貿易・経済関係の使節団及び要人の交流
堀江薫雄東京銀行取締役会長を団長とする中近東経済使節団一行団員一三名は、一九六五年一月三〇日より約一カ月にわたりイラン、イラク、クウェイト、サウディアラビアおよびトルコの六カ国を訪問した。
これら地域に政府派遣の経済使節団が派遣されたのは本使節団が最初である。
各訪問国においては元首、首相、関係閣僚および業界代表と片貿易問題、経済協力等について意見の交換を行ない、また各国の経済事情について調査し、工場、施設等の視察を行なった。
一九六五年八月二八日から三四日間にわたり、伊藤忠商事株式会社取締役社長越後正一氏を団長とし団員一〇名からなるアフリカ経済使節団をエティオピア、ザンビア、コンゴー(レオポルドヴィル)、ナイジェリア、象牙海岸、セネガルの六カ国に派遣した。
使節団は、各国で政府首脳および財界の代表と会議し、わが国との経済関係のあり方について意見を交換したほか、各国の経済事情、経済界の状況等もあわせて調査した。
政府は、一九六六年二月二八日から三月二二日にかけて、米国太平洋岸のカリフォルニア、オレゴン、ワシントン及びアリゾナの四州を中心に、檜山広丸紅飯田社長を団長とし、鈴木治雄昭和電工副社長及び松村敬一日産自動車常務を副団長とする訪米経済使節団を派遣した。この使節団は、米国内の特定地域を対象として派遣された最初の使節団であり、歴史的、地理的、経済的にわが国と最も密接な関係にある米国太平洋岸との経済交流の一層の発展を目的とし、同地域の政界、経済界、官界の指導者及びワシントンにおいて同地域出身の連邦議員と卒直な意見の交換を行なって帰国した。
政府は、EEC加盟諸国ならびにこれらと連合関係にある西および赤道アフリカ諸国に対し、一九六六年一月一九日から二月二六日までの三九日間にわたり、日本貿易会専務理事谷林正敏氏を団長とする「欧州経済共同体連合アフリカ諸国調査団」を派遣した。一行はベルギー、仏、独、セネガル、マリ、象牙海岸、ガーナ、トーゴー、ダホメ、カメルーン、ガボン、チャド等の諸国を歴訪し、各国の政府関係当局、経済調査機関、その他と懇談して、EEC・アフリカ連合の経済的及び政治的実態並びにわが国とこれらアフリカ諸国との問の経済関係緊密化の方途について実地に調査の実を上げ、帰国後国内各方面に報告を行なった。
政府は、一九六一年以降、わが国経済学者を海外に派遣し、政、財、言論界の関係者に対し講演会、懇談会等を通じて日本経済の紹介に努めているが、本年度は、第一に京都大学経済学部鎌倉昇助教授を一九六六年二月二〇日より二四日間の日程をもって東南アジア五カ国(タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、中華民国)へ、第二に東京大学教養学部嘉治元郎助教授を一九六六年三月二二日以降一九日間にわたり中米七カ国(メキシコ、グァテマラ、エル・サルバドル、ホンデュラス、ニカラグァ、コスタ・リカ、パナマ)に派遣し、各地において多大の関心を集め、日本経済に対する理解を深めた。
米国イリノイ州カーナー知事を団長とする同州貿易使節団一行一一一名は、一九六五年一一月二日来日、八日間にわたり滞在し、東京及び関西財界と懇談、各地を視察した。
米国ワシントン州貿易使節団一行七〇名は、一九六五年四月一四日来日、二週間にわたり滞在、東京、名古屋、関西の各財界と懇談、各地を視察した。
全ブラジル工業連盟会長マセード・ソワーレス氏を団長とするブラジル民間経済使節団一行約七〇名は、一九六五年一一月二三日から一二月三日まで滞日し、東京、大阪、名古屋において我国財界人と懇談するとともに、多数の工場を視察した。また、ソワーレス団長は佐藤総理大臣に会見してカステロ・ブランコ大統領の親書を手交した。
カナダ・ノヴァスコシア州は、同州マッキーン副総督を団長とする一行一〇名の工業開発使節団を日本に派遣した。一行は五月六日から一九日まで滞日中、同州との経済提携及び通商の促進並びに同州内第二次産業振興のため、本邦企業誘致の可能性打診等の目的をもって、政府首脳、財界人との接触を行なった。
