共産圏諸国と日本
一九六五年におけるわが国の対共産圏貿易(ユーゴスラヴィアを除く)は、前年に引続き、輸出入合計で一〇億〇、四七〇万ドル(通関統計)とはじめて一〇億ドル台に達し、前年の八億三、〇〇〇万ドルに比し二一%の増加を示した。このうち輸出は四億七、八〇〇万ドル、輸入は五億二、七〇〇万ドルで、前年比それぞれ二四%及び一九%の増加である。また、わが国の貿易総額に占める共産圏の比重も一九六四年の五・七%から六・〇%へと増加した結果、主要な西欧諸国の対共産圏貿易の割合をやや上廻るに至った。(ドイツ五・九%、イタリア五・九%、英国三・六%、フランス三・三%)
国別の内訳では、中共、ソ連二国との貿易がわが国の共産圏貿易の八八%を占めているが、そのうち中共貿易の伸びは著しく、一九六五年にはソ連貿易を抜いてわが国の共産圏貿易中に占める中ソの地位は逆転するに至った。
昨年度のわが国の共産圏貿易において目立ったでき事としては、まず、ソ連貿易に関しては、政府から日ソ関係史上最初の経済使節団(植村ミッション)が派遣されたこと、一九六六年から七〇年までの期間に亙る五カ年の長期貿易支払協定が締結されたこと、民間レベルの日ソ(及びソ日)経済委員会が設立され、その第一回合同会議が本年三月東京で開催されたことなどがあり、これらを通じて、シベリア開発に関する日ソ間の経済協力問題が脚光を浴びるに至った。これに対し、中共貿易に関しては、貿易量は大幅な拡大をみたものの、プラントの延払輸出に関する輸銀融資問題などかなり問題の多い年であった。
また、共産圏に対する戦略物資の禁輸に関するココム・リストの改訂会議が一九六五年末より開催された。
なお、一昨年より始まった西欧諸国のソ連・東欧諸国に対する長期信用の供与は昨年に入ってから益々活発となり、わが国もソ連及東欧向けの若干のプラント・船舶の輸出に関して、七-八年の延払を認めた。
一九六五年二月五日モスクワで締結された日ソ貿易議定書によれば、同年におけるわが国の対ソ輸出は一億八、九〇〇万ドル、輸入は一億六、九〇〇万ドルで二、〇〇〇万ドル(何れもFOB現金受払ベース)の出超と見積られたのに対し、実績は、輸出一億七、九〇〇万ドル(前年比四六%増)、輸入一億六、二〇〇万ドル(前年比七%増)、一、七〇〇万ドルの出超となり、計画は概して良好に遂行されたといえる。他方、通関ベースの実績は、輸出(FOB)一億六、八〇〇万ドル(前年比七%減)、輸入(CIF)二億四、〇〇〇万ドル(前年比六%増)、合計四億八〇〇万ドル(前年より微増)である。
昨年の日ソ間の貿易構造は、基本的には従来のそれと変化はなく、輸入では木材、石油、銑鉄、石炭等の原材料が、輸出では船舶を含む機械設備、鉄鋼製品、繊維及び繊維製品、各種化学品等がそれぞれ主要な品目であるが、輸出面で機械設備の比重が従来の五〇%以上から三〇%台に落ち、化学品、繊維品、鋼管の比重が増加していることが目立っている。
日ソ間の貿易は、日ソ通商条約(一九五七年一二月六日調印)のほか第二次貿易・支払協定(及び年次貿易議定書)と付属品目表(日ソ両国の相手国に対する輸出品目表)に基づいて行なわれているが、一九六五年末、第二次三カ年協定の有効期間が満了し、一九六六年一月二一日、新たに一九六六-七〇年の五カ年協定が成立した。新貿易・支払協定は、一九六五年一二月九日から東京で中山外務省経済局長とスパンダリヤン・ソ連外国貿易省東南アジア・近東諸国貿易局長をそれぞれの代表とする両国貿易代表団の間で交渉が進められ、一九六六年一月一七日両代表の間でイニシアルを了し、同月二一日モスクワで椎名外務大臣とパトリチェフ外国貿易大臣との間で署名されたものである。協定本文は基本的には従来の協定の条項の内容とほとんど変りはない。付属品目表も同様であるが、輸出入にわたって若干の新規取引品目が追加されている。
