国際文化交流の現状

 

1 概   観

国際文化交流の目的は、文化を通じて各国民相互の理解と親善を深め、もって世界の平和と文化の向上に貢献することにある。第二次大戦後、各国政府は、文化外交を重視し、強力な機構・スタッフと尨大な予算をもって、文化交流事業を活発に展開しているが、これは世界諸国民が戦争の惨禍を再びくりかえさないためには、諸国民間の相互理解がいかに重要であるかを痛感したためであろう。

わが国と各国との文化交流も経済的発展による国力の充実、国際的地位の向上に伴ない益々活発となってきている。

かような文化交流事業には、政府によるものと、民間によるものとがあるが、元来、文化交流は、その性質上、まず、広く民間の自主と創意とによって行なわるべきものであり、したがって政府としては、まず第一に、民間の創意によるこれら事業を奨励し、できるかぎりこれに便宜を与えてその拡大をはかることを方針としている。

他方、日本文化の紹介には、極めて有意義であっても、民間の事業としては実施困難な事業もあり、これについては、あるいは政府の事業として、あるいは関係補助団体の事業として実施することとしている。

現在、世界の主要国は、いずれも外務省に文化局ないしそれに準ずる尨大な機構をもって対外文化活動を強力に進めているが、わが国においては、文化交流事業を担当する部局としては、わずかに文化課一課であった。しかし、わが国と各国との文化交流の活発化に鑑み、昭和三十九年度より文化交流関係事務所掌の部局として、文化事業部を設置し、わが国文化外交をより積極的に推進することとなった。

文化交流の具体的方法は種々あるが、現在行なわれている文化交流事業としては次のようなものがあり、外務省としては、特に日本文化の紹介に重点を置いて文化外交を推進している。

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2 文化協定の締結

戦前、日本はハンガリー、ドイツ、イタリア、ブラジル、タイ、ブルガリアとの間に文化協定を結んでいたが、これらの協定はいずれも第二次大戦の勃発によってその効力を失ったか、または効力が停止された。

戦後、日本は次の十カ国と文化協定を締結した。

(1) フランス (一九五三年十月三日発効)

(2) イタリア (一九五四年十一月二十二日発効)

(3) タ  イ (一九五五年九月六日発効)

(4) メキシコ (一九五五年十月五日発効)

(5) インド  (一九五七年五月二十四日発効)

(6) エジプト (一九五七年七月十五日発効)

(7) 西ドイツ (一九五七年十月十日発効)

(8) パキスタン(一九五八年十月二十一日発効)

(9) イラン  (一九五八年十一月二十日発効)

(10) イギリス (一九六一年七月八日発効)

また、ブラジルとの間にも一九六一年一月二十三日新しい文化協定が署名され、双方の国会の承認を得、目下批准書の交換を待っている。

これらの文化協定は、締約国政府が両国間に行なわれる各種文化交流事業に対して便宜を与え、また、これを奨励することを規定したもので、協定により多少相違はあるが、その概要はつぎのとおりである。

(1) 書籍、講演、演劇、展覧会、映画、ラジオなどによる文化の相互理解の増進に対し、便宜を与える。

(2) 学者、学生、その他文化活動に従事する者の交換を奨励する。

(3) 相手国国民の修学・研究・技術修得に対し、奨学金その他の便宜を与える方法を研究する。

(4) 大学などで、相手国の文化に関する講義の拡充および創設を奨励する。

(5) 相手国の学位および資格をたがいに認めるように、その方法および条件を研究する。

(6) 相手国の文化機関の設立および運営に便宜を与える。

(7) 相手国国民の博物館、図書館の施設の利用に対し便宜を与える。

(8) その他、協定によっては、文学および美術の著作物の翻訳または複製の奨励、文化団体の間の協力の奨励、国際的運動競技の奨励などを規定したものもある。

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3 文化協定に基づく混合委員会

文化協定の規定の円滑な履行をはかるため、日仏、日伊、日本・メキシコ(附属交換文による)、日印、日独、日英、日本・ブラジル(未発効)の各文化協定は、それぞれの国の首府に両国の代表五、六名によって構成される混合委員会の設置を規定している。なお、その他の諸国との文化協定は、単に、両締約国代表が必要に応じて協議することを規定している。

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4 文化および教育の交流に関する日米合同会議

(1) 一九六一年六月訪米した池田総理はケネディ大統領との間で文化および教育の交流に関する日米合同会議を設置することに合意した。この会議は、日米両国の代表的学識経験者が一堂に会し、両国間の文化および教育の交流に関するあらゆる問題を自由に討議するとともに、その拡大方法について勧告を行なうことを目的としたものである。

(2) 第一回会議 第一回会議は、一九六二年一月二十五日から同三十一日まで東京で開かれ、日米両国の文化および教育の当面する諸問題について討議が行なわれた。これらの問題については、勧告が採択され、さらに勧告を実現させるため、日米両国政府ができる限りの措置を講じ、また会議に参加した民間人も各自の専門分野で、できる限り政府に協力するよう希望が表明された。

(3) 第二回会議 第一回会議の最終コミュニケの勧告に基づき、第二回会議は一九六三年十月十六日から二十二日まで、ワシントンで開催された。

第二回会議の内容は次のとおりであるが、討論は主として、昨年はじめより日米政府・民間関係者が各議題毎に準備会議を開催して作成した報告書をもとにして行なわれた。

(イ) 第一回会議以降の実績検討

(ロ) 文化教育テレビ番組の交換 テレビ番組の自由な交換は、日米両国民の相互理解促進の有効な手段であるが、質の高い文化教育番組交換については、おたがいに相手国の番組をよく知らないこと、フィルムの通関手続、著作権および追求的権利、番組使用料、並びに交換用番組の編集、吹替え、サブタイトルの挿入、配給網など、数多くの複雑な障害や問題がある。会議においては、これらの問題を解決するため、日米両国にクリアリング・ハウス(交換調整機関)を設立することに同意した。

(ハ) 翻訳および抄訳 日本の思想、学術研究の成果を商業べースによって翻訳するには限度があり、これが、日本を理解する上での障害となっている。会議は、日本思想、学術研究の成果を翻訳または抄訳する際起る諸問題を解決するため、日本にクリアリング・ハウスを設立し、米側ではアジア研究協会の如き団体が日本のクリアリング・ハウスと連絡をとることを勧告した。

(ニ) 地域研究 日米関係の健全な発展のためには、相互の文化の本質的要素を研究しなければならない。かような研究として、日本におけるアメリカ研究、米国における日本研究があるが、会議においては、これらの研究に当っての問題点について討議がなされ、特に、日本にとって切実に必要とされるのは、教育者と学者にとっての研究施設であり、共通の会合の場であり、かつ、所要の財政的、精神的援助を与えるような「アメリカ研究所」の設置である点で合意に達した。他方、米国においては、すでに大学の研究プログラムとして、数多くの日本研究が確立されているので、会議においては、共同研究等において日本の学者と一層協力すること、および、日本から研究材料をもっと豊富に供給すべきことが強調された。

(ホ) 舞台芸術の交流 日本から米国へはすでに雅楽、歌舞伎、文楽が紹介されており、日本へも米国の舞台芸術がいくつか紹介されている。舞台芸術の交流は、これによって芸術的創造活動に刺激を与え、また、一般大衆が芸術に接する機会が増大する点で大きな意義がある。会議においては、舞台芸術交流を援助しうる立場にある団体が、舞台出演者グループ・芸術家個人の交流、台本・原本・録音・楽譜、翻訳および展示品等の交換、一方の国で原作上演されたものの他方の国での上演、および、両国共同上演等、あらゆる方策をそれぞれの場合に応じて適切に活用することを勧告した。