一九六五年四月二〇日から二二日まで、ウガンダのカレマ公共事業通信大臣を団長とするウガンダ経済使節団が、対日片貿易問題に関連し、ウガンダ産業開発への我国の協力の可能性打診のため来日した。一行は滞日中、外務、通産次官及び佐藤総理と会談し、工場等を視察した。
ザンビアのシモン・カペペ外務大臣を団長とし、ウイナ大臣、ズル鉱山、ナリルンゲ商工三閣僚を含むザンビア経済使節団が、一九六五年五月一一日から二二日まで来日した。一行は滞日中、各省局長と貿易経済問題について話し合うとともに、五月二一日、日本、ザンビア間貿易取極にイニシアルを行なった。
ウガンダのオボテ首相一行(オダカ外務、ルボリ商工相を含む総勢二七名)は、日本政府の招待により、七月一八日から二〇日まで来日した。滞日中一行は貿易経済問題について各省局長と一連の討議を行ない、佐藤総理、福田外務(代理)、三木通産各大臣のほか業界代表と懇談し、各種施設の視察を行なった。
一九六五年八月二六日から三〇日まで、タンザニアのバブー商務協同組合大臣が来日した。バブー商相は椎名外務大臣及び三木通産大臣を表敬したのち、各省代表と懇談した。
ナイジェリアの東部州政府エモーレ大蔵大臣を団長とする一行は、一九六五年八月二六日から三〇日まで来日した。一行は外務、通産両次官に表敬し、工場等を視察した。
カナダ・ブリティシュ・コロンビア州ベネツト首相は政府の招待により五閣僚その他随員を同伴し、五月二四日から六月三日までわが国を訪問した。
同首相一行は本邦滞在中、総理をはじめとする政府首脳、財界人との会談及び本邦産業施設を視察した。この結果、同州との間で日加合弁企業をはじめとする経済交流が一層活発化し、極めて具体的な成果を得た。
ムスタファー・アブダツラー・ターハ・イラク工業大臣は、タウィール工業連盟総裁以下工業省、石油省の局長四名とともに、一九六六年三月一五日より二九日まで来日し、椎名外務大臣及び三木通産大臣と会見し、東京、名古屋、神戸方面でわが国産業の視察を行なった。
イラク・デーツ公団(経済省に所属)ヒラリ総裁一行六名は一九六五年四月二四日来日、五日間滞在し、わが国デーツの買付増大を要望するとともに、その方策について政府およびイラク輸出入協議会代表等と懇談した。
(4) リッジ・エングルカチェフ・マッコーネン・エティオピア商工大臣
マッコーネン・エティオピア商工大臣は、一九六五年八月七日から一九日までYMCA東京大会を機に訪日した。滞日中、佐藤総理大臣、三木通商産業大臣および正示外務政務次官と会見し、また外務者、通商産業省幹部と会談した。なお鉄鋼関係工場を視察し日本の業界指導者と会談した。
セネガル共和国ボワシエ・パラン経済社会評議会議長は、夫人同伴で一九六五年五月七日わが国を訪問し、佐藤総理大臣、椎名外務大臣との会見をはじめとし業界代表とも懇談した。また滞日中、繊維、トランジスターラジオ、カメラ等の工場を視察し、五月一六日離日した。
ベルナール・ヒメネス・コスタ・リカ経済財政大臣夫妻は、外務省賓客として、一九六五年九月一二日から一八日まで我が国を訪問した。同大臣は、滞日中、椎名外務大臣及び三木通産大臣と会談したほか、椎名外務大臣との間で両国政府間の貿易協定(別項参照)に署名した。
ワルテル・クグレール・アルゼンティン農牧大臣夫妻は、一九六六年一月一五日から二五日まで我が国を訪問した。同大臣は、滞日中、坂田農林大臣、下田外務事務次官その他の日本側当局者と会談し、畜産、水産、農業等に関する諸施設を視察した。
本年に予定されているわが国の科学政策についてのレビューの準備のため、科学局長アレキサンダー・キング博士が一九六五年六月五日から同一六日まで、科学局顧問ロード・ハルズベリイ、イングバル・スヴェニルソン教授、ピエル・ピガニオル博士の三名が一九六五年一〇月二四日から一一月五日まで、それぞれ来日し、関係省庁及びBIAC日本委員会と意見交換を行なった。
