五 貿易経済に関する諸外国との関係および国際協力の進展
諸外国との貿易経済関係
北米諸国と日本
一九六五年におけるわが国の対米貿易は、為替ベースで輸出が前年比三二・九パーセント増の二六億一、九六〇万ドル(通関ベースでは二四億七、九二三万ドル)と激増し、他方輸入は前年比五・八パーセント増の二三億六、五四七万ドル(通関ベースでは二三億六、六一五万ドル)であった。このため対米貿易収支は為替ベースで二億五、四一三万ドル、通関ベースで一億一、三〇九万ドルの出超を記録したが、為替ベースで対米出超となったのは一九五九年以来初めてで、また、通関ベースでも出超となったのは戦後初めてのことである。
六五年の米国に対する輸出入がわが国総輸出入に占める割合は、輸入は六四年の三四・五パーセントから三四・一パーセントと横這いであったが、輸出は二九・九パーセントから三一・五パーセントに増加した。
主要輸出商品中特に著しい増加を示したものは二輪自動車(対前年比一二六パーセント増)、合成繊維織物(同一七二パーセント)、鉄(同六六パーセント)などで、輸入では、各種原材料の減少が目立ったが、その主なものは鉄鋼くず(対前年比三九パーセント減)、石油(同二四パーセント減)であった。
自由貿易主義を標傍する米国政府の貿易政策は変ってないものの、国際競争力を失いつつある産業について保護措置を求める動きは米国内において根強い支持をもっている。これが最も顕著な形で表われるのが、斜陽産業において経営者と労働組合が一体となって議員に働きかけ、議会に提出させる輸入制限的効果をねらった保護主義的法案である。
一九六五年の米国連邦議会(第八九議会第一会期)におけるこれら法案のうちわが国が関心を有する法案について記せば次のとおりである。(なお、前記会期で審議未了の法案は、本年の会期-第八九議会第二会期-に継続審議となる)
(イ) 成立した法案
(i) 米国が一九六三年八月三一日より実施した新関税表につき旧関税表との対照上、明らかな誤りがあるものについて、これを是正する趣旨の米国関税表技術的修正法案(略称、TSUS改正法案)が、議会審議の過程で所謂ライダー(単独の保護主義的法案が、それ自体で成立の見透しがつかない場合、成立の見透しの強いより広範な分野にわたる法案に前者の実体をなす規定を織込むこと)が、「合成ゴム製長靴」、「ボタン半成品」、「麻とスフの混紡織物」および「テレビ・ブラウン管」の四品目について付され、同法案が、一九六五年一〇月七日に成立したので、わが国関連産業に対米輸出上、多大な影響を及ぼすことになった。
(ii) 一九六四年の議会(第八八議会第二会期)で成立した都市大量交通法にライダーとして含まれた米国品優先買付の所謂セーラー条項(セーラー下院議員の修正条項)を撤廃すべく、米政府の要請により提出された住宅及び都市開発法案(この法案中、前記セーラー条項を撤廃する条項が含まれている)が一九六五年七月二七日に成立した。この法案の成立は、わが方に好影響を及ぼすことになる。
(ロ) 審議未了の法案
注目されたダンピング防止法改正法案、市場秩序維持法案、水産物輸入制限法案のほか例年のとおり通商拡大法改正法案、特定商品につき関税引上げ、クオータの設定等を内容とした輸入制限法案、特定商品につき面倒な原産地表示を要求するなどの保護主義的法案が各種各様に亘り多数提出されたが、結局、本格的審議は行なわれず、いずれも一九六六年の議会に継続審議となった。
(イ) 関税調整問題
一九六二年の通商拡大法には、通商協定により譲許を与えられた商品が、譲許の主たる結果として、米国産業に被害を与えるかまたは与えるおそれがあるほど多量に輸入されるときには、大統領が関税委員会の報告に基づいて関税引上げまたはその他の輸入制限措置をとりうる、いわゆるエスケープ・クローズ措置(免責条項)の規定がある。
一九六五年四月より一九六六年三月までの期間には、同法に基づく関係調整申請は行なわれなかった。なお、通商拡大法発効後、現在まで関税調整申請が行なわれた商品は、五品目に及んでいるが、関税委員会は調査の結果、いずれも申請を却下している。