また、交流を困難ならしめている障害として、著作権、税金、巡回演奏の組織の問題、並びに宣伝、批評、槻客動員の問題等があり、これら障害が除去または軽減されるならば、公演団体の採算の可能性が増大する点が強調され、これらの諸問題について検討することを勧告した。

(4) 第二回会議においては、次の第三回会議を二年後に東京で開催することを勧告した。次回会議の議題としては、人物交流、視覚芸術の交流、言語教育、および、日米両国民よりなる諸団体・姉妹都市・姉妹大学等の提携が考えられている。

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5 国際文化団体の活動

(1) 国内の国際文化団体

 (イ) 国際文化振興会(KBS)

国際文化交流事業は、政府が直接行なうよりも、政府から独立した機関に委託して行なう方が適当であり、効果があがる場合が多い。現に英国では、英国文化振興会(ブリティッシュ・カウンシル)が公の機関として設立され、政府から六七億円(一九六一年)の補助金を受け、人員一、三〇〇名を擁して、強力な対外文化活動を行なっており、フランスでは、政令により設立された公の機関であるフランス芸術振興会が、六億六、○○○万円(一九六一年)の政府補助金を受けて芸術的催物の国際的交流を行なっている。

わが国の国際文化振興会(略称KBS)は、国際間の文化交流、特に日本文化の海外紹介をはかることを目的として、一九三四年(昭和九年)四月創設された団体であるが、戦前は現在の価格で約三億円の政府補助金と多額の民間寄附金により活発な文化活動を展開し、KBSの名は、海外の文化団体、学界、日本研究家などの間に広く知られていた。戦後になってからも、政府は、一九五三年度から補助金を交付して同会の国際文化活動の拡大をはかってきた。しかし、政府補助金は、戦前の水準に比べてはるかに少額だったので、同会の活動も活発とはいえなかった。

近年、諸外国、とくに欧米諸国の文化活動が極めて盛んになり、わが国としても、国際文化振興会を通ずる国際文化交流事業の強化拡充の必要が痛感されてきたので、外務省は、関係者と協力して政府補助金の増大、民間からの積極的協力の確保ならびこれにともなう機構の整備と事業の拡大に努力している。

同会の主な事業は、つぎのとおりである。

i 文化資料の作成、収集、交換および配布

ii 日本人の海外派遣および外国人の招致ならびにその斡旋

iii 外国人の日本文化研究に対する便宜供与

vi 海外における各種文化関係展覧会などの開催、参加および出品の斡旋

v 講演会、展覧会、映画会および演奏会などの開催

vi 内外文化に関する知識の普及

vii 図書室、資料室、研究室の設置および運営

viii 在ローマ日本文化会館の運営およびニューヨーク駐在員の派遣と活動指導

 (ロ) 国際学友会

日本に来る外国人留学生は日本語を解さず、また、日本人と風俗習慣、宗教、食生活などをいちじるしく異にしていることから、学業、生活などの点で、とくに来日当初は困難を感ずる者が多い。国際学友会は、これら留学生に宿舎と大学進学前の準備教育を与えることを目的として、一九二一年十二月財団法人として創立されたものである。 

政府は、同会の発足当初から補助金を与えこれを援助してきた。戦後も、平和条約の発効とともに諸外国から留学生の来日が急増したので、一九五二年以来国際学友会の事務所および運営組織の充実ならびに宿泊施設および東京本部日本語学校施設の整備、拡充に重点を置いて、補助金を与えてきた。

宿舎は、現在、東京本部だけで収容能力一六五名に達しているが、一九五六年には収容能力六〇名の関西支部が大阪市北区に、また、一九五八年には収容能力一三名の福岡支部が福岡県粕屋郡古賀町に、それぞれ開設され、さらに近く京都に収容能力約五〇名の京都支部が開設されることになっている。

戦後、同会は、国費留学生(日本政府が招致し、奨学金を給与しているもの)、私費留学生を問わずすべての留学生を前述の宿舎に受入れて世話をしてきた。しかし、一九五七年、文部省の外郭団体として日本国際教育協会が発足し、国費留学生の受入団体となったので、学友会本部の国費留学生は同協会の宿舎に転宿し、現在、学友会本部は専ら私費留学生を収容している。

国際学友会東京本部は、宿舎、食堂を設けているほか、日本語学校も運営している。日本語学校は、日本で高等教育または技術研修を受けようとする外国人留学生(学友会在泊者には限らない)に対し、一年乃至一年六カ月を期間として日本語を教授し、併せて基礎的な日本事情を知らせることを目標としており、毎年四月、十月、一月の三回新規学生を受入れている。そのほか、大学進学希望者に対しては、数学、理科、社会などの基礎学科も教授しており、これら課程の修了者には進学を斡旋している。同校の学生定員は二九五名である。

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(2) 海外の日本関係文化団体の現状

 (イ) 在ローマ日本文化会館

在ローマ日本文化会館(通称ローマ日本アカデミア)は、日伊文化交流促進のため日本文化の紹介を行ない、かつ、イタリアの学術文化の研究に資することを目的として、外務省が一九五九年から建設、一九六二年十一月完成し、同年十二月開館式が行なわれた。

同会館の運営は財団法人国際文化振興会があたり、会館の総長には前国際文化振興会会長岡部長景氏、館長には元東京大学教授でギリシャ・ラテン文学の権威者である呉茂一氏が就任した。総長は、日本で会館運営委員会の委員長として運営方針の決定を行ない、館長は、ローマでの館務を統轄する。会館の職員は、国際文化振興会から派遣される職員二名、現地採用職員五名で構成されている。

同会館の具体的事業としては、(イ)映画会、講演会、各種展覧会、音楽会、日伊両国学者のゼミナール、図書閲覧、その他による日本文化の普及を行ない、(ロ)イタリアの学術、歴史、美術、宗教、音楽などの文化に関する調査研究に赴く日本人学者、学生または日本研究に従事するイタリア人学者、学生などに対し、便宜を供与することとなっている。

 (ロ) パリ大学都市日本館

パリ大学都市日本館は、通称薩摩会館ともいわれ、一九二七年薩摩治郎八氏によってパリ大学に寄贈されたものであるが、フランス留学中の日本人学生に対する宿舎の提供を主たる任務とし、また、構内に日本関係の図書を蒐集して日本研究に便宜を与えている。外務省は、従来から民間有識者の中から館長を推せんして派遣しており(現館長は、羽田明教授)、また同館建物の内部修理費などに対し、援助を行なっている。

 (ハ) 株式会社パリ日本館

一九五六年以来パリにおいて文化宣伝、観光宣伝、日本商品の展示即売、ホテル、レストランなどの活動を総合的に行なう機関を設立することを目標として政府および民間で研究が行なわれていたが、民間側では、一九五九年秋、わが国財界の有力者を中心とするパリ日本館建設準備委員会を結成し、政府民間共同出資案に基づいて種々具体的計画が検討された。しかし、一九六〇年十二月にいたり、同準備委員会は、民間資本のみによる株式会社を設立することとなり、一九六一年六月、株式会社パリ日本館が正式に発足した。

同株式会社は、同年九月パリにあるクイーン・エリザベス・ホテルを買収し、さしあたって同ホテルをそのまま引継いで経営しているが、一九六三年二月日本料亭「きょうと」および日本商品の展示室を開設した。また、文化宣伝などを行なうため、シャンゼリゼー通りに建物を物色中である。外務省としては、同館が文化活動などを行なう場合には、これに協力して種々便宜を与える予定である。

