共産圏諸国と日本

1 共産圏諸国との貿易の現状

一九六六年におけるわが国の対共産圏貿易は、前年に引続き増加し、輸出入合計で一二億八、七一三万ドル(通関統計・ユーゴースラヴィアを除く)に達し、前年の一〇億四七〇万ドルに比し、二八%も増加した。このうち輸出は五億九、九一八万ドル、輸入は六億八、七九五万ドルで、前年比それぞれ二五%及び三〇%の増加である。また、わが国の貿易総額に占める共産圏の比重も一九六五年の六・○%から六・七%へと増加した結果、前年に引き続き主要な西欧諸国の対共産圏貿易の割合をやや上廻っている(ドイツ六・一%、イタリア五・九%、英国四・三%、フランス三・八%)

わが国の対共産圏貿易の国別内訳では、中共、ソ連の二国との貿易が大宗をしめているが、対中共貿易の比重は年々大幅に増加しており、一九六五年以来対ソ貿易を凌駕して対共産圏貿易の主位を占めるに至り、一九六六年にはわが国の対共産圏貿易の四八%を占めた。

一九六六年度のわが国の対共産圏貿易において目立ったでき事としては、まず対ソ連貿易に関しては、同年九月政府から第二次訪ソ経済使節団(新井ミッション)が派遣され、特に極東、シベリア地域の開発協力に関連する現地の視察を行なったこと、及び同年一月以来三回にわたって北カラフト天然ガス開発輸入商談が行なわれたこと等、シベリア開発に関する日ソ間の実務協力問題が脚光を浴びるに至ったことである。また対東欧貿易に関しては、一九六七年三月、日本、東欧間で初めての五カ年貿易協定がブルガリアとの間に締結され、又、ポーランド及びブルガリアの貿易大臣がそれぞれ来日して、日本・ポーランド経済混合委員会及び日本・ブルガリア経済合同委員会の設立について合意の成立ないし話合が行なわれる等、わが国と東欧諸国との貿易を拡大したいという相互の期待が強くなった。中共貿易に関しては、従前どおり政経分離の方針のもとに、貿易量の大幅な増大をみた。

また、共産圏に対する戦略物資の禁輸規制に関しては、ココム・リストが一九六六年七月に改定され、規制が若干緩和された。

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2 ソ連との貿易の現状

(1) 概  況

一九六六年の日ソ貿易実績は、輸出入ともそれぞれ約二億一、○○○万ドルで(何れもFOB現金受払べース)であったが、これは一九六六年から一九七〇年までの貿易支払協定締結(一九六六年一月二一日)当時予想された貿易の規模を輸出は一、〇〇〇万ドル(四・五%)、輸入は二、〇〇〇万ドル(九・五%)上まわったものである。

一九六六年の日ソ貿易の商品構成は基本的には従来と変化なく、輸出では機械・プラント類四三%、繊維(その内訳は従来主としてスフ綿、人絹糸、合成繊維綿及び糸の如き原料品であったが、最近では、衣類等の二次製品も増加してきている)二二%、鉄鋼製品一六%、化学品一一%であった。輸入では木材二五%、石油(原油及び重油)二三%、銑鉄一四%、白金、パラジウム等一一%、石炭八%等の比重が圧倒的に高いことも従来と変りがない。

一九六七年の輸出入品目の数量金額は、前記五カ年貿易支払協定のなかで一応見積られているが、これを両国経済の現状に即して修正補足するための交渉が、モスクワにおいて、一九六七年一月一九日より行なわれ、三月六日両国間に合意が成立し、在ソ大使館有田公使と、ソ連外国貿易省のスパンダリヤン東南ア・近東貿易局長との間で貿易議定書の調印が行なわれた。

同議定書附属の輸出入品目表によれば、一九六七年の日ソ貿易の規模は、輸出二億四、九〇〇万ドル、輸入二億三、八○○万ドル(何れもFOB受払いべース)と見積られる。右は昨年の実績に比べて輸出一九%、輸入一三%の増加である。

昨年の船舶輸出は、一万トンの魚加工母船七隻、五、〇〇〇万ドルを越したが、本年はまだ契約が成立していないこともあって、輸出品目表に各船種が具体的に掲上されるに至らなかった。

