アジア(西アジアを除く)地域

 

1 日韓交渉

(1) 一九六五年四月三日東京において「日韓間の漁業に関する合意事項」、「日韓間の請求権問題の解決ならびに経済協力に関する合意事項」、「在日韓国人の法的地位及び待遇に関する合意事項」のイニシアルが行なわれたが(詳細は「わが外交の近況」第九号八五頁以下参照)、それに引続いて日韓両国の事務当局の間に合意事項の条文化作業が鋭意進められた。合意事項はあくまでも合意の大綱にすぎず、条文化作業は多くの困難に逢着したが、相互理解と互譲の精神により、紆余曲折の末妥結に到達し、ついに六月二二日、内閣総理大臣官邸において、佐藤総理大臣臨席の下に、日本側は椎名悦三郎外務大臣及び高杉晋一日韓全面会談首席代表、韓国側は李東元外務部長官及び金東祚在京韓国代表部代表が次の諸条約に調印した。

(イ) 「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」

(ロ) 「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定」及び付属文書

(ハ) 「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」及び付属文書

(ニ) 「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する協定」及び付属文書

(ホ) 「文化財及び文化協力に関する協定」及び付属書

(ヘ) 「日韓両国間の紛争の平和的処理に関する交換公文」

その後、日韓両国において批准のための国内手続がとられる一方、併せて、諸条約の施行のための国内法令の整備も進められ、一二月一八日韓国の首府ソウルの中央庁において批准書交換式典が挙行された。わが国からは、椎名外務大臣及び高杉晋一特派大使が代表団を率い出席し、韓国側からは李東元外務部長官及び金東祚代表が全権として参列した。

日韓会談は、昭和二六年一〇月に予備会談が始められて以来実に一四年の歳月を要した会談であったが、ここにめでたく終止符を打ち、宿願の日韓国交の正常化を迎えたわけで、これは日韓関係の歴史に新しいページを画するものである。

なお、漁業協定調印の際、日韓双方の外務省アジア局長間の書簡の往復により、両国の水産当局がそれぞれ自国の民間水産団体に対し、両国の漁船間の安全操業及び秩序維持のための民間取決めが行なわれるよう指導する意向であることを述べ合っているところ、本件民間漁業取決めのための交渉は、昨年一一月末より日本側は大日本水産会、韓国側は水産業協同組合中央会との間で開かれ、同取決めは一二月一七日ソウルで調印され、日韓諸条約とともに発効した。

(2) 日韓諸条約の概要は次のとおりである。

(イ) 基本関係条約

(i) 外交領事関係の開設、(ii)一九一〇年八月二二日以前に締結された旧条約がもはや無効であることの確認、(iii)韓国政府は国連総会決議第一九五号(III)に明らかに示されているとおり朝鮮にある唯一の合法的な政府であることの確認、(iv)国連憲章の原則の尊重、(v)通商関係条約締結交渉のすみやかな開始、(vi)航空協定締結交渉のすみやかな開始等が規定されている。

(ロ) 漁業協定

(i) 協定の前文で公海自由の原則の尊重を確認し、他方、本文で、漁業水域の外側における取締り及び裁判管轄権は旗国のみに属することが定められた。この結果、従来の李ラインは実質的に撤廃され今後は、いかなる名目によっても漁業水域外の公海において韓国官憲による不法な停船、臨検、拿捕連行等の不幸な事件の発生がなくなることが、協定上確保された。

(ii) 日韓両国は自国の沿岸から一二カイリまでの水域を自国が漁業に関して排他的管轄権を行使する水域(漁業に関する水域)として設定する権利を有することを認めあった。

(iii) 共同規制水域を設定することに合意し、同水域における暫定的漁業規制措置を定めた。これにより漁業資源の最大の持続的生産性を確保するため、今後日韓両国が協力して科学的調査を行ない、この結果に基づいて、将来両国に平等に適用される漁業規制措置(保存措置)が実施されるまでの間、暫定的漁業規制措置を執ることにより、漁業の実態を尊重しながらも、資源に過大な圧力のかかることを未然に防止することとした。