 (ニ) その他の海外の文化団体

右に挙げたような団体のほか、諸外国には、わが国との文化交流を主な目的とし、主として現地の国民を中心とする団体が多く設立されている。これら団体は、各種の文化展、映画会、講演会あるいは機関誌の発行などの方法により、日本文化の紹介を行なっており、わが国との友好親善関係の増進に貢献している。このような団体の育成強化は文化交流の促進上きわめて有効なので、外務省は、在外公館を通じてできるかぎりの援助を行なっている。

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6 文化交流の現状

(1) 美   術

国際的文化交流事業のうち、美術関係の展覧会は、最も頻繁に行なわれており、美術を通じての国際間の理解と親善に貢献している。

(イ) 日本で開催される外国美術展は、新聞社、美術館の主催するものが多く、昭和三十八年度だけをみても「エジプト美術五千年展」、「シャガール展」、「タマヨ展」、「ターナー水彩画展」、「インド古代美術展」等数多くの美術展が開催されており、外務省もその開催には、側面より協力している。

(ロ) 海外における日本の美術展は、各国において多大の反響を呼んでおり、日本美術の紹介に貢献している。昭和三十八年度に海外で開催された日本美術展としては、「米加巡回墨絵展」、「カナダ巡回日本現代版画日本名画展」、パリにおける「日本古美術展」、「東南アジア巡回日本学童生活紹介展」等がある。

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(2) 映画、演劇、舞踊

優秀な日本映画の海外における上映は、日本の文化、国情等に対する諸国民の正しい理解と認識に役立つことはいうまでもない。しかし、商業ベースで輸出される映画は、その輸出地域がかたよっているのみならず、なかには、日本文化に対する誤解を招くおそれのあるものもある。また、優秀な映画でも商業ベースにのらないものは海外には出ない。かような観点から、外務省では、日本文化紹介に適当と認められる映画をあるいは借用しあるいは購入して、これを地域による特殊性を考慮しつつ諸外国にまわして映画会を開催している。

現在、外務省が借用または購入して、海外で上映している映画は、「名もなく貧しく美しく」、「女舞」、「氷壁」等二十一本、また、文化映画として、「巨船ネスサブリン」、「チョゴリザ」、「日本の手工芸」等十七本がある。

また、権威ある国際映画祭(カンヌ、ヴェニス等)に対する日本映画の参加、日本における外国映画祭の開催等に対しても、種々の支援をしている。

日本の古典芸術である能および歌舞伎の海外派遣は、相当数の人員を要するので財政上困難視されていたが、一九五四年ヴェニスの国際演劇祭で能劇団が公演を行ない、非常な好評を博して以来、各国から派遣要請が来ており、外務省としても、できるかぎりの協力をする方針である。

歌舞伎の派遣についても、各国から要請があり、特に、一九六五年秋ベルリンで開催されるベルリン市主催の日本芸術祭に対しては、歌舞伎の参加方強い要請をうけているので、その際欧州各国を巡回させる見地より本件実現方を鋭意検討中である。

また、日本舞踊団の派遣は、一九六〇年、東南アジアに第一回を行ない、好評を博したので、一九六三年に第二回、一九六四年一月に第三回の公演を東南アジア各国で行ない、各国との親善関係増進に大いに貢献した。

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(3) 音 楽、図 書

戦後日本を訪れる欧米各国の音楽家の数はきわめて多く、昭和三十八年度においてもロンドン交響楽団、パリ・オペラ座バレー団、ベルリン・ドイツオペラ団、イタリア歌劇団等多数の楽団、音楽家が来日した。

また、わが国の音楽家の海外における演奏会開催も、NHK交響楽団の東南アジア、豪州、ニュー・ジーランドにおける演奏会等数多く行なわれている。

図書も文化交流の重要メディアであるが、外務省では、

(イ) 在外公館に図書を備えつけ、一般の利用に供する

(ロ) 外国の大学図書館等へ日本の図書を寄贈する

(ハ) 国際的図書展への参加に協力する

などの方法によって日本文化の、図書を通じての紹介に努力している。

現在、在外各公館は平均二三三冊の備付図書を有し、また、昭和三十八年度、外務省が各国の大学、図書館等に寄贈した図書は総計五、二一九冊である。

また、在外公館には、レコードを備えつけ、日本の古典音楽および現代日本の音楽の紹介に努めている。

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(4) 日本文化紹介展示品

日本文化の水準を示すような美術・工芸品の外国における展示のために、日本人形、茶道具、生花用具、着物、陶磁器、能面等をおくり、また、現在、日本現代版画に対する関心が高まりつつあるのでこれを展示会用に送付し、のち、美術館等に寄贈している。また、美術品等で高価なものについては、その複製を各国に送っている。

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(5) 文化人の派遣・招へい

文化人等の海外への派遣および外国の文化人のわが国への招へいは、日本文化についての理解と認識を深め、友好関係促進に貢献するところ大である。

(イ) 文化人派遣 昭和三十八年度に外務省が実施したものとして、大阪工業大学森暢教授のニュー・ジーランドにおける日本美術に関する講演、音楽使節としてピアニスト松浦豊明氏の南米(8カ所)およびニューヨークにおける演奏、陶芸家加藤土師萠氏の欧州八カ国における講演および製陶実演、国際キリスト教大学学長鵜飼信成教授の東南アジアにおける講演がある。

また、外国政府、大学等の招へいによるわが国文化人の海外訪問等についてもできるかぎり協力している。

また、世界各国の生花に対する関心の増大に鑑み、外務省では、各地域に華道使節を派遣し、生花のデモンストレーション、講習会を開催している。

(ロ) 文化人招へい 昭和三十八年度に外務省が招へいした文化人としては、ドイツ大学交換奉仕会(DAAD)シャイベ事務局長、フランス外国人給費留学生受入事務局長ラブルース女史、ドイツのノーベル賞受賞者アドルフ・ブテナント博士(生化学)、アルゼンティンのノーベル賞受賞者ベルナルド・フーサイ博士(医学)、オーストリア国立応用工芸美術館長ヴィクトル・グリスマイヤー氏、オーストラリア科学技術研究庁長官フレデリック・ホワイト卿、英オックスフォード大学美術教授(元英国アーツカウンシル会長)ケネス・クラーク卿、アラブ連合カイロ市公園緑化局長イスマイル氏、インドネシア作家評論家アナスマルフ氏、日本・アルゼンチン文化協会理事長オスワルド・スバナシーニ氏、インド国立登山学校教官テンジン・ノルゲイ氏(エヴェレスト初登頂者)、ベルリン日独協会事務局長マックス・パンコウ博士、日本ネパール文化友好協会々長P・M・シン氏がある。

その他、来日する外国文化人に対しても、日本文化の紹介に関し、できるかぎりの便宜を与えている。

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(6) スポーツ、探検隊

日本と各国とのスポーツの交流は枚挙にいとまないが、国際スポーツ大会への参加、学生選手の海外遠征、水泳コーチ、体操コーチ、柔道教師等の派遣には、外務省としても、できるかぎり協力している。

最近、アジア、アフリカ、中近東、中南米地域への学術探検隊や、ヒマラヤ等への登山隊の派遣が活発になり、幾多の成果を収めるとともに、国際親善関係の促進に貢献している。

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7 留学生の交流

若い外国人留学生を国費をもって、わが国の大学に留学せしめることは、わが国の学術水準のみならず、わが国の文化と生活を身をもって体験せしめ、わが国に対する理解と認識を深める上で多大の効果を収めうるものである。

