東欧地域

1 池田総理大臣とフルシチョフ首相との書簡交換

ソ連最高会議議員団の団長として来日したミコヤン第一副首相は、(別項「日ソ両国国会議員団の相互訪問」参照)池田総理大臣との会談に際し、大要左記のとおりのフルシチョフ首相より池田総理あて五月六日付書簡を伝達した。

(1) 大気圏内、宇宙空間及び水中における核実験禁止条約の締結、米ソ間の核兵器搭載物を軌道に打上げないことについての合意成立、更に核兵器保有三国による軍事目的のための核物質の生産縮少の決定等の措置によって、国際情勢は、最近、健全化の方向へ動いている。

(2) 日ソ両国は、アジアにおける高度に発達した隣国であり、軍拡競争の停止、核兵器の根絶、戦争の除去等のために協力することができる。ソ連は、国際紛争解決の手段としての戦争を拒否した日本国憲法及び日本国政府は自国領土内に核兵器の配置を許可しないという池田総理の声明を高く評価する。

(3) ソ連は、日ソ両国が共同で、或いは、同時に声明を発表して、平和への共通の希望を表明し、地下核実験の即時停止を核保有国に呼びかけるならば、世界平和にとって有益であると考える。

(4) ソ連と日本の関係を最終的に正常化し、真の善隣関係を樹立するために、平和条約の締結を考えるべきである。

(5) 日ソ両国間の貿易は増大し、有益な文化交流及び科学技術交流が実現され、漁業交渉も毎年成功裡に行なわれ、日ソ両国の関係は好ましい方向に発展しているが、これを更に発展させる可能性がある。

(6) 池田総理の都合のよい時期に、公式或いは非公式にソ連を訪問されたい。

(7) 両国の最高立法機関の間の接触、両国国会代表団の交換により、日ソ関係は一層改善されよう。

同書簡に対し、訪ソ日本国会議員団の福永団長は、(別項「日ソ両国会議員団の相互訪問参照)九月十四日、フルシチョフ首相との懇談に際し、要旨左記のとおりの池田総理大臣より同首相にあてた九月二日付返簡を手交した。

「わが国とソヴィエト連邦との間に、立法機関相互の招待により両国議員団の公式訪問が行なわれることになったことは、戦後初めてのことであります。この一事をもってしても、日ソ両国の関係は、友好親善の実を加えているといって差支えないと思います。

さきのソヴィエト連邦最高会議代表団の来日に際しても、ア・イ・ミコヤン現ソヴィエト連邦最高会議幹部会議長をはじめ、ソヴィエト連邦の指導的地位にある方々がわが国各界の人士と親しく意見の交換を行ない、わが国経済の実情と固有の文化を直接見聞して、わが国についての認識を深められたことは、今後の日ソ両国の関係に寄与するところが多かったと信じます。今回の日本国会親善使節団のソヴィエト連邦訪問も同様の結果をもたらすものと期待するものであります。

現在世界には、平和に関係をもつ未解決の問題がなおいくつかありますが、世界の大国として、国際平和の維持に重大な責任を有するソヴィエト連邦政府が、今後とも、軍縮交渉をはじめ国際緊張の緩和に資する諸般の交渉において、より一層現実的かつ積極的な態度を示され、世界平和実現のために一段の努力を払われることを、私は信じて疑いません。

わが国とソヴィエト連邦とはともに、両国間に横たわるいくつかの困難な問題について、その解決に向って一歩一歩前進する努力を払う必要があると考えます。

このたびの日本国会親善使節団のソヴィエト連邦訪問に際して、はじめてわが国の航空機がソヴィエト連邦の首府モスクワまで乗入れることになりました。これは日ソ両国間の善隣関係の発展にとって意義深い出来事と考えます。しかしながら、私としては、東京とモスクワを結ぶ空の道がさらに短縮される日の一日も早く来ることを期待するものであります。

