西 欧 地 域
第五回日英定期協議は、椎名外務大臣(夫人同伴)が一九六六年一〇月二九日から一一月二日まで訪英し、ブラウン外相との間で行なわれた。また椎名外務大臣は英国滞在中、一〇月三一日及び一一月二日、ウイルソン首相を訪問し会談した。
椎名外務大臣とブラウン外相との会談は一一月一日、二日の二回にわたり行なわれたが、会談の主な議題は、東アジアにおける日本の役割、スエズ以東における英国の役割のほか、中共、ヴィエトナム、インドネシア問題、日英関係、欧州、英連邦、アフリカ問題、英国の経済政策等日英両国が関心を有する広範な問題にわたった。また椎名外務大臣は一〇月三一日ジェイ商相を訪問し、通商、経済関係につき会談した。また従来と同じく、閣僚レベルの協議に先立ち、事務レベルにおいても広範な諸問題が討議された。
この日英定期協議において、国際問題についての日英両国の見解がきわめて近いこと、及び世界の平和と安定を促進するため協力しようという両国の決意が確認され、右を盛り込んだ共同コミュニケが発表された。
椎名外務大臣は、一九六六年一一月三、四の両日パリで行なわれた在欧大使会議に出席の際、一一月五日クーヴ・ドゥ・ミュルヴィル仏外相との間で第四回日仏定期協議を行なった。
椎名、クーヴ・ドゥ・ミュルヴィル両外相会談のおもな議題は、東南アジア問題、欧州情勢及び日仏両国間の経済、文化関係等であった。なお、従来と同様、今回も事務レベルの協議が行なわれた。
両外務大臣は、日仏定期協議が両国間に存在する友好のきずなの強化に貢献するものであることを再確認するとともに、次回会合を一九六七年に東京で開催することに合意した。
椎名外務大臣は、スペイン政府の招待により、夫人をともない一九六六年一一月七日から一〇日までスペインを公式に訪問した。本件訪問は一九六五年三月のカスティエリヤ・スペイン外相夫妻の日本訪問に対する答礼の意味をもつものであるが、わが国閣僚によるスペイン訪問は戦後においてはこれが最初である。同大臣は、スペイン滞在中、フランコ統領及びカスティエリヤ外務大臣とそれぞれ会談した。また両国事務当局の間でも意見の交換が行なわれた。
これら会談においては、最近の国際情勢、特に東南アジア情勢、欧州情勢、その他両国に関連する諸問題について意見が交換された。
現行日英航空協定(一九五二年一二月二九日署名、一九五三年七月三一日発効)に基づき、日英両国航空当局は随時必要に応じ協議を行ない得ることになっている。これにより一九六〇年九月ロンドンにおいて、一九六五年四月東京において協議が行なわれた(詳細「わが外交の近況」第十号一四〇頁参照)。
日本側航空当局は、一九六五年の協議以降における情勢の変化及び将来予想される公衆の需要増加に即応させるため、日英航空当局間の協議を一九六七年早々ロンドンにおいて開催方を希望したので、一九六六年一一月、外務省より在京英国大使館を通じ右協議開催方を正式に提案したところ、英国側はこれを受諾した。
右により一九六七年一月三一日より二月一一日にわたり、ロンドンにおいて、堀運輸省航空局長を首席代表とする日本側代表団とグディソン商務省海外航空政策局長を首席代表とする英側代表団との間に、双方の便数問題、路線地点問題等が討議された。
スカンディナヴィア三国(デンマーク、ノールウェー、スウェーデン、)政府は、一九六六年九月日本政府に対し、路線構成、便数、貨物輸送等日本と北欧三国間の航空上の協力に関するあらゆる問題について政府レベルで協議を行ないたい旨要請越した。
これにより一九六七年二月二七日より三月八日まで外務省において外務省井川公使を代表とする日本側代表団とスウェーデン外務省のベルンストレーム大使を代表とする北欧三国側代表団との間で政府間協議が行なわれた。この協議においては、主として便数問題とシベリア上空航行問題が取上げられたが、何ら具体的な結論を達成するに至らなかったため、両国代表団は一九六七年八月末ないし九月初めにストックホルムまたは東京において話合いを再開することに合意して散会した。
ボトムレー海外開発相は、アジア開発銀行設立総会に英国代表団の団長として出席するため一九六六年一一月二二日来日し、滞日中、椎名外務大臣と会談した。
ウォルストン外務政務次官は、アジア開発銀行設立総会に出席のため一一月二三日より同二七日まで訪日した。
サリンガー・オーストリア産業院総裁は、外務省賓客として、一九六六年九月二三日来日、同二五日帰国した。サリンガー産業院総裁は、その滞日中、九月二四日下田外務事務次官および牛場外務審議官をそれぞれ訪問し会談した。