(1) 日本政府の外国人留学生招致

(イ) 文部省予算による国費外国人留学生招致制度

この制度により、昭和三十七年度九八名、昭和三十八年度九四名の外国人留学生が招かれた。昭和三十九年度には二百名の留学生が招かれる予定である。この制度による留学生は、学部留学生(アジア、中近東、アフリカ地域諸国からの留学生のみを対象とし、期間五カ年、ただし、医科および歯科は、七カ年)と研究留学生(期間二カ年)の二種類がある。従来は、いずれも月額二万五、○○○円の奨学金が支給されており、このほかに、アジア中近東アフリカ地域諸国からの留学生に対しては往復航空賃(ツーリスト・クラス)が、また、研究留学生に対しては年額二万五、○○○円の国内研究旅費がそれぞれ支給されていたが、昭和三十九年度からは招致条件が大幅に改善され、奨学金月額三万円および全地域からの留学生に往復航空賃が支給される予定である。さらに、研究留学生のみでなく、最高学年に在籍する学部留学生に対しても年額二万五、○○○円の国内研究旅費および、新しく来日する留学生に対し着後手当一万円が支給されることとなっている。招致留学生の国別内訳はつぎのとおりである。

(イ) アジア、中近東、アフリカ諸国、三十七年七九名、三十八年七八名、三十九年一五七名

(ロ) 米州および大洋州地域三十七年九名、三十八年八名、三十九年二○名

(ハ) 欧州地域三十七年一○名、三十八年八名、三十九年二三名

(ロ) 科学技術庁予算による外国人研究者招致制度

この制度により、昭和三十七年度にオーストラリアから二名、オランダ、フランスからおのおの一名を招き、昭和三十八年度にはオーストラリア、フランス、ドイツ、オランダから各一名を招いた。これら研究者に対しては、往復旅費のほか、滞在費月額五万円ないし六万円が支給されている。

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(2) 日米教育交換計画による米国人の来日

この計画により、一九六二年度および一九六三年度にはつぎのとおり米国人学者および学生などが招かれた。右のうち、かっこ内は前年度来日し、滞日期間を延長したものの数である。

一九六二年

訪問教授一八、研究学者一〇、英語教師八(三)、大学院学生一二(四)、合計四八(七)

一九六三年

訪問教授一二(三)、研究学者八、英語教師八(一)、大学院学生六(五)、合計三四(九)

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(3) 外国政府などの日本人留学生招致

一九六二年度および一九六三年度に外国政府または準政府機関の給費生として海外に留学したわが国の学者、学生はつぎのとおりである。かっこ内の数字は一九六二年度留学生数である。

(イ) 米州および大洋州地域四七四(四七九)

豪州二(二)、ニュー・ジーランド〇(一)、アメリカ合衆国四二四(四三四)(これには日米教育交換計画によるものの外、ハワイ大学東西文化センター招へいおよびアメリカン・フィールド・サービスによる高校生の留学を含む)、カナダ四八(四一)ブラジル〇(二)

(ロ) 欧州地域二四一(二一九)

オーストリア八(七)、ベルギー四(三)、デンマーク一(一)、フランス七四(四八)、ドイツ九一(八四)、イタリア一五(一八)、オランダ一二(一三)、スペイン四(三)、スウェーデン一(一)、スイス三(五)、イギリス一二(一三)、ユーゴースラヴィア二(○)、ソ連一四(二三)

(ハ) アジア・中近東地域一五(一一)

インド二(四)、タイ一(二)、パキスタン二(○)、イラン二(○)、イスラエル一(○)、イラク二(○)、アラブ連合五(五)

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8 文化交流事業実績一覧(一九六三年一月から一九六四年三月まで)

(1) 美術関係催物

国 内 関 係

一九六三年

二 月 産経新聞社主催「第二回世界児童画展」(三月まで東京で開催、二三カ国参加)

三 月 毎日新聞社主催「世界の巨匠名作版画展」(五月まで大阪、名古屋で開催)

三 月 朝日新聞社主催「エジプト美術五千年展」(三-五月於東京、五-七月於京都)

四 月 朝日新聞社主催「ドイツ表現派展」(五月まで於東京)

四 月 日本経済新聞社主催「ビュッフェ展」(六月まで於東京、京都)

五 月 毎日新聞社主催「カンボディア王国秘宝展」(六月まで於東京)

七 月 朝日新聞社主催「世界彫刻シンポジウム」(九月まで於真鶴岬)

八 月 国立西洋美術館主催「マイヨール彫刻展」(八月まで於東京)

九 月 アートフレンド・アソシエイション、読売新聞社共催「シャガール展」(於東京)

九 月 毎日新聞社主催「タマヨ展」(十二月まで於東京、名古屋その他)

九 月 国際文化振興会、ブリッジストン美術館、朝日新聞社共催「ターナー水彩画展」(九-十月於東京、十一-十二月於大阪)

九 月 日本経済新聞社主催「アフガニスタン古代美術展」(十月まで於東京、大阪、名古屋)

九 月 読売新聞社主催「ルバルダ・ミロ絵画展」(ユーゴーの画家)(十月まで於東京)

十一月 武蔵野美術大学主催「日米仏デザイン大学作品展」(東京)

十一月 日本経済新聞社主催「インド古代美術展」(十二月まで於東京、十二-三月於京都)

一九六四年

二 月 児童画百人会、産経新聞社共催「第三回世界児童画展」(於東京)

二 月 読売新聞社主催「サハラ先史壁画展」(三月まで於東京)

三 月 東京国立博物館主催、元駐日仏国大使アルセーヌ・アンリ氏コレクション受贈記念展示会(四月まで於同博物館)

国 外 開 催

一九六三年

三 月 「第七回イタリア・フォルテ・デ・マルミ児童画展」参加(ローマで八月まで開催)

五 月 教育美術振興会主催「日本教育美術展優秀作品展」(香港)

六 月 国際文化振興会主催「米加巡回墨絵展」(六月ヴァンクーヴァー、十一-十二月ワシントンほか一九六四年四月まで米国各地)

八 月 外務省主催「カナダ巡回日本現代版画日本名画展」(十二月までカナダ主要都市)

九 月 第三回パリ青年ビエンナーレ展に国際文化振興会を通じ日本より絵画、版画、演劇各部門に参加(十一月まで)

九 月 第七回サンパウロビエンナーレ展に国際文化振興会を通じ日本より油絵、版画、彫刻の各部門に参加(十二月まで)

九 月 パリ国際芸術都市に武蔵野美術大学が加入

十 月 朝日新聞社、東京国立博物館、仏国文化省共催「日本古美術展パリ開催(十二月まで)

十二月 インド、シャンカー紙主催第十三回「国際児童画展」参加(日本ユネスコ美術教育連盟)

十二月 国際文化振興会主催「東南アジア巡回日本学童生活紹介展」(十二月マレイシア、一月カンボディア、五-六月フィリピンその他)

一九六四年

一 月 国際文化振興会主催サンパウロ・ビエンナーレ展出品作品展示会(一-二月リオ・デ・ジャネイロ、五-六月ブェノスアイレス、七月バイアブランカ)

三 月 スイス・ルガノ国際版画展に国際文化振興会を通じ日本よりも参加出品

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(2) 海外での映画上映(昭和三十八年一月以降三十九年三月まで)

(1) 劇  映  画

「名もなく貧しく美しく」(英語版) レバノン、トルコ、ノールゥェー、オランダ、パキスタン、ビルマ、カナダ、米、タイ、ラオス、フィリピン(スペイン語版)チリ、パナマ、エル・サルヴァドル、メキシコ、キューバ、メキシコ、ドミニカ

「氷壁」(英語版) アフガニスタン、ナイジェリア、ガーナ、エティオピア(ロシア語版)チェッコ

「女舞」(英語版) パキスタン、インド、ソ連、ナイジェリア、エティオピア

「彼岸花」(英語版) サウディ・アラビア、ケニア、南ア連邦

「地の涯に生きる」(英語版) カナダ

「青い山脈」(英語版) パキスタン、クウェイト、セイロン、トルコ、タイ、インドネシア(ロシア語版)ソ連、チェッコ

「私は二歳」(ロシア語版) ソ連、チェッコ

「秋日和」(英語版) チェッコ、ドイツ、インドネシア、豪州、ニュー・ジーランド、タイ

「黄色いカラス」(英語版) ドイツ、英国、フィンランド、ノールウェー、スウェーデン、ビルマ(スペイン語版)ウルグァイ、アルゼンティン、ペルー、チリ、パラグァイ、スペイン、ボリヴィア、コロンビア、ヴェネズエラ、エクアドル