私はまた、これまで繰り返し述べてきたとおり、わが国民あげての願望であるわが国固有の領土の返還が一日も早く実現し、日ソ平和条約がすみやかに締結され、もって日ソ友好善隣の恒久的基礎がつくりだされることが肝要であると思います。

私としては、近年日ソ両国間の貿易がとみに増進し、文化、人物の交流もいよいよ緊密になって来たことを満足に思います。このようにして、経済、文化、あるいは政治の分野において両国関係を前進させるための措置がとられ、極東における平和と安全の基礎を揺ぎないものにしてゆく努力が払われなければならないと考えます。この意味においても、今回の日本国会親善使節団のソヴィエト連邦訪問は、はなはだ有意義であると信ずるものであります。」

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2 佐藤総理大臣とコスイギン首相との書簡交換

十二月三十日、ヴィノグラードフ在京ソ連大使は、佐藤総理大臣を訪問し、日ソ両国関係に関する要旨左記のとおりのコスイギン首相より佐藤総理大臣あて十二月二十九日付書簡を伝達した。

(1) 両国間の諸問題解決および協力増進のため個人的接触と率直な意見交換が望ましい。

(2) ソ連政府は以前に日本の首相に訪ソの招請を出したことがあるが、この招請を再確認する。適当な時期にソ連においで願えれば幸いである。

(3) ソ連は両国間の貿易拡大の見通しは悪くなく、現に進行中の貿易交渉もこれに寄与するものと考える。ソ連側は経済関係と貿易増進のため、できるだけ努力しよう。

(4) 日本側から領事条約を締結し、領事を交換するのがよいむねの意見が出されているそうだが、これは両国関係増進の目的に合致する。代表者を決めて会談させたらよいだろう。

(5) 航空協定すなわち日ソ間に直通航空連絡を設定する問題を審議したい。航空協定について日本側が交渉続行を希望するなら、ソ連は話合いが成立するよう努力する。

(6) 国際上の重要諸問題解決の探求にも両国の努力を結合すべきである。ソ連は両国間の信頼強化のため全力を尽そう。

同書簡に対し、二月一日、在ソ下田大使は、コスイギン首相を訪問し、要旨次のとおりの佐藤総理大臣よりコスイギン首相にあてた一月三十日付返簡を伝達した。

(1) 適当な機会があれば招待に応じ、意見交換のために訪ソしたい。

(2) 昨年は歯舞群島及び色丹島への墓参が実現し、本年は樺太等への墓参が行なわれることになっていることを多とする。国後島及び択捉島への墓参も実現することを期待する。

(3) 日ソ両国間の経済関係が密接になっておることは喜ばしい。極東での両国の経済関係の発展は日ソ両国民の利益と福祉に合致するものであると信ずる。

(4) 相互に領事館を開設することが時宜に適している。これに先立ち領事条約を締結することが望ましい。いずれ近い将来に、同条約締結及び領事館設置のための交渉を行うよう提案したい。

(5) 日ソ両国の航空機により、両国の首都を経由し、欧亜を結ぶ最短の定期航空路の開設は、日ソ両国民友好のしるしとしてふさわしいものである。このため、両国の代表者ができるだけ早い機会に交渉を再開し、科学技術の飛躍的進歩を考慮して国際航空上の通念に従ってすみやかに合意を達成することを望む。

(6) 領土問題が解決され、日ソ平和条約が締結されることにより、日ソ両国間の善隣友好関係が安定した基礎の上におかれる日の近いことを望む。

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3 日ソ両国国会議員団の相互訪問

一九六三年九月、ソ連最高会議連邦・民族両会議議長より衆・参両院議長に対し、書簡をもって、両国間の善隣友好関係の発展を図るために両国国会議員団の相互訪問を行ないたいとして、先づ、日本国会議員団を招待したい旨申し入れがあった、その後、双方間に書簡の交換を経て、一九六四年春に、先づソ連最高会議議員団が訪日し、日本国会議員団の訪ソはその後に行なわれる旨の合意に達した。