わが国の農業政策コンフロンテーシヨン(一九六五年一二月七-八日)の準備のため、OECD事務局のW・ポーター農業局長が一九六五年七月二一日来日し、七月三〇日まで滞在して、関係省の係官と懇談するとともに農村見学を行なった。
わが国のOECD加盟後第2回目の対日年次経済審査(一九六五年一一月二日)の予備調査のため、OECD事務局のJ・フェイ経済部長及びC・カストリ・アディス国別研究第一課長が一九六五年九月一六日来日し、九月二三日まで滞在して関係各省の係官と懇談した。
わが国の資本取引規制の実情調査のため、OECD事務局のハネマン次長補及びシュレペグレル資本移動課長が来日し、関係各省及び財界と懇談した。ハネマン次長補は一〇月一〇日より同月一九日まで、シュレペグレル課長は一〇月七日より同月二五日まで滞在した。
ウォルフラム・ランガー独経済省次官は、政府職員二名及び造船業者五名よりなる造船視察団を率いて一九六六年二月二八日来日し、同次官は、下田外務次官及び若狭運輸次官と造船問題について懇談し三月二日離日した。なお視察団は、その後三月九日まで各地の造船所を見学した。
(イ) 日本・カリフォルニア会は、六四年の岩佐経済使節団の渡米を契機とした日本カリフォルニア間の経済関係の緊密化をはかろうとする機運の醸成を背景とし、政府の対米経済外交の実施にあたっては、地域別州別にきめ細かい対策を講ずべきであるとの認識とも合致し、在サンフランシスコの和田総領事と岩佐団長とのイニシャティヴにて民間個人べースの会として六四年一二月に設立された。
(ロ) 本会は、日本とカリフォルニア州の実業人並びに学者の中から選ばれた会員の相互理解と親睦を深めることを目的とし、随時の会合、共通の関心ある一般経済問題の研究、日本とカリフォルニア州との間の貿易、その他の経済問題についての意見の交換、その関係改善への努力を行なうもので、第一回会議が、川奈(伊東)において、米側からはピーターソン・アメリカ銀行頭取以下二〇名から成る代表団の参加を得て、六五年一〇年二八日から三日間にわたり開催された。
(ハ) 会議は先ず、両国代表一名ずつにより、国内経済現況とその問題点、国際経済問題、国際政治問題に関連して演説が行なわれ、更に日米双方の出席者は三つのグループに分かれ、日本カリフォルニアの経済関係とその将来、アジア経済開発の日米協力の可能性及びその意義、ならびにそれとの関連における中共との関係、日米経済関係における問題点(日本の対米国民間投資制限、米国の対日輸入制限、日米間の金融関係の問題-利子平衡税、自主規制問題等)の諸問題が討議され、最後に日米共同声明が採択され会議の幕を閉じた。
(ニ) なお、米側出席者を代表してピーターソン頭取は、佐藤総理及び下田次官(椎名大臣不在のため)をそれぞれ表敬、会談した。
(イ) 第四回日米財界人会議は一九六五年一〇月シカゴにおいて開催された。日米財界人会議は、日本側は経団連、日商及び日本貿易会が中心となって構成している対米貿易合同委員会、米国側は全米商業会議所を窓口として、日米民間経済界による日米貿易上の問題の打開と、経済関係の緊密化を推進するため、日米両国政府の閣僚レベルによる日米貿易経済合同委員会の民間版として、一九六一年一一月に東京で第一回が開催されて以来、毎年一回日米双方が交代に主催して行なっているものである。
(ロ) 本会議には日本側は高杉団長他一五名、米側からは全米商業会議所ブース副会頭他一八名が出席した。本会議における議題は次の通りであった。
(i) 日米の最近の経済情勢と見通し
(ii) 日米貿易の諸問題-特に国際収支との関連を中心として-
(iii) 共産圏貿易-特に対中共貿易を中心として-
(iv) 日米両国の投資政策
(v) ケネディ・ラウンド関税交渉
(vi) 太平洋地域経済協力機構
(vii) アジア開銀の設立