「この天の虹」(フランス語版) カンボディア、ラオス、セネガル(スペイン語版)ブラジル、スペイン

「路傍の石」(ドイツ語版) ドイツ、アラブ連合

「花の慕情」(ドイツ語版) ドイツ、スイス

「秋刀魚の味」(ドイツ語版) ドイツ、オーストリア、スイス

(2) 文 化 映 画

「パルスの世界」(英語版) ドイツ、英国、ノールウェー、フィンランド、スウェーデン、ビルマ、チリ、カナダ、米国、ラオス(ロシア語版)ソ連

「巨船ネスサブリン」(日本語版) パキスタン、インド(英語版)ナイジェリア、ガーナ、エティオピア

「日本の音楽」(英語版) アフガニスタン、パキスタン、クウェイト、セイロン、トルコ、タイ、インドネシア

「日本の庭園」(英語版) サウディ・アラビア、ケニア、南ア連邦

「横山大観」(英語版) 英国、スペイン

「新しい製鉄所」(英語版) セイロン、パキスタン

「チョゴリザ」(英語版) ケニア

「日本の手工芸」(フランス語版) カンボディア、ラオス、セネガル

「日本・一九六二年」(スペイン語版) ウルグァイ、アルゼンティン、ペルー、チリ、パラグァイ、ボリヴィア、コロンビア、ヴェネズエラ、エクアドル(ロシア語版)ソ連

「日本の童謡」(ドイツ語版) ドイツ

「日本の家庭生活」(ドイツ語版) ドイツ、オーストリア、スイス(ロシア語版)ソ連、チェッコ

「日本の教育」(スペイン語版) パナマ、エル・サルヴァドル、メキシコ、キューバ、ドミニカ(英語版)フィンランド

「日本の四季」(英語版) インドネシア、豪州、ニュー・ジーランド、タイ

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(3) 映画祭の開催

国 内 関 係

一九六三年

十 月 日本映画海外普及協会主催第七回日本紹介映画コンクール

十 月 日本映画教育協会主催第十回国際短編映画祭

十 月 在本邦ソ連大使館主催ソ連映画祭

一九六四年

三 月 ウニタリアフィルム主催イタリア映画祭

海 外 関 係

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(4) 演 劇、舞 踊

一九六三年

五 月 六月~九月開催のスイス、ローザンヌ州美術館主催第一回ギャレリー・ピロート国際展への我国参加問題

六 月 シンガポールの東南アジア文化祭に対するわが国の参加問題

九 月 スウェーデンのストックホルム人形劇団の本邦公演斡旋問題

十月~ 四十年十月ベルリンで開催される日本文化祭に歌舞伎を始めわが国文化の代表的催物の参加方強い要請をうけているので、その実現方および特に歌舞伎についてはその機会に主要欧州諸国巡回公演方検討中である。

一九六四年

一 月 日本舞踊団のパキスタン、インドおよびビルマ三カ国派遣(旅費・仕込費 KBS負担、滞在費等現地負担)

一 月 上智大学講師エリーゼ・グリッリ女史の欧州における日本美術講演希望の斡旋

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(5) 音   楽

国 内 公 演

一九六三年

二 月 デットモルト管楽合奏団(西独)(読売新聞社)

二 月 ブラッセルフィルハーモニー協会長(白)(在京ベルギー大使館)

四 月 舞踊家ヘスス・ヴィラ・アレナス(西)

四 月 カテリーナ・ヴァレンテ一行(西独)(渡辺プロ)

四 月 フィリピン大学音楽部主任教授ラモン・タパレス(比)

四 月 ロンドン交響楽団         (英)     (大阪国際フェスティバル協会)

四 月 パリオペラ座バレエ団       (仏)     (      〃      )

四 月 キム・ボルイ(バス)         (フィンランド)(      〃      )

四 月 リカルド・オドノポゾフ(ヴァイオリン)(墺)     (      〃      )

四 月 ロべール・カサドウシュ(ピアノ)   (仏)     (      〃      )

四 月 ザグレブ室内合奏団        (ユーゴ)   (      〃      )

七 月 フィリピン室内楽団(比)(在京フィリピン大使館)

七 月 カリフォルニア・ユース・シンフォニー・オーケストラ(米)(朝日新聞)

七 月 第五回国際音楽教育会議の開催(全国音楽教育連合会・東京都)

八 月 ホセ・カーン(ピアノ)(墨)(在京メキシコ大使館)

十 月 ウィーン芸術大学チェンバロ科教授ハーリッヒ・シュナイダー(墺)

十 月 べルリン・ドイツオペラ団(西独)(日本生命)

十 月 イタリア歌劇団(伊)(N・H・K)

十一月 東京、アムステルダム日蘭交歓放送音楽会(東京都)

一九六四年

一 月 東京ボン日独交歓放送音楽会(東京都)

国 外 公 演

一九六三年

一 月 指揮者岩城宏之、ハンガリー国立交響楽団客演指揮

一 月 平岡養一のロスアンゼルスに於ける木琴演奏会開催

二 月 指揮者朝比奈隆、ボン市立交響楽団客演指揮

三 月 関西学院グリークラブ、台湾各地で演奏会開催

三 月 ヴァイオリニスト辻久子、西独及びスイス各地で演奏会開催

三 月 ピアニスト園田高弘の西独における演奏会開催

四 月 県立神戸高校合唱部の米国各地における演奏会開催

四 月 米国ルイジアナにおける日本現代作曲家演奏会

五 月 チェッコの国際音楽祭へ音楽評論家渡鏡子参加

六 月 ベルギーのエリザベート国際音楽コンクールにヴァイオリニスト鈴木秀太郎参加

六 月 サン・フランシスコにおける岸辺千賀夫の三曲演奏会開催

七 月 水野佐平所有の琴をパリ音楽院図書館へ寄贈に際しパリで菊井富美子箏曲演奏会開催

八 月 スペインのサンチァゴ・デ・コンポステラで開催の第六回国際音楽講習会に邦人音楽家六名参加

十 月 全日本学生マンドリン選抜チームの米国における演奏会開催

十 月 サン・フランシスコにおける衛藤公雄の箏曲演奏会開催

十 月 パリのマルグリット・ロン・ジァック・テイボーコンクールに審査員永井進参加

十一月 指揮者渡辺暁雄、フィンランド国立交響楽団ヘルシンキ市立交響楽団客演指揮

一九六四年

二 月 N・H・K交響楽団の沖縄、タイ、インドネシア、豪州、ニュー・ジーランドにおける演奏会開催

三 月 東京少年少女合唱隊の米国における演奏会開催

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(6) 日本紹介展示品送付

 品   名      三七年度   三八年度

日 本 人 形     一三七点    八○点

ひ な 人 形       五組    一二組

着   物        一三組    三七組

陶   器        一七点    二一点

漆   器         六点    一三点

茶  道  具      一〇組    一二組

生 花 用 具      一七組    一八組

能   面        一九点    一五点

竹 工 品         八点     九点

扇   子        六八点    六九点

羽 子 板         六点     四点

こけし人形       三四五点   一四四点

国   旗         〇     二〇旒

硯   箱         二点     三点

ガ ラ ス 器       八点     〇

堤   灯      三九五六点  一五八○点

草   履        二四点     四点

造   花      二七八〇本  一六五〇本

は  に  わ       〇      三点

日   傘        一〇点     〇

短   冊         〇      七点

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(7) 図書展示および寄贈

国 内 関 係

一九六三年

一 月 ドイツ外務省から国立国会図書館に対し図書五三四冊寄贈

一 月 日本巡回「ソ連邦学術図書雑誌展」開催

(六月まで在京ソ連大使館および出版文化国際交流会共催、出品数一、五〇〇冊)