(1) ソ達最高会議議員団の来日

五月一日、ヴイノグラードフ在京ソ連大使は、島外務次官を訪問し、ソ連最高会議議員団はミコヤン第一副首相を団長とし、五用十三日来日する旨通報し、併せて、一行の輸送のためにソ連機の東京乗入れの許可を要請した。

よって、政府は、ミコヤン第一副首相がソ連政府及び党内の最高幹部の一人であること、更に、同副首相が、一九六一年、東京におけるソ連産業見本市の開会式に参列のため来日した際にもソ連機の東京乗入れを認めた経緯にかんがみ、今次乗入れ要請に対しても特別の例外として許可することに決定した。

かくて、ミコヤン第一副首相、ソ連最高会議民族会議議員は、セルジュク連邦会議議員、ブトマ民族会議議員、造船国家委員会議長(ソ連邦大臣)等議員十名、スダリコフ外務省極東部長、ダニリチェフ民間航空総局旅客輸送部長等随員一八名を従え、五月十四日、特別機で羽田に到着し、五月二十七日まで滞日した。この間、ミコヤン副首相以下の議員団は天皇陛下に拝謁、また、ミコヤン副首相は、池田総理大臣、大平外務大臣と会談を行なったほか、住友、三井、三菱各グループとの懇談会に臨む等政界、財界の要人と接触し、更に議員団は両班に分れて、国内旅行を行ない、各地の実情を視察した。

ミコヤン副首相は、池田総理大臣、大平外務大臣等日本側要人との会談において、三年前の来日の際に見られた、日米関係に対する批判等内政干渉的な言辞を殆んど慎しみ、主として、日ソ両国間の善隣友好関係の発展、日ソ貿易の拡大等を大いに強調した。なお、同副首相より池田総理大臣へ手渡されたフルシチョフ書簡も、日ソ両国間の友好協力関係を発展させ、また、日ソ両国のイニシアチヴによって地下核実験禁止を図ろうと呼びかけたものである(別項「池田総理大臣とフルシチョフ首相の書簡交換」参照)。

しかし、同副首相は、領土問題については、既に解決済みであるとの従来の立場を繰返し、また、日ソ航空問題に関しても、一行の来日の機会に専門家による交渉が行なわれたが、打開に至らなかった(別項「日ソ航空問題」参照)。

(2) 日本国会議員団の訪ソ

政府は、日本国会議員団の訪ソに当っては日航の特別機により、シベリア経由モスクワへ乗入れる計画をたて、ソ連側に右乗入れの許可方強く要請したが、ソ連側は、シベリア上空の外国機による飛行は技術的に不可能であるとの口実のもとに、これを拒否し、通常の国際航空路による乗入れならば歓迎する旨通報した。

かくて、福永衆議院議員を団長とし、柳田衆議院議員、田中参議院議員等衆参両院議員十五名、随員十名よりなる日本国会議員団は、日航の特別機により、カラチ経由南回りで九月四日モスクワに到着し、九月十六日まで滞在した。

この間、国会議員は、フルシチョフ首相、ミコヤン最高会議幹部会議長等ソ側要人と懇談したほか、両班に分れて、ソ連の国内旅行を行ない、日本人墓地参拝並びに各地の実情視察を行なった。

ソ側要人との懇談では、政治的な問題は殆んど討議されず、日ソ両国間の善隣友好関係の増進、相互理解への努力等一般的な問題が中心となった。但し、フルシチョフ首相との懇談の際、同首相が、歯舞、色丹諸島の返還を米側の沖縄の返還、在日米国の引揚げのときとする発言を行ない、この発言をめぐってこれら諸島の返還に新たな条件を付したものではないかとして問題とされた。

なお、同議員団の訪問終了に先立ち、日ソ双方の国会議員が、それぞれ友好議員連盟を作ること等を内容とする共同コミュニケを発表したが、その後、右共同コミュニケに基づき、双方の国会議員にそれぞれ友好議員連盟の結成をみた。

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4 米国原子力潜水艦のわが国への寄港問題等をめぐる日ソ間の応酬

