国際文化交流の現状
国際文化交流の目的は、文化を通じ各国民相互の理解と親善を深め、もって世界の平和と文化の向上に貢献することにある。第二次大戦後、各国政府は文化外交を重視し、強力な機構、スタッフと尨大な予算をもって、文化交流事業を活発に展開しているが、これは世界諸国民が戦争の惨禍を再びくりかえさないためには、諸国民間の相互理解がいかに重要であるかを痛感したためであろう。
わが国と各国との文化交流も経済的発展による国力の充実、国際的地位の向上に伴ない益々活発となってきている。
かような文化交流事業には、政府によるものと、民間によるものとがあるが、元来、文化交流はその性質上、まず、広く民間の自主と創意とによって行なわれるべきものであり、したがって政府としては、まず第一に民間の創意によるこれら事業を奨励し、できるかぎりこれに便宜を与えてその拡大をはかることを方針としている。
他方、日本文化の紹介には、極めて有意義であっても民間の事業としては実施困難な事業もあり、これについては、あるいは政府の事業として、あるいは関係補助団体の事業として実施することとしている。
戦前、日本はハンガリー、ドイツ、イタリア、ブラジル、タイ、ブルガリアとの間に文化協定を結んでいたが、これらの協定はいずれも第二次大戦の勃発によってその効力を失ったか、または効力が停止された。
戦後、日本は次の一一カ国と文化協定を締結した。
(1) フランス (一九五三年一〇月三日発効)
(2) イタリア (一九五四年一一月二二日発効)
(3) タ イ (一九五五年九月六日発効)
(4) メキシコ (一九五五年一〇月五日発効)
(5) インド (一九五七年五月二四日発効)
(6) エジプト (一九五七年七月一五日発効)
(7) ドイツ (一九五七年一〇月一〇日発効)
(8) パキスタン (一九五八年一〇月二一日発効)
(9) イラン (一九五八年一一月二〇日発効)
(10) イギリス (一九六一年七月八日発効)
(11) ブラジル (一九六四年一一月一七日発効)
これらの文化協定は、締結国政府が両国間に行なわれる各種文化交流事業に対して便宜を与え、また、これを奨励することを規定したもので、協定により多少相違はあるが、その概要はつぎのとおりである。
(1) 書籍、講演、演劇、展覧会、映画、ラジオなどによる文化の相互理解の増進に対し、便宜を与える。
(2) 学者、学生、その他文化活動に従事する者の交換を奨励する。
(3) 相手国国民の修学・研究・技術修得に対し、奨学金その他の便宜を与える方法を研究する。
(4) 大学などで、相手国の文化に関する講義の拡充および創設を奨励する。
(5) 相手国の学位および資格をたがいに認めるように、その方法および条件を研究する。
(6) 相手国の文化機関の設立および運営に便宜を与える。
(7) 相手国国民の博物館、図書館の施設の利用に対して便宜を与える。
(8) その他、協定によっては、文学および美術の著作物の翻訳または複製の奨励、文化団体の間の協力の奨励、国際的運動競技の奨励などを規定したものもある。
文化協定の規定の円滑な履行をはかるため、日仏、日伊、日本・メキシコ(附属交換文による)、日印、日独、日英、日本・ブラジルの各文化協定は、それぞれの国の首府に両国の代表五、六名によって構成される混合委員会の設置を規定している。なお、その他の諸国との文化協定は、単に、両締約国代表が必要に応じて協議することを規定している。
一九六五年度においては、五月二六日、第三回在東京日英混合委員会が、また、一一月一九日、第四回在ロンドン日英混合委員会がそれぞれ東京とロンドンにおいて開催され、日英両国間の文化交流事業について意見の交換が行なわれた。
また、六月九日に第四回在東京日仏混合委員会が東京で開催された。
一九六一年六月訪米した池田総理はケネディ大統領との間で文化および教育の交流に関する日米合同会議を設置することに合意した。この会議は、日米両国の代表的学識経験者が一堂に会し、両国間の文化および教育の交流に関するあらゆる問題を自由に討議するとともに、その拡大方法について勧告を行なうことを目的としたものである。