また、通商拡大法の前身である一九五一年の通商協定法延長法によりエスケープ・クローズ措置がとられ、通商拡大法発効後も引き続き同措置がとられたものは、(i)板ガラス、(ii)金属洋食器、(iii)腕時計及び同部品、(iv)体温計、(v)安全ピン、(vi)ウイルトン・カーぺット、(vii)綿製タイプライター・リボン・クロスの七品目であるが、前記各品目のうち(i)~(v)五品目は、通商拡大法に基づき関税委員会でエスケープ・クローズ措置を撤廃した場合の関連国内産業に及ぼす影響について調査が行なわれ、それぞれ大統領に調査の結果が報告された。前記報告を検討の上、大統領は、一九六六年一月七日に、体温計についてはエスケープ・クローズ措置の撤廃、金属洋食器については同措置の緩和を公表し、更に、同年一月二八日に安全ピンについて同措置を撤廃する旨公表した。
(ロ) 産業調整問題
通商拡大法では、米国の会社および労働者は、関税引下げの主たる結果として被害を蒙った場合、輸入制限措置による救済ではなく、産業調整援助をうける途が開かれている。一九六五年四月から一九六六年三月まで同法に基づく産業調整についての申請が行なわれたものは、ドア用合板製造業者からの申請一件であるが、関税委員会で調査の結果、要請資格なしと認定され申請は却下された。
通商拡大法発効後、現在まで、産業調整申請が行なわれたものは一〇件に及んでいるが、関税委員会は、調査の結果、いずれも申請を却下している。
産業調整は、本来、輸入制限措置とは言い難いが、関税委員会の認定要件が前記(イ)の関税調整援助申請と同一であるため、その認定如何によっては、関税調整に影響を及ぼすことになるので注目されていた。
なお、前記(イ)及び(ロ)のとおり、関税調整および産業調整援助の申請が関税委員会において却下されているのは、通商拡大法の認定要件上、関税譲許が輸入増大の主たる原因であることを立証しなければならなくなったためであるとされている。
また、米国政府は、産業調整条項の認定要件緩和を内容とする通商拡大法改正法案を一九六六年の連邦議会に提出する趣である。
(ハ) 国防条項問題
通商拡大法第二三二条に規定されているいわゆる国防条項によれば、ある商品が米国の安全を害する程多量にまたは安全を害するような状態で輸入されている場合は、大統領は、緊急計画局の調査に基づいて、輸入制限等の措置をとることができることになっている。
一九六五年四月より一九六六年三月までの期間における同条項に調査状況は次のとおりである。
(i) 緊急計画局長官は、米国業界の申請に基き、国防条項の調査を行なっていた輸入タングステン合金及び同製品について、一九六五年九月、「米国の安全を害する恐れはない」と認定し申請を却下した。
(ii) 一九六五年四月、同長官は、大統領の調査指令に基づき、時計ムーブメントについて国防条項の調査を開始する旨公表し、現在調査が行なわれている。(この調査は、エスケープ・クローズ措置の撤廃についての関税委員会の調査報告が、決定的な結論を下すことなく大統領に最終判断を委ねていたため、ケネディ・ラウンドの関連より総合的な判断を下すためにとらえたものとみられている)
(iii) なお、現在、同長官により国防条項の調査が行なわれている輸入商品は、綿、毛、絹などの全繊維製品(通商拡大法の前身である通商協定法延長法の国防条項にもとづくもので、一九六一年以来引き続き調査)、ベアリング及び同部品(通商拡大法の国防条項にもとづくもので、一九六四年一〇月調査開始)及び時計ムーブメント(前記(ii)参照)の三件である。
米国ダンピング防止法によれば、ある輸入商品が公正価額以下で販売され、しかも輸入により米国の産業に被害を与えるか、または与えるおそれがある場合にダンピング税を徴収できることになっており、価格が公正であるかについては財務省が決定し、国内産業に対する被害の有無は国税委員会が認定することになっている。
一九六五年四月より一九六六年三月までの期間における同法に基づくわが国商品に対する調査状況は次のとおりである。
