六 海外移住の現状と邦人の海外渡航

 

 

移住態勢の整備と活動

 

1 海外移住事業団の設置

海外移住実務機構の刷新、整備と移住行政の一元化を目的として、一九六三年七月八日海外移住事業団法が公布され、この法律に基づいて、同年七月十五日日本海外協会連合会および日本海外移住振興株式会社の業務を統合し、外務大臣の監督下に「海外移住事業団」が設置された。

本事業団は、海外移住に関する公的実務機関として移住者の援助および指導その他海外移住の振興に必要な業務を国の内外を通じ一貫して効率的に行なうことを目的とし、政府の交付金および出資金によって運営される。事業団の行う業務の範囲は次のとおりである。

(1) 移住に関する調査および知識の普及

(2) 移住相談およびあっせん

(3) 移住者に対する訓練、講習および渡航費の貸付け、支度金等の支給

(4) 移住者の渡航の際の宿泊施設の提供、引卒その他の援助および指導

(5) 海外での移住者の事業、職業その他生活一般についての相談および指導

(6) 移住者定着のための福祉施設の整備その他の援助

(7) 入植地の取得、造成、管理および譲渡ならびに取得のあっせん

(8) 移住者およびその団体に対する農業、漁業、工業等の事業資金貸付けおよび事業資金借入れに係る債務の保証

(9) 移住者を受け入れること確実であり、かつ移住振興に寄与すると認められる現地事業に対する農業、漁業、工業等の移住者受入れ関係所要事業資金貸付け

(10) 上記業務の附帯業務

(11) 事業団の目的を達成するために必要なその他業務

事業団の資本金は、日本海外移住振興株式会社に対し、従来より出資されてきた政府出資金三二億二、五〇〇万円に、新たに事業団に対し政府から出資される八億円を加え、四〇億二、五〇〇万円となっているが、政府は、必要があると認めるときは、予算で定める金額の範囲内において、事業団に追加して出資することができる。

事業団は、主たる事務所を東京に置き、必要により国外および国内に、従たる事務所を置くことになっている。国外においては、リオ・デ・ジャネイロ、サン・パウロ、ベレーン、レシーフェ、ポルト・アレグレ(以上ブラジル)、アスンシオン(パラグァイ)、ブェノス・アイレス(アルゼンティン)、サンタ・クルス(ボリヴィア)、サント・ドミンゴ(ドミニカ)、にそれぞれ支部が、また、サン・フランシスコ(アメリカ合衆国)には駐在員事務所が置かれているほか、サン・パウロまたはリオ・デ・ジャネイロに、事業団中南米代表部設置の計画が進められている。国内においては、従来移住業務の第一線的役割を果してきた各都道府県の地方海外協会の主要業務を吸収して、一九六四年七月一日から全都道府県に、事業団地方事務所が置かれることになっている。

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2 海外移住事業団の活動

従来、日本海外協会連合会および日本海外移住振興株式会社が行なってきた事業は、一九六三年七月十五日以降すべて海外移住事業団において引き継ぎ、引きつづきこれが実施に当っている。

国内における移住の啓発、相談、あっせんは都道府県および地方海外協会(前述の通り一九六四年七月以降は事業団地方事務所に引継がれる。)の協力を得ており、海外現地における受入施策としては振興会社と海協連の事務所を統合し、総合的に移住者定着のための指導、援助を行うこととなった。営農その他の職業上の指導のほか、本年度においては特に移住地における衛生、教育面の援助を重視し、診療所の設置、巡回医の派遣、移住者子弟のための学校の建設、教師確保の援助、通学、進学の援助等も行なっている。

従来振興会社が行なってきた移住地の取得、造成、分譲事業および融資事業については、昭和三十八年度の事業方針として、新移住地の購入は見送るとともに、振興会社時代の購入移住地の造成も、移住者の送出見込数に見合って進める程度とし、むしろ移住者の必要とする営農資金、土地購入資金などの貸付けに重点を置いている。

融資事業は、現地融資に重点を指向し、移住会社の定めた移住者に対する営農融資基準に基づいて行なっており、その一九六三年七月十五日以降六四年一月末現在までの実績は一五九件、約二〇、○○○万円である。

なお、移住会社創立以来現在までの投融資実績は総額約三〇億六、五四七万円に達している。

また、既購入移住地のうち移住者入植見込の少ないものについては、とりあえず未分譲地の貸付、牧場としての利用等により投下資金の遊休化防止に努めつつ、さらに抜本的な対策を樹立すべく調査研究している。

