東欧地域

 

1 椎名外務大臣の訪ソ

椎名外務大臣は、夫人とともに、一月一六日より二二日までソ連政府の賓客として同国を訪問した。福井運輸政務次官、牛場外務審議官などが同行した。

同大臣には同大臣は、ソ連滞在中、日ソ航空協定、日ソ貿易及び支払い協定に署名したほか、コスイギン首相、ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長、グロムイコ外相その他ソ連政府首脳と会談し、また、レニングラードを訪問して工場などを視察した。

同大臣のソ連訪問は日ソ共同宣言以来初めての日本国外務大臣の同国訪問であり、同大臣がソ連滞在中行なったソ連政府首脳との会談では、領土問題を含む日ソ両国間の懸案問題、ヴィエトナム問題、核拡散防止問題、国連に関する問題、植民地主義清算の問題などにつき意見が交換された。会談はいずれも友好的な雰囲気の中で行なわれた。

また、椎名外務大臣よりグロムイコ外相の訪日を要請し、グロムイコ外相はソ連政府の承認があれば喜んで訪日する旨答えた。

椎名外務大臣のソ連訪問については、日ソ両国の共同コミュニケ(資料篇)が発表された。

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2 日ソ要人の往来

(1) 赤城農林大臣の訪ソ

赤城農林大臣は、イシコフ・ソ連邦漁業国家生産委員会議長の招待を受け、五月二日から同八日までソ連邦を訪問した。この間コスイギン首相と会見して佐藤総理大臣の親書を手交し、また、イシコフ大臣と会談して、主として漁業技術協力、安全操業問題について意見を交換した。

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(2) クズネツォフ・ソ連邦外務第一次官の来日

クズネツォフ・ソ連邦外務第一次官は、駐日ヴィノグラードフ・ソ連大使の賓客として随員二名を伴なって、六月一八日来日し、同二五日まで滞在した。この間佐藤総理大臣および椎名外務大臣とそれぞれ会談を行ない、さらに関西方面への視察旅行を行なった。

佐藤総理大臣および椎名大臣と同第一次官との会談では、ソ連の第二回アジア・アフリカ会議参加問題、ヴィエトナム問題、国連分担命問題等に関して意見が交換されたほか、日ソ両国間の懸案諸問題について話合が行なわれた。なお、佐藤総理大臣との会談に際し、同第一次官はコスイギン首相の親書を手交した。

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(3) 三木通産大臣の訪ソ

三木通産大臣は夫人および二名の随行者を伴なって、七月八日から同一〇日までソ連邦を訪問した。この間九日の日本産業見本市開会式に参列したほか、コスイギン首相およびパトリチェフ貿易大臣とそれぞれ会談を行なって、ヴィエトナム問題等当面の国際情勢および両国間の貿易関係増進について意見の交換を行なった。なお、コスイギン首相との会談に際し、佐藤総理大臣の親書を手渡した。

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(4) 船田衆議院議長の訪ソ

船田衆議院議長は、ソ連邦最高会議連邦・民族両会議議長の招待を受け、八月一八日から同二五日までソ連邦を訪問し、コスイギン首相、ミコヤン最高会議幹部会議長、ペイベ最高会議民族会議議長とそれぞれ会談したほか、三日間にわたり各地を視察旅行した。

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(5) 政府派遣経済視察団の訪ソ

政府は、八月二六日から約三週間にわたり、植村甲午郎経団連副会長を団長とし、経済界の代表一四名からなる経済視察団をソ連に派遣した。同視察団は、ソ連に対する初の政府派遣の使節団として、コスイギン首相、ロマコ副首相兼ゴスプラン議長、グロムイコ外相、パトリチェフ外国貿易相等ソ連邦政府の多数の要人と会談を行なって、両国間の政治、経済、貿易関係について意見を交換し、また、シベリア、ウラルを始めソ連各地を歴訪してソ連経済、産業の実態を視察した。

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3 日ソ航空交渉の妥結

日ソ航空交渉は、一九六五年一〇月七日より一九六六年一月一五日まで東京において、北原外務省欧亜局長を団長とする日本国政府の代表団とダニルイチェフソ連邦民間航空省国際局長を団長とするソ連政府の代表団の間で行なわれた。