(i) 米国財務省が米国国内業者の提訴に基づき、一九六四年より調査を行なっていたDNPT(発泡剤)、アゾビスフォルマミド(発泡剤)、ライター及び二酸化チタンの四件は、アゾビスフォルマミドとライターの二件が一九六五年一〇月に財務省によりダンピングの事実なしと決定されたが、同年一月に財務省によりダンピングの事実ありと決定され、関税委員会に付記されたDNPTは、同年四月に関税委員会によって米国内産業に対する被害ありと認定され、ダンピング税が課されることになった。(わが国商品では、これが戦後はじめてのケースである)
また、二酸化チタンは一九六六年二月に、財務省により、調査対象会社七社のうち四社はダンピングの事実なし、三社は同事実ありと決定され、右三社の事件は関税委員会に付記された。
(ii) 一九六五年中頃より、米国財務省が米国国内業者の提訴に基き調査を開始した白色ポートランド・セメント及び壁タイルの二件は、目下、財務省において調査中である。
米国の関税法及び関税表の規定によれば、ある種の商品の評価額の決定にあたっては、インボイス価格に関係なく、関税徴収のため画一的な評価を行ない得るようになっている。
こうした米国関税評価制度の下で、一九六五年四月から一九六六年三月までに問題となった案件は次のとおりである。
(イ) 関税法第四〇二a条
第四〇二a条によれば、一九五六年関税簡素化法に基づいて財務長官の発表した品目に対しては、関税局は、輸出国の国内価額を評価基準とすることができることになっている。前記財務長官の発表した品目表は、化学品、機械類、電気製品、ガラス製品等四〇〇品目に及んでおり、これら品目中には、真空管のほかベアリング、テレビ、ラジオ付電蓄、抵抗器、旋盤などのわが国にとって関心の深い品目が含まれている。
本条項に関連し、対米輸出商品で最も問題化しているものは、一九六一年より生じている真空管の問題であり、その経緯は次のとおりである。
この案件は、米関税局がわが国から輸出している真空管に対し、右条項に基づき一九六一年八月よりインボイス価格の約三倍にも達する評価を行なわんとしたので問題化した。早速、輸入業者は、関税当局に抗議を行なったが、受け入れられなかったため、この問題を関税裁判所に提訴した。裁判の結果、一九六四年一〇月二〇日に判決が下され、輸入業者側の勝訴となったが、米国政府は、この判決に対し、同年一一月一九日に中間控訴裁判所の役割を果す関税裁判所第三法廷に控訴した。上記裁判所の判決は一九六六年三月一六日に下され、輸入業者側の敗訴となったが、この裁判の最終判決はわが国の対米輸出真空管の関税評価に重大な影響を及ぼすことになり多額の追徴金を徴収されることになるので、米国輸入業者及びわが方業界とも憂慮し、一九六六年五月九日、米国輸入業者側は第三審裁判所に控訴を行なった。現在、この問題は引続き係争中である。
(ロ) A S P
米国では、特定の輸入品の場合には、輸入品と同種の米国産品の米国内での販売価格(ASP)を基準として、関税が課されることになっている。
このような方法で課税価格を決定される商品は、二種類に分かれている。
その一は、米国関税表中にその旨が特記されているもので、ベンゾナイド系化学品がこれに該当する。
その二は、関税法第三三六条に基づくもので、同条によれば、外国産品と国内原価の均等化を図るため、大統領は、関税委員会の調査に基づき、関税率につき五〇%以内の増減を行なうこと、これでも目的が達せられないときは、ASPを基準として課税ができることになっている。米側は、これに基づき、ゴム履物、小貝缶詰、毛糸編み手袋の三品目に対し、ASPを基準として課税を行なっている。
一般に米国品は、輸入品よりもかなり高価格のため、評価額はインボイス価格に比して高くなり、実質的に高率関税となっている。
前記四品目のうち、わが国の関心品目はゴム履物であり(「ゴム履物」のうち「総ゴム靴」は、一九六五年一〇月七日成立の米国関税表技術的修正法案によりASP課税が撤廃された-前記2、(1)、(イ)(i)参照-従って、現在ASP課税が行なわれているのは「ゴム底布靴」である)、この問題をめぐる動きは次のとおりである。
(i) 米関税局は、ゴム履物に関する米国産品の卸売価格が現状に即していないというわが方の抗議を受け入れ、一九六三年二月以降関税評価を差止め、前記価格の実勢調査を行なっていたが、一九六五年八月一九日に、ゴム履物のASP課税の基準とすべき同種までは、類似の米国産品の解釈についての関税局案を発表した。