第一回会議は、一九六二年一月二五日から回三一日まで東京で開かれ、日米両国の文化および教育の当面する諸問題について討議が行なわれた。また、第二回会議は、一九六三年一〇月一六日から二二日までワシントンで開催され、(イ)第一回会議以降の実績検討、(ロ)文化教育テレビ番組の交換、(ハ)翻訳および抄訳、(ニ)地域研究、(ホ)舞台芸術の交流の各議題につき討議が行なわれ、夫々勧告がなされた。
第三回日米文化教育会議は、一九六六年三月二日から七日まで「日米相互理解における大学の役割」を議題として外務省において開催された。
会議においては、(イ)教育を通じての相互理解の発展、(ロ)大学教育に関する両国間の協力、(ハ)両国の大学教員および資料の交流の促進、(ニ)留学生と相互理解の諸問題について活発な討論が行なわれ、二年後に米国で開催さるべき会議までの間に、(イ)日米間の教育文化協力のための姉妹委員会をそれぞれに設置すること、(ロ)両国双方が必要と認める場合には、特定の研究課題についての研究班を設置することを勧告した。
(イ) 国際文化振興会(KBS)
国際文化振興会(略称KBS)は、国際間の文化交流、特に日本文化の海外紹介をはかることを目的として、一九三四年(昭和九年)四月創設された団体であるが、戦前は現在の価格で約三億円の政府補助金と多額の民間寄附金により活発な文化活動を展開し、KBSの名は海外の文化団体、学界、日本研究家などの間に広く知られていた。戦後になってからも、政府は、一九五三年度から補助金を交付して同会の国際文化活動の拡大をはかってきた。しかし、政府補助金は戦前の水準に比べてはるかに少額だったので、同会の活動も活発とはいえなかった。
近年、諸外国、とくに欧米諸国の文化活動が極めて盛んになり、わが国としても、国際文化振興会を通ずる国際文化交流事業の強化拡充の必要が痛感されてきたので、外務省は、関係者と協力して政府補助金の増大、民間からの積極的協力の確保ならびにこれにともなう機構の整備と事業の拡大に努力している。
一九六五年度に国際文化振興会が行なった主な事業は、欧州における「日本建築写真展」、「現代日本カラー写真展」の巡回や「ジュネーヴ国際陶磁器展」への参加、アフリカにおける「日本国情紹介写真展」、中近東における「日本学童生活紹介展」、豪州、ニュー・ジーランドにおける「日本書道展」、「日本現代工芸展」、中南米における「日本建築写真展」、「日本現代工芸展」、「日本書道展」および「第八回サンパウロ・ビエンナーレ展」への参加、その他「ハワイ、カナダ巡回日本現代工芸展」、米国ワシントンのコーコラン美術館との共催による「日本現代絵画展」等多彩を極めている。
また、同会が出版したものとしては、前年に引続き日本研究基本書目解題(英文)シリーズの「歴史(下)資料篇」、「思想篇(下)」、「教育篇」、「文学篇」をはじめとし、「外国人用日本研究外国語書目」、「現代日本建築」、「日本の教育」、「現代日本文学」、「日本音楽への入門」、「日本建築名苑大観」、「月刊KBSブレティン」(以上いずれも英文出版)、スペイン語およびフランス語による「日本文化への手引」、邦文月刊誌「国際文化」等がある。
なお、国際文化振興会は、海外との接触が拡大しわが国の実情を正確かつ直接紹介する必要性がたかまりつつある現状に鑑み、一九六一年九月以来ニューヨークに、また一九六六年一月にはロンドンにそれぞれ駐在員を派遣し、現地の関係方面と緊密な接触を保ちながら啓発、調査等の活動を行なっており、さらに一九六七年一月にはブエノスアイレスにも駐在員を派遣する予定で、後述の在ローマ日本文化会館の運営とともに海外における同会の文化交流活動を積極化せしめている。
(ロ) 国際学友会
日本に来る外国人留学生は日本語を解さず、また、日本人と風俗習慣、宗教、食生活などをいちじるしく異にしていることから、学業、生活などの点で、とくに来日当初は困難を感ずる者が多い。国際学友会は、これら留学生に宿舎と大学進学前の準備教育を与えることを目的として、一九三五年一二月、財団法人として創立されたものである。
政府は、同会の発足当初から補助金を与えこれを援助してきた。戦後も、平和条約の発効とともに諸外国から留学生の来日が急増したので、一九五二年以来国際学友会の事務所および運営組織の充実ならびに宿泊施設および東京本部日本語学校施設の整備、拡充に重点を置いて、補助金を与えてきた。
