三 わが国と各国との間の諸問題

公海の漁業などに関する国際協力

1 北太平洋漁業条約問題

日米加三カ国の間で締結された「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」は、一九五三年六月十二日発効し、北太平洋の漁業資源の最大の持続的生産性を確保することを目的としているが、わが国は、同条約の規定により、西経百七十五度以東のさけます、北米系おひょう(東べーリング海を除く)及びカナダ系にしんの一部の漁獲を自発的に抑止する義務を負っている。

本条約は、一九六三年六月十一日に当初の十年の期間を経過したので、いずれの締約国も一年間の予告期間をもって条約を終了させることができることとなった。日本政府は一九六二年十一月より、抑止方式を基礎とする現行条約に代り、科学的基礎に基づいて漁業資源の保存と開発を図ることを骨子とする条約を締結したいとの意向を米加側に表明してきたが、六三年六月、約二週間半にわたり、ワシントンにおいて、条約改訂交渉の第一回会議が開かれるに至った。

会議において日本側は、次のとおりの内容を骨子とする新条約案を提出した。

(1) さけますは産卵のため河川に回帰する特性を有していることを考慮し、その沖合における漁獲が資源にどのような影響をもたらすかについて、条約に基づいて設立される委員会が一定期間調査を行ない、その後に、さけますの協同保存措置を締約国に勧告する。調査期間中は、西経百七十五度以東においては、さけますの商業的漁獲を停止する。

(2) おひょうについては、締約国は平等の立場で漁獲に参加し、べーリング海においては北太平洋漁業国際委員会が定めている協同保存措置、アラスカ湾においては米加間の太平洋おひょう国際委員会が定めている協同保存措置に準じた措置をとる。

(3) 委員会は、協同保存措置の勧告に際しては、その措置が差別的でないよう考慮を払うこととし、さけますについては領水内の資源管理の有効性の維持に対して妥当な考慮を払うこととする。

これに対し米加両国は、現行条約は、北太平洋の漁業問題の解決にもっとも適したものであると述べ、日本の条約案は北太平洋漁業の保護の基礎をなす原則が明確に規定されていないと批判して、現行条約の継続を主張した。

かくして会議は、抑止方式の廃止を主張する日本側と、現行条約の継続を主張する米加側とが完全に対立して、なんら進展を見ないままに休会となった。

続いて一九六三年九月十六日から十月七日まで、第二回交渉会議が東京において開催されたが、会議の半ばにおいて米国は、現行条約継続の主張を撤回し、第一回会議において日本側が提出した条約案を基礎として審議を進める用意がある旨を明らかにして、その修正提案を行なった。その修正案は、条約本文では日本案に沿って、抑止に関する規定を削除したが、さけます及びおひょうについては、附属議定書において、委員会が完全利用されていないとの結論を出すまでは、現状を維持する旨を規定するものであった。

日本側は、米側が抑止に関する規定の削除に同意したことは問題解決への糸口を開くものとして歓迎したが、米国案は、抑止方式を完全利用の概念に代えたのみで実際上は現行条約下の事態を維持することとなる点を指摘し、米側の附属議定書案の修正を提案した。その提案は、さけますについては、沿岸における資源管理の効果を維持するのに必要な沿岸来遊量を確保する措置を決定するため委員会が調査を行ない、それに基づいて委員会が協同措置を勧告することとし、調査期間中は暫定的に現状を維持するという趣旨のものであり、またおひょうについては、前記の第一回会議におけるおひょうに関する日本提案を原則としつつも、米加が長年にわたり資源保存のため漁獲制限を行なっている主要漁場においては、米加の優先性を認めるという趣旨のものであった。

このように、第一回会議の際三国間に存していた見解の差は、相当にせばめられたが、米加側は前記の日本提案では米加の北太平洋の漁業についての特殊利益を保障するためにはなお一時的かつ不十分であるとして、完全な合意に達するには至らなかった。

第三回会議は一九六四年九月九日から十月一日までオタワにおいて開催された。この会議においては、すでに前二回の会議の結果、各国の見解は明確になっていたので、お互いの原則的立場を一応認め合った上で、問題の実際的解決を図るべく、具体的な討議が行なわれた。