一九六三年二月六日ソ連政府は、米国原子力潜水艦の日本寄港問題に関連して、在京ビノグラードフ・ソ連大使を通じて大平外務大臣にメモを手交し、日本政府は、軍事的、戦略的目的をもった日本領土の第三国による利用が日本に与えることある結果を考慮して、極東の状態を複雑化させるようないかなるステップをも許容しないことを希望する旨表明した。

又同年六月十四日、ソ連政府は、在日米国航空基地における超音速噴射式戦闘爆撃機F一〇五配備問題に関連して、在京ローザノフ・ソ連代理大使を通じて法眼欧亜局長に対して声明を手交し、日本政府は、日本を核戦争遂行の基地に転じようとする米国の新たな諸措置に関連して、日本国民が蒙る危険の増大を考慮して、しかるべき結論を出すことを期待する旨表明した。

更に一九六四年に入り、九月八日ソ連政府は、在京ビノグラードフ・ソ連大使を通じて黄田外務事務次官にメモを手交し、トンキン湾事件に関連して「ベトナム民主共和国に対する侵略行為を実行するために、日本領土が米国によって利用されている事実」につき日本政府の注意を喚起し、日本政府が、今後は侵略的目的のため同国領土の他国による利用を許さないことを希望する旨表明した。

同年九月十二日には、再び米国原子力潜水艦の日本寄港問題に関連してソ連政府の声明が在京ビノグラードフ・ソ連大使より椎名外務大臣に手交された。同声明においてソ連政府は、「外国軍隊による日本領土の利用、ことに米国原子力軍艦立寄りのため日本港湾を開放することに伴って生ずる重大な結果」にたいし、日本政府の注意を喚起し、日本政府が極東の事態を緊迫化する措置を差控えることを期待する旨述べた。

右の如き一連のソ連政府の態度表明は、すべて日米相互協力及び安全保障条約に基づいてとられた各種の措置に関するものであり、いずれも当を得ない対日非難であったので、これらの諸声明に対して、一括して日本政府の立場を明らかにすることとなり、一九六四年十月二十七日黄田外務事務次官は在京ビノグラードフ・ソ連大使を招致し、次の通りの日本政府の口頭声明文を手交した。

ソ連邦政府は、昨年いらい、日米相互協力及び安全保障条約に基づいてとられた各種の措置、なかんずく、米国原子力潜水艦の寄港許可、ジェット戦闘爆撃機F一〇五の配置及び米国第七艦隊艦船の行動について、四回にわたり日本国政府に対し声明を行なった。

日本国政府は、ソ連邦政府がこれらの声明のなかで表明した懸念はすべて、日米相互協力及び安全保障条約の目的とするところを正しく理解していないか、あるいは理解しようとする意志を有しない結果に基づくものと考える。日米相互協力及び安全保障条約が、国際連合憲章によって認められている「個別的又は集団的自衛の固有の権利」に基づいて締結された純粋に防衛的な性格をもつ条約であることは、いままで日本国政府が内外に繰り返えし明らかにしてきたとおりである。日米相互協力及び安全保障条約のこのような性格は、この条約が日本国民の圧倒的大多数によって支持されていることをみれば明らかである。もしも日米相互協力及び安全保障条約がいささかなりとも侵略的意図を有するものならば、真の平和を受好する日本国民がかくも広く支持することはとうていあり得ないことである。

そもそも一国は、その主権国家の基本的な権利として、自衛のためいかなる政策をとるかを自ら決定しうるものであって、他国がこれに対して一方的、主観的解釈を加えて容喙することは不当な介入といわざるをえない。故にソ連邦政府が前記申入れを行なった意図が、日本国政府の外交・防衛政策に容喙し、日本国民に対してなんらかの圧力を加えんとするにあったとすれば、かかる試みはいかなる意味においても許されるべきではなく、また益のないものといわざるを得ない。