品目表中、シベリア開発関係としては輸出面でガス油井及び輸送管用、石油採取及び輸送用、鉱山コンビナート建設用、及び林業用の設備、資材が掲上されたが、これらの取引は今後の日ソの話し合いの結果に俟つこととされている。
この品目表に基づく一九六六年の日ソ貿易の規模は、FOB受払べースで輸出入合計約三億九、〇〇〇万ドル(輸出二億ドル、輸入一億九、〇〇〇万ドル)と予想されており、計画上一、〇〇〇万ドルのわが方の出超となる。これを昨一九六五年の前記計画と比べると、輸出入合計で約一〇%の増加が見込まれている。
また、一九六六-七〇年の五カ年間を通じ、その取引規模は輸出入あわせ二一億ドル程度に達するものと見積られる。
なお、協定と同時に、日本とソ連極東地方との間の消費物資の交換(いわゆる対岸貿易)に関する公文(有効期間は貿易協定と同様に五カ年)が交換された。この貿易額の見積りは初年度片道五〇〇万ドル、最終年度一、〇〇〇万ドルとされている。
右の日ソ新五カ年貿易協定の締結以外の、昨年から今日までの日ソ経済、貿易関係の出来事で注目されるのは、昨年七月モスクワで開催された第二回日本産業見本市(開会式には三木通産大臣が出席した。)のほか、次に述べる訪ソ政府経済使節団の派遣、東京における日ソ・ソ日経済委員会第一回合同会議の開催等であり、ソ連側の対日接近の強化とも相俟って、この一年間はわが対ソ経済関係上特筆さるべき年であったと考えられる。
政府レベルでの日ソ経済、貿易関係の強化とならんで、近年民間レベルでも両国間経済交流促進の機運が高まってきた結果、昨一九六五年七月、モスクワにおいて日ソ・ソ日経済委員会合同会議の設置について両国関係者の合意がみられた。この合同会議は、毎年一回東京とモスクワで交互に、両国間の通商、経済協力、技術協力などに関する諸問題について協議を行なうものであり、その第一回会議は一九六六年三月一四日より二三日まで東京で開催された。
日本側の日ソ経済委員会は足立日本商工会議所会頭を委員長に、石坂経団連会長等財界人六九名より成り、またソ側のソ日経済委員会はネステロフ・全ソ商業会議所会頭を委員長に、大臣、次官及び関係業界代表者が日本側と略々同数参加しているが、第一回合同会議は日本側より三五名、ソ側より二七名が参加して行なわれた。
政府は一九六五年八月二四日より約三週間にわたり、植村甲午郎経済団体連合会副会長を団長とする経済使節団をソ連に派遣した。同使節団は政府がソ連に派遣した最初のかつ大型の経済使節団であり、ソ連各地を訪問するとともに中央及び地方当局者と幅広い接触を行なったが、これはわが国今後の対ソ経済政策を検討する上に極めて貴重な経験となり、日ソ両国の友好関係及び経済交流の促進に大きな成果を挙げたものと考えられる。
わが国と東欧諸国との貿易は、地理的に遠く隔っており、またわが方買付可能品目も一般に少ないため、従来からその規模は極めて小さいが、最近は一部東欧諸国の自主的な経済発展の傾向を反映し、各国とも対日貿易の増進に積極的態度を示し、一九六五年におけるユーゴスラヴィアを含む東欧八カ国全体との貿易額は前年に比し四五・五%という大幅な伸びを記録し、輸出七、五〇〇万ドル、輸入三、六〇〇万ドル、輸出入合計一億一、一〇〇万ドルとなっている。しかし、わが国対外貿易総額に占める割合はなお〇・六%に過ぎない。
