一 世界の動き
国際情勢の概況
一九六六年四月から一九六七年三月にいたる一年間の世界の動きの基調となったのは、ヨーロッパを中心とする東西緊張緩和が従来よりもさらに進展したこと、およびアジアにおいては、中共では「文化大革命」が推進され、これが国際的には中共の孤立化をますます深めたこと、中共外のアジア地域においては地域的協力の気運が澎湃として盛り上って来たことと、反面ヴィエトナム戦争が熾烈化したことであったといえよう。
ヨーロッパにおける東西間の緊張緩和、東西両欧の接近の動きは、近年、とみに活発化しつつある要人の往来を中心として進められて来たものであるが、本期間内においてはさらに、東西の冷戦下に誕生したNATOの内部において、東西和解の促進を目指す動きが表面化したほか、ドイツの大連立政権が積極的な対東欧接近にのり出すなど緊張緩和の方向にそった注目すべき動きがみられた。しかしヨーロッパにおける平和共存実現の過程には、ドイツ・ベルリン問題の解決という年来の難問が横たわっており、国際情勢の現状においては、近い将来におけるその解決は極めて困難であるとみられる。したがって東西関係の将来は未だ楽観は許されないが、上記のような事態の動きを背景として、ドイツ新政権がこの東西関係の核心ともいうべきドイツ問題についていわゆるハルシュタイン原則の適用除外をふくむより積極的な対東欧政策、より柔軟性のある対東独政策を打出すなど、従来の固定した態度と異なる考え方を示すにいたったことは、戦後のヨーロッパにおける東西関係の歴史の中で特筆すべきことであろう。
米ソ関係については、「ヴィエトナム戦中の凍結」の中にあっても、核兵器拡散防止条約の交渉だけは続けられていたが、六六年秋頃より同条約交渉のみでなく、宇宙天体条約の署名など米ソの共存関係の進展が見られた。
なお現在、東西間の最大の対立点であるヴィエトナム問題の平和的解決については、六六年末より六七年二月にかかる期間を中心として各所において米ソを含む東西諸国間に探り合いが行なわれたが、これは結局実を結ばず、ヴィエトナム問題は依然として米ソ平和共存関係の難点となっている。
この一年間における単独の最大事件というべき中共の「文化大革命」は、精神革命を旗印に掲げ、社会主義諸国でも前例を見ない国内的変革を企図するもののようであるが、その及ぼした国内的影響は広範囲かつ深刻であり、また対外的には、国内事情から生ずる非妥協的な態度を一方的に外交の中に反映させることとなり、中共の対アジア・アフリカ諸国、対東欧諸国との関係の一層の冷却化を招き、また国際共産主義運動の中でも中共の孤立を深めた。中ソ関係も、中共側は、公式に米ソを同列の敵と見なし、ソ連側もこれに対し「毛沢東とそのグループ」の推進している「文化大革命」はマルクス・レーニン主義と無縁なものであると非難し、この一年間におけるその険悪化は顕著であった。
この間にあって共産圏外の東南アジアおよび東アジアにおいては、アジア人の創意による地域協力の動きがいよいよ活発化し、東南アジア開発閣僚会議、アジア太平洋協議会(ASPAC)閣僚会議、アジア開発銀行の発足、東南アジア連合(ASA)の復活、さらにインドネシアを含む新しい地域機構を作る動き等が相次いで見られ、また三木外務大臣は、着任早々、今やアジアの南北問題はアジア・太平洋の広さで捉えるべきである旨の考え方を明らかにした。これ等の動きが起こった理由は、個々の場合により異るが、共通の基本的な理由としては、従来このような動きを妨げていたマレイシア・インドネシア対決等の地域紛争が解決したことと、独立後二〇年を経たアジア諸国において、内にあっては経済建設、外に対しては友好善隣に重点を置くという常識的または現実的な考え方がとみに強くなって来たことが挙げられよう。
ヴィエトナムにおいては、米軍は、補給施設を整え、大量の兵員増強を行なって作戦を強化するとともに、ハノイ、ハイフォン地区を含む北爆の強化を行なって来ており、これに対し、北ヴィエトナムは、とくに二月の旧正月休戦以後非武装地帯を越えて介入を強化し、戦闘はいよいよその熾烈さを増している。
このような中共の孤立化と外交的影響力の後退、アジア地域協力の推進、ヴィエトナム戦の激化の三つの主要な動向は、アジア諸国の外交内政に対し少なからぬ影響を与えているが、その影響のもたらす結果とその程度は、それぞれの国の中共、ヴィエトナムとの地理的遠近、それぞれの国が従来とって来たイデオロギー的立場、米、中共との親疎関係等によりあらわれ方が異なっている。