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3 移住のための財政支出の現状

昭和三十八年度外務省関係予算において移住振興費として総額約一〇億五、○○○万円を計上するほか、財政投融資として海外移住事業団に対し産業投資特別会計より出資金八億円が計上された。なお財政支出の特色は、前述の海外移住事業団を発足させ、移住実務体制の合理化を図ることとしたことにある。

移住振興費の主な項目は次のとおりである。

(1) 移住者渡航費貸付金

約五、九〇〇万円

(2) 移住者支度費補助金

約九〇〇万円

前年度に引続き同額が支給されるほか、移住者が渡航のため、郷里から集結地(神戸、横浜)に到着するまでの旅費実費の1/2以内を補助することとなった。

(3) 海外移住事業団交付金

約七七七、○○○千円

事業団の東部および在外支部の人件費、事務費および事業費七億七、七〇〇万円(九カ月分)

(4) 移住促進費補助金

各都府県に対し啓発募集等の経費として職員設置費(四六名)および事務費として二、○○〇万円が新たに計上された。

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渡航費貸付移住者送出および受入状況

 

1 昭和三十八年度移住者送出の概況

昭和三十八年度における当初の移住者選出予定数は農業移住者七、○○○名、技術移住者一、○○○名、計八、○○○名であったが、送出実績は国内事情などの影響から一、五二六名にとどまった。

一九五二年十二月に移住が再開されてから一九六四年三月末までの渡航費貸付移住者の送出合計は五万六、○〇六名となっている。

昭和三十八年度の送出実績の受入国別内訳はつぎのとおりである。

ブ ラ ジ ル  一、二三七名     パ ラ グァイ   一〇七名

アルゼンティン     九三〃     ド ミ ニ カ     二〃

ボ リ ヴィア     八一〃     メ キ シ コ     二〃

チ     リ      一〃     ウ ル グァイ     三〃

                      計     一、五二六名

(右統計には婚姻その他の事由で自費渡航した永住渡航者は含まれていない。)

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2 技術移住の推進

技術移住のあっせんは、一九六一年二月以降、現地の企業体(ブラジルおよびアルゼンティン)からの求人に基いて適格な移住者を送出する、いわゆる求人連絡方式をもって開始されたが、(それ以前は一九五四年より指名呼寄の形態で散発的に行われていた)、その後六三年一月より、移住希望者の希望に基いて現地における就職先を求める方法、すなわち求職連絡方式を併用し、技術移住あっせんの充実と移住者数の技術移住の着実な発展を期するため、増大を計りつつ現在に至っている。技術移住の着実な発展を期するため受入れ対象となる企業体は現在のところ一応ブラジル殊にサン・パウロ地域のものに限定し、優秀な技能者の継続的送出に努力が払われているが、移住者の就労状況は概ね良好で、受入会社の評判も良く、その生活もインフレ昂進下にありながら比較的に安定している。

しかし、最近ブラジルの産業界は、物価急騰による購買力の低下に影響され、各企業の雇用意欲は減退の傾向にあり、ここ当分の間は求人先の開拓には相当の困難が伴うものと予想される。

なお、昭和三八年度(三八年一二月三一日現在)の送出実績は、つぎのとおりである。

技  能  者   五二名    同  伴  者   一五名

                    計      六七名

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3 派米短期農業労務者

(1) 一九五六年日米両国政府了解の下に、派米短期農業労務者(通称「短農」)事業が発足し、日本政府の指導で設立された社団法人農業労務者派米協議会が運営しているが、同協議会は一九六四年三月末までに四、〇六九名の農業労務者を、米国カリフォルニア州へ派遣した。

この事業は、日本の農村青年に、米国での生活と就労の機会を与えることによって米国および米国人を理解させ、その国際的視野を培わせるとともに、米国で得た生活体験と近代農業の感覚を日本でもできるだけ活用させることを目的としており、同時に、これにより日米両国の親善関係を緊密にする一助とすることを意図したものである。

(2) 本事業は、当初滞米実数、年間三、○○○名を越えないこと、また、滞米期間最高三カ年とすることなどを条件として発足した。その後、米国経済の後退により国内失業労働者が漸増したため、一九六一年十一月の日米間の了解のもとに、一九六二年十月以降前記三、○○○名の枠を一、二〇〇名に減らすこととなり現在に至っている。

因みに一九六四年三月末現在の滞米短期農業労務者は一、二三三名である。(四月上旬の満期帰国者を含む)