その後、この案は、財務省において検討の上、一九六六年二月一日に財務省は右関税局案を承認し各地税関に対し、同日以降これを新しいガイド・ラインとして関税評価を行なうよう指示した。なお、右は、一応合理的な基準が示されている。
(ii) 米関税局は、一九六五年六月に、わが国から一九六二年から六四年中頃にかけて対米輸出した合成ゴム製(天然ゴムの重量比五〇%以下のもの)総ゴム靴につき分析した結果、重量比五〇%以上が天然ゴムと判断されるので、ASP課税として査定し、当該関税を追徴すべく各地税関に指令した。この追徴金賦課の決定が行われた場合、追徴金が数百万ドルにのぼる惧れがあり、これが最終的にわが国業界の負担となるため、政府より米国政府に申し入れを行なったところ、結局、本件は財務省が同年七月に問題の日本製ゴム履物はASP課税を行なわず、輸出価格によって課税するとの方針を決定し、解決をみた。
また、このような米国の関税評価制度は、米国の国内産業の保護に偏した不合理なもので、貿易自由化の理念に反するものであるので、政府としては、ガットその他を通じ機会あるごとに米政府の善処を求めている。
なお、一九六五年一二月二二日にハーター米通商特別代表は、大統領の指令に基づき、関税委員会に対し、(i)現行ASP課税対象四品目につきASP課税方式を撤発した場合、当該品目のASP課税の場合に相当する保護税率をどうするか、(ii)ASP課税方式が果たしてきた国内産業保護の効果をどうみるか、の二点につき速やかに調査、検討を行ない、結果を報告するよう要請した旨公表し、翌二三日、関税委員会は右調査を開始する旨公表した。
米連邦政府による米国内における物資調達については、一九三三年の連邦バイ・アメリカン法により原則として米国品を購入すべき旨が定められており、米国外における調達については、ドル防衛策の一環として国防省、AIDその他各省庁の規則により同様の定めがなされてきた。一九六五年度中には、連邦政府のバイ・アメリカン政策について、都市交通法バィ・アメリカン条項の廃止(別項参照)の他には大きな変化はなかった。ただ、米議会の一部において、外国政府による国産品優先購入制度を引用してバイ・アメリカン政策を正当化する動きがみられたことが注目される。
他方、州その他の地方政府によるバイ・アメリカン政策についての主要な動きとしては、カリフォルニア州のバイ・アメリカン法の撤廃法案が一九六五年会期中には審議未了となったこと、オハイオ州で新たにバイ・アメリカン立法の動きがあったが失敗に終ったこと、ワシントン州で同じくバイ・アメリカン立法に関する公聴会が開かれたこと等があげられる。
米国はわが国鉄鋼の最大の輸出市場であり、従来、わが国は鉄鋼総輸出量の約三割を米国向けに輸出しているが、一九六五年はこれが四割四分となっている。
一方、米国の鉄鋼輸入は、一九六五年に入り急激に伸び、米国内鉄鋼生産量との対比では、従来、五%程度であったのが、一九六五年は一躍八%に達するものと推定される。
わが国は、米国における主要供給国の地位を占めており、逐年そのシェアーは増加の傾向にあり、一九六五年は四〇%を超えるものと思われ、これを米国内鉄鋼生産量と対比すれば約三%に及ぶものと推定される。
前記の輸入鉄鋼の増加傾向に脅威を感じている米国鉄鋼業界は、鉄鋼の輸入防遏のための活発な動きを示している。
その具体的なあらわれとしては、議会を動かし、財務省及び関税委員会のダンピング認定を促進することを主たる狙いとするダンピング防止法改正法案の成立を画策する一方、米国における鉄鋼輸入増加の影響に関する調査を行なうことを商務省及びその他の政府機関に指令するよう大統領に要請する決議案を提出させたり、また、米国主要鉄鋼会社の社長が機会あるごとに輸入増大を警告、日本鉄鋼業界非難の発言を行なっている。
このような状況によりわが国としても、対米鉄鋼輸出の安定を図るための輸出秩序の確立の方策が検討されている。
