原子力の平和利用及び南極に関する国際協力

 

1 日仏原子力平和利用に関する書簡交換

政府は、フランス政府との間に原子力平和利用の分野における日仏両国間の協力関係の設定のため交渉していたが、椎名外務大臣訪仏の機会に一九六五年七月二三日パリにおいて萩原徹駐仏大使とリユセ・フランス外務省政務局長との間でこれに関する書簡を交換した。書簡の内容は、原子力平和利用に関する研究の分野で日仏両国が科学技術上の情報および専門家の交換、研究者および技術者の養成等に関する協力を進めることを取極めたものであるが、その実施に当ってはその都度関係者間で条件を定めることになっている。従来から日仏両国の原子力関係者間で原子力平和利用に関する会議の開催や使節団の派遣等による接触が行なわれていたが、この書簡の交換によってこの分野における日仏協力の推進が期待される。

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2 日米研究用特殊核物質売買協定の署名

政府は、米国原子力委員会と研究用特殊核物質の売買に関する協定の締結のため交渉していたが、一九六五年八月三〇日ワシントンにおいて同協定に署名した。この協定は、一九五八年に署名された日米原子力協定に基づき締結されたもので、日本政府が日本原子力研究所はじめ各大学および民間会社の原子力施設における研究目的のため、米国の原子力委員会から濃縮ウランなどの特殊核物質を購入するのに共通な基本条件を定めた協定である。これによって、今後研究用特殊核物質の購入についてその都度協定を結ぶ必要がなくなり、簡単な契約書で入手できることとなったので、わが国における原子力平和利用の研究を促進することに役立つものと考えられる。

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3 国際原子力機関第九回総会

国際原子力機関(IAEA)は、わが国の招請により、第九回総会を一九六五年九月に東京において開催した。これまで同機関の本部所在地であるウイーンにおいて開かれてきた総会が始めてアジアにおいて開催されたことはIAEA史上画期的な出来ごとであり、これはわが国が機関創設以来続けて来た同機関に対する積極的協力および原子力平和利用を支持する熱意と努力が極めて高く評価されたことを示すものと考えられる。同総会には加盟国中七一カ国の代表および関係国際機関等のオブザーヴァー合計三四七名が出席し、わが国は朝海外務省顧問を首席代表とし法眼駐オーストリア大使ほか国会議員、原子力委員等をもって構成する二八名の代表団を任命した。

会議は、九月二一日正午東京プリンス・ホテルにおいて前議長エシャオジエ駐オーストリア・オランダ大使により開会され、佐藤総理の歓迎の挨拶の後日本の朝海代表を満場一致をもって議長に選出した。同議長の司会の下、会議は、新保障措置規則の採択、一九六六年度予算の採択、新加盟申請の承認、理事国選挙、新事務局長の選出等の議事を円滑に進めて予定どおり九月二八日閉幕した。

今次総会は、前総会の後一九六四年一〇月に行なわれた中共の第一回核実験及びそれに続く一九六五年五月の第二回実験によって核拡散防止の必要が緊急の課題として各国によって認識され、そのための具体的な措置に関する真剣な討論が国連および一八カ国軍縮委員会において行なわれつつある時期に開催され、同総会に提出された新保障措置規則(核物質等の軍事転用防止のための現地査察を含む措置の適用手続に関する新規則)の審議を中心に原子力平和利用の確保のためのIAEAの活動を強化する必要が各国によって認められた。前総会においては、その直前にジュネーヴで開かれた第三回国連原子力平和利用国際会議で明らかにされた原子力発電の経済性達成を背景として原子力平和利用促進の面におけるIAEAの役割に対する期待が表明されたが、今次総会では、この平和利用の推進によって生ずる核物資等の軍事転用の潜在的可能性の増大を防止する面においてIAEAの任務が更めて認識されることとなった。

今次総会における新保障措置規則の承認は、同総会の重要な成果の一つであったが、これにより出力一〇〇メガワット以上の原子炉に対する保障措置手続が設定され、IAEAは核物質等の平和利用の確保のために一層大きな責任を負うことが可能となった。新規則に関する審議に当っては、低開発諸国及び共産圏諸国から種々異論が唱えられたが、結局、これらの諸国も新規則が旧規則より進歩したものであることを認めたので、本会議においては新規則は満場一致をもって承認された。