交渉は友好裡に行なわれ、航空業務に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定、協定の議定書、議定書に関する合意議事録、共同運航に関する交換公文及び協定第五条3に関する合意議事録の五文書が合意された。この結果、東京-モスクワ間に直通航空業務が開設されることとなり、また、シベリア上空が外国機の航行のために開放されていないので、さしあたって、日本航空とソ連の国営航空企業アレロフロートがソ連の民間航空省からソ連人の操縦室乗組員付で共同してチャーターするソ連機により、両社が共同して全航空業務を行なうこととなった。シベリア開放の時期については、約二年以内にシベリアが開放され、自国機による相互乗入れを実現したいとの日本側の強い希望をソ連側は了承した。

なお、合意された文書は、一九六六年一月二一日モスクワで椎名外務大臣とロギノフ民間航空大臣により署名された。

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4 日ソ領事条約締結交渉

一九六四年末及び昨年初めに交換されたコスイギン・ソ連首相と佐藤総理の書簡において、日ソ領事条約の締結が望ましいことが認められ、日ソ双方とも草案の準備を急いだ結果、ソ側は米ソ領事条約を基礎としたソ側提案を六五年六月わが方に手交、わが方は、日米、日英領事条約を基礎とし米ソ条約の考えをも参酌したわが方提案を七月ソ側に手交した。

交渉は、七月三〇日よりモスクワにおいて、わが方は須之部公使を団長とし、ソ側はヴォルコフ・ソ連外務省条約部次長を団長として開始された。七月三〇日より一〇月九日までの間に九回の会議を開き、日ソ双方の提案の内容の解明を主眼とした第一ラウンドの交渉を行ない、一〇月二二日から一一月三〇日までの間に一三回の会議を開き、双方案の共通点の確認と立場の接近をはかることを目的とした第二ラウンド交渉を行なった。一月三一日よりは、双方の立場の一層の接近と具体的案文の合意及び作成を目的とした第三ラウンド交渉が開始され、目下進捗中である。

日ソ双方の基本的な立場の相異は次の点にある。即ち、ソ側は、領事官も近年国家代表的性格を強めているので、領事特権・免除をできるだけ外交特権・免除に近いものとすべきであると主張し、わが方は、日ソ間の二国間条約としての特殊性を考慮して領事特権・免除を一部必要に応じて外交特権・免除に近いものとすることを認めても、領事特権・免除は本質的には領事官の職務遂行に関連してのみ認められるべき性質のものであり、外交特権、免除より限定されたものとすべきであると主張している。

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5 安全操業及び漁業技術協力問題

一九六五年五月赤城農林大臣が訪ソした際(第一四四頁参照)、日ソ間で安全操業及び漁業技術協力問題について話し合いが行なわれ、前者については、共同コミュニケ中にソ側が検討を約した旨記載され、後者については、漁業の分野における科学・技術協力要綱が暫定的に合意された。

(1) 安全操業問題

一九五七年政府は、北海道東部の零細漁民の生計の安定をはかり、ソ連監視船による日本漁船の拿捕を根絶する目的で、歯舞群島・色丹島・国後・択捉両島をはじめ、樺太・千島沿岸水域を含む北方水域における日本漁船の安全操業問題の解決をソ側に提案し、ソ側は一時これに応ずる気配をみせたが、一九五八年、日本政府が平和条約の締結に応じないことを理由としてこれを拒否する回答を行なった。一九六三年に貝穀島周辺水域におけるこんぶ採取に関する民間協定の締結されたことにより、安全操業問題は一部解決をみたほかは未解決として残されていた。赤城大臣訪ソに際して、歯舞群島、色丹島周辺の一定水域のみに限定して、日本漁船の安全操業を認めるよう強く主張し、ソ側は、当初従来の態度を変更しなかったが、コスイギン首相との会談において、赤城大臣より重ねて要請したのに対して、同首相は検討を約した。その後、ソ側は、本問題の具体的可能性を検討するため、歯舞・色丹水域において実地調査を行なった趣であるが、未だ最終的回答は寄せていない。