(iv) 暫定的漁業規制措置の内容として、沖合底びき網漁業(五〇トン未満の漁船による底びき網漁業)、以西底びき網漁業(五〇トン以上の漁船による底びき網漁業)、まき網漁業及びさばつり漁業(六〇トン以上の漁船によるさばつり漁業)の四大漁業種類について最高出漁隻数(又は統数)、漁船規模、網目、光力、並びに証明書及び標識を定めた。

(v) 最高出漁隻数(又は統数)との関係で、共同規制水域内における底びき、まき網および六〇トン以上の漁船によるさばつり漁業を対象として、一五万トン(上下一〇パーセントの変動があり得る)の年間総漁獲基準量を定めた。年間総漁獲量は、暫定的漁業規制措置の一つである最高出漁隻数(または統数)によって操業を規制するにあたっての指標となる数量であって、いずれの国も、自国の年間の実際の総漁獲量が、年間総漁獲量を超過すると認める場合には、漁期中であっても、その超過が一定限度内にとどまるように、出漁隻数(または統数)を抑制するよう行政指導を行なうことが合意された。

(ハ) 請求権・経済協力協定

(i) 一方の国及び国民の財産、権利及び利益であって協定署名の日に他方の国の管轄の下にあるものについては、当該他方の国はいかなる措置をとることも自由であることとなり、これらの措置についてはいかなる主張もなしえないこととなった。ただし、原則として(a)一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日から協定の署名の日までに他方の締約国に居住したことのあるもの(主として在日韓国人)の財産、権利及び利益と(b)終戦後の通常の接触の過程において取得ざれ、又は相手国の管轄下にはいった財産、権利及び利益は、これらの措置の対象とはしないこととなっている。

また、協定署名の日の前に生じた事由に基づく一方の国及び国民の請求権についても、他方の国は今後いかなる主張もすることができないものとされた。

(ii) 経済協力は、一〇年間にわたる三億ドルの無償供与と同じく、一〇年間にわたり利率三・五%、二〇年の償還期間による二億ドルの長期低利の貸付けとよりなっている。なお、この外に三億ドル以上に達すると期待される通常の民間信用供与が容易にされ、かつ、促進されることになっている。

無償供与の実施については、韓国における事業の遂行に必要な現地通貨や原材料の確保の必要上、資本財以外の生産物も相当程度調達されうるような方式がとられている。また、これらの生産物の調達のために韓国側の考えている特別の組織を考慮して、韓国の在京使節団だけではなく、韓国政府の認可する韓国業者にも契約当事者となることが認められている。

長期低利の貸付けは海外経済協力基金が行なうこととし、協定及び協定に基づく交換公文とともに、別途、借款契約が基金と韓国政府との間に締結された。

経済協力の実施に関連して、日本が有している清算勘定残高約四、五七三方ドルの決済をはかることも約束され、韓国は無利子で一〇カ年年賦によりこれを返済するが、その希望によっては無償給与から差引かれることとなっている。

なお、前記の三億ドル以上に達すると期待される通常民間信用供与の一環として、九、〇〇〇万ドルの額に達することが期待される漁業協力のための、民間信用供与が出来る限り好意的に配慮されるものとされた。

(ニ) 在日韓国人の法的地位協定

(i) 永住許可付与の範囲

大韓民国国民で次のいずれかに該当するものが永住許可の申請をしたときは、日本で永住することが許可されることと規定されている。

(a) 終戦前から引続き日本に居住している者

(b) (a)の直系卑属として終戦後協定発効の日から五年以内に日本で生まれ、引き続き日本に居住している者

(c) 永住を許可されている(a)又は(b)の子として協定発効の日から五年を経過した後に日本で生まれた者

また、その後に生まれるこれらの者の直系卑属の居住の問題については、日本政府としては、協定発効二五年後までは、韓国側が要請する場合は、協議を行なうことに同意することになっている。この二五年後とは、このような者が最初に生まれる頃である。

(ii) 退去強制

協定上の永住許可を与えられた者については、一般外国人と同様の事由で彼らを退去させることは不適当であることを考慮し、概要次のような悪質な者に限って退去強制しうることと規定されている。