戦後、同会は、国費留学生(日本政府が招致し、奨学金を給与しているもの)、私費留学生を問わずすべての留学生を前述の宿舎に受入れて世話をしてきた。しかし、一九五七年、文部省の外郭団体として日本国際教育協会が発足し、国費留学生の受入団体となったので、学友会本部の国費留学生は同協会の宿舎に転宿し、現在、学友会本部は専ら私費留学生を収容している。
宿舎は、現在、東京本部だけで収容能力一六五名に達しているが、一九五六年には収容能力六〇名の関西支部が大阪市北区に、また、一九五八年には収容能力一三名の福岡支部が福岡県粕屋郡古賀町に、それぞれ開設され、さらに六五年四月から京都に収容能力約五〇名の京都支部が開設された。
国際学友会東京本部は、宿舎、食堂を設けているほか、日本語学校も運営している。日本語学校は、日本で高等教育または技術研修を受けようとする外国人留学生(学友会在泊者には限らない)に対し、一年乃至一年六カ月を期間として日本語を教授し、併せて基礎的な日本事情を知らせることを目標としており、毎年四月、一〇月の二回新規学生を受入れている。そのほか、大学進学希望者に対しては、数学、理科、社会などの基礎学科も教授しており、これら課程の修了者には進学を斡旋している。同校の学生定員は二九五名である。
(ハ) 出版文化国際交流会
昭和二七年、日本と外国との相互理解を深め、かつ親善を増進するに役立つ出版物の交流を計る目的で発足した団体で、特に、この数年は極めて活発な活動をつづけている。
一九六五年度に同会が行なった主な事業としては、ボローニャ国際児童図書展参加(四〇年四月)、サンパウロ日本図書展開催(四〇年五月)、香港図書展参加(四〇年五月)、フランクフルト国際図書展参加(四〇年一〇月)、等の海外における図書展があり、国内においては英国図書雑誌展巡回(三九年五月より四一年二月まで)、世界医学図書雑誌展巡回(四〇年六月より四一年三月まで)等を行なった。
また、同会では、わが国出版界の代表団を組織し、四〇年五月から約一カ月間、中南米諸国を親善訪問、わが国出版界の実情を紹介、多大の成果を上げ、引き続き四一年二月中近東アジアの諸国を親善訪問した。
(ニ) その他国際知的交流を目的とする「国際文化会館」、日本映画の海外紹介を目的とする「日本映画海外普及協会」(略称Uni Japan)、文筆にたずさわる人々の国際交流を行なう「日本ペンクラブ」等の国際文化団体が活発に文化交流事業を行なっている。
(イ) 在ローマ日本文化会館
在ローマ日本文化会館は、日伊文化交流促進のため日本文化の紹介を行ない、かつ、イタリアの学術文化の研究に資することを目的として、外務省が一九五九年から約三年の歳月を費して建設したもので、一九六二年一二月開館式が行われた。会館は平安朝様式の建物で日本庭園が隣接して造られており、その醸成する日本的雰囲気はローマ市民の関心を集めている。
同会館の運営は国際文化振興会があたり、会館の総長には前国際文化振興会会長岡部長景氏、館長には元東京大学教授呉茂一氏が就任して現在に至っている。総長は日本で会館運営委員会の委員長として運営方針の決定を行ない、館長はローマでの館務を統轄する。会館の職員は、国際文化振興会から派遣される職員三名、現地採用の職員四名、雇員三名で構成されている。
同会館が一九六五年度に行なった主な事業としては、「在欧邦人美術展」、「中山正版画展」、「現代日本カラー写真展」、「能・狂言鑑賞ゼミナール」、「竹田耕人友禅染着物展」、「生け花実演会」、「現代日本版画展」、「日本建築写真展」、「日本教科書・雑誌展」、「点茶の会」等の催物や、「日本文化の基本的性格」(森田鉄郎神戸大教授)、「日本とEECとの関係」(在伊・沢木参事官、サンタニエロ伊国外務省事務官)、「能への招待」(ロマーノ・ヴルピッタ)、「現代日本の演劇の諸問題」(オルトラーニ上智大教授)、「東西文芸の現状」(小田実、デ・アンジェリス等六名の文芸評論家による座談形式講演会)、「日本建築について」(アルガン・ローマ大学教授)等の講演会、討論会および座談会、さらに日本映画会、邦人演奏家による音楽会、日本語講習会等がある。
また、出版物としては、「年報」、「館報」および「日本教科書・雑誌展目録解説」(以上いずれもイタリア語)等があり、年を追う毎に愈々活発な文化活動を展開しつつある。
