西欧地域
第四回日英定期協議は、英国よりスチュアート外相(夫人同伴)が一九六五年一〇月一五日から同二〇日まで来日し、椎名外務大臣との間で行なわれた。スチュアート外相夫妻は、その滞在中、天皇、皇后両陛下から拝謁を賜わった。
椎名外務大臣とスチュアート外相の会談は一〇月一九日行なわれたが、会談の主な議題は、ヴィエトナム、インド・パキスタン関係、マレーシアを中心とする東南アジア問題、中国問題、欧州情勢、軍縮、日韓関係、日英経済関係、日英両国の対外援助政策等日英両国が関心を有する広範な問題にわたって行なわれた。また従来と同じく、閣僚レベルの協議に先立ち、事務レベルにおいて広範な諸問題が討議された。
この日英定期協議を通じ、多くの問題について両国の見解がきわめて類似していることが明らかとなり、また、両国が共通の関心をもつ諸問題に対する相互の見解について、理解を深めるのに貢献したことに意見の一致をみた。
スチュアート外相は、また、一〇月二〇日佐藤総理大臣を訪問して会談を行なった。
椎名外務大臣は、一九六六年一月ソ連訪問後パリ経由ボンを訪問し、二四、二五の両日第二回目独定期協議を行なった。同大臣は、シェレーダー外相と二回に亘って会談したほか、リェプケ大統領、エアハルト首相とも会談を行なった。また両国事務当局の間でも意見の交換が行なわれた。
椎名、シェレーダー両外相は、東西関係、アジア、なかんづく東南アジアの現状並びに欧州情勢について討議し、また日独経済関係の順調な発展に対して満足の意を表明し、併せてアジアにおける両国の今後の経済協力の可能性について検討した。
また、この機会に日独定期協議の意義が改めて確認され、本年秋後半を目途として次回会合を東京で行なうことが合意された。
椎名外務大臣は、イタリア、ヴァチカン訪問後第三回目仏定期協議のため、七月二〇、二一の両日パリを訪問した。同大臣は、その間、ドゴール大統領、ポンピドウ首相、クーヴ・ドゥ・ミュルヴィル外相とそれぞれ会談した。
椎名、クーヴ・ドウ・ミュルヴィル両外相会談のおもな議題は、東南アジア問題、欧州情勢及び日仏両国間の経済、文化関係等であった。なお、従来と同様、今回も事務レベルの協議が行なわれた。
両外務大臣は、日仏定期協議が相互理解と友好親善を基礎とする両国関係の発展にとって極めて有益であることを再確認し、これを今後とも継続することに意見の一致をみた。
椎名外務大臣は、イタリア政府の招待により、夫人をともない一九六五年七月一六、一七の両日イタリアを公式に訪問した。同大臣は、滞伊中、モロ首相およびファンファーニ外務大臣とそれぞれ会談した。
右会談においては、最近の国際情勢、特に東南アジア情勢、欧州情勢、国連問題、その他両国に関連する諸問題について意見が交換されたほか、今回の会談を第一回として今後日伊両国間で定期協議を行なうことが決定された。この定期協議は、すでに日仏、日英、日独間において行なわれている定期協議と同趣旨のもので、国際情勢および両国間の関係に関する諸問題について、外務大臣レベルで定期的に意見を交換することを目的としている。第二回定期協議は、今年東京で行なわれる予定である。
なお、椎名外務大臣夫妻は、イタリア訪問後、七月一九日ヴァチカンを非公式に訪問し法王に謁見した。
現行日英航空協定は、一九五二年一二月二九日東京において、岡崎外務大臣とデニング英国大使との間に署名され、一九五三年七月三一日に発効した。この協定に基づき、日英両国航空当局は随時必要に応じ協議を行ない得ることとなっており、前回の協議は一九六〇年九月ロンドンにおいて行なわれた。
日本側航空当局は、一九六〇年の協議以後の情勢の変化と一般の需要の増加にかんがみ、日英航空当局間の協議の開催方を希望したので、一九六五年二月、外務省より在京英国大使館を通じ右協議開催方を正式に提案したところ、英国側はこれを受諾した。
右により一九六五年四月二日より同二六日にわたり外務省において、栃内運輸省航空局長を代表とする日本側代表団とモリス航空省海外航空政策局長を代表とする英側代表団との間に協議が行なわれた。この協議においては、日英双方の便数問題、路線および地点問題が討議された。
日英領事条約は、一九六四年五月、東京において、大平外務大臣とバトラー英外相の間で署名され、英国においては一九六四年六月に議会の承認を了し、日本においては一九六五年八月に国会の承認を了した。よって一九六五年九月一〇日、ロンドンにおいて、在英島大使とスチュアート英外相との間で右条約の批准書が交換され、一九六五年一〇月一〇日より条約の効力が生ずるに至った。この条約は、領事館の設置、領事の任命その他の手続き、領事館及び領事の特権、並びに在留民の保護などの領事の職務について規定しており、戦後わが国が結んだ領事条約としては、日米領事条約に次いで第二番目の条約である。