主要取引品目としては、輸出は各種機械設備(船舶を含む)、鋼材、化学品、繊維品等の工業製品のほか冷凍まぐろ、また輸入はとうもろこし、麦芽、ジャム等の農産物および石油、銑鉄、塩等の工業原料である。
わが国はアジア共産圏諸国との間に外交関係を有せず、貿易は民間べースで行われているが、貿易額はわが国の共産圏との貿易の五〇%を占め、その九〇%が中共との貿易である。なお、中共及び北鮮との貿易が一九六五年から出超に転じたことが注目される。
一九六五年のわが国の中共との貿易は、通関統計によれば、わが国の輸出二億四、五〇〇万ドル、輸入二億二、五〇〇万ドル、計四億七、〇〇〇万ドルで、前年に較べて五一%の大幅な増大となり、わが国の総貿易額に占める比率も二・八%に上昇した。
わが国の主要輸出品は、化学肥料(二七・六%)、機械類(二七・六%)、鋼材(一八・五%)、人造繊維(五・七%)であり、特に機械類は三倍以上に増大した。また、輸入品では大豆(二〇・二%)、米(一一・七%)、銑鉄(一〇・八%)、とうもろこし(七・一%)、えび(五・〇%)、雑豆(四・七%)などで、特に一九五八年以降中断されていた中共米の輸入が再開されたことが注目される。
中共向けプラント類(ニチボー・ビニロン・プラント及び日立造船の貨物船)の延払輸出に輸出入銀行の融資を認めるかどうかの問題については、政府は融資方法はわが国が自主的に決定すべき国内問題であるとの態度をとり、六五年三月国内金融については別途考慮する旨発表した。しかし、中共側は、これはわが国政府が所謂「吉田書簡」に拘束された結果であるとし、貨物船の輸出契約を失効せしめるとともに、ビニロン・プラントの契約をも破棄してきた。
政府はこの問題に関し、同年一〇月、日韓特別国会において、「吉田書簡は両国間の取決めのようなものではないが、吉田書簡が出たという当時の経緯を無視するわけにはゆかない。自主的判断をする場合こういったいきさつ等も判断の材料となることは当然のことであると考えている。」との統一見解を発表した。
現在、日中貿易はLT取引と友好商社取引の二本立で行なわれており、六五年の貿易総額に占める両者の割合について、統計上明確な区分はないが、LT取引三六%(一億七、〇〇〇万ドル)、友好商社取引六四%(三億ドル)と推定される。
このほか両国間貿易に関し特筆すべきこととしては、日本工業展覧会が六五年一〇月北京において、また、一二月上海においてそれぞれ一七日間開催されたことが挙げられよう。
北鮮、北越及び外蒙との貿易は、いずれもわが国貿易総額の一%にも満たず、特に外蒙との貿易は六五年は四六万ドル(輸出二二万ドル、輸入二四万ドル)にすぎない。
六五年における北鮮との貿易は、総額三、一二三万ドル(輸出一、六五一万ドル、輸入一、四七二方ドル)で、六四年に較べ一%の減少となっているが、これは輸入の減少によるもので、輸出は四六%伸びている。
わが国からは主として鋼材(二八%)、機械類(二三%)、化学品(主として肥料)、繊維製品を輸出し、北鮮からは各種の鉱産物(八二%)、農水産物を輸入している。
北越との貿易総額は、一、五〇〇万ドル(輸出四〇〇万ドル、輸入一、一〇〇万ドル)で、前年比一六%増となっているが、これは主として銑鉄の輸入が増加したためである。
わが国からは繊維品(四〇%)、化学品(二六%)、鋼材(二四%)を輸出し、ホンゲイ炭(七〇%)、銑鉄、生糸等を輸入している。