(イ) 一九六三年八月に「綿製品国際長期取極」(以下LTA)に基づき、締結された一九六三年から六五年までの日米綿製品取極は、規制方法が錯綜多岐にわたるため、取極運用上困難をきたし、わが国は過去二年間規制枠を消化できない状況にあったので、米国繊維業界の好況という事情にも鑑み、一九六五年一月一一日、取極の修正を申し入れ、交渉を行なった結果、五月一九日に、(i)ある品目に輸出が集中した際、両国政府が協議中における当該品目の輸出レベルの修正、(ii)若干の品目の定められた枠及び上限の廃止、(iii)輸出枠の定っている数種の品目につき、五パーセントまでそれぞれの枠を超過しての輸出を認める等の修正についての書簡交換が行なわれ、取極は若干改善された。
(ロ) ガットのケネディ・ラウンドに関連し、「綿製品の関税引下げ」、「LTA(一九六七年九月末まで有効)の延長」及び「LTAの運用改善」の三点を一括して処理する方法(いわゆるパッケッヂ・ディール)が、ガット事務局長及び米国より提案され、わが国は六五年夏以降、ジュネーブにおいて、「LTAの運用改善」が日米綿製品取決めの改善にどのように反映されるかにつき交渉を行なってきたが、六五年一二月半ばに至り、パッケッヂ・ディールが成立した場合、新しい日米綿製品取決めを結ぶ方針につき意見の一致をみた。
(ハ) しかしながら、パッケッヂ・ディールの六五年内成立が困難となり、かつ、一九六三年の取決めが六五年末に失効するため、ジュネーブ及びワシントンで交渉を行なった結果、群に対する枠の超過限度の引上げ、枠の定められたすべての品目について各枠の五パーセントまで枠を超過しての輸出を認める等の修正(発効は六六年四月より、但し、一月に遡及して適用される)を加えて、従来の取決めを一九六七年末までか又は新たな取決めが発効するまで延長することにつき合意に達し、六六年一月一四日、中川在米臨時代理大使とソロモン国務次官補との間で書簡交換を行なった。
(イ) 六五年一月佐藤総理訪米の際、ジョンソン大統領との会談で、日米間で毛製品問題について相互に理解を深めることが話題にのぼり、その後の米国との接衝の結果、米国政府及び業界代表よりなるミッションが来日し、六月七日および八日の両日にわたってわが方代表と会談した。
(ロ) 右会談において、米国代表は輸入により米国業界が直面している困難にふれ、相互に納得のいく解決を見出すための毛製品国際会議へのわが国の参加を求めてきたが、わが国は毛製品の国際貿易に新たな障害となるような国際会議への参加には反対である旨伝えた。
米国商務省は、主に資源の保護を理由として、一九六四年二月一四日から一年間、輸出統制法に基づき、クオータ設定による輸出制限を行なったが、資源保存の実効が挙がらなかったこと、ガットに反するとの声が強いこと、国際収支上好ましくないこと等の理由から、六五年二月一二日、この輸出制限措置の延長は行なわない旨を公表し、同月一三日をもって輸出制限は解除された。
これに対し、米国内生産者、家具製造業者およびそれらにつながる国会議員等から反対の声が上がり、さらに資源を保護すべく輸出制限の継続が主張され、三月には上院商業委員会で公聴会が開催され、その後も各種の輸入制限運動が行なわれたが、いずれも失敗に終り、六六年三月現在において、これの輸出制限運動はみられなくなった。
主にワシントンおよびオレゴン両州において、現地中小製材業者の保護を理由に、中小製材業者が中心となって組織された「木材保護委員会」は、輸出制限運動を行なってきたが、その申請に基づき米農務長官は、連邦林からの輸出制限に関し、六五年三月一〇日シアトル、同一一日ポートランドにおいて公聴会を開催した。
この結果を検討していた米農務長官は、九月一九日付書簡を「木材保護委員会」議長シューに送り、現地中小製材業者の雇用事情および収益性の悪化が主として丸太輸出の増大による競合によるとの明確な証拠は得られないとして、輸出制限設定の申請は却下された。
このほか、ワシントン州においては、州議会を通じての州有林からの輸出制限運動も行なわれているが、現在まで成果は上がらず、六七年議会まで持ち越された。