日本国政府が米国原子力潜水艦の寄港問題に関して今回下した決定は、科学技術の急速な進歩とともに、原子力の開発利用が一般化しつつある今日においては、当然に行なわれるべきもので、日米相互協力及び安全保障条約の性格になんら新らしい要素をつけ加えるものではない。一九六四年七月二十六日付プラウダ紙に掲載されたソ連邦海軍総司令官ゴルシコフ元帥の論文も説いているとおり、原子力を推進力としている艦船の普及は、ソ連邦においても同様であり、かかる艦船の一部が極東水域にも配備されていることをここに指摘しておきたい。

ソ連邦政府は、米国原子力潜水艦の日本国港湾への立寄りにともなって、「重大な結果」が生ずることがありえようと述べているが、以上のごとき日本国政府の正当な措置によって、何が故に「重大な結果」が生じるのであるか、全く理解に苦しむところである。日本国政府は、純粋に防衛的な性格を有する日米相互協力及び安全保障条約が、日本国とその隣接国たるソヴィエト連邦との間の友好善隣関係の発展に妨げになるとは全く考えていない。

日本国政府は、ソ連邦政府が客観的事態をありのまま認め、速かに日本国政府の平和的意図を正当に認識するに至ることを希望する。日本国政府は、国家間の友好善隣関係を固めるものは、それぞれの立場に対する相互の理解と尊重であって、決して事実の歪曲と他国の政策に対するいわれなき非難ではないと信じるものである。

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5 国連における日本政府の北方領土問題に関する主張表明

日ソ間の最大の懸案である北方領土問題について、政府としてはソ連側に対して、あらゆる機会をとらえてわが国固有の領土の返還を求めているが、他の諸国に対しても、この問題に関するわが国の主張が正当なものであることについて、絶えず啓発活動を行なってきている。

しかるに国連における植民地二十四カ国委員会で、偶々千島の問題が言及され、ソ連代表は一九六四年十一月十一日同委員会でこの問題に関するソ連の現在の立場は桑港条約を含む国際諸協定に基づいたものであるとの発言を行なったので、政府としては、直ちにこれに対し要旨次のようなわが国の見解が国連の公式文書として加盟国に回付されるよう措置をとり、わが国の北方領土問題に関する立場が各国に正しく理解されるようにはかった。

「北方領土問題に関するソ連の現在の立場は、桑港条約を含む国際諸協定に基づいたものであると述べているが、ソ連のいう国際諸協定が何を指すのかは明確でない。若しその一つがいわゆるヤルタ協定を指しているとすれば、同協定は単に当事国の当時の首脳者の共通目標を陳述した文書に止り、領土移転のいかなる法的効果をもつものでもないことを指摘しておかなければならない。しかも、日本は、その当事国でもなく、ポツダム宣言受諾当時も全く秘密にされていたのであって、日本はこれに全く拘束されるものではない。

サンフランシスコ条約は、日本が Kurile Islands にたいする権利、権原及び請求権を放棄することを規定しているのみで、これをソ連に帰属せしむることは何等規定していない。その上、本条約締結当時、ソ連のグロムイコ代表は、この条約が日本の北方領土に対するソ連の主権を日本に認めさせていないとの理由でこれに対する署名を拒否している。さらに、条約の当事国でないソ連は、この条約によって何らの権利をも主張できる立場にはない。

日本は、サンフランシスコ平和条約によって南樺太及び Kurile Islands を放棄したが、この放棄した領土の中には日本の固有の領土である国後、択捉の諸島は含まれていない。しかるにソ連政府は、一九五五年から五六年にかけて行なわれた日ソ平和条約締結交渉において、これら諸島はすでにソ連領であると主張し、特に日本の国後、択捉返還要求に対してあくまでも問題は解決済との態度に終始した結果、右交渉が成立しなかったので、日ソ両国は一九五六年共同宣言により取りあえず日ソ国交を回復した。従って日本の固有の領土たる国後、択捉両島の返還交渉は今後も継続することとなったのであって、現在両島はソ連の占領下にある。

