。
他方、一九六六年九月ワシントンで開催されたIMF総会においては、例年のごとく、国際流動性問題が大きく取上げられたが、シュヴァイツァー専務理事は、その閉会演説において、総会における大多数の意見は、IMF理事と一〇カ国蔵相代理とが非公式の合同会議を開き、国際通貨制度の改革問題の検討に当たることを支持しているものと判断する旨IMF側の意向を表明、また、この総会と時を同じくして開かれた一〇カ国蔵相会議も右合同会議の開催につき正式に決定を行なった。かくして、流動性問題の検討は、一九六五年のIMF総会のときに予定されたいわゆる第二段階に入ることとなり、合同会議の第一回会合は、一九六六年一一月に、また、第二回会合は、一九六七年一月に、それぞれ開催された。この合同会議は、今後、数次の会合を経て一九六七年秋の総会までには、なんらかの形の報告書を提出するものと期待されている。
主として一次産品輸出国が輸出収益の減少により国際収支上の困難に陥った場合に、IMFの通常の貸出し条件より緩い条件にて貸出しを行なうことを目的とするいわゆる輸出変動補償融資制度は、一九六三年二月確立されたが、その後、IMF総会およびUNCTAD等の場合において低開発国よりその改善につき強い要望が出されていたため、IMF理事会は、右を考慮し、一九六六年九月二〇日の決議により従来の制度を一部改正することとなった。改正の骨子は、(イ)本制度に基づく貸出し限度枠が従来は、原則として、割り当て額の二五%であったものを、輸出収益の減少が災害または重大な非常事態に基づく場合には、引出し残高を割り当て額の五〇%まで認める、(ロ)通常の引出しは、条件が整えば引出し後六カ月以内に、その一部または全部を補償融資に切り換えることができる、(ハ)補償融資制度に基づく引出しは、一応通常の引出し政策の別枠とすることとするなどである。この結果、今後、本制度に基づく引出しは、従来に比し、かなり増加するものと考えられる。
一九六六年度のIMF対日年次協議は、一一月七日より同一九日までの二週間にわたり東京で開催された。この年次協議は、わが国が一九六四年四月IMF第八条国に移行して以来三度目のもので、国際収支上の理由に基づき為替制限を行なっていたいわゆる第一四条国当時の年次審査とは異り、為替制限上の問題についてとくに大きな問題もないので、わが国の経済全般につきレヴィユーすることに主眼がおかれた。なお、現在、わが国がIMFの特認をえて例外的に為替制限を実施しているのは、観光渡航の一人一回五〇〇ドルという制限のみである。
この協定の目的は、すずの国際的需給関係を調整することにより、すずの国際価格を安定させることにあり、そのため、緩衝在庫の売買操作、加盟生産国による輸出割当などの方法がとられることとなっている。
国際すず協定は一九五七年に発足してから二回改正され、現在の第三次協定は一九六六年七月から五年間の有効期間となっている。加盟国はマレイシア、インドネシア、タイ等六つの生産国と英国、日本、フランスなど一六の消費国であり、事務局はロンドンにある。
わが国は六月三日寄託国たる英国に受諾書を寄託した。
なお六六年七月六日の第一回国際すず理事会で価格が改定され、最低価格トン当り一、一〇〇スターリング・ポンド、最高価格トン当り一、四〇〇スターリング・ポンドときめられ。また六六年九月コンゴー(キンシャサ)で開催された第二回理事会で、一九六七年中に理事会を日本で開催することが決定された。
一九六二年の国際小麦協定は有効期間三年で六五年七月末に失効予定であったが、小麦を含む穀物協定問題がガットのケネデイ・ラウンド交渉の一環としてとりあげられたため、従来どおり失効前に小麦協定更改の会議を開催して新協定を作成する方法をとらず、とりあえず議定書により協定の内容を変更することなく有効期間のみを延長することにより存続させている。現在協定は一九六七年七月末まで有効となっており、その取扱いについては近く理事会で決定される予定である。現在の加盟国は輸出国一〇カ国、輸入国はわが国はじめ四〇カ国であり、事務局はロンドンにある。