一九五八年以降、米国の国際収支は大幅な赤字を継続し、いわゆるドルの危機を招いた。これに対し、アイゼンハウァー、ケネディー及びジョンソンの各政権により、各般にわたる国際収支改善対策、いわゆるドル防衛策がとられてきたが、抜本的改善をみるに至らず、一九六〇年から一九六四年までの五年間の年平均赤字は二八億ドルに達した。このため、ジョンソン大統領は、一九六五年二月一〇日、一〇項目からなる国際収支特別教書を発表したが、その内容は、アイゼンハウァー政権以来とられてきた米政府の海外におけるドル支出の節減及びケネディー政権により提案、実施された利子平衡税等の従来の諸対策を拡大強化するとともに、あらたに、米国民間資本の流出を削減するため、金融界及び産業界に対外投融資に関するガイド・ラインを示してその自主的抑制を要請するというものであった。
この特別教書における諸提案を実施するためとられた主な措置は、利子平衡税の期間一年以上の銀行借款への適用(二月一〇日の大統領令)、同税の適用期間の一年七カ月間の延長(一九六七年七月末まで)及び期間一年以上三年未満の債権取得への適用拡大(九月九日改正法案成立)、連邦準備制度による銀行及びその他の金融機関に対するガイド・ラインの公表(銀行については三月五日、その他の金融機関につては三月三日のち六月二一日改訂)、商務省による一般企業に対するガイド・ラインの公表(三月一二日)等である。
一九六五年中には、これら諸措置のうち、とくに銀行融資の抑制策が大きな効果をあげ、同年における貿易収支の不振にもかかわらず米国の国際収支の赤字は、前年の二八億ドルから一三億ドルへとほぼ半減した。しかしながら、米国の公的金保有額はフランス等の金兌換請求により年間約一六億ドル減少して年末には一三八億ドルに落込んだこと、また、国際通貨制度の改革に関する政府間の交渉が先進一〇カ国グループの間で始まり、そこでの米国の立場を強める必要に迫られたことから、国際収支の早期均衡がますます強く要請されるに至り、ジョンソン大統領は、一二月六日、一九六六年中に国際収支を均衡させることを目標とする新たなガイド・ラインを公表し、とくに米国企業による対外直接投資の抑制強化を要請した。
右のような国際収支対策をとるに際し、米国政府はそれがわが国経済に著しい悪影響を与えざるようにとのわが国の要請を容れて、日本政府の発行又は保証する債券については年間一億ドルまで利子平衡税の適用を免除し(四月六日の大統領令)、金融機関に対するガイド・ラインにおいて日本向の融資には輸出信用及び低開発国向融資に次ぐ優先順位を与える等の考慮を行なった。しかしながら、一九六五年中のわが国に対する米国からの長期資本流入は三・二億ドル、流出は三・八億ドルと始めて流出超過を記録した。なお、前記の利子平衡税免税枠を利用して、一九六五年中に政府保証債(開銀債、東京都債、電電債)計六、二五〇万ドルが米国市場で発行された。
一九六五年七月の第四回日米貿易経済合同委員会において、米国側より、わが国における対日直接投資規制制度の緩和を希望する旨の表明があり、また、日米財界人会議その他の民間レベルの会議においても、同様の主張が繰返しのべられた。これらの主張に対し、わが国より、通貨準備上の考慮、中小企業の保護等の必要から当面規制制度を維持せざるをえないが、今後ともできる限り資本自由化に努める方針である旨説明を行なっている。
米国連邦海事委員会は、海運同盟によって設定されている定期航路運賃が米国の貿易に不利な構造(輸出運賃が輸入運賃に比し割高)となっているとの米議会の主張に基づき、一九六三年以来海上運賃の調査を行なってきたが、これに反対するわが国及び欧州海運国との間で本件問題を協議することとなった。日米航路に関しては、一九六六年一月パリにおいて、OECD海運委員会の関係国会議において協議を行なったが、意見の一致をみるには至らなかった。
なお、同委員会は、一九六一年に成立したボナー法(一九一六年海運法の改正法)を実施するための諸規則を漸次制定しつつある。
日米貿易経済合同委員会は、日米間の貿易経済関係を一層緊密化し、かつ、両国の経済閣僚が相互に直面する諸問題につき理解を深めることを目的として、一九六一年に設立され、第一回会合は六一年一一月に箱根で、第二回会合は六二年一二月にワシントンで、第三回会合は六四年一月に東京でそれぞれ行なわれた。