ところが派米短農の実績は現地側でもきわめて高く評価され、一九六四年の米側の求人申込みは前述の一、二〇〇名の枠をはるかに超過している現状である。

(3) 現在までの短農満期(三カ年)帰国者二、八三六名は、日本の津々浦々に散在して米国ならびに米国人のよき紹介者となり、又日本国際農村青年連盟を組織して互いに連絡を保ちながら、農村における若い指導力を形成しつつあって、なかには南米に移住し、過去の経験の上に立って、相当なリーダーシップを発揮しているものが少くない。

一九六四年三月末現在の帰国者の内訳は次のとおりである。

農業関係指導員    八五名     サラリーマン     三七七名

再 渡 米 者    三一名     南米諸国への移住者   七二名

自 家 農業者  二、二二七名     死  亡  者     一九名

不     明    二五名

                      計      二、八三六名

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日亜および日伯移住協定

 

1 日亜移住協定の発効

アルゼンティンは、戦後イタリア、オランダ、スイス等の欧州諸国と移住協定を締結し、これら欧州人移住者の受入れに努めてきたが、日亜両国間の友好親善関係の増進に伴ない、わが国からの移住者に対しても、各州ごとの受入れ許可制限の緩和、入国査証手続の簡易化等日本人移住者の受入れを促進する気運が次第に醸成されつつあった。

このような情勢の下に、この協定は、一九六一年十二月二十日、フロンデイシ前大統領の訪日を機会に、東京において署名の運びに至り、次いで一九六三年五月十七日交換公文をもって、同日発行した。

この協定の発効により、日本からアルゼンティンヘの移住は農業者のみならず技術者の移住も促進され、また、日本人移住者は第三国の移住者と同等の待遇を与えられかつ内国民待遇を受けるので、日本人移住者の地位は著しく安定し、同国への移住は一層円滑化するに至った。

なお、両国政府の合意により作成される計画に基づいて渡航する日本人移住者は、一万ドル以内の引越荷物類につき関税を免除され、また日本の移住関係団体は必要機械類につき関税の免除を受ける。

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2 日本とブラジルとの移植民協定

一九六〇年十一月十四日ブラジル国リオ・デ・ジャネイロ市において日伯両国代表により署名された「移住および植民に関する日本国とブラジル合衆国との間の協定」は、わが国では一九六一年四月十二日に国会の承認をえ、ブラジル側でも一九六三年五月三十日に上下両院の承認を得たので、同年十月二十九日東京でこの批准書を交換することとなった。

本協定の主な点は次のとおりである。

(1) 国際協力の精神に基づきこの協定は、ブラジルの経済開発を促進するため、技術を身につけた日本人のブラジルヘの移住の流れを指導し、組織化し、また規制することを目的としている。従って両国双方三人づつからなる、混合委員会の合意によって作成された計画に基いて行なわれる計画移住に重点が置かれているが、自由移住についても両国政府は援助し、保護することになっている。

(2) 計画移住の量は、日本側の送り出し可能性とブラジルの労働需要とを勘案して決定されるが「ブラジルの移住政策の自由の原則」に基いて、人種、性、宗教による差別取扱いはしないことになっている。

(3) 計画移住については、日本側は予備選考、送り出しおよび海上輸送を分担し、ブラジル側は確定選考、出迎え、携行荷物の通関、目的地に到着するまでのブラジル国内輸送、宿舎提供、給食、および医療衛生上の援助などを分担する。また職業用の機械器具の無税通関が原則として認められる。

(4) 特に農業関係の計画移住者は土地の取得、入植地へ通ずる道路の建設、試験農場の設立についてブラジル側の援助を受けるほか、入植後三年間は地方税を免除され、教育、医療および厚生上の援助を受ける。

(5) ブラジルの環境に適応できない移住者に対しては、両国が帰国などについて援助することになっている。

(6) また、付属の交換公文では、ブラジルは同国で一般に第三国からの移住者が与えられる待遇を日本人移住者にも与えることと、母国送金の自由を認めることを規定している。

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邦人の海外渡航

 

1 概   況

(1) 一九六三年(一月-一二月、以下同じ。)中、邦人の海外渡航に対し、外務省が発行した旅券総数は、九万二、三四七冊(旅券の発行冊数は、実際に渡航した人員数とは一致しない。一五歳未満の子供で両親に同伴するものは、各三人までそのいずれかの旅券に併記できるし、また、旅券が発給されても何らかの理由で渡航を取止めるものもあるからである。)にのぼり、対日平和条約が発効した一九五二年の発行数一万三、四四一冊の約七倍に当る。