(a) 内乱、外患に関する罪を犯した者

(b) 国交に関する罪を犯した者等

(c) 麻薬の営利犯及び三回以上麻薬に関する罪を犯した者

(d) 七年をこえる刑に処せられた者

(iii) 国内処遇、持帰り財産

協定上の永住許可を受けた者は、従来どおり当分の間生活保護を受けることができることとし、また、公の小、中学校への入学が認められることが明らかにされたほか、新たに国民健康保険の被保険者とすることとなった。また永住の意思を放棄して韓国に帰る者については、その財産及び資金の携行又は送金について妥当な考慮が払われることになった。

(ホ) 文化財・文化協力協定

(i) 両国政府は両国民の間の文化関係を増進させるためできる限り協力を行なうことが定められた。

(ii) 日本政府は、附属書に掲げる文化財を両国政府間で合意する手続に従って、この協定の効力発生後六カ月以内に韓国政府に引渡すことが定められた。(引渡される品目は、陶磁器九七点、考古資料三三四件、石造美術品三点、図書一六三部八五二冊、逓信関係品三五点よりなっている。)

(iii) 両国政府は、それぞれ自国の美術館、博物館、図書館その他学術及び文化に関する施設が保有する文化財について、他方の国の国民に研究する機会を与えるため出来る限り便宜を与えることが定められた。

(ヘ) 紛争解決に関する交換公文

両国間の紛争は、別段の合意なき限り、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これによって解決することができなかった場合は、調停によって解決を図るものとすることが合意されている。なお、ここにいう「両国間の紛争」は、特に竹島問題を含まないという別段の合意がなされていない以上、竹島問題を含むことは明瞭である。

(3) 基本関係条約の規定に基づいて日韓両国は大使を交換することになっているが、一九六六年一月七日わが国は木村四郎七大使を、また、韓国は金東祚大使を派遣することに両国がアグレマンを与えることを発表し、金大使は一月一四日、また、木村大使は三月一六日それぞれ信任状の捧呈を了した。

法的地位協定は一月一七日に正式発効し、在日韓国人の永住権申請の受理が開始された。経済協力の実施細目に関する協定は進み、併せて経済協力の初年度実施計画の話合いも進展した。

漁業協定については、発効後三カ月ほどはさしたる事件もなく、多年にわたる日韓漁業紛争は実際上跡を絶った。本年二月二五日には、同協定に基づく日韓漁業共同委員会が設置され、また同協定をより完全に実施するための両国政府間の話合いも精力的に行なわれてきた。

たまたま三月一四日韓国の漁業水域侵犯の廉で韓国警備艇により第五三海洋丸が共同規制水域内で拿捕連行されるという事件が発生した。わが方は調査の結果、第五三海洋丸が漁業水域を侵犯した事実はないことを確認し、拿捕は漁業協定違反と主張し早期釈放方を交渉したが、韓国側は侵犯は事実なりと固執しつつも、大局的見地から釈放にふみ切り、三月三〇日船体及び四名の乗組員が釈放されて、事件は落着した。

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2 ヴィエトナムに対する援助

ヴィエトナム共和国では、戦闘の激化に伴ない罹災者、避難民等難民が増加し、その数は八○万人に達すると伝えられている。わが国は、同じアジアの一国として、人道上の立場から、同国に対し難民救済のため緊急援助を行なうこととし、一九六六年三月一日の閣議において、予備費より約七、二〇〇万円を支出して救援物資を供与し、社団法人ベトナム協会を事業実施機関とすることを決定した。これにより、一万家族を対象とする約七二〇万円相当の家庭配置薬、約四八〇万円相当の毛布(一八、〇〇〇枚)および約六、〇〇〇万円相当の綿布(約一〇〇万平方ヤール)合計約七、二〇〇万円相当の物資の贈与が実施された。

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3 マレイシアの対日補償要求問題

一九六二年二月、シンガポールで一建築現場より多数の遺骨が発掘されたのを契機として、戦時中の中国人集団殺害事件について、シンガポール中華総商会(中国系住民の商工会議所)を中心にわが国に補償を要求する動きが起り、同総商会はシンガポール政府に対し、わが国に補償をするよう働きかけた。