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(2) 漁業技術協力問題

一九六四年赤城大臣が訪ソした際等に、イシコフ大臣より日ソ間の漁業科学技術協力に関する取極の締結方につきアプローチが行なわれた。昨年三月、日ソ漁業委員会第九回会議のため来日したモイセーエフ・ソ側代表は三月一一日赤城大臣を訪問し、本件取極締結を希望する旨のイシコフ大臣の書簡を手交した。その後三月下旬、松岡水産庁長官以下の日本側専門家とモイセーエフ以下のソ側専門家の間で漁業技術協力上の問題点及び取極の形式につき原則的同意を行なった。その結果、五月に赤城大臣が訪ソした際、漁獲技術及び漁獲物食品加工技術、公海漁業の発展、漁業の生産性の向上、漁業船団の運営等に関する資料交換、漁業専門家の交流、漁業資源の共同研究等を内容とする漁業に関する日ソ間の科学技術協力要綱が暫定的に合意された。具体的実施については、今後の話し合いについてとり決められることとなる。

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6 未帰還邦人の引揚げ

一九五九年の第一八次集団引揚げ後も、約二百名の邦人(主として朝鮮人と結婚し樺太に居住している日本婦人)が帰国を希望しながらも残留していたので、政府はこれら帰国希望者の帰国の実現方について、機会ある毎にソ側に申入れを行なってきたが、昭和三九年秋政府は前記約二百名の帰国希望者名簿をソ連政府に手交し、未帰還問題協議会(会長藤山愛一郎氏)の協力をえて、これら未帰還者の帰国促進に努めた。そして同年一〇月藤山議員とフルシチョフ首相との会談の際、同首相より本人が帰国を希望していることが確認されれば、帰国を認めるとの確約をえた。

よってわが方は、在ソ大使館より前記約二百名の帰国希望者に手紙を送り、その旨を伝え、近くソ連官憲が帰国の意志確認を行なうこととなるので明確に意志表示を行なうように連絡するとともに、他方ソ側に対し帰国の実現方督促を重ねたところ、一九六五年六月に至り、ソ側より帰国を希望している者七〇名(家族を含めると三四二名)の帰国を許可する旨をわが方に通報越した。

わが方は、帰国を円滑に促進するため樺太へ配船し、集団引揚げを行ないたい旨を申入れたが、ソ側が難色を示したため、ナホトカ経由個別引揚げ方法によることとなり、九月一五日横浜入港のバイカル号で八世帯三五名が帰国したのをはじめ、その後本年三月末までに五八世帯、計二八四名が帰国するに至った。

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7 ソ連本土、樺太等への墓参

ソ連本土の墓参は昭和三六年八月(ハバロフスクおよびチタ)と翌三七年八月(ナホトカ、タシケント、モスクワ近郊のクラスノゴルスクおよびリュブリノ)に、また、歯舞、色丹島の墓参は一九六〇年九月にそれぞれ実施された。しかし、未だ墓参が行なわれていない地域が多く、これら地域への墓参について遺族より強い要望があり、政府は未帰還問題協議会の協力をえて、その実現に努め、一九六四年一〇月藤山議員がフルシチョフ首相と会談の際、樺太その他の墓参について申入れ、同首相より樺太およびアルマ・アタ等への墓参を認める旨の回答をえた。

よって政府は、一九六五年の夏墓参を実施することとし、同年三月ソ側に対し、ソ連本土のアルマ・アタ、イルクーツク、ウラン・ウデ、アルチョム、樺太の豊原、大泊、敷香、真岡、本斗、内幌、清水村、また北方領土については国後、択捉両島をはじめ歯舞群島中の志発島の西浦泊、色丹島の相見崎および能登呂への墓参を認めるよう申入れた。

これに対し五月一五日、ソ側よりソ連本土のアルマ・アタ、イルクーツク、ハバロフスク、樺太の豊原、本斗、真岡、そして歯舞、色丹島については前年と同じ場所(歯舞群島中の水晶島の茂尻消、色丹島の稲茂尻と斜古丹)の墓参を認めるが、その他の個所は外国人の立入り禁止区域であるから認められないと回答した。

かくして、遺族代表団によるソ連本土の墓参は七月二三日-二九日に、樺太の墓参は七月二七日-三一日に、また、歯舞、色丹の墓参は八月一六-一九日にそれぞれ実施された。

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8 ヴィエトナム問題をめぐる日ソの応酬

(1) 一九六五年三月二二日スタリコフソ連外務省極東部長は下田大使に対してヴィエトナム問題に関するソ連政府の対日覚書を手交したが、日本政府は四月六日下田大使をしてクズネッォフ外務第一次官に次の要旨の回答を手交せしめた。

(イ) 在日米軍基地の利用問題に関する日本政府の見解は、一九六四年一〇月二七日付の覚書において申しのべた通りである。

(ロ) ヴィエトナム紛争については、ヴィエトナム共和国に対する直接ないし間接の侵略が組織的に行なわれていることが重要な要因となってその解決を困難ならしめていることを考慮すべきである。