十一月 第五回東京国際書籍展示会開催

(二五カ国から約一万冊出品、展示会代表者は日本出版貿易株式会社取締役会長望月政治)

国 外 関 係

一九六三年

一 月 アフガニスタン文部省および同国カブール大学に対し外務省から文化紹介英文図書をそれぞれ四三冊寄贈

一 月 タイ国プラサン・ミトル・カレッジに外務省より文化紹介英文図書八冊、文部省から文教関係資料六冊寄贈

三 月 イタリア中亜極東協会に外務省から文学関係資料一八冊寄贈

三 月 ブラジルのゴヤス大学主催国際図書展に外務省から図書一三冊を展示し、展示会終了後は同大学に寄贈

三 月 エティオピアのハイレ・セラシー大学に外務省から基本的日本紹介英文図書二四一冊寄贈

三 月 デンマークのオーフス大学に一九六二年フランクフルト国際図書展出品図書二二〇冊を一括出版文化国際交流会から寄贈したほか、外務省から文化紹介英文図書三七冊寄贈

三 月 米国のニュー・オルリンズ市立図書館に外務省から英訳日本文学八冊寄贈

三 月 アルゼンティン俳優協会に外務省から演劇関係英文図書十二冊寄贈

三 月 英国シェフィールド大学に外務省から日本研究英文図書八冊寄贈

三 月 カンボディア王族などに外務省から美術、演劇関係図書一〇冊寄贈

三 月 エクアドル土木省に外務省から建築関係図書七冊寄贈

三 月 アフガニスタン婦人協会に外務省から家事関係図書一〇冊寄贈

四 月 オランダ国ライデン大学へ外務省から文化紹介英文図書六九冊寄贈

五 月 ブラジル国カトリック大学および連邦大学へ外務省から文化紹介英文図書それぞれ八八冊および七七冊寄贈

五 月 ナイジェリア国イバダン大学およびマスカ大学へ外務省より文化紹介用英文図書それぞれ一九冊および五五冊寄贈

五 月 ジャカルタ書籍商組合主催第五回図書展示会に外務省から図書一三〇冊展示

六 月 イタリア中亜極東協会に外務省から日本文学関係図書十八冊寄贈

六 月 エクアドルの生花愛好家に外務省から生花資料六冊配布

六 月 カルカタ日本語講習会へ外務省から童話絵本五十冊寄贈

七 月 ペルー国サントトリビオ神学校に外務省から文化紹介英文図書三十冊寄贈

七 月 コロンビア文部省主催国際教科書展に外務省から小中高校教科書二〇二冊展示

七 月 北ボルネオ図書館およびブルナイ図書館へ外務省から文化紹介英文図書それぞれ八十一冊寄贈

七 月 ヒューストン公立図書館へ外務省から文化紹介英文図書五三冊寄贈

七 月 ナイロビローヤル、カレッヂに外務省から文化紹介英文図書六三冊寄贈

七 月 ブラジル国パラ大学へ外務省から演劇関係図書十冊寄贈

七 月 コロンビア国コロンビア大学へ外務省から建築関係図書十三冊寄贈

七 月 トルコ生花愛好家へ外務省から英文生花資料四〇冊配布

八 月 ボリヴィア文部省主催国際書籍展に外務省から文化紹介英文図書六七冊展示

八 月 インド国際文通クラブ主催国際書籍切手展に外務省から文化紹介図書四〇冊展示

八 月 チェッコスロヴァキアの生花愛好家に外務省英文生花資料五〇冊配布

八 月 イラン皇姉シャムスパ-ラヴィ妃殿下へ外務省から庭園関係資料五冊贈呈

八 月 マラヤ大学へ外務省から小中高校教科書一三四冊寄贈

九 月 オーストラリアの大学図書館等に外務省から文化紹介図書十六冊寄贈

十 月 チェッコスロヴァキア国民文学記念図書館主催日本書籍展に外務省から文学美術関係図書二一二冊展示、展示会終了後美術関係英文書籍は同図書館へ、日本文の書籍は東洋研究所へ、その他はチャールズ大学へ夫々寄贈