常陸宮同妃両殿下は、一九六五年一〇月一二より一二月二日まで、主として国際親善に寄与される目的のため、デンマーク、フランス、ベルギー、オランダ、英国、ドイツ、スイス、イタリア(ヴァチカンを含む)、などタィの諸国を訪問された。
なお、両殿下は、この間一〇月二七日より一一月九日までの間、英国政府の賓客として英国に滞在され、一一月三日エリザベス女王陛下御主催の昼食会に臨まれたほか、英国内各方面を御視察、御見学された。
一九六五年九月一七日から一〇月三日まで、東京晴海の国際見本市会場において英国博覧会が開催された。この博覧会は財団法人英国海外博覧会(会長サー・ノーマン・キッピング)が主催し、英国商業会議所連合会、英国工業連盟など英側経済団体が後援し、また、佐藤総理大臣はウィルソン英国首相とともに共同協賛者に、吉田元総理大臣は名誉会長にそれぞれ就任した。出品者は英国のメーカーなど四百社を超え、その品目も各種産業機械・航空機から雑貨・ウイスキーなど幅広く、また、銀行、保険、航空、海運などのサーヴィス業の展示も行なわれた。
この博覧会開催を機会に、アレクサンドラ王女と御夫君アンガス・オグルヴィ氏が九月二〇日来日され、博覧会関係各種行事に臨まれたほか、関西方面をも御訪問ののち九月三〇日御帰国された。
また、ジェイ英国商相(夫人同伴)は、博覧会開会式等に出席のため九月一五日来日、二〇日帰国した。
ジェイ商相は、その滞日中、九日一六日に佐藤総理大臣、椎名外務大臣、三木通商通業大臣とそれぞれ会談した。
さらに、ジェンキンス英国航空相も、博覧会行事に出席のため一〇月二日来日し、一〇月五日帰国した。
一九六四年九月に独立したマルタ政府に対して、わが方はできる限り早い機会に外交関係を設定する旨同国政府に伝達しておいたが、一九六五年七月一五日在マルタ大使館(兼轄)を設置し、駐マルタ臨時代理大使として沢木在イタリヤ大使館参事官(兼任)を任命した。
フランス海軍練習艦隊は、一九六六年一月二七日から二月一一日までわが国を訪問した。同練習艦隊はヘリコプター母艦ジャンヌ・ダルク号(一二、〇〇〇トン)および通報護衛艦ヴィクトール・シェルシェ号(一、六五〇トン)から成り、乗員は全部で一、〇四八名であった。同艦隊は、東京港、神戸、江田島に寄港し、各地で盛大な歓迎をうけるとともに、各種の日仏親善行事に参加した。
ジャン・ヴォージュール知事を団長とする五名のフランス知事団は、一九六五年三月二九日来日し、四月一四日まで滞在した。同知事団は日仏知事相互訪問の一環として来日した最初のもので、総理大臣、自治大臣および東京都知事等を訪問したほか、三月三一日日仏知事会議に出席し、日本の地方制度、地方制度の改革、地方経済圏の創設等地方行政の重要な問題について討議を行ない多大の成功を収めたのち、日本国内主要都府県の視察を行ない、わが国の地方行政に対する認識を深めるとともに両国の親善に寄与した。
これに対し、金子知事(香川県)を団長とする日本側知事団一行七名は、五月一八日より二六日にわたりフランスを訪問し、ド・ゴール大統領、ポンピドー首相、フレイ内相を訪れ歓待されたほか、パリ県を始め各地の視察を行なった。
ゴードンウォーカー前英国外相は、スチュアート外相の特使として、一九六五年四月二七日来日、同三〇日まで滞在した。
ゴードンウォーカー特使は、その滞日中四月二八日、佐藤総理大臣、椎名外務大臣とそれぞれ会談した。
ウォールストン英国外務政務次官は、一九六五年四月一〇日来日し、同一六日帰国した。
ウォールストン外務政務次官は、その滞日中、四月一二日、椎名外務大臣、黄田外務事務次官および船田衆議院議長をそれぞれ訪問し会談した。
チャルフォント英国外務担当国務相(軍縮問題担当)は、一九六五年一二月七日来日、同一二日まで滞在した。
チャルフォント国務相は、その滞日中、一二月一〇日椎名外務大臣、一二月一一日佐藤総理大臣を訪問し主として軍縮問題につき会談した。
ベン英国郵政相は、一九六六年一月五日来日し、同一三日まで滞在した。
ベン郵政相は、その滞日中、一月六日郡郵政大臣を訪問したほか、わが国における郵便、電信、電話、ラジオおよびテレビ放送等の発達状況につき視察研究を行なった。
アンドリュース・アイルランド国鉄、バス公社総裁は、随員一名を伴い、一九六五年九月二一日より一〇月一日までわが国を訪問した。同総裁は、滞日中、本邦の鉄道事情を視察したほか、関東及び関西の史蹟名勝等をも訪れた。