六 海外移住の現状と邦人の海外渡航

海外移住施策の概要

海外移住審議会は、半年余の審議の末、昭和三十七年の暮に至って、わが国の海外移住の新たな理念と施策についてはっきりした方向を打ち出してこれを内閣総理大臣に答申した(既述)。この答申内容は抜本的かつ総合的なものであり、それだけに、その内容を制度化することは中々の大仕事であり、従って相当の年月を要することは、かねて予想されたところである。中でも、重要な基礎作業の一つである実務体制の整備については、それが中央だけでなくて、地方機構と海外機構にわたるものであっただけに、その整備作業は昭和三十九年度における主要課題として引き継がれた。

従って、この年は、大まかに言えば、前年度に引き続き組織作りの年であったと言えよう。

しかしながら、その間にあって、やはり審議会答申の一つの大きな柱である移住の国際化というヴィジョンについてその具体化の端緒をとらえ得たこと、移住者輸送船に関する従前の方式を改め、全く新しい考え方と制度が打ち出されたことは特記に値する。

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1 実務体制の整備

判断し、決心し、渡航し、かの地での生活基盤を確立するのは移住者自身に外ならないけれども、判断の素材となるインフォーメーションを与え、移転渡航を容易にし、語学その他の面で能力を補完しながら現地での基盤確立を助けることは、国として考えなければならない重要事項である。そういう仕事をするために、しかもそれが地方、中央、海外バラバラの形でなく、内外一貫した責任体制の下に行われるようにするために発足したのが海外移住事業団であって、実務体制整備の中心は同事業団の組織作りに外ならない。

昭和三十八年度において海外移住事業団法の制定、本部の発足、海外支部の活動開始を見た同事業団は、三十九年度に入って、全国都道府県に地方事務所を設置し(七月)、外務省から移譲された横浜、神戸の移住あっせん所を、事業団海外移住センターとして傘下に収め(十月一日)、これをもって、地方、中央、海外を一貫する事業団の組織作りは一まず完了した。国内における地方組織から、アマゾン奥地やアルゼンティンのアンデス山麓に至る組織網は、他に類例を見ない広大かつ異質の地域に展開し、その業務内容においても、特に海外では雇用、経営、金融はもとより、文教、医療、交通、時に治安に至るまでの、稀に見る多様な機能を包含しており、このことは海外移住の道のりの遙けさと、移住者を迎える試練の多様性を反映するものと言えよう。従って、海外移住事業団の機構が、真に血の通ったものに成熟するまでには、なお事業団自体幾多の試練を克服して行かねばならず、また、これを助長するという面で、政府の責任も当分軽減されないものと思われる。

なお一般の活用に資するため、事業団の機構図を別表第1、2に掲げておく。

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2 国際化への動き

海外移住が人の国境を越えての移動であり、移住者は外国で根を下してその生活基盤を築いて行くわけであるから、海外移住そのものが本質的に最も国際性に富んだものであることは言うをまたない。

それにも拘らず、海外移住の国際化ということが特に強調されるのは、移住の持つ国際協力的意義に着目し、もともとは移住問題と別個に出発した後進地域の開発援助計画とリンクさせて、より高い次元と、より総合的な立脚点から移住を考えるべきではないかという着想に由来するものである。これをラ・米地域についてみるならば、同地域における後進性脱却の方途として、故ケネディ大統領の提唱によって始められ、莫大な国際資金を背景として動き始めている「進歩のための同盟」のような計画と、マンパワーの面で同じ地域の開発を指向している移住との結びつきを図ろうということである。この二つのことの連結は、確かにそう簡単なことではないのであるが、たとえばパナマ運河が幾多の水門装置によって太平洋と大西洋をつないでいるように、その間に幾段階かの技術的操作を工夫することによって、目的を達成する可能性は充分あると判断されるのである。

しかも、このような構想が、わが国にとっては、欧州諸国の場合には見られない、全く別の意味を持つことに注目しなければならない。それは、久しくわが国からの移住の特色の一つであり、同時に欠陥の一つでもあった単独方式を修正することになるであろうということである。戦後になっても、日本人移住の流れは、世界における移住の潮流から隔絶していた。欧州では、単独の一国で海外移住政策を遂行している国はない。欧州共同で、しかも世界における殆んどの海外受入国とも共同で、米国の強力な資金的バック・アップの下に移住問題を処理しているのである。そういう欧州の姿と比較すると、孤立して移住政策を遂行することから生ずる、利便と安全性の欠如が、今さらのように痛感されるのであって、わが国移住体制の国際化は、かかる利便と安全性を増進する上からも、大きい意味を有するものと思われるのである。

