第二〇回国際連合総会
一九六五年は、国際連合創立二〇周年に当るので国連第一八回総会決議により国際協力年と定められ、国際連合憲章署名の地であるサンフランシスコをはじめ世界各地でこれを記念して各種の行事が行なわれた。
しかし、一九六五年は、同時に、国際連合にとって創設以来最大の危機の年でもあった。第一九回総会は、国際連合の中和維持活動経費に関する憲章第一九条適用問題が解決しないため(わが外交の近況第九号参照)、事実上流会となり、第二○回総会会期は一九六三年九月二一日から同一二月二一日までの直前まで総会正常化の見通しもつかない状態となった。この間インドネシアの国際連合脱退(六五年一月)があり、また、中共は、インドネシア脱退直後のスバンドリォ外相の北京訪問に際して、国連の改組またはこれに代る機構の設立を示唆し、国連の危機はいよいよ深まった感があった。
第二〇回総会は、国際連合がこのような危機を克服して、正常な手続にしたがって事業を遂行し、再び国連の権威を確立した点で大きな意義のある総会であったと言えよう。
国際連合の平和維持活動とその経費の問題を討議するために第一九回総会で設けられた平和維持活動特別委員会は、六五年三月から八月の間に一入回の会議を行なった。会議においては依然として西欧、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの大多数は、安全保障理事会がその任務を充分に果し得ない場合、総会は、憲章によって与えられている権限に基づいて平和維持活動について勧告を行ない得ること、平和維持活動の経費については総会が割当の権限を持つことを主張し、これに反対の東欧諸国及びフランスと対立したまま、両者の立場の間に何等の歩み寄りがみられなかった。しかし、その間、国連加盟国、殊にAAグループ諸国の中で国連総会が正常に再開されることを望む声が強くなり、結局、問題を棚上げの形とすることになった。国連の平和維持機能の問題は、世界平和維持機構たる国際連合の基本的問題であり、容易な解決はもとより望み得べくもなく、未解決のまま残されたが、この審議の過程にみられた各国の態度は、国際連合がこのような不安定な状態にあったにもかかわらず、世界平和の望みを託し得る唯一の機構としての国際連合に対する信頼が依然失われていないことを示すものであった。
また、第一八回総会決議に基づく安全保障理事会及び経済社会理事会の議席増加のための憲章改正も、ソ、仏を含む五大国をはじめとする必要多数国の批准を得て八角三一日に発効し、これまたソ、仏といえども国連の存続に充分な関心を有していることが示された。更に、第二AA会議の流会、国連総会の正常化に伴い、いわゆる「第二国連」を支持する国が全く無いことが明らかとなって、中共もその後は国連改組を主張するに止まるようになり、また第二○回総会後のインドネシアの政変の結果、国際連合に対抗する機構を作ろうとする試みは実際上もはや存在しなくなったと言えよう。
かくして二年ぶりで正常に開会された総会である国連第二〇回総会は、二年間の懸案が山積し、他方、益々激化するヴィエトナム戦争を背景として、また開会当初には印パ武力衝突、会期の真最中に南ローデシアの一方的独立という重大な国際的な事件が勃発したため、極めて波乱に富み、かつ、内容の充実した総会であった。
わが国にとって直接に関係のあった重要問題は安全保障理事会理事国の選挙であった。わが国は、他国にさきがけて早くも昨年六月に総会の正常化と安全保障理事会の議席拡大のための憲章改正の発効を見越して立候補の意思を明かにし、一〇月には国連内アジア・グループをしてわが国がアジアの統一候補であることを確認せしめた。前回の安全保障理事会選挙においては、わが国は、主として自由陣営諸国の支持の下に東欧側の候補者と議席を争ったのであるが、これに対して今回は終始アジア諸国の結束した支持を背景として幾多の困難を克服して成功を収めたものであり、この点特筆すべきものがある。しかし他方、南アフリカ共和国に対する貿易ボイコットを要請する第一七回総会決議をわが国が実施していないことに不満を持つ一部アフリカ諸国は、選挙工作全期間を通じてわが国の当選を執拗に妨害し、また国連総会一般討論、アパルトヘイト問題討議などの公開の席上においてわが国を激しく非難し、そのために本選挙においてわが国が甚しく苦戦したこともまた注目すべき事実であった。
この事実は、わが国の国際的地位が向上するにつれて、国際的責任が増大し、その結果種々の国際問題についてわが国がいかなる立場を取るかが困難な問題となる場合のあることを如実に示したものであり、椎名外務大臣は、理事会当選直後の閣議報告において、近年わが国の経済力の充実に伴いわが国がその国力に相応した責任を国際政治の分野で果すことを要望する声が内外に高まっている折から、わが国としてもこの期待に背かない努力を払っていきたいといら趣旨を述べ、更に、貿易上の犠牲を払ってもわが国がはっきりした態度をとらざるを得ない場合のあることを覚悟すべきことを指摘した。
中国代表権問題は、二年ぶりの表決であり、その間フランスの中共承認もあったので票の帰趨には大きな関心が持たれていた。他方、総会における本問題の審議に先立って、陳毅外相は、現在の国連のあり方を非難し、現在のままの国連に入らなくてもよい旨述べ、加盟支持の諸国を失望させた。わが国は、本問題のようにひいては世界の平和にも影響を及ぼす重大問題については、引続き慎重な態度をもって臨むべきであると考え、重要事項指定方式は万人の納得しうる解決を確保するために適切であると信ずるという態度を明かにし、わが国の立場を貫くために積極的に努力した。結果は、重要事項指定決議が七票差で採択され、他方中共に代表権を賦与し国府を追放する趣旨の実質決議案は賛否同数で採択されなかったが、棄権二〇及び欠席三があり、反対四七と併せて、七〇カ国が、この実質決議案の趣旨に何らかの疑義を抱いていたことを示すものとして注目された。
軍縮問題については、六五年四月には五年ぶりに国連軍縮委員会が開催され、またジュネーヴにおける一八カ国軍縮委員会の討議を通じて、核兵器拡散防止、全面的核実験禁止、世界軍縮会議等の諸問題について種々具体的な提案が行なわれたことを背景として、総会においても活発な討議が行なわれた。
わが国については、核兵器拡散防止問題がつつこんで審議されるにつれて、わが国も潜在的核開発能力を有する非核保有国の一つとして、核軍縮問題がわが国にとって有する重要性が内外において改めて注目されるようになった。また、本総会において全面的核実験禁止問題に関連して、わが代表はわが国の地震探知技術を全面的核実験禁止問題の進展に役立てるため、スウェーデンの提案したいわゆる「核探知クラブ」に協力する用意のあることを表明した。かくの如く、軍縮問題に関するわが国の立場が国際的にも注目されてきた現状にかんがみ、政府部内において軍縮問題を担当する専門の機構として、国連局内に軍縮室が設置されることととなったことは意義深いものがある。
なお、第二〇回総会においては、国連創設以来はじめてローマ法王が国連を訪問し、平和への呼びかけを行なった。