国際砂糖協定は一九五九年に有効期間五年として発足したが、一九六一年に協定の骨子である輸出割当量について中間的に検討を行なった際、米国とキューバの間で激しい対立があり合意に達しなかったため、協定の経済条項を停止し理事会等管理条項のみを残した。一九六四年以降は議定書により経済条項を停止したまま協定の有効期間を延長させている。現在議定書の期限は一九六八年末となっているが、それまでに新協定が発効すればその時期までとされている。現在議定書の加盟国は輸出国三六カ国、輸入国はわが国はじめ一三カ国である。事務局はロンドンにある。
このように現存砂糖協定は実質的には機能を停止しているため、一九六五年九月国連砂糖会議を開き新協定の成立をはかったが輸出国と輸入国との間で合意が得られず、その後同会議の最終決議に基づき設けられたUNCTAD砂糖諮問委員会及び同委員会作業部会が国際砂糖理事会執行委員長の協力を得て数回にわたり会合を開いた。
しかし、依然として主要輸出入国間で新協定の内容につき一般的合意に達するにいたっていない。
この協定の目的は、コーヒーの国際的需給関係を調整することにより、世界のコーヒーの国際価格を安定させることにあり、そのため加盟輸出国に対し輸出割当を課し、加盟輸入国に対しては非加盟国からの輸入制限を課す等の方法をとっている。
国際コーヒー協定は一九六三年に発足し、有効期間は五年である。現在加盟国は輸出国三九カ国、輸入国二三カ国で、加盟国間の取引量は世界総取引量の九割以上を占めている。事務局はロンドンにある。
わが国は一九六四年三月同協定に加入した。わが国は一人当りのコーヒー消費が極めて少なく、協定の規定に基づき新市場国の地位を得ているので、輸出国の輸出割当の対象とならない。
現在ココアに関しては商品協定はないが、ココアの国際価格の激しい変動を防止するための協定を作るべく一九六三年に国連ココア会議が開催されたが、生産国と消費国との意見が激しく対立したため成功しなかった。その後主要生産国と消費国で構成された作業部会がしばしば会合し具体的なココア協定草案を作成したので、一九六六年五月わが国をふくむ三六カ国の代表がUNCTAD主催の下にニュー・ヨークに集まり国連ココア会議が再開された。右会議では協定に採り入れる緩衝在庫の開設資金、課徴金制度、緩衝在庫の操作、価格帯等の主要問題につき激しい議論が行なわれたが生産国と消費国との間で合意がえられず、その後UNCTADプレビッシュ事務局長を中心に関係国間で話合いが続けられているが、未だ合意に達していない。
日本とECSCとの間には、既に一九五四年より在ベルギー日本大使館を通じ正規の外交ルートがあり、またわが国の対欧鉄鋼輸出急増問題(一九六三年初頭)、あるいはECSC側の関税引上げ問題(一九六三年末)等については右ルート以外でも随時協議を行なってきた。その後、一九六五年四月、ECSCの鉄鋼総局長が来日した機会に、ECSC側より今後(イ)世界鉄鋼市況、(ロ)鉄鋼の消費及び生産の予測調査、(ハ)原材料の供給(鉄鉱石、くず鉄、石炭)、(ニ)技術の発展と科学的研究の四議題に関し、日本政府及びECSC最高機関の担当局長レベルで定期的な意見交換会議を行ないたいとの申入れがあった。これに対し、わが方政府としては、慎重検討の結果、日本及びECSCは鉄鋼輸出国としての共通性を持っていること、鉄鋼のごとき重要な産業分野につき日欧間の相互理解を更に一層深めることは有益である等の見地から、年二回の頻度で本件会議を行なうことに同意し、一九六五年九月にその第一回会議をルクセンブルグで開催した後、一九六六年四月二五、二六日には第二回会議を東京で、また第三回会議は同年一〇月一〇、一一日に再びルクセンブルグで開催し、本件定期的意見交換会議は発足以来順調な歩みを続けて成功を収めている。