わが方は、マレイシアについての賠償問題は桑港平和条約により既に解決済みと考えており、本間題についても賠償的性格を帯びた要求には応ぜられないが、シンガポールとの友好関係の維持発展を願う立場から、戦争中の日本軍の行為に対する償いのジェスチャーとして適当な措置をとる用意はある旨を明らかにした。

かかる立場より、シンガポール政府との間で公園建設案、病院建設案等の話合いが行なわれたが、結論を見るにいたらなかった。

この間一九六三年八月シンガポール中華総商会は民衆大会を開き、五、〇〇〇万マラヤドルの要求貫徹、対日非協力等の方針を打出し、同年九月にはシンガポールにおいて対日ボイコットが展開されるにいたった。

さらに、シンガポールの動きに刺激されてマラヤ各地の中華総商会は、シンガポールの動きに呼応して八月下旬、対日補償要求に関する大会を開催し、戦時中の殺害に対する補償として一億一、〇〇〇万マラヤドル(約一三二億円)を要求するにいたった。

しかるところ、同年九月一六日マレイシア成立を契機にマレイシア中央政府がこの問題をとりあげ、日本政府と話合を行うこととなった。(この間ラーマン首相の要請で対日ボイコットは終熄した)

わが方は、現地の大隈大使を補佐するため、同年一〇月二五日後宮アジア局長を現地に派遣し、二四日より一一月一日までマレイシア政府との間に話し合いを行なったが、日本のとるべき方法および規模について合意に達することはできなかった。

その後、一九六四年にはマレイシア側において、マレイシア紛争問題等同国内外に重要問題が発生したために、本件に関する具体的話し合いを進める時間的余裕がなく、交渉は止むを得ず、しばらく停止せざるを得なかった。しかるに、同年二月頃より、ペナン総合大学建設計画につきマレイシア側より日本の協力を求めるという話し合いが進捗したが、マレイシア政府と中華総商会側の話し合いがつかず、実現きれるにいたらなかった。

一九六五年八月九日シンガポールがマレイシアから分離独立したが、わが方は今後とも本問題の解決に誠意をもって当るつもりである。

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4 日本・マレイシア航空協定の批准書交換

日本航空のシンガポール乗り入れをめぐるわが国とマレイシアとの航空協定締結交渉は、一九六四年二月及び同年八月-一一月の二回にわたり、両国代表者間でクアラ・ランプールにおいて行なわれた結果、合意をみ、一九六五年二月一一日クアラ.ランプールにおいて、日本側在マレイシア甲斐大使とマレイシア側サルドン運輸大臣との間で右航空協定が署名され、ついで同年一一月四日東京において日本側下田外務事務次官とマレイシア側シャハブディン駐日マレイシア大使との間で批准書の交換が行なわれ、同協定は同日発効した。

なお、昨年八月九日、シンガポールはマレイシアから分離独立したが、同分離独立協定に基づき、日・マ間の右協定はシンガポール共和国政府によって承継され、日航は引続きシンガポールに乗り入れている。この承継を確認するため、一一月四日日本側駐シンガポール上田総領事とシンガポール側、バーカー・シンガポール外務大臣代理との間に書簡が交換された。

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5 サラワク州及びサバ州における海運所得に対する課税の問題

英領植民地時代のサラワクにおいては、わが国船舶の取得する海運所得に対する課税は、サラワク所得税法に基づき免除されていた。しかるところ、一九六四年一〇月にいたり、マレイシア所得税法の改正により課税されることとなった旨サラワク税務当局より関係船会社に対し通報があった。よって、政府としては、旧マラヤ連邦とわが国との間の二重課税の回避及び脱税防止のための条約(一九六三年八月二一日発効)がサラワク州及びサバ州の両州にも適用さるべきであるとの立場より、本件解決のため、同年一二月マレイシア政府と交渉に入ったが、いまだ合意はみられるにいたっていない。