(ハ) 平和共存を外交の基本的政策とし、社会主義諸国の間で絶大な指導的役割を有するソ連政府がその影響力を最大限に行使して関係諸国に働きかけ、その結果事態の迅速な解決がもたらされることを希望する。

(ニ) 日本政府も事態の平和的解決のために努力を惜しむものではない。

(2) 更に昨年八月三一日ジミャーニン外務次官は須之部在ソ臨時代理大使に対して、要旨次の通りのヴィエトナム問題に関するソ連政府の覚書を手交した。

(イ) 米国は、ヴィエトナムにおける軍事目的のために日本領土の使用を強化しつつあり、また、軍事物資の輸送のために日本の人的資源を利用している。

(ロ) ソ連政府はヴィエトナム問題の解決は四月八日のヴィエトナム人民共和国政府及び三月二二日の南ヴィエトナム人民解放戦線の発表したプログラムに基づくジュネーブ協定の厳格な遵守によるべきであると考える。

(ハ) 日本政府は、米国が侵略目的のため日本の領土、工業及び人的資源を使用しないよう適当な措置をとり、ヴィエトナムにおける米国の侵略を終止せしめるよう影響力を用いるべきである。

これに対して、日本政府は、昨年九月二八日在ソ須之部臨時代理大使をしてマリク外務次官に次の要旨の回答を手交せしめた。

(イ) ヴィエトナム問題についてはソ連政府ともこれまで屡々意見を交換してきたが、日本政府は、ヴィエトナム紛争はヴィエトナム共和国に対する北からの侵透に由来するものと考える。

(ロ) 日本の領土及び人的資源がアジアの侵略のために利用されているなどというソ連の非難は根拠がない。

(ハ) 日本政府もまた紛争のすべての当事国がジュネーブ協定を紛争解決の指針として行動すべきものと考える。

(ニ) 日本政府はソ連政府が事態の平和的収拾のためその権威と指導力を用いることを希望する。

(ホ) 今後も本件についてソ連政府と建設的な意見の交換を希望する。

(3) 更に一九六六年二月一七日クズネツォフ外務第一次官は中川大使に要旨次の通りの覚書を手渡した。

(イ) ヴィエトナムにおいて米国の公然なる侵略が行なわれているが、このための米国による日本の領土及び物的資源の利用は益々拡大されている。

(ロ) 一月末の米国の北爆再開に対して日本政府はそれを正当化せんとした。

(ハ) ヴィエトナム問題を国連安保理の議事日程に加えんとする米国の策略に日本政府は同調した。

(ニ) 日本政府が米国による日本の領土、工業及び人的資源の利用を阻止する措置を執ることを期待し、米国の侵略を停止させるようにその影響力を行使することを希望する。

これに対して二月二六日下田外務次官はヴィノグラードフソ連大使に要旨次の通りの回答を手渡した。

(イ) ヴィエトナム問題に関する日本政府の見解は、既にたびたびソ連に伝えたとおり、日本政府は紛争の原因はヴィエトナム共和国に対する北方からの非合法な浸透にあると考えており、日ソ双方の基本的立場は異なっている。

(ロ) ソ連政府は日本の領土、工業及び人的資源が米国のヴィエトナム侵略に利用されている旨非難しているが、日本政府としては米国が日米安保条約に基づいて平素より許容されている施設、区域の利用、物資の調達等を行なうのは当然であると考える。

(ハ) ヴィエトナム問題が平和にとり危険であるとの認識において、日ソ双方は見解の一致をみているが、双方とも紛争の終結のため当事者に働きかけるべきである。

(ニ) 日本政府はヴィエトナム問題の平和的解決のあらゆる試みが成功していない現状において国連の安保理が本問題をとりあげたのは極めて妥当な措置であったと考える。

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9 フーモ・ユーゴ科学院総裁の訪日

アブド・フーモ・ユーゴ科学院総裁は、日本政府の招待に応えて、ルジッチ外務省付公使とともに外務者賓客として、一九六五年一〇月一三日から同二四日まで来日し、佐藤総理、椎名外相、三木通産相、福田蔵相、藤山経企長官、上原科学技術庁長官と国際情勢および日・ユ両国関係につき有意義な意見交換を行なった。

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