歯舞、色丹については、同じ日ソ共同宣言で、日ソ平和条約締結後、わが国に引渡きれる旨明文をもって規定されたにもかかわらず、ソ連側はその後、日本領土よりの外国軍隊の撤退を歯舞、色丹返還の新たな条件として持出してきている。これは日ソ両国間の合意にたいする重大な違反である。

ソ連代表は、前記委員会における発言で、ソ連側は本問題の解決に到達すべく交渉を行なう用意がある旨、累次表明したが、わが国が交渉を行なう意欲を示さなかったと述べたが、わが国はこれまで常にわが国固有の領土の返還をソ連に対して求めてきたのにかかわらず、ソ連側は、本件は解決済であるとして我が方との話合いを拒否してきたのである。もし、ソ連が、かかる従来の態度を変え、日本との間に本件解決のための交渉に入る用意があるならば、日本は大いにこれを歓迎するものであり、何時でも交渉に応ずる用意がある。」

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6 日ソ間航空問題

日ソ間の直通航空路問題については、従来より、路線を東京・モスクワ間にしようとするわが国の主張と、外国航空機のシベリア上空飛行を認めるのは困離だから、日本の一地点とハバロフスクの間にしょうとするソ連側の主張が対立していた。このため日本側は、かかる事態を少しでも進展させるため、一九六三年十月には魎定案を提示したが、一九六四年五月のミコヤン第一副首相等の来日に際しては、(別項「日ソ両国国会議員団の相互訪問」参照)日ソ双方の間に、航空問題に関する専門家会議を行なうことにつき合意をみ、五月十八日より五月二十五日まで、日本側からは法眼欧亜局長、栃内航空局長等が又ソ連側からはスダリコフ極東部長、ダニリチェフ民間航空総局旅客輸送部長、在京ロザノフ公使等が出席して交渉が進められた。

しかしながら、結局日本機のシベリア上空飛行がいつ実現することになるかについての明確な見とおしがたたないため、交渉は中断されることとなり、話合いは今後に持ち越されることとなった。

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7 歯舞、色丹島地域への墓参

樺太、千島列島、択捉島、国後島、歯舞群島および色丹島への墓参については、政府としては日ソ国交回復後間もなく、昭和三十二年六月十日ソ連側に申入れを行って以来、機会あるごとにその実現方を要望してきた。

しかし、ソ連側はこれら地域が外国人の旅行禁止区域となっていることを理由に、わが方の要望を満足せしめることはできないとの立場を固執していたところ、一九六四年五月、ミコヤン第一副首相を団長とするソ連最高会議議員団一行が日本に到着する前日、すなわち五月十三日在京ソ連大使よりわが方外務省に対して、歯舞および色丹島の墓参に関する要請に、原則として応ずる用意があることを申越した。

よって六月二十三日わが方よりソ連側に対し、八月一日から六日の間に、歯舞班と色丹班の二班により、歯舞群島六カ所、色丹島四カ所の墓参を行いたい旨を申入れた。これに対しソ連側は七月十日、日本側の希望する墓参時期はソ連側にとって都合が悪いと回答した後、わが方の再三、再四にわたる督促にも拘らず、回答を遷延していたが、八月二十七日に至り、八月末から九月初めに色丹島の斜古丹地区とイネモシリ湾地区および水晶島の茂尻消地区計三カ所の墓参に異存がないと申越してきた。

かくして、九月八日には歯舞班が水晶島の墓参を行ったのに引続き、色丹班は九日イネモシリ、翌十日斜古丹の墓参を行った。

なお、歯舞、色丹島地域の墓参が終了後、政府は同墓参の際ソ連現地官憲が示した便宜供与に対し謝意を表明するとともに、明六五年度には歯舞、色丹島のみならず、国後島、択捉島、千島列島、樺太にも墓参が行われるよう要望しておいたが、一方十月三日藤山議員とフルシチョフ前首相との会談で、樺太、アルマ・アタ等の墓参について話合いが行われ、その結果、本年これら地域への墓参が実施されることとなり、目下墓参計画の作成備中である。

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