十 月 ブラジルペンクラブへ外務省から日本文学関係図書(英訳)五七冊寄贈

十 月 ボリヴィア国サンアンドレス大学へ外務省から建築関係図書十冊寄贈

十一月 タイ国図書協会主催世界図書展示会に外務省から日本文化紹介図書一〇〇冊展示

十一月 セイロン大学に外務省から文化紹介英文図書五七冊寄贈

十一月 ベルギー皇帝へ外務省から文化紹介図書五冊贈呈

十一月 カメルーン政府へ外務省から文化紹介英文図書四七冊寄贈

十一月 ユーゴースラヴィア出版事業協会主催第八回国際図書展に外務省から文化、技術、建築関係図書一四七冊展示

十一月 ガーナ図書館協会主催児童図書展に外務省から児童図書五六冊展示、展示会終了後出品図書をガーナ中央図書館に寄贈

十一月 ニュー・ジーランドの大学図書館等に外務省より文化紹介図書十六冊寄贈

十二月 ペルー国トルヒーヨ大学に外務省から文化紹介英文図書三四冊寄贈

十二月 フィンランド児童書籍協会に外務省から青少年文学に関する英文資料二五冊寄贈

十二月 ブラジル国カトリック大学日本語講座受講生に外務省から優等記念品として日葡辞典五冊寄贈

一九六四年

一 月 オーストリア国インスブルック市主催冬季オリンピック記念文化祭に外務省からチロルに関する日本文学資料(仏訳)を展示

一 月 メキシコ文部省へ外務省から小、中、高、大学課程数学課教科書四〇冊寄贈

一 月 トロント日系文化会館へ外務省から文化紹介図書七〇九冊寄贈

三 月 ハワイ大学イーストウェストセンターへ外務省から文化紹介図書一〇九五冊寄贈

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(8) 人 物 交 流

海 外 訪 問

一九六三年

一 月 山口県教育委員会派遣教員二名の欧米の小・中・高等学校教育事情視察

一 月 インドの玩具贈与協会提案による日本子供使節の同国訪問

一 月 東京大学岡津助教授(教育学)の教育学者の相互連絡をはかるための東南アジア、中近東諸国訪問

二 月 早稲田および慶応両大学学生一〇六名の中米(エル・サルヴァドル、グァテマラおよびメキシコ)親善旅行

三 月 東大、東工大、早大および慶大の四大学工科系学生(計六三名)のフランス工業事情見学旅行

三 月 東京教育大学内藤農学部教授のインド農業事情調査

三 月 外務省派遣東京大学中屋健弌教授の中南米七カ国巡回講演

四 月 フランス政府招へいによる日本学術会議員辻二郎博士の訪仏

五 月 文部省派遣による明治大学教授岡正雄を団長とするアジア・アフリカ言語文化研究状況調査団(四名)の欧州およびインド訪問

六 月 内海芦屋市長を団長とする日本青少年代表団(二二名)の訪仏

七 月 京都大学の東南アジア研究センター趣旨説明のため平沢学長および岩村忍教授のタイ、ビルマ、マラヤ訪問

七 月 フランス政府招へいによる日本人フランス語教師(十五名)のフランス訪問

七 月 世界連邦学生協議会派遣ラテン・アメリカ調査隊

七 月 総理府中央青少年問題協議会の派遣による日本青年代表団の北欧諸国(十五名)および中近東諸国(八名)訪問

七 月 大阪工業大学森暢教授の豪州(豪州政府招へい)およびニュー・ジーランド(外務省派遣)における日本美術講演

八 月 日本エスペラント学会代表(六名)の第四八回エスペラント大会出席

八 月 総理府中央青少年問題協議会の派遣による日本青年代表団の南米諸国(十五名)訪問

八 月 第十六回全米立法協議会に出席のため、代表十名のホノルル訪問

八 月 第十一回世界ジャンボリ日本代表団(四名)のユーゴースラヴィア訪問

九 月 慶応大学沢田教授、メキシコ市における第十三回国際哲学総会出席

九 月 総理府中央青少年問題協議会の派遣による日本青年代表団の東南アジア諸国(五三名)および北米諸国(二二名)訪問

九 月 外務省派遣音楽使節として、ピアニスト松浦豊明氏の南米(八カ所)およびニューヨーク演奏旅行

九 月 インドのベナレス・ヒンドウ大学招へいによる東京大学外尾善次郎助教授(鉱山学)の同大学講義(期間四カ月)

九 月 文部省派遣婦人教育視察団(十五名)の欧米諸国訪問

九 月 文部省派遣学校長等海外教育視察団イギリス班(二五名)、アメリカ班(二七名)の欧米諸国訪問

十 月 ナイジェリア、イヴァダン大学招へい(期間一カ年)による東京医科歯科大学新島迪夫教授(解剖学)の同大学赴任

十一月 文部省中央教育審議会会長森戸辰男氏のパリ大学協会本部およびユネスコ訪問

一九六四年

一 月 外務相派遣による陶芸家加藤土師萌氏(芸大教授)の欧州八カ国における講演および製陶実演

一 月 吉江参議院議員を団長とする留学生事情調査団の豪州・東南アジア訪問

二 月 山口県教育委員会派遣教員二名の欧米・アジアおよびオセアニアの小・中・高等学校教育事情視察

二 月 京都大学東南アジア研究センターバンコック連絡事務所開所式参加のため奥田総長および岩村忍教授のタイ訪問(なお文部省天城調査局長も右開所式参加および第四回アジア地域ユネスコ国内委員会出席のためタイを訪問)

三 月 外務省派遣文化人として、国際基督教大学学長鵜飼信成教授の東南アジア講演旅行

日 本 訪 問

一九六三年

一 月 英国文化振興会(ブリティシュ・カウンシル)会長ポール・シンカー卿夫妻の来日

二 月 エル・サルヴァドルから科学使節団(二三名)を含む同国訪日親善使節団の来日

三 月 米国ユタ大学オルピン学長夫妻の来日

三 月 外務省招客、ドイツ大学交換奉仕会(DAAD)シャイベ事務局長夫妻の来日

三 月 外務省招客、フランス外国人給費留学生受入事務局長ラブルース女史の来日(夫君のパリ大学経済史学教授ラブルース氏と同行)

三 月 外務省招客、ドイツのノーベル賞受賞者アドルフ・ブテナント博士(生化学者)の来日(大阪における第十六回日本医学総会出席)

三 月 外務省招客、アルゼンティンのノーベル賞受賞者ベルナルド・フーサイ博士(医学者)の来日(大阪における第十六回日本医学総会出席)

三 月 総理府の第一回東南アジア諸国青年招待計画による各国青年運動代表者一三名の来日[内訳、中華民国(一名)、インド(二名)、フィリピン(二名)、シンガポール(一名)、タイ(二名)、ヴィエトナム(二名)、インドネシア(二名、ただし在日留学生)およびカンボディア(一名)]

四 月 外務省招客、オーストリア国立応用工芸美術館長ヴィクトル・グリスマイヤー氏の来日

四 月 ストックホルム大学建築科学生団(八五名)の来日

五 月 外務省招客、豪州科学技術研究庁長官フレデリック・ホワイト卿の来日

八 月 アメリカ政治研究者グループ(八十名)の来日

八 月 フランスのカソリック系学生使節団(一八名)の来日

九 月 外務省招客、オックスフォード大学美術教授(元英国アーツカウンシル会長)ケネス・クラーク卿の来日

九 月 外務省招客、アラブ連合カイロ市公園緑化局長イスマイル氏の来日

九 月 日独青少年交歓事業のためドイツ青少年運動指導者(六名)の来日

九 月 外務省招客、インドネシア作家兼評論家アナス・マルフ氏の来日

九 月 ペルー、エクスプレソ紙社長マヌエル・ガージョ氏夫妻の来日

九 月 パキスタン・日本文化協会事務局長S・M・ザキール氏の来日

九 月 アラブ連合スエズ運河歯科部長1・M・イブラヒム氏の来日

十 月 外務省招客、日ア文化協会理事長オスワルド・スバナシー二氏夫妻の来日

十 月 フランス上院文化委員会委員(六名)の来日

十 月 総理府の第二回東南アジア諸国青年招待計画による各国青年運動代表者の来日(六名)[内訳、マレイシア三名、タイ二名、フィリピン一名]

十一月 オランダ著作家J・ファブリシアス氏夫妻の来日

一九六四年

一 月 豪州南オーストラリア州キングストン・カレッヂ体育教師L・P・セヴック氏の来日

一 月 ユニヴァシティ・オブ・セブン・シーズ見学団(二七五名)の来日

二 月 外務省招客、インド国立登山学校教官テンジン・ノルゲイ氏の来日

三 月 外務省招客、日本・ネパール文化友好協会長P・M・シン氏の来日

三 月 外務省招客、ベルリン日独協会事務局長マックス・パンコウ博士の来日

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(9) 華道使節派遣

一九六三年

一 月 外務省事業として池坊の渡辺芙紗子、奥山喜美子両師範をパキスタン、インド、セイロン、シンガポール、香港、中国に派遣(二月まで)

一 月 外務省事業として小原流の平賀豊英、藤田桂子両師範をビルマ、マラヤ、タイ、ラオス、ヴィエトナム、カンボディア、フィリピンに派遣(二月まで)

九 月 外務省事業として草月流木戸きみえ、前田鶴染両師範をデンマーク、ノールウェー、スウェーデン、フィンランド、ハンガリー、チェッコスロヴァキア、ユーゴースラヴィアに派遣(十月まで)

一九六四年

一 月 外務省事業として小原流平賀豊英、佃豊季両師範をフィリピン、タイ、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、香港、台湾に派遣(二月まで)