なお、本会議において最も活発な論議の対象となったのは、対日直接投資及び貿易障害の除去の諸問題であった。
(イ) ビジネス・インターナショナル社の主催により、一九五九年に東京で日本側政府及び民間の経済関係者を交えて行なわれた円卓会議と同様の会議が、同社の主催により六五年一一月二九日より一二月四日まで、再び東京において開催された。
(ロ) ビジネス・インターナショナル円卓会議のメンバーは、百社以上にのぼる北米及びヨーロッパ屈指の製造会社から構成されており一九五六年以降、これらのメンバー会社は少くとも毎年一度、世界各国の首都を開催地に選択し、そこで一堂に会し、各開催国の首相、閣僚及び実業界、金融界、労働者団体及び政界のリーダーと会談しており、日本円卓会議は第一回が一九五九年に東京で開催され、政府関係では岸元首相他各閣僚が出席した。
なお、同会議は、会議地の政、官、財、労働各界の指導者層との接触を通じ、参加会員の視野を広め認識を深からしめることを目的としたものであり、相手国指導者層に対する働きかけを目的とするものではない。
(ハ) ビジネス・インターナショナル社は、米国大会社の海外事業活動担当の幹部をメンバーとする米国出版会社であり、諸外国の重要な経済問題に関する記事を掲載した雑誌「ビジネス・インターナショナル」を発行するほか、より重要な活動として毎年数回意見交換のためニューヨークにおいて、そのメンバーたる大会社の幹部の会合を開催するとともに、年一、二回ワシントンにおいて、上記会社の幹部のために、各々の海外事業活動が米国政府の政策と関連する分野につき討議するため、米国政府及び議会の要人との会合を開催している。更に一九五六年より毎年一回海外における上記円卓会議を開催している。
(ニ) 第二回東京円卓会議において、外務大臣及び外務省幹部とのセッションにおけるビジネス・インターナショナル側関心事項は次の通りであった。
(i) 東西貿易-特に中共貿易及びソ連のシベリア開発に対する日本の協力に関連して
(ii) 後進国、特に東南アジアにおける後進国援助における日本の役割
(iii) OECD加盟国として、資本移動自由化に対する日本の義務
(iv) 日米及び日本ヨーロッパの貿易、経済、政治及び防衛の諸関係とその将来
(v) 世界問題において、日本が高姿勢に転じた場合の外交政策及び外交上のイニシャティヴの動向(vi) 日本、米国、カナダ、オースストラリア及びニュー・ジーランドを網羅する太平洋地域経済協力の提案に対する日本政府の態度
(ホ) 政府関係では、外務省の他に大蔵、通産、農林、厚生、経企、労働、運輸の各省庁とのセッションがもたれ、それぞれの所管事項について、ビジネス・インターナショナル側関心事項が示され、種々の質疑が行なわれたが、ビジネス・インターナショナル側最大の関心は、わが国における直接投資規制であった。
(イ) 日加閣僚委員会の開催を背景に、日加双方の実業人の親睦と両国の友好関係を、より一層強化拡大させることを目的として、第一回日加実業人会議が一九六二年一〇月東京において開催された。第三回会議は、六五年一一月に東京において開催され、カナダ側からカナダ製造業者協会スタイル会長、カナダ商業会議所キーフラー会頭を共同団長とする二五名の代表団が出席、日本側は、共同主催団体たる経団連、日商、経済同友会、日本貿易会の四団体から足立日商会頭、稲垣日本貿易会会長、植村経団連副会長ら四〇数名が参加して、前後三セッションにわたり卒直な意見交換が行なわれた。
(ロ) 今回会議の議題は次の通りであった。
(i) 日加経済情勢
(ii) 日加貿易問題
(iii) 米加自動車協定、ケネディ・ラウンド、OECD及びBIAC
(iv) 日加経済協力-技術交流、合弁事業、太平洋経済協力機構
(v) その他-移民問題、文化交流等
(ハ) なお、会議に先立ち、キーフラー、スタイル両団長他数名は総理大臣及び外務大臣を往訪表敬を行なった。