なお、その後サバー州においてもわが国船舶会社に対し同様の課税を行なう動きがある。

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6 印・パ武力衝突に対する佐藤総理メッセージ

一九六五年八月五日インド側カシミールにおいて発生した反印的ゲリラ兵とインド軍との武力衝突は、その後インド、パキスタン両軍による全面戦争にまで発展し、同年九月二三日国連安保理の努力により停戦が実現するまで両軍により激しい戦闘がくり返えされた。

わが国は、従来印パ両国の紛争につき、特にいずれかの主張に片寄ることなく、紛争は国連憲章の原則に従い平和的に解決されるべきであるとの態度を表明してきたが、右武力衝突が激化するや、九月七日、佐藤総理よりシャーストリー・インド首相及びアユーブ・カーン・パキスタン大統領あて要旨次のとおりのメッセージを発出し、話し合いによる紛争の解決を要望した。

(イ) 印・パ間に大規模な武力衝突が発生し、戦火が拡大しつつあることを知り、アジアの平和と安定を希望するわが国として憂慮にたえない。

(ロ) 国連事務総長のアピール及び安保理の決議に従い、停戦と戦闘行為開始前への復帰を実施し、よって平静な雰囲気下に紛争を話し合える事態になることを強く訴える。

(ハ) 閣下のステイツマンシップにより、今次紛争ができるだけ速やかに話し合いによる公正な解決をみることを切望する。

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7 ラン・オブ・カッチにおける印・パ国境紛争についての印・パ両国首脳あて佐藤総理のメッセージ

一九六五年四月末からラン・オブ・カッチ国境地帯において、印・パ両国の国境警備隊の間で武力衝突が勃発したが、英国の仲介により平和的解決の方向へむかった。日本政府としては右事態を憂慮していたところ、平和裡に収拾されたことに対し、佐藤総理より五月二六日、シャーストリー・インド首相及びアユーブ・カーン・パキスタン大統領に対し、それぞれ次の通りのメッセージを発出した。

「私はラン・オブ・カッチ地城における今次武力衝突の成り行きを深い憂慮の念をもって見守って参りましたが、今や平和的話し合いの方向に抑制されつつあることを知り、極めて喜ばしく思っております。

私は閣下に対し、日本はあらゆる国際紛争の平和的解決を希求するアジアの一国として、政府及び国民ともども、閣下が今次問題の最終的平和的解決の促進のため、ステーツマンとして力強い影響力を行使され、かくして第二回AA会議の開催を間近に控えて今日特に望まれ、勧奨されるアジア諸国民間の連帯性と友好の増進に貢献するよう熱望している旨を閣下に申し伝えたく存じます。」

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8 第一回日印定期協議の開催

事務レベルによる第一回日印定期協議は、一九六六年三月三日及び四日の両日ニューデリーに於いて、日本側からは牛場外務審議官、板垣在インド大使、後宮審議官が、またインド側からはジャー外務次官、ティヤブジー在本邦インド大使、ナラヤナン東アジア局長が出席のもとに開催された。

この協議では、日印両国間の理解と協力を促進することを目的として、国際情勢に関する一般的な問題及び日印両国に関心のあるその他の諸問題につき意見交換が行なわれた。

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9 在マドラス日本総領事館開設

在マドラス日本総領事館は一九六六年二月七日正式に開設された。同総領事館の管轄区域にはマドラス、ヶララ、マィソール、アンドラの各州及びポンディチェリー中央直轄地域が含まれる。なお、一九六二年九月以来、マドラスに於いて名誉総領事の職に在ったA・M・M・アルナチャラム氏は、同総領事館の開設とともに解任された。

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10 在本邦ネパール大使館の開設

在本邦ネパール大使館は、一九六五年七月一四日付をもって東京に開設され、同年九月一五日バーラット・ラージ・バンダーリー大使が同国初代大使として着任した。

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11 フィリピン・バタンガス州タール火山爆発に対する見舞金の贈与

