低開発国援助問題
経済開発に着手したばかりの低開発国の経済水準と先進国の経済水準との間の格差は縮小するどころか、むしろ拡大の傾向が見うけられる。これを先進国と低開発国の一人当りGNPの増加率でみると、一九五三年-六三年の年平均はOECD加盟先進国二・六%、低開発国二・四%と大差がなかったが、六四年には同先進国三・八%、低開発国二・五%と差が拡大している。
また低開発国は対外債務の増大に悩んでおり、主要低開発国三七カ国についてみると、その債務累積の状態は六二年末の一八○億ドルから六四年末には二五〇ドル(推定)にまで増加し、このうち特に債務状況の悪い(総債務額中、近く返済期の到来するものの比率の高いこと)大口債務国であるブラジル、アルゼンティン、チリについてはこれら各国と諸債権国との間で六四年から六五年にかけ債権繰延べが取極められた。このような情勢を背景として、六五年には低開発国援助問題については、前年に引続き国際的な場で活発な論議が行なわれたが、六五年中における大きな発展としてDACにおける国民所得の一%援助目標の確認と援助条件緩和努力の勧告があげられる。
六五年七月、援助問題担当の閣僚の出席を得て行なわれたDAC上級会議では、DAC加盟国は六四年の国連貿易開発会議でなされた国民所得の一%を低開発国援助にふりむけるとの決議に沿い、この目標を達成し、さらにこれを超えるよう努力すること、および低開発国に対して自助努力との結び付きを確保するよう努力することを骨子とする援助努力勧告と、政府ベースの援助についてその約八○%を贈与もしくは返済期間二五年、利率三%を基準とする緩和された条件の借款とするよう努力し、右目標を三年以内に達成すべき旨の援助条件緩和勧告とが採択された。ただし援助条件緩和の目標は国の経済余力が比較的に小さく、また国内金利水準の高い一部先進国(日本、イタリアなど)にとってはその達成は極めて困難な課題であるので、現行の援助条件が目標と著しくかけ離れている国は、その目標達成に勧告にいう三年以内でなく、さらに長い期間を要しても差支えないこととされている。
また、援助を供与している諸先進国と援助を受けている低開発国との間で当該低開発国の開発計画の検討、援助の調整などについて話し合う場として、世銀その他の国際機関の主催により会合が行なわれ、あるいは協議体が組織されている。これらのうち開発計画の検討と資金の供与とがほぼ結び付いており、資金供与の内約束までを行なうものとしては、インドおよびパキスタンに対する世銀コンソーシアムならびにギリシャおよびトルコに対するOECDコンソーシアムがある。また開発計画の検討、援助の調整などについての協議にとどまる主要なものとしては、世銀が中心となって組織しているナイジェリア、スーダン、コロンビア、テュニジア、タイ、マレイシアに対する協議グループがある。さらに六五年中には、セイロンについても世銀主催で同国援助のための会合が行なわれ、また韓国についても世銀協議グループ結成の準備が進められた。
わが国の六五年の開発援助をみると、従来よりもかなり積極的な動きが認められる。すなわちわが国の低開発国援助額は、贈与および一年をこえる信用供与で、六一年の三八一百万ドルをピークとして毎年減少の途をたどり、六四年には二九一百万ドルにまで低下したが、六五年には援助総額四八六百万ドル(ただし贈与および五年を超える信用供与をとれば四一四百万ドル)とかなりの増加をみせ、ことに政府べースの貸付けが増大している。援助条件の面でも六五年には、一二月一八日発効した「財産および請求権に関する問題の解決ならびに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」に基づく韓国に対する経済協力の一環として総額二億ドルの借款が長期低利(返済期間二〇年のうち据置期間七年、利率三・五%)で供与されることとなり、また六五年より五年間に供与することを約束した中華民国に対する総額一億五千万ドルの借款の約三分の一を返済期間二〇年(うち据置期間五年)、利率三・五%の条件で供与するなど、従来に比し格段に緩和されたものがある。六五年のアジアに対する援助は、政府べース援助中約八○%、民間べース援助中約五〇%をそれぞれ占め、わが国の援助は引続き主としてアジア特に近隣アジア諸国に向けられているが、これはわが国の地理的位置、わが国とこれら諸国との結び付きなどからみて当然といえよう。
六五年度中にアジア諸国に対して行なった援助活動としては上記の韓国に対する経済協力(無償協力三億ドルおよび借款二億ドルの供与)の約束および中華民国に対する借款供与の約束のほかメコン委員会により推進されてきたナム・グム・ダム建設計画のためのひも付きでない無償(アンタイド・グラント)資金の拠出表明、ラオス為替操作基金への参加、アジア開発銀行への出資決定などがあげられる。
低開発国に欠けているものは資金のみではなく、技術、知識およびこれらを有する人材の育成などであり、一部の地域ではその欠如が資金の欠如にもまして経済開発の障害となっていることが指摘されている。わが国の六五年度技術協力(二国間ベース)は六四年度に比し総額では予算額で一・五百万ドル増加し、七・五百万ドルとなり、海外青年協力隊の派遣など新しい分野を開いている。
わが国の援助は前記のとおりアジアを中心に行なわれてきているが、わが国が援助を通じアジア諸国の経済開発と民生安定に効果的に貢献するには、経済開発に責任ある担当者間で互いに充分意見を交換する必要がある。ことに東南アジア諸国は、わが国と地理的、歴史的、文化的に密接な関係にあり、政治的、経済的にも深いつながりをもっている上に、経済開発はこれら諸国の直面する最重要問題の一つとなっている。そこでわが国はこれら諸国の経済開発の担当閣僚が一堂に会し、率直で腹蔵のない意見の交換を行ない、もってこれらの諸国の経済開発とそのための域内諸国間の協力の気運を促進するための機会として、東南アジア開発閣僚会議を開催することを提唱し、東南アジア諸国に対し、同会議への参加を招請した。
会議は、六六年四月六、七の両日、東京で開催され、ラオス、マレイシア、フィリピン、タイ、シンガポール、ヴィエトナムおよび日本の七カ国の代表が参加し、カンボディアおよびインドネシアの二国からオヴザーバーが出席した。会議においては、打ちとけた雰囲気の中で、農林・水産、工業化、運輸・通信、医療・教育・訓練、先進国および国際機関の経済技術援助など広く経済開発の各分野にわたり活発な論議が行なわれた。
採択された共同コミュニケから会議におげる決定ないし提案をあげれば次のとおりである。
(イ)経済開発において農業が果すべき役割が重要であることにかんがみ、食糧供給の確保および農業開発問題の検討をさらに進めるため、しかるべき時期に農業開発会議を開催することを検討することとなった。(ロ)海洋漁業研究開発センター設立が提案された。(ハ)東南アジア経済促進開発センター設立が提案された。なおこれについての詳細な案が会議参加諸国の検討のために追って提示される。(ニ)東南アジア大学の設立が提案された。(ホ)次回会議を六七年マニラで開催することが合意された。以上述べたように、この会議の具体的成果についてはなお今後の発展にまつところが多いが、東南アジア諸国の経済開発の促進と域内諸国間の連帯および協力の強化に向っての貴重な第一歩をしるしたものと考えられる。