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(10) スポーツ関係

国 内 開 催

一九六三年

三 月 世界スピードスケート選手権大会の軽井沢における開催

国 外 開 催

一九六三年

一 月 米国マイアミの世界ジュニアー庭球選手権大会に選手派遣

一 月 横綱大鵬一行のフランス・スペイン、香港訪問

一 月 全日本健康優良児童関係者一行の渡米

一 月 阪神タイガースチームの渡米

一 月 印度のアジア庭球選手権大会に選手派遣

一 月 マニラの第一回アジア・アマチュアゴルフ選手権大会に日本選手団派遣

一 月 オーストリア、インスブルックのプレ・オリンピック大会に日本選手団派遣

一 月 水泳コーチ等を西独へ派遣

二 月 ヴェノスアイレスの第九回世界グライダー飛行選手権大会に選手派遣

二 月 東洋工業サッカーチームのタイ、南ヴィエトナム、シンガポール、マラヤ、ビルマ、香港訪問

二 月 フィリピン、シンガポール、香港等における第二回極東ゴルフサーキットに日本選手団派遣

二 月 濠州へ水泳選手団派遣

二 月 マニラ庭球選手権大会に選手派遣

二 月 オーストリア、アルペンスキー選手権大会に選手派遣

二 月 北米スキー選手権大会に選手派遣

二 月 ノールウェーのスキー選手権大会に選手派遣

三 月 チェッコの世界卓球選手権大会に選手派遣

三 月 全日本選抜中学水泳チームの米国派遣

三 月 イタリア世界フィギュア・スケート選手権大会に選手派遣

三 月 モスクワの第六回ウェイトリフティング世界選手権大会に代表派遣

四 月 マラヤ庭球選手権大会に選手派遣

五 月 ソヴィエトのアマチュアボクシング連盟理事会に日本代表派遣

五 月 ブラジルの第四回世界バスケットボール選手権大会に選手団派遣

六 月 英国のウイムブルドン世界庭球選手権大会に選手派遣

六 月 日本陸上選手団のスペイン、ポーランド、フィンランド、ソヴィエト、ノールウェー、英国、ドイツ、イタリア訪問

七 月 香港の星島体育会主催の卓球大会に選手派遣

七 月 日本マラソン選手団のニュー・ジーランド訪問

七 月 リンツの国際身体障害者スポーツ大会に参加

七 月 タイ国へ水泳コーチ一名派遣

七 月 カナダ・ジュニア庭球選手権大会に選手派遣

八 月 ベルギーのアマチュア自転車競技選手権大会に選手団派遣

八 月 日本蹴球チームの香港及びシンガポール訪問

八 月 高校選抜野球チームのハワイ訪問

八 月 ポルトアレグレの一九六三年ユニバーシァード大会に日本選手団派遣

九 月 フランスのホッケートーナメントに日本ホッケー選手団派遣

九 月 ポルトガル国へ体操コーチ一名派遣

九 月 全日本剣道連盟関係者の米国及び南米訪問

九 月 スイスへ近代五種選手団派遣

十一月 体操選手団のニュージーランド訪問

十一月 ブタペストの国際体操連盟技術実行委員会に日本代表団派遣

十二月 カンボディア国に水泳コーチ(男女)各一名派遣

十二月 米国マイアミの世界ジュニア庭球選手権大会に選手派遣

十二月 フィンランドスポーツ記者連盟の招聘により村社講平渡欧

一九六四年

二 月 米国の世界男子バドミントン選手権大会に選手団派遣

二 月 フィリピン庭球選手権大会に選手団派遣

二 月 印度のアジア国際庭球選手権大会に選手団派遣

二 月 チェッコスロヴァキアのユニバーシァード冬期競技大会に選手団派遣

三 月 チェッコスロヴァキアのハンドボール世界選手権大会に選手団派遣

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(11) 柔道教師派遣

一九六三年

二月から三月 外務省から講道館六段池田幹氏をアフリカ諸地域に派遣(セネガル、コンゴー、南アフリカ共和国、南ローデシア、ケニア、エティオピア、アラブ連合)

六 月 アラブ連合陸軍の招へいにより講道館池田幹六段、中村良蔵五段アラブ陸軍にて柔道指導(期間一年)

八 月 ソ連レスリング連盟の招へいにより、国会議員柔道連盟田原春次常任理事ほか十名は、ソ連柔道チームと国際親善対抗試合を行うため訪ソ(九月まで)

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(12) 学術探検および登山隊派遣

一九六三年

二 月 東京都立大学ヒマラヤ遠征隊派遣(隊長長沼直澄OB他七名)(期間二月-七月)

二 月 大阪外国語大学のメキシコ学術調査団派遣(隊長山田善郎同大学助手以下六名)(期間二月-五月)

三 月 東京農業大学の東部ネパール学術調査隊派遣(隊長同大学OB日岳会織内信彦評議員以下七名)(期間三月-六月)

三 月 神戸大学の中(台湾)日親善学術調査隊派遣(隊長田中薫同大学名誉教授以下九名)(期間三月-四月)

三 月 千葉大学のロールワリン・ヒマール学術調査隊派遣(隊長沼田真同大学助教授以下六名)(期間三月-七月)

三 月 全日本山岳連盟のヒマラヤ遠征隊派遣(隊長日本電信電話公社勤務善行久親以下七名)(期間三月-五月)

三 月 東京大学全アジア踏査隊派遣(隊長大林太良同大学講師以下九名)(期間三月-七月)

三 月 日本大学中華民国台湾省山岳登山隊派遣(隊長瀬能重衙同大学教授以下十名)(期間三月-)

四 月 上智大学豪州親善調査隊派遣(隊長諸田原涓一同大学講師以下四名)(期間四月-七月)

五 月 京都大学アフリカ類人猿学術調査隊派遣(隊長今西錦司同大学教授以下十四名)(期間五月-一年間)

五 月 大阪大学アジア医学踏査隊派遣(隊長伊藤利根太郎同大助教授以下六名)(期間五月-九月)

五 月 東南アジア稲作民族文化綜合調査団派遣(団長川喜田二郎東京工大教授以下三名)(五月-三九年三月)

五 月 ヒマラヤ蝶蛾調査隊派遣(隊長阿江茂日本鱗翅学会々員以下九名)(期間五月-八月)

五 月 東京大学カラコルム遠征隊派遣(隊長加藤試平岡大学教授以下十一名期間五月-九月)

五 月 神戸大学山岳会ボリヴィア遠征隊派遣(隊長金井健二OB以下四名)(期間五月-九月)

五 月 東京大学アンデス調査団派遣(団長今泉靖一同大学教授以下九名)(期間五月-九月)

六 月 東京外語日印学術調査団派遣(団長長島辰夫同大学現代インド研究会々員以下三名)(期間六月-九月)

七 月 京都大学イラン・アフガニスタン・パキスタン学術調査隊派遣(隊長水野清一同大学教授以下七名)(期間七月-三十九年一月)

七 月 石川県山岳連盟東アフリカ親善登山隊派遣(隊長松本由同県山岳連盟会長以下六名)(期間七月-九月)

七 月 同志社大学ヒマラヤ遠征隊派遣(隊長児島勘次日本山岳会々員以下五名)(期間七月-三十九年一月)

七 月 北海道大学西ネパール学術調査隊派遣(隊長安藤久男日本地質学会々員以下四名)(期間七月-三十九年一月)

七 月 早大南アメリカ学術調査隊派遣(隊長今泉港同大学々生以下三名)(期間七月-三十九年一月)

七 月 慶応大学イスラエル学術調査研究団派遣(団長原島進同大学教授以下五名)(期間七月-九月)

八 月 大阪大学中部ネパール遠征隊派遣(隊長篠田軍治同大学教授以下四名)(期間八月-十二月)

八 月 早稲田大学東南アジア学術調査隊派遣(隊長山田良治同大学教授以下四名)(期間六月-八月)

九 月 東京大学インド植物調査隊派遣(隊長原寛同大教授以下五名)(期間九月-十二月)

九 月 東京都立大学・大阪府立大学合同東部ネパール学術調査隊派遣(隊長石原憲治都立大教授以下十名)(期間九月-三十九年三月)

一九六四年

一 月 全日本山岳連盟長野県山岳連盟ヒマラヤ遠征隊派遣(隊長古原和美全日本山岳連盟常任理事以下十一名)(期間一月-七月)

二 月 大阪市立大学ヒマラヤ遠征隊派遣(隊長鈴木武夫OB以下六名)(期間二月-七月)

二 月 立教大学ヒマラヤ中部学術踏査隊派遣(隊長福田宏年同大学助教授以下四名)(期間二月-七月)

二 月 東京大学イラク・イラン遺跡調査団派遣(団長江上波同大学教授以下六名)(期間二月-八月)

二 月 大阪大学東パキスタン学術調査団(団長天野利武同大学教授以下九名)(期間二月-三月)

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