中近東アフリカ地域
日本航空の世界一周路線の地点としてベイルートを確保するため、ベイルートに代表団を送り一九六六年六月六日より三〇日までレバノン政府代表と航空協定締結交渉を行なったが、地点・輸送力等に関して合意に達せず、交渉を一時中断し、できるだけ早い機会に東京において交渉を再開することが合意された。
アラブ連盟は、一九六六年六月二日東京に事務所を開設し、同日モハメッド・サラッハッディーン・ファリード所長(在京アラブ連合大使館プレス・アタッシェ兼任)が着任した。
アヴジュ・トルコ村落大臣は一九六六年四月一八日から四月二八日まで滞日し、外務大臣、農林大臣、東京都知事等と会見したほか、農林省農業水利事業所、園芸試験場、東芝電気川崎工場、ヤンマーディーゼル長浜工場、小松製作所粟津工場等を視察・見学した。
アハマド・アル・ドゥワイジ・クウェイト企画庁長官は一九六六年五月一一日から二二日まで来日し、外務大臣と会談したほか、NHK放送センター、日本電気、東芝電気等を視察し、関西旅行を行なった。
マヌウチェヘル・エクバール・イラン国有石油会社総裁(元首相)は一九六六年五月二二日から三〇日まで滞日し、天皇陛下に謁見したほか、総理大臣、外務大臣、通産大臣等と会談し、石川島播磨重工業、日本電気等を視察した。
アブドゥラー・アル・ジャービル・クウェイト商工大臣は一九六六年九月二六日から一〇月六日まで来日し、天皇陛下に謁見したほか、総理大臣、通産大臣、外務政務次官等と会談し、関西旅行、ソニー、三菱重工、住友金属等の視察等を行なった。
マクーブ・グネーム・クウェイト文部次官は一九六六年一二月五日から一〇日まで来日し、文部大臣及び文部事務次官を表敬訪問したほか、各種教育施設を視察した。
アブディル・ワシィア・サウディ・アラビア文部次官は一九六六年一二月一二日から二三日まで滞日し、文部事務次官と会談したほか、教育施設、国会、毎日新聞社、NHK放送センターなどを視察した。
アッパ・エバン・イスラエル外相夫妻とその一行四名は一九六七年三月一四日から一九日まで訪日した。同外相は、滞日中、天皇陛下に謁見したほか、総理大臣に表敬し、外務大臣と会談した。同外相はNHK放送センターを見学したほか、関西旅行を行なった。
ルーハーニー・イラン水・電力大臣は一九六七年三月二三日から四月二日まで滞日し、外務大臣、通産大臣、建設大臣、水資源開発公団総裁等と会談したほか、朝霞浄水場等を視察した。
1 南ローデシアの一方的独立宣言に関連してわが国のとった措置
政府は、国連協力および国際協調の見地から、南ローデシアに対する経済制裁に出来る限り協力する方針をとり、国連安保理による強制決議採択前に、すでに各種の措置をとってきた。
すなわち、従前の措置に加えて、一九六六年六月一四日には南ローデシアからのアスベストの輸入が行なわれないよう政府は必要な措置をとったと発表し、七月一九日には、かねてより懸案となっていた南ローデシアの一方的独立宣言前の砂糖既契約分について、政府はこれが輸入を行なわしめないことに決定したと発表した(なお、一九六六年一二月一六日国連安保理で採択された強制的経済措置に伴なってとられたわが方の措置については、六九頁を参照ありたい)。
マラウイは独立満二周年にあたる一九六六年七月六日を期して共和制を施行することとし、その記念式典が七月四日より八日まで開催されることとなったので、日本政府に対し右式典への代表派遣方を要請越した。
わが方は、逢沢寛衆議院議員を特派大使として派遣することとし、同議員は、七月三日より八日までマラウイにて各種行事に参列した。