(ロ) パリ大学都市日本館
パリ大学都市日本館は、通称薩摩会館ともいわれ、一九二七年薩摩治郎八氏によってパリ大学に寄贈されたものであるが、フランス留学中の日本人学生に対する宿舎の提供を主たる任務とし、また、構内に日本関係の図書を蒐集して日本研究に便宜を与えている。外務省は、従来から民間有識者の中から館長を推せんして派遣しており、また同館建物の内部修理費などに対し、援助を行なっている。
(ハ) その他の海外の文化団体
右に挙げたような団体のほか、諸外国には、わが国との文化交流を主な目的とし、主として現地の国民を中心とする団体が多く設立されている。これら団体は、各種の文化展、映画会、講演会あるいは機関誌の発行などの方法により、日本文化の紹介を行なっており、わが国との友好親善関係の増進に貢献している。このような団体の育成強化は文化交流の促進上きわめて有効なので、外務省は在外公館を通じてできるかぎりの援助を行なっている。
国際文化交流事業のうち、美術工芸関係の展覧会は、もっとも頻繁に行なわれており、美術工芸を通じての国際間の理解と親善の増進に貢献している。
(イ) 日本で開催された外国美術展等
日本で開催される外国美術展は、新聞社、美術館の主催するものが多いが、外務省も、その開催について側面より協力している。
一九六五年度において開催された外国美術展等は次のとおりであるが、特に、日仏文化協定に基づき、両国政府が主催する日仏交換美術展が開催されることになり、「一七世紀ヨーロッパ名画展」が東京で開催されたことは注目に値する。
(ロ) 海外における日本美術工芸展の開催
諸外国における日本の美術、工芸その他の展覧会は、各国において多大の反響をよんでおり、日本文化の紹介に貢献している。
一九六五年度に開催された日本関係の展覧会は次のとおりである。
優秀な日本映画の海外における上映が、日本の文化、国情等に対する諸国民の正しい理解と認識に役立つことはいうまでもない。かような観点から、外務省では、日本文化紹介に適当と認められる映画を、あるいは購入しあるいは借用して、これを地域による特殊性を考慮しつつ、諸外国にまわして在外公館主催で映画会を開催している。
また、権威ある国際映画祭(カンヌ・ベニス等)に対する日本映画の参加、日本における外国映画祭の開催などに対しても種々の支援をしている。
一九六五年度における在外公館主催による日本映画会、海外の映画祭に対する日本映画の参加および日本における外国映画祭の開催状況は次のとおりである。
(イ) 在外公館主催による海外での日本映画会(一九六五年四月から一九六六年三月まで)
歌舞伎の海外派遣については、従来世界各国から強い要望があるにも拘らず、経費、人員等の関係で、過去においてアメリカおよびソ連を除いてはその実現の機会に恵まれなかったが、一九六五年秋、ベルリンで開催の同市主催日本芸術祭に、総勢七〇名に及ぶ歌舞伎を派遣、前後一〇回にわたり多彩な番組を上演し、極めて好評を博したのをはじめとし、その機会に引続いてパリおよびリスボンにおいても公演せしめ、わが国伝統の舞台芸術を通じて多大の感銘を与え、日本文化の紹介に大きな功績を残した。
図書も文化交流の重要なメディアであるが、外務省では、(イ)在外公館に図書を備えつけ一般の利用に供する、(ロ)外国の大学、図書館等へ日本の図書を寄贈する、(ハ)日本図書展の開催、国際図書展への参加に協力するなどの方法によって、図書を通じての日本文化の紹介に努力している。
最近における図書寄贈および図書展への参加状況は次のとおりである。
学者・文化人等の交流は、わが国文化についての理解と認識を深めるとともに、諸外国との友好関係促進に貢献するところ大であるので、外務省では、文化人等の派遣、招へいに努めている。昭和四〇年度には左記のとおりの事業を実施したが、更に外国政府、大学、民間団体等の実施する交流事業、或いは日本文化の海外普及事業に対しても、可能な限りの便宜を供与している。
(イ) 文化人派遣
