通商航海条約および通商協定
わが国とフィリピンとの間の友好通商航海条約は、一九六〇年十二月九日署名され、わが国では一九六一年十月三十一日国会の承認をえたが、フィリピン側はまだ批准措置をとっていない。
マカパガル大統領は、昨年三月、国内産業保護の国内諸立法制定まで本条約の批准措置をとらない旨決定したが(第七号一八〇頁参照)、現在までのところこのような立法は何ら行なわれていないほか、昨年十一月行なわれた上院議員の改選の結果、与党である自由党は定員二四名中、過半数の一三名を得たものの、条約承認に必要な三分の二の多数を得られなかったこともあって、本条約は本年のフィリピン議会(一月二十七日より五月二十一日)に上程されなかった。本年は予算案審議のため、通常議会に引続いて特別議会が三〇日間の予定で開かれることとなったが、同会期中に本条約が上程されるかどうかについては、明確な見透しは得られない事情にある。
このような情勢に対して、わが方は、依然として本条約の早期発効を希望し、フィリピン側批准を促進するための努力を続けている。他方、昨年九月の池田総理のフィリピン訪問の際、同総理とマカパガル大統領との間で、入国滞在、事業活動、合弁事業などの面で、条約未批准のためわが方が蒙っている支障を除去するため、本条約批准までの間の暫定的な取決めを行なうことについて検討および話合いを行なうことに合意をみた。この話合いは、フィリピン側の準備がととのい次第早急に始める手はずとなっているが、速かに満足な解決がみられることが期待されている。
オーストラリアとのガット第三十五条援用撤回を中心とする日豪通商協定改正交渉は、一九六二年十一月からキャンベラで行なわれたが、マッキュアン豪副首相兼貿易大臣の来日の機会に両国政府の間で最終的な意見の一致をみ、一九六三年八月五日外務省で福田外務大臣臨時代理とマッキュアン副首相およびマッキンタイヤ駐日豪大使との間で通商協定を改正するための議定書と両国間の貿易関係の細目を規定する合意議事録が署名され、オーストラリアはこの議定書の発効とともに対日ガット第三十五条の援用を撤回する旨の書簡を発出した。議定書は批准書交換の日に発効することになっているが、署名と同時に行政府の権限の範囲内で議定書および合意議事録に盛られている了解を暫定的に実施することとした。右議定書はオーストラリアの対日ガット第三十五条援用撤回に伴ない、一九五七年に締結された現行通商協定に所要の修正を加えたもので、市場攪乱の際は、一方的に輸入制限を行ない得ることを規定しているいわゆる「セーフガード条項」を削除することとしている。新通商協定はこの議定書発効後三年間有効であるが、その後もいずれか一方が廃棄の通告をしない限り自動的に延長されることになっている。
オーストラリア議会は一九六三年九月新協定に関する審議を終了し、わが国会も本年四月、本協定を承認したので五月二十七日、キャンベラにおいて太田駐豪大使とタンゲ豪州外務次官との間で批准書が交換され、新協定は正式に発効した。また、オーストラリア政府は同日付でガット事務局に対し対日ガット第三十五条援用を撤回する旨通報した。
オーストラリアはこのようにして英国、フランス、ベネルックスに引続いてわが国に対するガット第三十五条の援用を撤回することになったが、特にオーストラリアがセーフガードもセンシティブアイテムもなしに撤回したのはオーストラリアの日本に対する友好的態度を示すものといえよう。
なお、さきにオーストラリアが国内産業を緊急に保護する手段として設けた暫定輸入制限制度(関税委員会の審査を経る通常の関税引上手続をふんでいては間にあわないような緊急事態に対処するため、暫定的に関税の賦課または数最制限を行う制度)については、制度設立以来活発に運用され、日本品に対する影響も少なくなかった。そこで、今般の日豪通商協定改正交渉に際してわが方はこの制度の運用についてオーストラリア側の自重を求め、その結果、同制度の乱用防止についての了解が合意議事録に盛られている。(この暫定関税または暫定数量制限による緊急保護制度の発動はオーストラリアの景気回復もあって最近きわめて控え目になっている。)
わが国とメキシコとの貿易を安定した基礎の上に一段と伸張させるため、わが国は機会あるごとにメキシコ側に対し通商協定締結の申し入れを行なってきた。その後、一九六二年三月わが中米カリブ海貿易使節団がメキシコを訪問した際、また、同年十月ロペス・マテオス・メキシコ大統領がわが国を訪問した際等に、メキシコ側は協定締結交渉に応ずる用意がある旨を明らかにした。よって目下、駐メキシコ林大使を通じて同国政府と通商協定締結交渉中であるが、六四年五月皇太子殿下の同国訪問もあり、両国の親近感は増大しているので、交渉のための良き精神的基盤が形成されていると言えよう。
わが国のエル・サルヴァドルへの輸出は、通商協定がないため、西欧諸国に比し若干品目について関税上不利な待遇を受けていた。よって、政府はこの状態を改善するため、また同国を中心として発展しつつある中米共同市場との関係を深めるため、機会あるごとにエル・サルヴァドルに対し通商協定締結の申入を行なってきたところ、一九六一年末に至り同国はこれに応じたので、直ちに駐日同国大使との間に協定締結交渉を行ない、ハウレギ経済大臣の来日を機会に一九六三年七月十九日、東京において、わが方全権大平外務大臣とエル・サルヴァドル側全権ハウレギ経済大臣との間に通商協定の調印をみた。その後双方とも所要の手続を了し、六四年六月一日批准書の交換が行われた。
日本・ハイティ間の通商に関する協定は一九五八年十二月十七日東京で締結され、日本側は翌五九年二月二十七日同協定批准のための国会の承認を得たが、ハイティ側は種々の事情により国会の批准を求められず、わが方は機会ある毎に批准の促進方を申入れてきたところ、ハイティは六三年六月同協定を批准し、同年十月三十一日ハイティの首都ポルトー・プランスにおいて批准書の交換が行われ、即日発効した。
6 フランスとの通商協定の発効(ガット第三十五条の対日援用を撤回)
(1) フランスとの貿易は従来より毎年締結される貿易取決めによって規制されてきたが、一九六三年五月、六カ年を期間とし、最恵国待遇を規定する通商協定および貿易関係議定書がパリにおいて署名され、今後両国間貿易は右二協定によって規制されることとなった。
(2) 前記二協定は、両国国会の承認を了して一九六四年一月十日に発効し、仏側は同日付をもって対日ガット第三十五条の援用を撤回した。
前記協定の締結により、対日制限品目は一八五から一〇七品目に縮少された。
7 ベネルックス三国との通商協定の改正(ガット第三十五条の対日援用を撤回)
一九六三年二月十三日仮署名が行なわれたベネルックス三国政府のガット第三十五条の対日援用撤回のための交換書簡、現行の通商協定を改正する議定書および日本とベネルックスとの間の貿易に関する議定書並びに合意議事録(「わが外交の近況」第七号二一七頁参照)は、その後国内所要手続を経て同年四月三十日に東京でわが方大平外務大臣とベネルックス側在京デ・フォークト・オランダ大使およびユッペール・ベルギー大使との間において署名調印を了した。ガット第三十五条の対日援用撤回は、前記二議定書の発効次第実現することとなるが、近く関係国の批准を了し発効する予定である。