これを前年の一九六二年に比較すれば、二万三、九三九冊、約三五%の増加である。

旅券発行数の過去一〇年間における実績を見るに、一九五八年を除くいずれの年でも、その前年より増加しており、平均増加率は、約一九%であるが、一九六三年が前述のように飛躍的に伸び、一九五六年の三七%に次ぐ最高率を記録した理由は、貿易および為替の自由化措置に伴ない、一九六三年四月および十一月に実施された海外渡航、特に業務渡航に対する規制が大幅に緩和されたためである。

(2) 旅券発行の年間趨勢は、毎年、夏期に向って上昇線を描き、これを頂点として、再び下降する傾きがある。一九六三年も例年どおり、八月が最高位を示し、月間発行数としては、九、三六四冊という前例にない新記録を樹てた。最低位は、通例、一月を常とし一九六三年も、この例に洩れず、同月が最低で五、一九七冊を数えたが、一九六三年は、稍々おもむきを異にし、八月以降、落勢に移る度合が例年ほど強くなく、一九六四年一月は七、七六七冊にも達した。この数字は、前々年の一九六二年における月間最高数を上廻っているが、このような増勢傾向は、近く実施が予定されている海外観光の自由化によって益々拍車が加えられるものと想像される。

(3) その他、一九六三年には共産圏諸国特に中共への渡航者が増加したこと、中国(台湾)渡航が著増したこと、移永住関係が依然として低調であったこと、並びに、団体渡航者殊にスポーツ関係親善訪問が引続き活発であったことが注目される。

なお、一九五二年から一九六三年までの一二年間の旅券発行数は、累計五〇万八、〇八四冊(別表参照)に達した。

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2 目的別渡航状況

一九六三年の発行旅券を渡航目的により大別すれば、次のとおりである。

(1) 一 般 旅 券

渡 航 目 的    発 行 冊 数  百 分 率

経 済 活 動     五九、六九八     六八%

文 化 活 動     一一、八八〇     一四

移  永  住      七、五三二      八

そ  の  他      八、四七八     一〇

   計        八七、五八八    一〇〇

注 「その他」とは、興行、家族および同伴者、知人近親者訪問、病気治療および見舞、休養、米軍用務、墓参等である。

(2) 公 用 旅 券

渡 航 目 的      発 行 冊 数  百 分 率

外     交        一、二三八     二六%

公     用        三、五二一     七四

   計           四、七五九    一〇〇

これらの冊数を一九六二年に比べると、一般旅券は、二万三、六三六冊(三七%)の増加で、更にこれを目的別に区分すると、経済活動は、二万二、二七四冊(五九%)、文化活動は、五八三冊(五%)、その他は、九四九冊(一二%)、それぞれ増加、特に、経済活動は、前述のとおりの激増振りであるのに反し、移永住は、僅かとはいえ、一七〇冊(二%)減少した。

公用旅券は、三〇三冊(七%)、その内、外交は、五四冊(四%)、公用は、二四九冊(七%)を各々加えた。

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3 国別渡航状況

次に、一九六三年における一般旅券の国別渡航者を見るに、一九六二年がその前年の一九六一年に比較し、いずれも減退しているのに対し、一九六三年は、次表のとおり、各国とも大幅に伸張している。その順位は、一九六二年と大差なく、前年第一〇位であったブラジルに代り、中国が進出、また、英国とドイツとが相互に地位をいれ変えたに過ぎない。

順位  国  名     人 数(実数)    前年比増加率

1  米   国    三四、六九三        三八%

2  香   港    二〇、四三六        九八%

3  ド イ ツ    一四、九〇七        七七%

4  英   国    一四、四八五        六九%

5  フランス     一三、二九七       一〇一%

6  イタリア     一一、五二四       一〇八%

7  マレイシア     九、二〇四       一一〇%

8  タ   イ     八、四〇八        八三%

9  ス イ ス     七、四三二        七二%

10  中   国     五、一六八        七一%

注、マレイシアは、前年第八位を占めたシンガポールとの比較である。

なお、中共は、六〇一名から一、七七八名に激増したが、これは、北京および上海、両工業展に関係者が多数参加したことに起因する。ソ連は、四〇九名を増して一、七五〇名となり、韓国もまた四一七名を加えて三、○一一名となった。

別表     旅券発行状況

 

注一 本表は、外務本省で発行した旅券の冊数であって在外公館発行の分は、含んでいない。

注二 旅券は、発行の日から六カ月間有効であるので、旅券発行の年が、渡航者の本邦出国の年と異る場合もある。本統計は、すべて旅券発行の年(一月-一二月)を基準としている。

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