本会議における一般演説において、ソ連等は核兵器禁止等に関する決議を提案したが、西欧諸国はIAEAはこのような政治的問題を討議すべき適当な場ではないとしてこれに反対し、この間インド等九カ国がアジア・アフリカ諸国を代表して全参加国が軍縮に明らかに賛成であるが、その問題に対する各国のアプローチの仕方が違っているのでソ連等の決議案の審議を延期するようアピールしたので、結局同決議案は投票に付されずに終った。

一九六六年度予算(総額一一、二二二、〇〇〇ドル)については、ソ連等は同予算が前年度に比し一〇%強の増加となっていることに難色を示したが、主として低開発諸国は技術援助の拡大の見地からこの程度の増加は然るべしと述べ、理事会の勧告した予算案はそのまま承認された。

わが国は、法眼代表代理が、一般演説において、国際原子力機関の保障措置に対するわが国の協力の実績に触れたのち、このような協力は偏えにわが国の同機関への信頼を示すものであると同時に、国際原子力機関による保障措置の整備強化が機関憲章第三条にいう「保障を伴う軍縮」の実現、すなわち「有効な国際管理を伴う軍縮」につながるものであり、加盟国全員の協力によってこれが可能であることを実証せんとするわが国の政府及び国民の切なる希望に基づくものであることを述べ、保障措置の実効性確保のために全加盟国がその普遍的適用にすすんで協力することを強く訴えた。さらに、同代表代理は、わが国の隣邦である或る一国が最近行なった核実験により、核拡散防止の問題が緊急の課題となって来たことを指摘し、国際原子力機関がその本来の任務の枠内でなしうる措置として、すべての核物質の移転の通報または登録および再処理施設に対する保障措置適用のための具体的手続の設定の二つの措置につき各国代表が真剣な検討を行なうことを要請した。また、同代表代理は、国際原子力機関が低開発諸国を対象とした地域的活動を強化することを要請し、わが国としてもこのような地域的活動に協力を惜しむものではないことを表明した。

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4 日本原子力研究所と英国原子力公社との間の高速炉に関する協力のための協定の締結に関する書簡交換

政府は、日本原子力研究所と英国原子力公社との間の高速炉に関する情報の交換及び協力について、日英原子力協定第一条(2)に規定する合意を英国政府との間に行なうこととし、同政府と交渉を行なっていたが意見の一致をみたので、一九六五年一二月一四日東京においてこのための書簡を交換した。

高速炉に関する日英協力は、わが国の原子力平和利用の研究開発の発展に資するところ大であり、右交換書簡は、原研・公社間のこのような協力関係の設定が、日英原子力協定に基づく協力の一態様であるとみなす旨の合意を内容としている。

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5 南極における国際協力の再開

一九六五年一〇月一五日南極観測の再開に関する閣議決定が行なわれ、一一月二〇日観測船「ふじ」(防衛庁砕氷艦)は第七次観測隊員をのせて東京港から南極に赴いた。わが国の南極観測は、一九六一年の第六次観測隊の派遣を最後として中断されていたが、四年振りで南極における日本の国際協力が再開されたわけである。

現在、各国の南極観測を規制するものは南極条約である。同条約は、米国により提唱されて日、米、英、仏、ソ、豪、アルゼンティン等一二カ国によって一九五九年に締結され、後に三カ国が加盟して、現締約国は一五カ国となっている。条約の内容は、南極という広大な地域において、領土権をめぐり相対立する各国の法的立場をひとまず凍結し、同地域の軍事的利用を禁止する一方、人類共通の利益のための科学的調査の自由とそのための国際協力を規定したものである。

わが国は、一九五六年、国際地球観測年計画の一環として第一次南極観測隊をのせた「宗谷」を派遣して以来、毎年観測隊を南極に送って昭和基地を保持し、南極地域の科学的調査に積極的に貢献した。その結果、各国から実績を高く評価されて南極条約締結のための会議にも参加するに至ったものであるが、この会議の交渉にあたっては、わが国は、南極に対する領土的主張を持たない国として常に公正な立場から局面の打開に努力し、会議の取纒めに有力な役割を演じた。しかるに、一九六一年南極条約署名一二カ国の批准が済んで、条約が発効すると間もなく、「宗谷」の老朽化などの国内的理由で観測を一時中断するの止むなきに至ったのである。

なお、南極観測における国際協力を促進するため、一九六五-六六年度中、米、豪及びチリの観測隊にわが国から科学者その他の代表を参加せしめたが、わが方の今次観測隊にも米国から全米科学財団南極計画局員一名が加わった。

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