フィリピン・バタンガス州所在タール火山は、一九六五年九月二八日未明大爆発を起こし死者約五〇〇名、罹災者は数万に達した。

前記災害の報に接するや、天皇陛下及び佐藤総理よりはマカパガル大統領あて、また、福田外務大臣臨時代理からはカイコ外相代理あて、それぞれ見舞電を発出するとともに、政府は、比国政府に対し米貨五、〇〇〇ドルの見舞金を贈った。

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12 マレイシアの水害に対する見舞金贈与

一九六五年一二月マラヤ東部二州を襲った異常豪雨による水害に対し、政府としては、一二月九日佐藤総理よりラーマン首相に対し見舞電を発出すると共に、同月一六日マレイシア政府に対し、甲斐在マレイシア大使を通じて見舞金一万米ドルを贈った。

なお、一九六四年六月の新潟地震の際、偶々わが国に公式訪問中であったマレイシア国王および王妃両陛下は、政府に対し一万米ドルの見舞金を寄贈した経緯がある。

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13 東パキスタンの台風災害に対する見舞金贈与

一九六六年一月二〇日政府は、一九六五年一二月中旬東パキスタンを襲った台風による災害に対する見舞金として、一、八〇〇ポンド(約一八〇万円)を在ダッカ西川総領事を通じ東パキスタン州政府に贈った。

14 特派大使等の派遣

(1) フィリピン大統領就任式への特派大使派遣

フィリピンでは昨年一一月正副大統領選挙が行なわれ、大統領にはマルコス上院議長(ナショナリスタ党)が当選した。同大統領の就任式は一二月三〇日マニラ市、ルネダ公園で挙行きれたが、この式典に特派使節を送った国は三五カ国に及び、本国より直接使節を送った国は一三カ国に達した。

わが国からは、フィリピン政府の招請にもとづき、岸信介元総理及び朝海浩一郎外務省顧問の両氏が特派大使としてフィリピンに派遣された。岸特使は一二月二九日から翌年一月三日まで、朝海特使は一二月二九日から一月二日まで同国に滞在、前記就任式典に参列したほか、マルコス新大統領はじめ比側朝野の名士と交歓し、日比両国の友好親善関係の増進に寄与するところが少くなかった。

なお、フィリピン大統領就任式にわが国が特派大使を派遣したのは、今回が初めてである。

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(2) 川島、大野両特派大使のインドネシア、マレイシア、タイ派遣

政府は、インドネシア政府の招請にもとづき、第一回アジア・アフリカ会議一〇周年記念式典に参列のため、川島自民党副総裁を団長とする代表団(川島特派大使以下、大野特派大使、山口喜久一郎、池田正之輔、中曾根康弘、秋田大助、福田篤泰各衆議院議員、吉江勝保参議院議員および勝間田清一、佐々木良作各衆議院議員)を一九六五年四月一三日から同二〇日までインドネシアに派遣した。

川島、大野両特派大使は、インドネシア滞在中、記念式典および関係行撃に参列したほか、スカルノ大統領と会談し、また同記念式典に参列した中共の周恩来首相とも会談した。

同特使一行は、帰途マレイシア政府の招請をうけ、四月二〇日から二二日まで同国を訪問し、ラーマン首相と会談したが、さらに同月二二日から二四日までタイ国を訪問し、タノム首相、タナット外相と会見し、意見を交換した。

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(3) インドネシア独立二〇周年記念式典への特派大使派遣

政府は、インドネシア政府の招請により、第二〇回インドネシア共和国独立記念式典に参列のため、川島自民党副総裁を特派大使として浜野清吾、山村新次郎各衆議院議員、和田鶴一参議院議員とともに一九六五年八月一六日から同二四日までインドネシアに派遣した。

同特派大使は、インドネシア滞在中、独立記念式典に参列したほか、スカルノ大統領と会談し、また両国の経済協力プロジェクトの一つであるタンジョン・プリオク火力発電所の起工式にも参列した。

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(4) 第二回マレイシア成立記念式典等への特派大使派遣

マレイシア政府は、一九六五年八月三一日第二回マレイシア成立記念式典を挙行し、かねて同年八月三〇日クアラ・ランプール新国際空港開所式典を行うため、わが国をも含めて友好国代表の出席を招請した。