英保護領であったベチュアナランドは、一九六六年九月三〇日国名をボツワナ共和国と改めて独立した。
ボツワナの独立式典は、九月二九日から一〇月二日まで首都ガベロンズにおいて挙行されたが、政府は在トルコ宮崎大使を特派大使として右式典に参列せしめるとともに、同大使を通じ九月三〇日付佐藤総理発カーマ大統領あて書簡をもって、同国を承認する旨通告した。
英保護領であったバストランドは、一九六六年一〇月四日、国名をレソト王国と改めて、独立した。
レソトの独立式典は、一〇月二日から七日まで首都マセルにおいて挙行されたが、政府は在トルコ宮崎大使を特派大使として(ボツワナ独立式典に引続き)右式典に参列せしめるとともに、同大使を通じ、一〇月四日付佐藤総理発ジョナサン首相あて書簡をもって、同国を承認する旨通告した。
ガーナ政府は、一九六六年八月二〇日付をもって、在大阪ガーナ総領事館の開設を決定し、初代総領事として、Dziewoanu Kwaku Kulevome を任命した。
同総領事は、一一月一日付にて、在大阪総領事館を開設した。
一九六六年一二月二三日公布の政令により、在ガンビア日本国大使館(兼)が新設された。
一九六七年二月一〇日広瀬在セネガル大使が、初代在ガンビア大使として兼任発令された。
一九六六年一月三日クーデターにより成立した上ヴォルタ新政府は、財政上の理由から駐日大使館の閉鎖を決定し、同大使館は、四月三〇日付をもって正式に閉鎖された。
ワッタラ大使は五月二日離任した。
一九六五年秋、越後伊藤忠社長を団長とするアフリカ経済使節団がアフリカ諸国に派遣されたが、右使節団の帰国後、ババ・ガーナ駐日ナイジェリア大使の要請等もあって、使節団参加の各社を中心として、「日本・ナイジェリア協会」設立の動きが始められた。
一九六七年二月九日に至り、日本・ナイジェリア協会設立総会が開催され、右会合において定款の承認、役員の選出が行なわれ、両国間の文化及び経済交流の緊密化を図り、よって両国民の友好親善に寄与することを目的とする日本・ナイジェリア協会が発足した。
なお、名誉会長はババ・ガーナ駐日大使、初代会長は越後伊藤忠社長である。
日本鉱業は、一九六一年四月以来、コンゴーのカタンガにおける銅資源開発に着目し、先方と種々折衝していたが、ようやく話が具体化し、一九六七年一月一日付をもって南カタンガ州政府より鉱山調査一般許可証を賦与された。同社は数十名の技術者を派遣して採鉱に着手するとともに、コンゴー法人たる「コンゴー工鉱業開発会社」(SODIMICO)設立についてコンゴー当局と折衝中である。
一九六六年四月から一九六七年三月までの期間にわが国を訪れたアフリカ諸国の要人及び使節団は次の通りである。
一九六六年
四 月 セネガルのラミーヌ・ゲイエ国会議長ほか一名
五 月 リベリアのグライムズ国務長官ほか二名
同 タンザニアのカリムジ国家開発公社役員
七 月 マダガスカルのシラ外相
八 月 ザンビアのリションワ大蔵次官ほか一名
同 ガーナのアメガシィ国民解放評議会経済委員会副委員長ほか一名
一〇月 ケニアのキンマンジュイ国家貿易公社総支配人ほか一名
一一月 マラウイのクムトマンジ天然資源大臣
同 レソトのジョナサン首相ほか五名
同 象牙海岸のドンビア財政経済省保険局長
一九六七年
一 月 タンザニアのクリスジィコサタ役員
同 ギニアのセクー・カマラ在中共大使
二 月 ザンビアのレヴィン大統領私設顧問
三 月 コンゴー(キンシャサ)のヨカ・マンプンガ外務省総務局長
同 マダガスカルのラマンガソァヴィナ司法大臣ほか一名