西欧の情勢
西欧では、とくに独、仏において注目すべき国内政治上の動きが見られたほか、西欧諸国間相互の関係の調整が重要な問題として取上げられたが、他面、東西関係の分野においては、最近のNATOの動きやドイツ新政権の対東欧外交に象徴されるように、緊張緩和と東西両欧間の接近傾向に進展のあとが看取された。
すなわち、ドイツでは、キリスト教民主同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の小連立による第二次エアハルト内閣が財政問題を直接の原因として一九六六年一一月に総辞職し、これに代って翌一二月キージンガー前バーデン・ヴュルテンベルク州首相の首班の下にCDU/CSUと社会民主党(SPD)による戦後初の大連立政権が誕生した。またフランスでは、一九六七年三月五日と一二日の二回にわたって行なわれた国民議会(下院)選挙において、第一回投票で好調なすべり出しを見せた政府与党たるド・ゴール派が、第二回投票で左翼統一戦線の結成により予想外の苦戦に陥り、開票の最終段階で辛うじて過半数を獲得するなど、これら両国では国内問題に忙殺されるところが多かった。
この間、西欧諸国間相互の関係調整の面では、独仏関係と英国のEEC加盟問題が主な問題として取上げられた。
まず、独仏関係については、ドイツ新政権は、最近の欧州情勢の変化に応じて、従来のいわゆる「力の外交」によるドイツ問題の解決という考え方から、緊張緩和を通じてのドイツ統一の実現という方向へ姿勢を一段と転換しつつあり、それとともに、これまでエアハルト前政権の下で対米関係重視の立場からとかく疎遠になり勝ちであった対仏関係をこの際改善することが、欧州統合促進の上からも、緊要であるとの態度を打出すにいたった。一九六七年一月パリで行なわれた同年初の独仏首脳間の定期協議は、このラインにそって独仏間の一般的な雰囲気を著しく改善した意味において、ドイツ新政権の下における第一回協議としては成功であったと見られている。しかしながら、NATOの問題、欧州統合問題、とくに英国のEEC加盟問題等についての両国の見解には依然として喰い違いが見られるので、両国が一九六三年一月締結された独仏協力条約の本来の趣旨と目されている実質的な協力関係に入りうる日は未だ遠いとの感を免れない。
次に、英国のEEC加盟問題については、英国は、一九六三年一月フランスの反対によりEEC加盟を阻止されて以来、主としてEFTA諸国との経済関係の緊密化を図ってきたが、英国経済の健全化を長期的に実現する方策としてEEC加入論が一九六六年来急速に強まり、その結果、ウィルソン首相は同年一一月一〇日の議会において、英国および英連邦諸国の基本的利益の尊重を条件にEECに加入したいとの方向を打出すにいたった。これに基づいて同首相は一九六七年一月中旬から三月初旬にかけてEEC六カ国を歴訪し各国の態度を打診したが、フランスを除く五カ国は原則的に英国の加入を支持したのに対し、フランスは、(イ)英国は英連邦との関係を十分清算しておらず、またポンド残高の負担を背負っている、(ロ)英国の加入は英国と緊密な関係にある米国の勢力をヨーロッパに引入れることになる恐れがあるという政治的な意味合いから、英国の加入に今なお強い懸念を捨て去っていないとの印象を与えたが、最近にいたり英国は客観情勢の推移を見極めつつ、加盟の正式申請のための国内意思統一を精力的に行なっており、今後の成行きが注目される(その後五月一一日、英国は正式にEEC加盟の申請を行なった)。
他面、東西関係の分野においては、NATOおよびドィツ新政権の対東欧外交について注目すべき動きが見られた。
まず、NATOの関係では、一九六六年七月にフランスがNATO軍事機構から正式に離脱したあと、一二月一五日、一六日の両日パリで開かれたNATO定例閣僚理事会において、東西和解の促進ということがNATOの今後の課題として初めて前面に押出されるとともに、東西冷戦に対処する組織として誕生したNATOの目的と機構を最近の国際情勢の変化に相応してねり直すことが合意され、さらに、最終コミュニケといっしょに発表されたドイツ問題に関する米英仏独四カ国声明に明らかなように、今回初めて東西緊張緩和にそったドイツ問題解決への新たな動きが確認されると同時に東西両独間の接触が「奨励」されるなど、今後の西欧とソ連、東欧との関係について新しい方向、ないし姿勢が打出されるにいたった。
また、本理事会開催の前日、同地で、フランスを除く一四カ国閣僚による「NATO防衛計画委員会」の会合が行なわれ、国防大臣特別委員会(いわゆるマクナマラ委員会)から提出された核問題の計画および協議に関する勧告を承認するとともに、(イ)NATO全加盟国の参加しうる「核防衛問題委員会」(核の一般的政策問題を担当)と(ロ)その下部機構である「七カ国核計画グループ」(核計画の詳細について審議する)の設置を決定した。この決定により、長年の懸案であったいわゆるNATO核分担問題は事実上の結着を見るにいたり、その結果、核兵器拡散防止条約達成に対する大きな障害の一つが取除かれる形になった。
次にドイツの対東欧外交については、キージンガー新政権は、一九六六年一二月一三日の施政方針声明において、東欧諸国との経済的、文化的、政治的関係を改善し、また可能な限り外交関係をも樹立することを希望する旨明らかにし、一九六七年一月末、まず、ルーマニアとの間に外交関係を設定したが、同政権はさらに現在、ブルガリア、チェッコ、ハンガリー、ユーゴー(この場合は復交)等との間にも外交関係を設定すべく外交上の打診を行なっているといわれる。従来ドイツ(西)は、「東独を承認している国とは外交関係を結ばない」とのいわゆるハルシュタイン原則を打ちたて東欧諸国との関係を経済的、文化的な分野に限ってきたが、今回の新しい対東欧政策の表明は前述の東西和解の促進という観点から注目に値すると思われる。
なお、新政策とハルシュタイン原則の関係については、ボン政府は、すでに東西両独との間に外交関係を結んでいるソ連と同政府との関係の例を東欧諸国に限り適用するのであって、これらはあくまで例外であるとの立論の下に、ハルシュタイン原則を変更したわけではないとしている。ところが他方において東欧諸国の側では、ドイツ(西)によるオーデル・ナイセ国境線や東独の承認をドイツ(西)との国交樹立の前提条件としている国もあり、その他ミュンヘン協定の効力(最初から無効か否か)をめぐるチェッコとの問題等があって新政府の対東欧政策の実施には必ずしも楽観できないものがあるといわれる。