政府は木村武雄衆議院議員を特派大使に、白幡友敬外務省参与(前外務省移住局長)を随員に任命し、同国に派遣した。

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(5) 川島自民党副総裁のインド、ビルマ訪問

川島自民党副総裁は、インド、ビルマ両政府の招きにより、藤枝泉介、安藤覚、浜野清吾各衆議院議員とともに、一九六五年九月五日から八日までインドを、同月一〇日から一三日までビルマを夫々訪問し、インドに於いてはシャーストリー首相、スワラン/シン外相等と、またビルマに於いてはネ・ウィン革命委員会議長、ウ・ティ・ハン外相等とアジアをめぐる国際情勢ならびに日印、日緬両国当面の諸問題につき意見交換を行なった。

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(6) 川島特使のパキスタン派遣

川島自民党副総裁は、パキスタン政府の招待により、小坂善太郎、秋田大助、長谷川峻、今澄勇各衆議院議員、山内一郎参議院議員と共に、佐藤総理の特使として一九六六年二月一六日から三日間中近東諸国訪問の帰途パキスタンを訪問し、アユーブ大統領、ブットー外相と会談し、国際一般情勢及び経済技術協力等について意見を交換した。

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(7) 故シャーストリー首相の葬儀へ船田、大野両特派大使派遣

シャーストリー首相は、一九六六年一月一一日早朝、ソ連ウズベク共和国首都タシケントに於いて、心臓麻痺に襲われ急逝したところ、政府は右葬儀に参列せしめるため船田中(衆議院議員)、大野勝巳(外務省顧問)両氏を特派大使に任命した。両特使は日本政府代表として同月一二日から四日間ニューデリーを訪問し、右葬儀に参列するとともに、インド政府要人に弔意を表明した。

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(8) 横山大使の派遣

政府は、かねてからヴィエトナム紛争の早期平和的解決を強く念願して、紛争当事者に対して速やかに話し合いにより問題の解決を図るよう呼びかけて来たが、このような和平への努力の一環として、横山正幸氏を外務省顧問に任ずるとともに大使の名称を与え、和平への緒口を探索するため、広く関係諸国へ派遣することとした。横山大使は、二月一八日本邦を出発し、三月三一日までにフランス、ベルギー、英国、スイス、ポーランド、チェッコ、ユーゴー、ルーマニヤ、イタリアを訪問したが、更にアラブ連合、アルジェリアを経てヴィエトナム周辺諸国を訪問の後、五月中旬帰国の予定である。

15 要人の来日

(1) 沈昌煥中華民国外交部長夫妻

(イ) 沈昌煥中華民国外交部長夫妻は、一九六四年七月の大平外務大臣の訪台への答礼として、八月一二日政府の公賓としてわが国を訪れた。本邦訪問中。同外交部長は、佐藤総理、椎名外相、福田蔵相、三木通産相、藤山国務相等関係閣僚のほか、吉田元総理らと会談し、更に政財界の要路とも話し合った後、関西を視察し八月一九日帰台した。同部長の訪日により、日華関係はより一層改善され、相互理解を深めたものと考えられる。

(ロ) 沈昌煥外交部長と佐藤総理との会談においては、ヴィエトナム戦争をめぐるアジア情勢、日華関係の一層の緊密化について隔意のない交換が行われ、更に椎名大臣との会談では、両国間の相互理解を深め、友好関係の一層の促進をはかることについて意見一致を見、両外相間で、かかる趣旨の共同声明が発表された。

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(2) フィリピン共和国のマカパガル前大統領

マカパガル前フィリピン大統領は、夫人及び副官(一名)を滞同、世界各国歴訪の一環として韓国訪問の途次、一九六六年三月二五日から同二六日の間、及び同二九日より三〇日の間、両度本邦に立寄った。