新規ブラントとしては、酸化エチレン・プラント、シアヌール酸プラント、自動車工業用金属加工設備が掲上され、五カ年協定にすでに掲上されている紙・パルプ製造設備、ペレット製造設備、酵素製造設備とともに商談が行なわれている。シペリア開発関係の品目もP・M(尚書)として残されているが、現在までに具体的に成約をみたものはない。

輸出品目表で修正・補足された主な点は、メリヤス及び縫製品の大幅増加、機械、圧延鋼材の増加、革靴、毛織物等の消費財の新規掲上、化学設備、電子関係の機械設備、港湾設備が減額されたことである。

輸入品目表では、ソ連側が木材の大幅増量と石油の大幅削減を意図したことは、注目を要する大きな変化であった。

(2) 第二次訪ソ経済使節団の派遣

日本政府は、一九六六年九月新井友蔵同和鉱業株式会社社長を団長とする第二次訪ソ経済使節団(第一次訪ソ経済使節団は一九六五年植村経団連副会長を団長として派遣)を派遣したが、同使節団は極東シベリア開発に関連する現地の視察に重点を置き、東シベリアのウドカン銅山等今後のシベリア、極東地域開発における日ソ実務協力の可能性について有益な研究を行なうことができた。

(3) 第二回ソ連商工業見本市の開催

ソ連は、一九六六年一〇月大阪で第二回ソ連商工業見本市を開催したが、その際ヤスノフ・ロシア共和国第一副首相が日本政府の招待で来日し、右見本市開会式に出席した。

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3 東欧諸国との貿易の現状

(1) 概  況

一九六六年、日本と東欧八カ国(ユーゴースラヴィアを含む)との貿易は、輸出九、八六二万ドル、輸入五、〇二二万ドル、輸出入合計一億四、八八四万ドルで、前年に比べ約三四%の増加であった。一九六五年の実績は前年比四六%の増加であったから、伸び率は若干落ちたが、日本の貿易総額に占める比率は一九六五年の○・七%から○・八%へと僅かながら上昇した。しかしながらわが国の対東欧貿易は、わが国の対中共貿易や対ソ貿易にくらべて遙かに少なく、西欧諸国の対東欧貿易とくらべても極めて少ない。これはわが国と東欧諸国との地理的距離が大きく、伝統的な市場関係が殆どなかったこと、貿易拡大の可能性が必ずしも十分には開拓されていなかったこと等によるものと考えられる。

これを国別に見ると、わが国の対東欧貿易においてルーマニアが第一位で四、一七一万ドルで日本の対東欧貿易の二八%、第二位はユーゴースラヴィア四、一〇五万ドルで二七%、第三位ブルガリア三、八一〇万ドル二五%、以上の三カ国だけで八○%を占め、以下チェッコスロヴァキア一、一二二万ドル八%、ポーランド七一〇万ドル五%、東独六〇八万ドル四%、ハンガリー三四九万ドル二%、アルバニア七万ドルとなっている。

以上の一九六六年の実績からもわかるようにわが国の東欧貿易はルーマニア、ユーゴースラヴィア及びブルガリアの三カ国に集中しており、そしてルーマニア、ブルガリア、チェッコスロヴァキア、ポーランドはある程度輸出入がバランスしているが、ユーゴースラヴィアは日本の輸出三、九四六万ドル、同輸入四二七万ドルと大幅な輸出超過であって、この大幅な輸出超過は相当部分が延払輸出で支えられているものであり、しかも近年これが慢性化してきているのが特徴である。またわが国が外交関係を有していない東独との貿易は、取引額は少ないが、恒常的な日本の輸入超過となっている。

わが国の対東欧輸出は、船舶を含む各種のプラント、機械、鋼材、化学品、繊維品等で、輸入は、一九六四年頃までは農産物(とうもろこし、麦芽、採油用種子、ジャム等)が多かったが、近年は石油、銑鉄、非鉄金属の比率が高くなり、一九六六年にはその傾向が強くなっている。

(2) 日本・ポーランド共同コミュニケの発表

ポーランドのトロンプチンスキー外国貿易大臣は、日本政府の招待により一九六七年二月一九日来日し二五日まで滞在し、その間佐藤総理、三木外務大臣、菅野通産大臣と会談したが、二月二四日、日本・ポーランド共同コミェニケが発表された。右コミュニケのなかで、日本はポーランドのガット加入申請を原則的に支持する用意があることを表明し、ポーランド側は三木大臣がポーランドを公式に訪問するよう招待した。また、貿易発展のため日本・ポーランド経済混合委員会の設立についても合意をみた。