第四回会合は、六五年七月一二、一三、一四日の三日間に亘りワシントンで行なわれた。会議には、日本側から、椎名外務大臣、福田大蔵大臣、坂田農林大臣、三木通商産業大臣、小平労働大臣、中村運輸大臣および藤山経済企画庁長官の各委員が出席し、米側からはラスク国務長官、ファウラー財務長官、ユードール内務長官、フリーマン農務長官、コナー商務長官、ワーツ労働長官およびアクリー大統領府経済諮問委員会委員長の各委員が出席した。
第四回委員会の討議は、ラスク国務長官が議長となり、次の議題について行なわれた。
(イ) 日米経済情勢
(i) 米国経済の現況と見通し
(ii) 日本経済の現況と見通し
(ロ) 財政、金融および国際収支事情
(i) 米国の財政、金融および国除収支事情
(ii) 日本の財政、金融および国際収支事情
(iii) 日米間の国際収支事情の推移(資本移動を含む)
(ハ) 日米間の貿易経済関係の推移
(i) 日米貿易の傾向
(ii) 日米貿易経済関係の拡大
(iii) 直接投資問題
(iv) 日米間の航空、海運および旅行
(v) 漁 業
(ニ) 国際貿易経済関係の推移
(i) 日米の対第三国貿易の傾向
(ii) GATTケネディ・ラウンド交渉
(iii) OECDおよびUNCTAD
(ホ) 低開発諸国の経済開発における協力
(i) 日米の経済援助政策と活動の回顧
(ii) 日米協力の可能性
(ヘ) そ の 他
(i) 短期派米農業労務者問題
(ii) 天然資源の開発と利用に関する情報交換
以上の各議題につき活 な意見と自由討議が行なわれた結果、資料編掲載の日米共同声明が採択された。
この会議により日米両国の貿易経済関係ならびに両国の直面する国際経済問題に関する見解について相互理解が深められ、今後の両国貿易経済関係の一層の緊密化に資するところが大であった。
わが国の対カナダ貿易の規模は、わが国の対外貿易中、日米貿易、日豪貿易に次いで第三位に当っているが、貿易収支では戦後わが国の恒常的な入超となっており、一九五七年から一九六五年に至るわが国の対カナダ支払超過は約一〇億ドルに達している。殊に近年はわが国の高度経済成長に伴い、カナダからの工業用原料買付が増大し、しかも二国間貿易の拡大につれて、その金額的な赤字幅は拡大の一途をたどっていた。しかし、六五年には、通関実績で輸出が対前年比二九パーセント増の二億一、四〇〇万ドルを示したのに対し、輸入はわが国内の不況を反映して、対前年比六パーセント減の三億五、六〇〇万ドルとなったため、入超額は一億四、二〇〇万ドルとなり、対前年比七、〇〇〇万ドルの大幅改善をみた。
商品別にみると、輸出では、従来繊維、合板、ラジオ、雑貨等の消費物資が大宗商品であったが六五年は前年に引続き、鉄鋼、電気関係機械及び自動車等資本財の伸びが著るしく、殊に自動車は前年比三倍強の伸びとなっているのが注目される。また輸入では、小麦を中心とする穀類と、鉄鉱石、銅鉱石、加里塩、石炭を中心する工業用原材料品がその大宗であるが、六五年は小麦輸入の一、二〇〇万ドルにのぼる減少と、銅鉱石、屑鉄を中心とする金属鉱物の輸入減退とにより、全体としての輸入は減少した。他方、かなりの伸びを示した輸出も、この総額のうち約五分の一程度に対しては、カナダ側の要請により、わが国で輸出自主規制を行なっており、これら規制対象品目については大幅な伸張は困難な状況にある。
カナダは、その国土に比し極度に人口が過少であるため、わが国消費物資の市場として自ら限度があるが、六四、六五の両年はカナダ経済の好調を反映して、全体としての対カナダ輸出は、それぞれ対前年比三〇パーセント前後の伸びを示した。今後わが国として対加輸出の拡大をはかるためには、繊維を中心とする消費物資については、カナダ市場に対する香港、台湾、中共、東欧諸国等からわが国規制の間げきをぬって激烈な輸出攻勢もあって総じて楽観を許されない情勢にあるので、輸出商品の多様化、特に重化学工業製品等を中心とする資本財の輸出に一層の努力を払う必要がある。この点B・C州、平原三州、大西洋岸マリタイム諸州等で主として資源開発を目的として、日加間の企業提携、合弁事業及びこれに伴う資本財の輸出促進等の機運が熟し、既に一部企業の進出がみられているのは注目に値する。特にB・C州については、六五年五月にベネツト州総理他数名の閣僚を政府賓客として招待し、わが国を深く認識せしめたことは、これら日加経済協力の促進にあずかって大いに力があったと云える。