ヨーロッパ地域に対しては、昭和四〇年九月から一〇月に亘ってベルリン市で開催されたベルリン芸術祭に参加のため、芸術院会員である箏曲の中能島欣一氏夫妻と尺八の納富治彦氏一行を派遣した。一行は芸術祭参加の後、デンマーク、オーストリア、イタリア、英国及びフランスに演奏旅行を行なった。また、この芸術祭には華道の勅使河原蒼風氏が参加し、その後イタリー及びフランスで実演を行なった。更にベルリン芸術祭を機会に、美術講演のため山田智三郎教授をドイツ、フィンランド、スエーデン及びオランダに派遣した。
北米地域に対しては、昭和四〇年一二月毎日放送の金子秀三社長を日本の教育テレビ番組について講演のため、また、四一年二月には高柳賢三博士をわが国の憲法について講演のためそれぞれ派遣した。
中南米地域に対しては、リオ・デ・ジャネィロ四百年祭典に際し、茶道の千宗室氏と華道の小原豊雲氏を派遣し、茶、華両道の共同デモンストレーションを行なった。スポーツの部面では体操の相原、中山両選手を四月より五月にかけてメキシコ、ヴェネズエラ、ブラジル、アルゼンティンに於て技術紹介のため派遣した。
アジア地域では、四一年二月より約一カ月にわたり、小野選手夫妻を台湾、フィリッピン、タイ、イラン、トルコの諸国及びギリシャに体操指導のため派遣した。
豪州、ニュー・ジーランドに対しては、四一年二月より三月に亘り折紙教師吉沢章氏を実演指導のため派遣し、帰路インドネシアにも立寄ることとした。
アフリカ地域に対しては、四〇年二月より三月の間柔道の松下三郎五段をアラブ連合、エティオピア、ケニア、ローデシア及びコンゴー、セネガルに派遣した。
(ロ) 文化人招へい
ヨーロッパ地域よりは、昭和四〇年六月デンマーク国立博物館東洋部長エム・ボワイヨ女史、四一年三月にはオーストリア、ウイン大学日本学研究所長アレキサンダー・スラヴィック教授、同月ドイツ、ボン大学前総長ハンス・ヴェルツェル教授を招へいした。
北米地域よりは、四〇年一二月米国セント・ポール大学鄭竹園博士を招へいした。
中南米地域よりは、四〇年五月ボリヴィア国立サン・アンドレス大学前総長ムニヨス・レイエス氏を、同年九月にはブラジル、リオ・グランデ、ド・スールのカトリック大学オットン総長を、同年一一月にはウルグァイ日本文化研究家マリア・カマラーノ女史をそれぞれ招へいした。
アジア地域よりは、四〇年七月タイ、カセーサ大学副学長プラサート・ナ・ナコン教授、同年一〇月にはマレイシア、マラヤ大学文学部長ウングクウ・アブダル・アジス教授を招へいした。
アフリカ地域よりは、四〇年九月モロッコ、カサブランカ芸術院モハメツド・アフィフィ教授、同年一〇月にはコンゴー人画家ピー・ヴィー・ポヨ氏をそれぞれ招へいした。
(ハ) 日ソ間の学者交流
日ソ間の学者・研究員の交流については、従来、在ソ連邦日本国大使館と、ソ連邦対外文化連絡国家委員会との間で交渉が行なわれてきたが、本年に至り、講義または視察のために、一九六五年四月から六六年三月の間の約二カ月間それぞれの国の学者を派遣することで合意が達せられ、次の学者の交換が実現した。
(i) ソ連側派遣学者および日本における受入先
ソローヒン・レム・イヴァノヴィチ(ノヴォシビルスク国立大学教授・物理学者)・東京大学工学部航空学科
トーキン・ボリス・ペトローヴィチ(レニングラード国立大学教授・生物学者)・国立遺伝学研究所
ミハイロフ・イーゴリ・ゲオルギェヴィチ(レニングラード国立大学教授・物理音響学者)・東京大学工学部物理工学科
(ミハイロフ教授は、病気のため来日が遅れている。)
(ii) 日本側派遣学者およびソ連における受入先
水渡英二(京都大学化学研究所教授)・モスクワ大学化学部
護雅夫(東京大学文学部助教授)・レニングラード大学東洋学部
黒田吉益(東京教育大学物理学部助手)・モスクワ大学地質学部
近来青少年・学生団体等の国際的交流が増加しつつあり、外務省では、これらの団体に対し必要な助言と指導を与えてきているが、特に総理府が実施している日本青年海外派遣団に対しては、関係在外公館を通じ日程作成等につき協力している。
スポーツを通しての国際親善を図るため、昭和四〇年度においては、体操の相原、中山両選手をメキシコ、ヴェネズエラ、ブラジル及びアルゼンティンに派遣した。四一年には小野喬夫妻を台湾、フィリツピン、タイ、イラン、トルコ及びギリシャに派遣して体操指導を行なった外、民間スポーツ交流に協力した。
更に、アジア、中近東、アフリカ、中南米諸地域への学術探検隊、登山隊の派遣に対しても便宜供与を計った。