日本側は、東京会議終了時とほぼ同様の立場をとりつつ、その主張を明確にするため、第二次条約案を提案した。

これに対し米加側は、おひょうについて主要漁場のみならず、アラスカ湾以南の全水域において米加の優先性が認められるべきことを主張し、さけますについては、米国はある程度日本提案に歩みよりを見せながら、これまで条約上の規制の対象となっていなかった西経百七十五度以西の北米系さけますの漁獲についても規制を行なうことが先決問題であるとの新たな主張を行なうに至った。日本側は、西経百七十五度以東で米加の排他的権益を温存したまま、新しく日本の漁業に規制を加えるようなことは到底受け入れられないとの立場から、この米国提案に強く反対した。

このように第三回会議も、さけます及びおひょうの取扱について合意に達しないまま休会となった。しかしながら、条約本文の内容及び形式は、若干の字句上の修正により、三国に受諾可能なものになりうることが明らかとなった。

第四回会議は、近く米国で行なわれる予定である。

目次へ

2 北太平洋おっとせい条約問題

日米加ソ四カ国間に締結された「北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約」は、一九五七年十月十四日に発効した。おっとせい資源は、毛皮用獣皮として商品価値を有するが、資源を毎年最大の猟獲が得られる水準に維持するため最適の猟獲方法について十分な知識がなかったので、この条約は、日米加ソ四カ国がこの点について協同調査を行なうことを規定し、一方この調査を有効ならしめるため、調査期間中商業的海上猟獲を禁止し、その代償として繁殖島を有している米国及びソ連は、陸上猟獲数の十五パーセントを繁殖島を有しない日本及びカナダへ配分することを規定している。

この条約の当初の六年間の有効期間の終了日(一九六三年十月十三日)前に開催されることになっていた締約国間会議が、一九六三年二月に東京で開催された。この会議では、一九六二年十二月に開かれた北太平洋おっとせい委員会(条約に基づいて設立されている)の第六回年次会合で採択された、「現在の知見の下では、管理された陸上猟獲が、おっとせい資源の最大の持続的生産性達成のための最適の猟獲方法であり、海上猟獲の可否については、引き続き調査を実施すべきである」との趣旨の勧告を審議したのち、暫定条約を若干修正した上でさらに六年間延長する改正議定書が作成された。この議定書は、若干の字句上の修正を経た後、一九六三年十月八日、ワシントンにおいて四カ国政府代表により署名された。その後、カナダ政府は一九六三年十一月十二日に、米国政府は一九六四年二月九日に、ソ連政府は同年三月十二日に、それぞれ米国政府に批准書を寄託した。わが国においては、一九六四年三月十八日国会の承認を得、三月三十一日内閣が批准し、四月十日米国政府に批准書を寄託した。かくておっとせい暫定条約改正議定書は、全締約国が批准書の寄託を了した日、すなわち一九六四年四月十日に発効した。

この議定書による主な改正点は次のとおりである。

(1) 従来は最適の猟獲方法について研究し、勧告を行なうこととなっていたが、この勧告はすでに行なわれたので、今後は陸上猟獲とあわせて海上猟獲を行なうことが許されるかどうかを研究し、条約延長後五年目に締約国に勧告を行なうこととした。

(2) 調査のため海上で猟獲するオットセイ及び標識を附すべきオットセイの頭数は、従来条約の附表で規定されていたが、附表を削除の上、随時委員会が決定するようにした。

(3) 従来の調査項目に、各猟獲方法の有効性及び毛皮の質に関する調査を加えた。

(4) 獣皮の配分について、従来ソ連が日本及びカナダに配分すべきものを一部米国が肩代わりしていたが、今後はソ連も日本及びカナダに配分することとした。ただし、一九六四年、六五年及び六六年の三カ年間は暫定措置として毎年千五百頭分づつを日本及びカナダに配分することとし、その後は原則どおり十五パーセントづつを配分することとした。

目次へ

3 たらばがに漁業に関する日米間の取極

わが国は、一九三〇年以来、戦争中を除いて継続的に東部べーリング海においてたらばがに漁業を行なってきており、一九五三年以後は、国内措置として漁獲量制限を設けている。米国は一九一〇年代より同水域においてたらばがに漁業を行なっていたが、一九五九年以後は、より漁獲効率のよいアラスカ湾での操業に重点を置き、東べーリング海では、殆んど操業を行なっていない。なおソ連は、一九六二年以来同水域で操業している。