(1) 一九五四年、日加通商協定締結以来、日加貿易は順調に発展してきたが、わが国の対加輸出が増大するのに伴い、カナダ側の輸入制限運動も激化した。わが商品の進出により影響を受けたカナダ国内産業は、カナダ政府に働きかけ、わが国産品の輸出規制を要求し、その結果、一九六五年現在、繊維製品、金属洋食器、トランジスターラジオ、真空管及びポリエステルボタンが対加自主規制の対象とされている。
一九六五年の対加輸出規制交渉は、六四年一二月からオタワでカナダ政府と協議を開始し、六五年六月二五日に妥結をみた。
この結果、従来カナダに対し輸出規制をしていた七品目のうち、布靴、防水靴の二品目、繊維製品のうちのスフブラウス、スフシャツ、ディシュタオルの三細分品目の規制が撤廃され、残り五品目の輸出枠は昨年と比べ、合繊ブラウスの三〇%増は例外として、品目により三%から一五%程度の増加をみた。
(2) カナダには緊急輸入制限措置として関税法上の任意評価権制度(輸入が国内産業に被害を与えるような形で行なわれていると認められる場合、その輸入品に対する関税は付課の基礎となる価格を任意に、かつ、高額に評価できる制度)があるが、わが国は、その発動を未然に防止するため、秩序ある輸出の実施につとめている。六四年迄はわが国の輸出産品に対し、任意評価権が発動された例はなかったが、六五年に至り、エラスティックブレイドについて、第三国経由輸入が激増したため、カナダ政府は、第三国経由分について任意評価権の発動を閣議決定し、わが国に了解を求めたので、わが国はこれを認めたが、六五年中には実際には発動されなかった。
他方、カナダは伝統的に輸入品のダンピング問題に強い関心を示しているが、近年わが国の対加輸出品のなかには、カナダ政府による公正市場価格の調査を受ける事例が増加している。この調査は輸出国の国内価格や生産費について行なわれるものであり、六五年中にカナダ国税省がわが国につき調査を行なうこととした品目は繊維製品、鉄鋼製品、自動車、化学品等であった。
一九六一年六月日加両国首相間で合意をみた「日加両国閣僚の相互理解増進」を目的とする日加閣僚委員会は、六三年一月東京で初会合、同年九月オタワで第二回会議、六四年九月東京での第三回会議にひきつづき、第四回委員会は六五年九月二三日及び二四日の両日オタワで開催される予定となっていた。
しかるところ、九月七日ピアソン首相は下院を解散し、一一月八日に総選挙を行なうことを発表した。従ってカナダ側各閣僚は選挙運動のためそれぞれの選挙区に帰らざるを得ないので、日加閣僚委員会の延期を希望し、日本側もこれを認めた。なお、延期をみた第四回委員会の開催時期についてはあらためて両国政府間で協議した結果、一九六六年一〇月に開く予定である。
一九六五年一月一六日、ジョンソン米大統領とカナダのピアソン首相との間で米加自動車協定が締結された。この協定は米加両国が自動車産業については、本質的に同種の市場を構成しておりかつ、密接な資本関係にあることを理由として、米加両国が相互に自動車及び部品(但し補修用は含まず)について関税を撤廃することとしたものである。
カナダ政府は勅令により直ちに同月一八日から関税措置を実施したが、米国政府は協定の規定に従い同協定施行法案を議会に提出した。議会においては、本協定が特に米国内中小部品メーカーに与える影響等との関連から種々論議の的となり、上下両院にて法案をそれぞれ修正の上結局、同年一〇月二二日大統領の署名を得て成立し、関税措置は一月一八日に遡及して実施されることになった。
米国による関税撤廃は、協定の相手国たるカナダの自動車製造業者の製品に限定されているので(カナダの場合は、自国の生産者が第三国より輸入する際も免税となる)、米国の取る措置はガット第一条の最恵国待遇の規定に違背する。このため米国はガット第二五条のウェイバーを申請、書面投票(日本は棄権)の結果、同一二月下旬にウェイバーを獲得した。
この協定は、わが国の対米加自動車輸出に対する影響という観点のみならず、他地域他品目への同様な取極の波及の可能性という観点からも今後共注目されるところである。