以上のような見地から、昭和三十九年度中に、次に述べるような二つの具体化の端緒をとらえ得たことは意義深いものといわなければならない。

(1) ヴィエドマ計画への参加問題

ヴィエドマ計画とは、アルゼンティンのリオ・ネグロ州が、同州リオ・ネグロ河下流渓谷を対象に実行しようとしている開発計画であって、国際食糧農業機構(FAO-国連専門機関の一つ)の技術援助を受け、全米開発銀行(IDB-前記進歩のための同盟の基金管理を託されている国際金融機関)から既に第一期分として五五〇万ドル(約二〇億円)の融資を得、州法によって設立された「リオ・ネグロ河下流渓谷開発公団」(IVEVI)を管理主体として工事に着手しているものである。総面積約八万ヘクタール、わが国最大の開拓計画といわれる八郎潟干拓地の約五倍に当るヴィエドマ入植地には、アルゼンティン人はもとより、欧州諸国及び日本移住者の参加が期待されており、わが国も同移住地への入植参加を申入れたが、これが実現すれば、参加する人種の多様性という面でも、計画全体の国際性という面でも、移住国際化の最初のケースが実現することとなるであろう。

(2) 欧州移住政府間委員会との業務提携

欧州における海外移住業務の共同運営に当っているこの政府間委員会(ICEM)には、わが国からも毎回理事会にオブザーバーを派遣しているが、具体的な業務については、今までのところ何等結びつきがなかった。しかるに、昭和四十年二月、ハーフマン事務局長の本邦来訪を契機として、ブラジルにおけるICEM-ブラジル政府共同の職業訓練施設を、わが国移住者にも利用させる問題と、ラ・米諸国に対する経済、技術協力を補完する長期べース基幹技術要員の充足問題について協同体制をとる問題が具体的に取り上げられるに至った。もとより、まだ検討段階の域を出てないし、事柄自体も全く部分的なものに過ぎないけれども、このようなことの積み上げによって、従来国際的に孤立していたわが国の移住が、世界における移住の主流をなしている欧州の移住と、より広範囲の、協調体制を築き上げることは、極めて重要なことであって、今回のハーフマン訪日はその方向への契機を作ったものとして、その意義を軽視できない。

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3 移住者輸送の新方式

船席確保に対応する空席補償、認可運賃据置に伴う損失補てん、その他複雑な技術的問題を内包した輸送問題は、幾多の曲折を経て、次のような新方式で一応の解決に到達した。

新方式の考え方の基本は、移住者が一般船客として乗船するということであって、移住者輸送船とか、移住者船席とかいう、特殊扱いをやめるということである。従来の商船三井(株)の移住者輸送船五隻のうち三隻は、移住者数の減少に伴って貨物船に改装されることになったが、引き統いて移住者の輸送に当る二隻は、いま述べたような考え方に基いて純客船式に改装され、施設と船中待遇は前記海外移住審議会答申の示す「移住者像」にふさわしいものに改善されることになったのである。

また、この改装に伴って運賃の認可制は事実上撤廃され、新運賃と旧認可運賃との差額は、移住者に対する援助の意味で政府がこれを支弁することになったのである。ただ、この制度の適用はまだ日本船、しかも上記二隻の場合に限られており、その他の船舶については問題を今後に持ち越すこととなった。

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4 年間移住実績

昭和三十九年度における、海外移住事業団取扱移住者(政府資金による渡航費の貸付けを受けたものに限る)※註一の数は、前年度より四二一名を減じ、総数一、一〇五名にとどまった。これは戦後移住再開以来の最低であるが、その移住先は次表の通りである。

従って、少くとも昭和三十九年度においては、従来と同じように、事業団取扱による移住者、即ち政府資金による渡航費の貸付を受けた移住者の数が、身分関係に基かないで、新たに独自の生計を立てる目的で移住した者の数に該当するものと考えて差支えないであろう。

業種別、国別、渡航費貸付移住者送出数

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5 派米農業労務者と派独炭鉱労務者

永住ではないが、海外に渡航し、三年間外国での就労を行う制度として表記の二つのプログラムがあり、本邦青年の視野を広め、国民の世界性を高める上に大きい役割を果してきたが、派米事業については、目下米国内農業労働問題に関連して、昨年末以来その継続問題が難行しており、派独事業については、ドイツ側の強い継続要請にも拘らず、わが国炭鉱業界における労働力不足のためその継続を断念するのやむなきに至った。

政府としては、派独プログラム終えんの結果、裸一貫の青年に海外の職場体験と生活体験を与える唯一のプログラムとなった派米プログラム(昭和四十年三月末現在で滞米者一〇四〇名)。の継続について鋭意米国政府と折衝中である。

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註一

昭和三十九年度において、永住目的で外国に渡航した者の総数は約六、五〇〇名と推定される。(但し、三月分統計未完成)。その中で従前に引き続いて首位を占めているのは、国際結婚により割当外移住者として米国に渡航する者であって、事業団取扱による移住者は、再永住目的渡航者に次いで第三位を占めているに過ぎない。(他は近親呼寄せ、養子縁組によるもの若干)