(3) 日本・ブルガリア五カ年貿易・支払協定の締結

日本とブルガリアとの間には、一九六一年二月二四日付の一年間有効の貿易・支払協定があり、毎年一年ずつ自動的に延長されて今日に至ったが、両国間の貿易が最近大幅に増加している事実にかんがみ、これを五カ年の貿易・支払協定とすることになった。交渉は一九六六年一一月から東京において行なわれ実質的に妥結をみていたが、一九六七年三月日本政府の招待で来日したブディノフ外国貿易大臣と三木外務大臣との間で三月二八日五カ年貿易・支払協定が署名された。同日、日本・ブルガリア共同コミュニケが発表されたが、そのなかで一九六七年九月頃に混合委員会をソフィアにおいて開催することが明らかにされた。

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4 アジア共産圏諸国との貿易

わが国はアジア共産圏諸国との間には外交関係を有せず、貿易は民間べースで行なわれているが、その貿易額はわが国の対共産圏貿易総計の五二%を占め、しかもその九三%は対中共貿易で占めている。

(1) 中  共

一九六六年のわが国と中共との貿易は、通関統計によれば、わが国の輸出三億一、五〇〇万ドル、輸入三億六〇〇万ドル、合計六億二、一〇〇万ドルで、一九六五年に比べて三二%の大幅な増大となり、わが国の総貿易額に占める比率は一九六五年の二・八%から三・二%に上昇した。

わが国の主要輸出品は、一九六六年において鋼材(三三・九%)、化学肥料(二六・六%)、機械類(一七・三%)、肥料を除く化学工業品(一〇・一%)、繊維及び繊維製品(七・九%)であり、特に鋼材は二倍以上に増大した。また輸入品では米(一六・八%)、大豆(一六・一%)、えび(七・四%)、銑鉄(七・○%)、が主なもので、そのほかに生糸、石炭、雑豆、とうもろこし、塩等が挙げられる。

現在、日中貿易はLT取引と友好商社取引の二本立てで行なわれており、六六年の貿易総額に占める両者の割合については、統計上明確な区分はないが、LT取引三三%(二億五〇〇万ドル)、友好商社取引六七%(四億一、六〇〇万ドル)と推定され、LT取引の占める比率は年年次第に低下する傾向にある。

一九六六年八月以降中共の「文化革命」の激化に伴い、日中貿易にも影響があるのではないかと懸念されたが、一九六七年一月頃一部に滞船、集貨の遅延等の影響があり、同年三月末現在では一-三月の日中貿易が輸出入合計で対前年比一七%減少したほかには特に顕著な現象はみられず、これだけでは「文化革命」の日中貿易に対する影響の有無を結論することはなお尚早であろう。

なおこのほか両国間貿易関係に関し特筆すべきことは、中共の経済貿易展覧会が一九六六年一〇月北九州市において、また同年一一-一二月名古屋市において、それぞれ約三週間ずつ開催されたことである。

(2) その他の地域

北鮮、北越及び外蒙との貿易は、いずれもわが国貿易総額の一%にも満たず、特に外蒙との貿易は一九六六年は五七万ドル(輸出一九万ドル、輸入三八万ドル)に過ぎない。

六六年における北鮮との貿易は、総額二、七七一万ドル(輸出五〇二万ドル、輸入二、二六九万ドル)で六五年に比べ一一%の減少となっているが、これは輸出の減少によるもので、輸入は五四%伸びている。

わが国から主として機械類(一四・六%)、繊維(一三・六%)、鋼材(五・七%)、化学品(主として肥料)などを輸出し、北鮮からは各種鉱産物(八○・二%)および農水産物(一五・八%)を輸入している。

北越との貿易は、一、五三〇万ドル(輸出五六五万ドル、輸入九六五万ドル)で、ほぼ前年並みに止ったが、これは輸出が前年比四七%の増加をみたのにたいし、主としてホンゲイ炭の輸入が減少したためである。

わが国からは北越に鋼材(五〇・七%)、化学品(一四・三%)、繊維品(一五・八%)を輸出し、北越からホンゲイ炭(六五・五%)、銑鉄(一七・八%)、生糸(七・九%)等を輸入している。

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