若い外国人留学生を国費をもってわが国の大学に留学せしめることは、わが国の学術水準のみならず、わが国の文化と生活を身をもって体験せしめ、わが国に対する理解と認識を深める上で多大の効果を収めうるものである。外務省では、この観点にたち、政府予算による外国人留学生招致に対しては全面的に協力している。
(イ) 文部省予算による文部省奨学金留学生招致制度
この制度により、昭和三九年度二〇五名、昭和四〇年度一九四名の外国人留学生が招かれた。昭和四一年度には二〇〇名の留学生が招かれる予定である。この制度による留学生は、学部留学生(アジア、中近東、アフリカ地域諸国からの留学生のみを対象とし、期間五カ年、ただし、医科および歯科は七カ年)と研究留学生(全地域、期間二年)の二種類がある。奨学生に対しては、往復旅費(ツーリストクラス)、奨学金月額三〇、〇〇〇円、国内研究旅費(研究留学生および最終学年の学部留学生に対してのみ)年額二五、〇〇〇円および渡日当初の経費として一時金一〇、〇〇〇円等が支給される。招致留学生の国別内訳はつぎのとおりである。
(i) アジア諸国、昭和三九年一三九名、昭和四〇年一三二名、昭和四一年一三一名(予定)
(ii) 中近東諸国 昭和三九年一六名、昭和四〇年一四名、昭和四一年一七名(予定)
(iii) アフリカ諸国 昭和三九年二名、昭和四〇年なし、昭和四一年二名(予定)
(iv) 西欧諸国 昭和三九年二〇名、昭和四〇年一八名、昭和四一年二二名(予定)
(v) 東欧諸国 昭和三九年四名、昭和四〇年五名、昭和四一年四名(予定)
(vi) 北米諸国 昭和三九年七名、昭和四〇年八名、昭和四一年七名(予定)
(vii) 中南米諸国 昭和三九年一五名、昭和四〇年一五名、昭和四一年一四名(予定)
(viii) 大洋州諸国 昭和三九年二名、昭和四〇年二名、昭和四一年三名(予定)
(ロ) 科学技術庁予算による外国人研究者招致制度
この制度は昭和三七年度より始められ、奨学金支給額は往復旅費のほか、月額六万円ないし七万円である。招致実績は次のとおりである。
この計画により、一九六四年度および一九六五年度にはつぎのとおり米国人学者および学生などが招かれた。
一九六四年
訪問教授 一五 研究学者 一二 英語教師 六 大学院学生 一四
合 計 四七
一九六五年
訪問教授 一六 研究学者 一〇 英語教師 六 大学院学生 一二
合 計 四四
一九六四年および一九六五年度に外国政府または準政府機関の給費生として海外に留学したわが国の学者、学生はつぎのとおりである。かっこ内の数字は一九六四年度留学生数である。
(イ) アジア地域 三( 三)
インド 三( 二) タ イ 〇( 一)
(ロ) 中近東地域 二( 五)
イスラエル 一( 二) トルコ 一( 〇) アラブ連合 〇( 三)
(ハ) 西欧地域
オーストリア 四( 五) ベルギー 四( 六) デンマーク 一( 二)
フランス 七八(九六) ドイツ 五〇(七〇) イタリア 五(一三)
オランダ 五(一二) スペイン 一二( 五) スウェーデン 一( 一)
スイス 三( 三) イギリス 一〇(一四)
(ニ) 東欧地域
チェッコスロヴァキア 一( 一) ソ 連 一七( 九) ユーゴースラヴィア 二( 一)
諸外国、特に東南アジア諸国において、近年高まりつつあるわが国に対する関心を、単なる興味に終らせることなく、学問的追求にまで高めること、激増しつつある諸外国の日本留学希望者にその本国で或る程度日本語を習得する場を与えること、諸外国の日本語習得者や日本研究者により一層の研究意欲をもたせること、これらの目的を達成するための一つの方法として、外国大学へ日本研究講座を寄贈することが計画され、まず四〇年一一月よりタイ国タマサート大学に、外務省予算をもって講座が設置された。
この講座は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の河部利夫教授を主任教授とし、他に二名の講師よりなっており、タマサート大学教養学部言語学科の学生を対象に、主任教授による日本歴史の講義と、講師による日本語の授業とを行なっている。この講座には、教科書、参考図書、器材等も合わせて寄贈されている。