米国は、昨年五月二十日、「外国漁船の米領海内操業禁止法」(いわゆるバートレット法)を成立させた。この法律の主な内容は、外国漁船が、米国領水内で漁業を行なうこと、及び米国に属する大陸棚漁業資源(具体的な魚種は、内務長官が国務長官と協議の上指定する)を漁獲することを違法とし、これを侵した者は、一万ドル以下の罰金または一年以下の禁錮、あるいは両者を併せて課せられ、漁船漁具その他は没収される、とのものである。

わが国は、法案が議会で審議されている段階から米国政府に対し、公海漁業自由の原則は沿岸国の一方的措置により阻害されてはならないこと、日本政府は大陸棚漁業資源に対する沿岸国の主権的権利を認めないこと、大陸棚漁業資源にたらばがには含まれるべきでないこと等のわが国の基本的立場を表明し、わが国カニ漁業がこの法律によって不当に影響されないとの保障を与えるよう要求してきた。これに対し米国政府は、国務省から在米大使館あての五月十八日付口上書及び五月二十日法案署名の際の大統領ステートメントによって、法律施行の前に日本政府と協議する旨、その際は歴史的な日本のたらばがに漁業に十分な考慮を払う旨を述べた。

前記に基づき、昨年十月十五日より約一カ月間、ワシントンにおいて日米政府代表者間の協議が行なわれた。米国はたらばがにに対して米国が管轄権を有するとの立場をとり、わが国はたらばがには公海漁業資源であるとの立場であったが、問題の実質的解決を図るため、両国の法律的立場はそのままとして、具体的措置について討議が行なわれた。その結果、昨年十一月二十五日、武内駐米大使とラスク国務長官の間で書簡の交換が行なわれ、東部べーリング海のたらばがに漁業に関する日米間の取極が発効した。

交換書簡による合意の主な内容は次のとおりである。

(1) 日本の東部べーリング海のたらばがに漁業は、従来の水域で引き続き行なわれる。

(2) 一九六五年及び六六年における日本の漁獲量を、半ポンドかん詰四十八個入の箱数に換算して、年間十八万五千箱とする(一九六四年度の漁獲量は二十三万五千箱)。

(3) 雌がに及び胸甲幅十四・五センチメートル未満の子がにの採捕ならびにかにかご及びさしあみ以外の漁具による採捕を禁止する。

(4) 一定水域においては、かにかごによる採捕のみが認められる。

(5) 北太平洋漁業国際委員会は、東部べーリング海のたらばがに資源についての研究を継続強化し、その結果を毎年十一月三十日までに両政府に提出することを要請される。

(6) 両政府は、前記(2)、(3)及び(4)の規定を実施するため、それぞれ有効な措置を執るものとし、他方の政府から要請があったときは、取締の実施を視察する機会を与えるものとする。

(7) 両政府は、一九六六年末までに再び会合し、日本の歴史的漁業に対し十分な考慮を払うとの大統領声明(前出)の保証を考慮に入れつつ、将来の取極について決定する。

目次へ

4 国際捕鯨問題

(1) 国際捕鯨委員会第十六回会合

国際捕鯨取締条約の規定に従い、国際捕鯨委員会第十六回会合は、一九六四年六月二十二日より同二十六日まで、ノールウェーのサンデフィヨルドで開催され、わが国からは藤田捕鯨委員以下の代表が出席した。

(イ) 南氷洋捕鯨捕獲総頭数

来漁期(一九六四年十二月十二日より本年四月七日まで)における捕獲総頭数の決定をめぐり、鯨資源を保護するため大幅削減を主張する米国、カナダ等と、捕鯨産業経営の必要上漸減を主張する日本、ノールウェー、ソ連及びオランダの所謂南鯨国との意見が対立した結果、捕獲総頭数についての提案は、いずれも所要の票数(投票総数の四分の三)を得るに至らず、なんらの決定も行なわれなかった。

このため日本、ノールゥェー、ソ連及びオランダ四カ国の捕鯨委員は、委員会終了直後に緊急会議を開き、来漁期の捕獲総頭数を八、○○○頭(しろながす(、、、、、)鯨換算)を超えないものとする旨共同宣言することをそれぞれ自国政府に勧告するよう合意した。