同大統領は、二九日岸元総理主催の夕食会で、同元総理及び佐藤総理等と懇談した。

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(3) インドネシア共和国のスバンドリオ第一副首相

スバンドリオ・インドネシア第一副首相兼外相は、外務省賓客として、スジャルオ林業大臣、ハムザ・アトモハンドヨ漁業大臣、スリ・ムルヨノ・ヘルランバン空軍少将(大統領補佐、国務大臣)等随員を帯同し、一九六五年五月一九日来日、同二五日まで滞在した。

同副首相は、滞在中、佐藤総理、椎名外務大臣、川島自民党副総裁とマレイシア紛争、第二回アジア・アフリカ会議等について会談した。

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(4) ヴィエトナム共和国

(イ) ファン・フイ・クワット前ヴィエトナム共和国首相は、一九六五年九月一九日来日し、一週間本邦に滞在、その間佐藤総理及び椎名外相と会談した。

(ロ) タム・チャウ ヴィエトナム統一仏教会々長は、一九六五年一一月一一日より同月一八日迄本邦を訪れ、佐藤総理、椎名外相、及びわが国仏教界指導者と会談した。

(ハ) ブイ・ディエム ヴィエトナム共和国外務長官は、一九六六年三月五日来日し、同月一二日迄本邦に滞在、その間佐藤総理、椎名外相、三木通産相と会談した。

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(5) ラオス王国

(イ) ラオス王国ヴォン・サヴァン皇太子殿下御夫妻

ラオス王国ヴォン・サヴァン皇太子殿下御夫妻は四月一二日来日され、同月二〇日まで公賓として滞在された。同殿下御夫妻は、滞日中、宮中午餐に招かれ天皇、皇后両陛下ならびに皇太子殿下御夫妻と親しく交歓されたほか、わが国産業施設の視察および関西遊覧を行われた。

(ロ) コンレー将軍

ラオス王国中立派軍司令官コンレー将軍は、欧米訪問後の帰国の途次、一〇月二八日から一一月五日まで外務省賓客として滞在した。同将軍は、滞日中、主としてわが国産業施設を視察した。

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(6) タイ国防大学研修団一行

タイ国陸・海・空軍および各省局長クラス文官よりなる研修団(団長同国国防大学副校長チョート陸軍少将)一行二七名は、五月一八日から二九日(二一日から二四日まで韓国訪問)本邦を訪問し、外務大臣、通産大臣及び防衛庁長官を表敬訪問すると共に、三菱重工業、キャノン、日産自動車の各工場をも見学した。

なお、タイ国国防大学研修団の訪日は今度で三回目である。

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(7) マレイシア

(イ) サルドン・マレイシア運輸大臣

サルドン・マレイシア運輸大臣夫妻は、一九六五年四月六日から同月一四日まで外務省賓客として来日した。

同大臣は、滞日中、松浦運輸大臣等関係政府要人と会談すると共に、各種工場を視察した。

(ロ) ラーマン・マレイシア首相

ラーマン・マレイシア首相は、一九六五年五月、韓国に対する公式訪問後来日し、同月一日から五日までアジア蹴球協会関係の行事に参加の後、六日から一〇日まで日本政府の賓客として滞在し、その間、佐藤総理及び椎名外務大臣とマレイシア紛争及び日・マ間の諸問題について会談を行った。

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(8) ディネシ・シン・インド外務副大臣

ディネシ・シン・インド外務副大臣は、インド政府の特使として一九六五年五月二九日から六日間わが国を訪問し、第二回AA会議に関連して川島自民党副総裁(第二回AA会議日本首席代表)はじめ日本政府当局者と会談した。

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(9) セイロン国会議長の訪日

(イ) セナナ-ヤケ前商工大臣

セナナ-ヤケ前商工大臣ほか国会議員二名は、一九六五年一〇月四日、カナダ(オッタワ)で行われた列国議会同盟会議の帰途、日本に立寄り、外務政務次官及び外務省アジア局長と懇談した。

(ロ) ジャヤスリヤ・セイロン文部副大臣

ジャヤスリヤ・セイロン文部副大臣は、一九六六年三月一三日セイロン仏舎利寄贈団に随行して来日したが、右関係行事終了後、同月二〇日から二八日まで外務省の招客として滞在し、各種教育、報道機関を視察した。

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