(ロ) しろながす(、、、、、)鯨の捕獲禁止

前回の会合で、しろながす(、、、、、)鯨は国際捕鯨取締条約付表六(三)の但書に規定された特定水域を除き、捕獲禁止となったが、これは、この特定区域にはしろながす(、、、、、)鯨は余り回游しておらずしろながすの亜種で資源的に禁獲の必要のないピグミー鯨の捕獲を許容するためであった。しかし、今回の会合においてしろながす(、、、、、)鯨の保護を徹底的に確保するため、前記附表を修正して但書を削除し、南氷洋全水域でのしろながす(、、、、、)鯨の捕獲が禁止されることとなった。

(ハ) 南氷洋捕鯨国際監視員制度

一九六四年四月十三日に発効した「南氷洋捕鯨に従事する母船のための国際監視員制度に関する協定」の当事国である日本、ノールウェー、ソ連、オランダ及び英国の五カ国の捕鯨委員は、本会合中に、別途会議を開き同協定の実施規則に関する細目を定めた規則案を作成し、その受諾をそれぞれ自国政府に勧告することとなった。

(2) 国際捕鯨委員会会合後の経緯

(イ) 南氷洋捕鯨捕獲総頭数及び国際監視員制度前記の一九六四-六五年漁期の捕獲総枠を八、○○○頭とすべき旨の共同宣言案及び国際監視員制度の実施規則については、日本、オランダ及びノールウェーの各国政府は、それぞれ受諾の確認を受託国政府たるノールウェー政府に通告した。しかしソ連政府は累次の督促にもかかわらず回答を遅らせ、出漁期が近付いた九月初旬に至り、突如として一九六二年の南氷洋捕鯨規制取極(この取極による捕獲総枠に対する現在の国別割当は、日本五二%、ノールゥェー二八%、ソ連二〇%、英国及びオランダは零である)の署名当時の事情が変更したとの理由で、同取極の改訂会議を提案し、この改訂が行なわれない限り、前記の共同宣言及び国際監視員制度の実施規則を受諾できない意向を表明した。

斯くの如く出漁期を間近に控えてのソ連提案により行詰った南氷洋捕鯨の局面を打開するため、ノールウェー政府は一九六四-六六年漁期の秩序維持のためと称して九月末オスローで関係五カ国の会議の開催を提案した。これに対しわが国は、秩序ある南氷洋捕鯨の維持は、他の関係国がすベて受諾済の八、○○○頭の総枠及び国際監視員制度の実施規則をソ連が受諾することにより始めて確保されるのであり、ソ連のみが未受諾のままでの会議の開催の意義は認め難い旨表明するとともに、わが国は如何なる事情の下でも、八、○○○頭の総枠を尊重し、その五二パーセントの枠を自主的に厳守すること、並びに関係各国が受諾すれば国際監視員制度を実施する用意ある旨ノールウェー政府に通告した。この結果本件会議は成立せず、また、捕獲枠も日本とノールウェーが、それぞれ自主的に前記の八、○○○頭を基礎とした枠を守ることとなったに過ぎず、監視員制度は本年もまた実施を見るに至らなかった。

(ロ) しろながす(、、、、、)鯨捕獲禁止に関する国際捕鯨取締条約付表修正に対する異議申立。

前記(1)、(ロ)のしろながす(、、、、、)鯨の捕獲許容水域の撤廃に関する国際捕鯨取締条約附表六(三)の修正について、わが国は資源的に見て年間約四〇〇頭の捕獲が科学的に認められているピグミー鯨の前記水域での捕獲禁止に反対して、同条約第五条三項に基づき、九月末前記付表の修正につき異議の申立を行なった。なお、わが国に続きその後ノールウェー、ソ連及び英国もそれぞれ前記付表修正につき異議の申立を行なった結果、本件附表修正はいずれの政府についても発効しなかったこととなり、異議申立を行なった政府は、その撤回を行なう日までピグミー鯨を捕獲できることとなった。

(3) 米国の主張する国際捕鯨委員会特別会合

米国政府は、一九六四年十二月日本、ノールウェー、ソ連およびオランダの各国政府に対し、前述の如く、国際捕鯨委員会第十六回会合で、一九六四-六五年漁期における南氷洋捕鯨の捕獲総枠に関する合意が成立しなかったことは鯨資源の将来に重大な危機を招来するものなりとして、資源保護を期するため今後の南氷洋捕鯨を科学的調査に基づいて行なうことを確保する目的のため、本年四月一日以前にロンドンにおいて前記条約締約国の特別会合の開催等につきわが国が同意するや否やを確め越した。非南鯨諸国政府も、米国政府に引続き、わが国に対し同様の申入れを行なった。その後、開催期日に関する調整が行なわれた結果、国際捕鯨委員会事務局より一九六五年五月三日より、ロンドンにおいて本特別会合を開催したい旨通報越している。

目次へ

5 ソ達との漁業交渉

(1) 日ソ漁業委員会第八回会議

北西太平洋日ソ漁業委員会第八回会議は一九六四年三月十六日からモスクワで開催され、四月二十八日日ソ双方による合意義事録の署名をもって終了した。この会議に先立ち、三月二日より四月一日までさけます資源状態を審議する科学技術小委員会の会議が開かれたが、漁業交渉が五十数日で妥結し、また、重要問題である漁獲量等が両国大臣の折衝に俟つことなく、委員レベルで解決されたことは、前年の漁業交渉の例を継ぐものであり、委員会の運営上極めて喜ばしいことであったが、漁業活動の長期安定を図るため翌年度の漁獲量をも併せて決定する問題については、前年同様、ソ連側の反対により、具体的数字を決定するに至らなかった。

今回の委員会では、きけ・ますの年間漁獲量は、A・B両区域ともそれぞれ、五万五千トン(但し、B区域については一〇パーセントの増減があり得る)、また西カムチャッカ沿岸のかに漁業については、日本側二五万二千函、ソ連側三七万八千函(一函半ポンド缶四八個入)のかに缶詰製造函数が決定きれた。

(2) 日ソ間漁業に関する学識経験者の交換

日ソ漁業委員会第八回会議における合意に従い、一九六四年においても日ソ間漁業に関する学識経験者の交換が行なわれた。

実際には、日本側学識経験者調査団として三名が七月二十三日から八月三十日まで西カムチャッカおよびオホーツクのさけ・ます遡上河川ならびにコンビナート等を、二名が七月二十三日から八月三十一日まで樺太南部のさけ・ます遡上河川、ふ化揚ならびに科学研究調査機関の活動を視察し、二名が七月二十五日から八月三十日までソ連邦調査船に乗船して、北西太平洋におけるさけ・ます調査に参加し、また別に二名が九月二十五日から十一月一日まで樺太のふ化場等を視察した。

一方、ソ側よりは三名が五月三十日から七月七日まで北海道および本州のさけ・ますふ化場、陸揚港、研究所等を、また二名が八月十四日から九月十七日まで北海道の研究所等において研究状況を視察し、二名が六月五日から七月二日まで日本の科学調査船に乗船して北西太平洋におけるさけ・ます調査に参加したほか、更に三名が十月九日から十一月六日までふ化場および養殖施設を視察した。

(3) ソ連側漁業監督官の来日

日ソ漁業委員会第八回会議の際、B区域におけるさけ・ます漁業の取締りは、条約第七条に基づき、日ソ双方により共同で実施することとし、そのため昨年同様ソ連側の漁業監督官が日本側監視船に乗船することに合意を見、これを確認するため下田大使、イシコフ大臣間に交換公文が行なわれた。

右に基き、ソ連側監督官一行八名は一九六四年六月三日より七月六日まで日本側監視船四隻に分乗し、B区域の共同取締りに当った。

(4) 日ソ漁業条約第七条二項に基く拿捕漁船の引渡し手続に関する日ソ間了解の延長

一九六二年三月、日ソ間において、日ソ漁業条約第七条二項に基づく拿捕された漁船および逮捕された人の引渡し手続に関する了解が成立した。

この手続きは漁業条約の規定および委員会の決定に違反して拿捕された漁船および逮捕された人を引渡す際の手続、被拿捕船の需品代金の支払問題、引渡しに伴う通信方法等を定めたもので、取敢えず一年間有効のものとされたが、その後、一九六三年および一九六四年の漁期についてもこれをそのまま適用することとし、右了解の一年間延長につき一九六三年三月および一九六四年三月日ソ間で合意を見たが、一九六五年においても本件了解をそのまま実施し得るようソ連側と交渉を行う予定である。

目次へ